HPC-1/syntaxin1Aは、始め神経細胞特異的に発現する分子量35kDaの形質膜結合蛋白質として発見された。現在、この蛋白質は、形質膜、細胞内小胞および可溶性分画にある開口放出関連蛋白質と総称される蛋白質群との間での複合体を形成することにより、神経伝達物質の開口放出過程を仲介していると考えられている。また、HPC-1/syntaxin1Aは、神経系での伝達物質の放出に限らず、下垂体前葉細胞、ヒト胎盤やインスリン分泌細胞等、内分泌系細胞におけるホルモンの放出機構にも関与していて、広範な開口放出過程にとって、重要な分子の1つであることが知られている。 開口放出過程に対しては、HPC-1/Syntaxin1Aは、その発現量の増加によって開口放出が抑制されることから、発現量依存的に働く抑制性因子であると考えられている。また、この分子は、in vitroにおいて微小管に結合し、重合を阻害する現象および、その機能阻害により神経細胞における新たな細分枝形成(神経発芽)が促進されることが報告されている。従って、神経細胞ではHPC-1/syntaxin1Aが細胞骨格系への作用を介して、可塑的な神経機能にも関わる分子である可能性が高い。 この様に、HPC-1/Syntaxin1A蛋白質は、細胞内膜輸送系を制御することにより多様な細胞生理現象に関与し、特に神経細胞では、伝達物質の開口放出並びに神経発芽に関わる、ある種の神経可塑性制御因子として機能していると推測されている。 本研究では、先ず(1)HPC-1/syntaxin 1Aのヒト遺伝子の単離と染色体遺伝子座位の決定を試みた。更に、(2)このような、開口放出現象並びに、神経細胞において新たな分岐形成に関与している分子の、ヒトにおける疾患との関連を検討するために行った。 (1)HPC-1/syntaxin 1A遺伝子はヒト7番染色体長腕11.2領域(7q11.2)に存在する 先ず初めに、HPC-1/syntaxin1Aのヒトにおける遺伝子構造を決定するために、ヒト脳cDNAライブラリーよりヒトHPC-1/syntaxin1A cDNAの単離を行った。その結果、全長約2kbをカバーする4クローンの単離に成功した。これらクローンの塩基配列を解析した結果、ラット及びウシ同様に、カルボキシル末端領域に膜結合領域を持ち、更に、蛋白質間相互作用に必要と考えられる -ヘリックス構造を持つことが判った。また、そのアミノ酸はラット及びウシに対して約90%以上の相同性を示し、種間によって高度に保存されていることも判った。 次に、このHPC-1/syntaxin1A遺伝子のヒト染色体遺伝子座位を決定するために、先ずヒトの染色体それぞれ1本だけを持つヒト/マウス染色体ハイブリッドパネル解析を試みた。その結果、ヒト7番染色体上にHPC-1/syntaxin1A遺伝子が存在することが明らかになった。次に、この7番染色体中における詳細なマッピングを行うために、領域特異的な染色体脱落をおこしたハイブリッドパネルを用いて解析を行った結果、ヒト7番染色体の短腕p13から長腕q22領域中(7p13-q22)にHPC-1/syntaxin1A遺伝子座が存在していることが判った。更により詳細な、遺伝子座位の決定を行うために、ヒトBAC(bacterial artificial chromosome)ライブラリーより、HPC-1/syntaxin1AゲノムDNAの単離を行った結果、HPC-1/syntaxin1Aゲノム領城を含む、約130kbのヒトBACクローン(27H2)の単離に成功した。このBACクローンを用いて、ヒト染色体FISH解析を行った結果、ヒト7番染色体長腕11.2上にHPC-1/syntaxin1A遺伝子が存在することが明らかになった。 これらヒト/マウス染色体ハイブリッドパネル解析及びヒト染色体FISH解析を行った結果から、ヒト7番染色体長腕11.2領域(7q11.2〉に、HPC-1/syntaxin1Aの遺伝子座位が存在していることを明らかにした。 大変興味深いことに、このHPC-1/syntaxin1Aの染色体遺伝子座位は、神経症状や心奇形等の複合症状を発症することが知られているWilliams症候群の染色体半接合体欠失領域に相当していることが示唆された. (2)Williams症候群患者において、HPC-1/syntaxin 1A遺伝子の半接合体欠失がおきている このWilliams症候群は、ヒト7番染色体長腕11.23領域の半接合体欠失によって引き起こされる疾患で、sporadicに約2-5万人に1人の頻度でみられ、欧米においては家族性のものも報告されており、優性遺伝形式をとることが知られている。またWilliams症候群の臨床症状の特徴として、妖精様顔貌、大動脈弁上狭窄症に代表される心疾患、並びに特有の精神症状を有することが知られている。このように、Williams症候群には、様々な複合症状が存在し、患者の欠失領域の大きさが異なることによって、その示す症状にも差がみられることから、幾つもの原因遺伝子から形成される、いわゆる隣接遺伝子病であることが知られている。この欠失領域上にはelastin、LIMK1、RFC2遺伝子等が確認されているが、未だその特有の精神症状を規定している原因遺伝子が解明されていない。 そこで、Williams症候群とHPC-1/syntaxin1A遺伝子との関連を明らかにするため、HPC-1/syntaxin1Aゲノム領域を含むヒトBACクローン(27H2)をプローブにして、elastin領域の欠失を認めたWilliams症候群患者の染色体を用いた染色体FISH解析を行った。その結果、46例のWilliams症候群患者全例においてHPC-1/syntaxin1A遺伝子の染色体半接合体欠失が観られた。疾患症状との直接的な関連は明らかではないが、神経系機能分子としてのHPC-1/syntaxin1A遺伝子がWilliams症候群の欠失領域中に含まれており、このWilliams症候群を引き起こす原因遺伝子の1つの候補である可能性が推察された。 |