学位論文要旨



No 115401
著者(漢字) 下川,卓志
著者(英字)
著者(カナ) シモカワ,タカシ
標題(和) Poly(ADP-ribose)glycohydrolaseの精製・遺伝子クローニングおよび性状解析
標題(洋)
報告番号 115401
報告番号 甲15401
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1587号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 鈴木,紀夫
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 助教授 増田,道明
 東京大学 講師 岩瀬,博太郎
内容要旨 1.研究背景と目的

 放射線などによるDNA損傷に対する細胞応答として、poly(ADP-ribose)が一過性に合成され、核内に蓄積する。このpoly(ADP-ribose)はNADを基質としてPARP(poly(ADP-ribose)polymerase)により合成され、リボース間の結合を切断するPARG(poly(ADP-ribose)glycohydrolase)により分解される。細胞内のpoly(ADP-ribose)量の変化は、これら合成および分解酵素の活性バランスによって制御されている。PARPはDNA切断端に結合することにより活性化されることから"ニックセンサー"とも呼ばれ、DNA損傷後にhistoneやDNA ligaseといった種々の核内タンパク質をpoly(ADP-ribosyl)化して、その機能を制御している。一方、PARGは生成したpoly(ADP-ribose)を速やかに分解して、DNA修復などの細胞応答を開始すると考えられている。ノックアウトマウスを用いた研究により、Parpが発癌、虚血性脳障害、インシュリン依存性糖尿病などの疾病や染色体不安定性に関与することが示されている。また、PARP阻害剤を用いた研究により、poly(ADP-ribosyl)化がDNA損傷に対する感受性や適応応答、細胞の分化、遺伝子の転写制御に関与していることが示唆されている。最近、ヒトにおいてpoly(ADP-ribose)合成酵素活性を持つタンパク質が新たに4種類同定され、poly(ADP-ribosyl)化の多様な細胞機能への関与が示唆された。このようなPARPの多様な研究展開に対し、PARGについては、遺伝子構造や発現・機能調節などの基礎的な面すら明らかになっていない。

 Poly(ADP-ribosyl)化による細胞機能制御、特にDNA損傷応答や病態発生への関与、生理学的な役割を明らかにするためには、PARGの遺伝子構造や発現・活性制御機構などを明らかにしていくことが必要不可欠である。そこで本研究において私は、ラットPargタンパク質を精製し、cDNAのクローニングと塩基配列の決定、遺伝子座決定を行った。

2.研究方法2-1.Parg精製と部分アミノ酸配列決定

 SDラット精巣より、poly(ADP-ribose)の分解活性を指標にしてparg精製を行った。白膜を除いた精巣は、ポリトロンによりhomogenizeした後、プロタミン硫酸処理、1M硫酸アンモニウム処理を行い不溶性画分を遠心により除去した。Parg活性を含む上清はPhenyl Sepharose CL-4B、ceramic hydroxyapatite、Blue Sepharose 6FF、poly(A)Sepharose 4B、Mono S HR、poly(ADP-ribose)-ECH Sepharose 4Bを用いて精製した。精製されたPargの分子量は、1次元zymogram法により決定した。これは[32P]poly(ADP-ribosyl)化されたPARPを含むアクリルアミドゲルを使用して、ゲル中でParg活性を測定する方法である。

 活性の認められた60kDaのタンパク質をlysyl-endopeptidaseで分解した後、生成したペプチド断片を逆相HPLCにて分離した。部分アミノ酸配列はHP G1005A Protein Sequencing Systemを用いて決定した。

2-2.ラットParg cDNAのクローニングと塩基配列決定

 決定した部分アミノ酸配列を基にdegenerated primerを作製し、ラット大腸のtotal RNAを鋳型としてRT-PCR法により約1.2kbpのラットparg部分cDNA(RPG5)を単離した。残りのラットParg翻訳領域および3’非翻訳領域のcDNAは、RPG5特異的primer、oligo(dT)primer、ヒトPARGおよびマウスParg特異的primerを用いて、RT-PCR法により単離した。5’非翻訳領域は、5’RACE法により単離した。

 単離したParg cDNA断片を含む各クローンの塩基配列は、Cy-5で標識されたprimerを用いてSanger法により決定した。

2-3.GST融合ラットPargタンパク質の発現

 ラットParg全長(アミノ酸1〜972)、N末端部分(アミノ酸1〜413)、C末端部分(アミノ酸413〜972)をGST融合タンパク質として発現させた。各cDNA断片を発現ベクターpGEXに挿入して作製したプラスミドで大腸菌JM109株を形質転換させ、IPTGを添加して30℃で3時間培養するした後、回収した大腸薗の粗抽出液中のpoly(ADP-ribose)分解活性を測定した。

2-4.ラット正常組織におけるParg mRNAの発現

 7週齢F344雄ラットの大脳、小脳、胃、小腸、盲腸、大腸、心臓、肺、脾臓、肝臓、腎臓、胸腺、精巣より調製したtotal RNAを用いて、ノーザンブロット法によりParg発現について解析した。プローブにはrandom primerを用いてprimer伸長法により32Pで標識したRPG2(ラットParg cDNAヌクレオチド2,196〜2,493)を使用した。

2-5.Parg遺伝子座の決定

 ラットPargの遺伝子座は139匹のバッククロスラットを用い、155種類の遺伝多型マーカーのタイピングにより作製したマッピングパネルを用いて決定した。Pargイントロン中に存在した遺伝多型はPCR-SSCP法により検出した。ヒトPARGの遺伝子座については、ヒトPARGゲノムDNAを有するP1クローンHPARG1をdigoxigenin-dUTPにより標識し、PHA処理をしたヒト正常末梢リンパ球を用いてFISH法により決定した。

3.研究結果3-1.Parg精製と部分アミノ酸配列の決定

 ラット精巣310個よりpoly(ADP-ribose)のADP-riboseへの分解活性を指標として精製を行い、約1万倍に精製されたタンパク質10gを得た。最終精製画分をSDS-ポリアクリルアミドゲルで電気泳動した後、銀染色したところ、複数のタンパク質が検出された。ゲル中で活性測定を行うl次元zymogram法により、60kDaのタンパク質にのみpoly(ADP-ribose)分解活性が確認されたことから、この60kDaのタンパク質が目的のPargであると結論した。部分精製したPargは、pl値は8.0〜8.7、平均鎖長22ADP-riboseのpoly(ADP-ribose)に対するKm値は3.2Mであった。

 精製した60kDaのタンパク質をlysyl endopeptidaseで分解し、生成したペプチド断片を逆相HPLCで分離後、3断片の部分アミノ酸配列(YNVAYSK、FTRPQNLK、LYPFIYHAAE)を決定した。

3-2.ラットParg cDNAのクローニングとGST融合Pargの活性確認

 全長3974bpのラットParg cDNAを単離し、塩基配列を決定した(DDBJ AB019366)。単離したラットParg cDNAは972アミノ酸からなる推定分子量109kDaのタンパク質をコードしていた。ラットParg cDNAはヒト、ウシ、マウス、ショウジョウバエ、線虫、シロイヌナズナPARGと塩基配列、アミノ酸配列共に高い相同性が認められた。特にラットParg C末端部分にはヒトから植物まで保存されている領域(アミノ酸732〜882)が存在していた。

 単離したcDNAがコードするタンパク質がParg活性を有することを、GST融合タンパク質として発現させて検討した。cDNAより予想されるParg全長もしくはC末端部分を発現させた大腸菌の粗抽出液は、poly(ADP-ribose)を分解したが、Parg N末端部分、またはGSTのみを発現させた大腸菌の粗抽出液は、poly(ADP-ribose)を分解できなかった。

3-3.ラット正常組織におけるParg mRNAの発現量

 ラットParg mRNAは、解析したすべての組織で、発現が認められた。また、どの組織でも、Parg mRNAは約4kbの一種類だけが確認された。

3-4.Parg遺伝子座決定

 ラットpargイントロン配列(DDBJ AB022043)中に、F344ラットとACIラットの間で遺伝多型が存在した。PCR-SSCP法により139匹の(F344xACI)F1xACIバッククロスラットのタイピングを行い、遺伝多型マーカーとの連鎖解析により、ラットparg遺伝子を第16番染色体短腕上、D16Mit2マーカーと同じ位置にマップした(lod score 41.8)。また、ヒトPARG cDNA断片hPGl(ヌクレオチド968〜1347)を用いて、ヒトPARGゲノムDNAを有するP1クローンHPARG1を得た。このHPARG1を用いたFISH法により、ヒトPARG遺伝子を、第10番染色体q11.23-21.1にマップした。

4.考察

 1次元zymogram法を用いて、最終精製画分に存在していた複数のタンパク質中より、60kDaのタンパク質がpoly(ADP-ribose)分解活性を持つ目的のPargであることを明らかにした。本研究で精製したラットPargの分子量、Km値やpI値は、ブタ精巣核画分から精製されたPargに最も近く、他の報告にあるPARGとは特にpI値が大きく異なっていた。今回、単離・塩基配列決定したラットParg cDNAは、推定分子量109kDaのタンパク質をコードしていた。決定したラットPargの部分アミノ酸配列はすべて109kDa PargのC末端部分に位置しており、特にその中の一つは、109kDa Pargをlysyl-endopeptidaseで分解した際、最もC末端に位置するペプチド断片の配列であった。以上の結果より、精製した60kDa Pargは、cDNAにコードされた109kDaPargのC末端部分であると結論した。また、GST融合タンパク質としてC末端部分だけを発現してもPARG活性が認められたことから、このC末端部分にpoly(ADP-ribose)分解活性を担う領域があると示唆された。

 ラットを含む哺乳類のPARG cDNAは、すべて約110kDaのタンパク質をコードしている。しかし、今回精製したラットの60kDa Pargを含めて、これまで精製されたPARGはすべて50〜75kDaであり、両者の分子量は大きく異なっている。ラットParg mRNAが約4kbの一種類しか確認されなかったことから、今回精製した60kDa Pargは、プロテアーゼによる翻訳後の分解または、想定したATGより下流のATGからの翻訳による産物と考えられる。大腸菌中や培養細胞中で過剰発現させた場合には約110kDa Pargの存在と活性が認められるが、内在性の約110kDa PARGの存在または活性を細胞内で確認した報告は未だない。さらに、核と細胞質では存在するPARGの分子量が異なるとの報告もあり、Pargの細胞内局在と活性がプロテアーゼによるプロセッシングにより制御されている可能性が予想される。ラットを含む哺乳類のPargには3〜4ヶ所に核移行シグナル、1ヶ所に核外移行シグナルと予想されるアミノ酸配列が存在しており、これらにより細胞内の局在が制御されている可能性も考えられる。よって、PARGの活性制御機構を明らかにするためには、PARGの細胞内局在と翻訳後のプロセッシングの解明が必要である。今回得られたParg cDNA配列をもとに、詳しい構造と活性及び細胞内局在の関係を明らかに出来ると考えられる。

 PARG遺伝子座は、ラット、ヒトおよびマウス間のsyntenic rcgionに存在していた。ラットのParg遺伝子座はインシュリン非依存性の糖尿病との関連が報告されている領域である。また、ヒトのPARG遺伝子座は、神経膠芽腫でヘテロ接合性の消失が、さらに、チェルノブイリ事故で増加が報告された甲状腺乳頭がんで逆位が報告されている領域であり、放射線の晩発影響に対して細胞内poly(ADP-ribosyl)化が関与している可能性がある。これらの疾患でPARG変異が起きているか詳細に調べる必要がある。

 発現している組織分布・細胞内局在・活性化機構等が異なる5種類のpoly(ADP-ribose)合成酵素によりタンパク質に付加されたpoly(ADP-ribose)を分解しているのがPARGであると推定される。そのため、DNA損傷応答における一過性の核内タンパク質のpoly(ADP-ribosyl)化、そして細胞周期や遺伝子発現制御における生理的なpoly(ADP-ribose)代謝の役割を明らかにするにはpoly(ADP-ribose)の分解酵素であるPARGの役割や活性制御の解明が不可欠である。本研究は、そのための重要な基礎的知見を提示した。

審査要旨

 本研究は、放射線等によるDNA損傷に対する応答や染色体不安定性,種々の成人性疾病との関連が示唆されているpoly(ADP-ribosyl)化の細胞内での役割を明らかにするために、poly(ADP-ribose)の分解酵素であるParg(poly(ADP-ribose)glycohydrolase)の精製・遺伝子クローニングおよび遺伝子座の決定を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.Poly(ADP-ribose)をリガンドとして用いたアフィニティカラムを含む6種類のカラムにより、ラット精巣よりpoly(ADP-ribose)分解活性を指標としてPargタンパク質を精製した。約1万倍に精製された最終精製画分中に含まれる複数のタンパク質より、改良を加えた1次元zymogram法を用いて60kDaのタンパク質がPargであることを示した。

 2.精製した60kDa Pargの部分アミノ酸配列を決定した。その配列に基づいてdegenerated primerを作製し、RT-PCR法と5’RACE法により全長3,974bpのラットParg cDNAを単離し、全塩基配列を決定した。単離したラットParg cDNAは972アミノ酸からなる推定分子量109kDaのタンパク質をコードしていることを示した。

 3.単離したcDNAがコードするタンパク質をGST融合タンパク質として発現させ、この109kDaのタンパク質にParg活性があること、C末端部分にpoly(ADP-ribose)分解を担う領域があることを示した。

 4.単離したParg cDNA断片をプローブとしてノーザンブロット解析を行い、ラットParg mRNAが解析したすべての組織で約4kbの1種類だけが発現していることを示した。

 5.ラットPargイントロン配列中に、F344ラットとACIラットの間で遺伝多型が存在することを見出した。さらにこの遺伝多型についてPCR-SSCP法により139匹の(F344xACI)F1xACIバッククロスラットのタイピングを行い、遺伝多型マーカーとの連鎖解析により、ラットParg遺伝子を第16番染色体短腕上、D16Mit2マーカーと同じ位置にマップした。

 6.ヒトPARGゲノムDNAを含むP1クローンを単離した。このクローンをプローブとして、FISH法によりヒトPARG遺伝子を第10番染色体q11.23-21.1にマップした。

 以上、本論文はpoly(ADP-ribose)の分解酵素について、タンパク質の精製を経て、重要な基礎的知見(塩基配列、遺伝子座)を明らかにした。本研究により、これまでほとんど解析出来なかったpoly(ADP-ribose)の分解制御機構について分子生物学的手法を用いた研究ができるようになり、DNA損傷応答などにおけるpoly(ADP-ribosyl)化の役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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