背景と目的 細胞周期の進行は、細胞周期の各期に一致して生成・分解されるサイクリンと全細胞周期にみられるサイクリン依存性キナーゼ(Cdk)との複合体の形成によりCdkがリン酸化されることにより進められる。現在までにヒトゲノムには少なくとも11個のサイクリン遺伝子が存在することが知られており、このうち最初に遺伝子がクローニングされたサイクリンD1は、Cdk4あるいは6と結合してキナーゼ活性を獲得し、そのキナーゼ活性はG1/S移行期に最大となる。 このG1/S移行期には細胞周期の運行をチェックするチェックポイントが存在し、紫外線や放射線などによるDNAの損傷があるとp53が誘導されて細胞をG1期に静止させたり、アポトーシスに誘導する。この時p53はCdkのキナーゼ活性を阻害するp21の発現を誘導することによって細胞周期を静止させる。またp16も同様にCdk4のキナーゼ活性を阻害しG1アレストをもたらすことが知られている。このチェックポイントの異常は細胞の無秩序な増殖を招き、細胞を癌化させると考えられている。 サイクリンD1は、このG1/S移行期にCdk4あるいは6と結合してキナーゼ活性を獲得し、S期の開始を抑制している網膜芽細胞腫蛋白質(Rb蛋白)をリン酸化してRb蛋白に結合したE2Fなどの転写活性化因子を遊離する。この遊離されたE2FはDNA合成を含むS期機能に必須の蛋白をコードしている遺伝子の転写の活性に利用され、細胞周期が進行することとなる。 そこで我々は、ヒト非小細胞肺癌の手術材料を用いてその細胞周期の進行過程、特にG1/S移行期におけるサイクリンD1とその関連キナーゼ活性の関与を検討した。 材料と方法 26例の肺癌手術例(男性21例、女性5例、平均年令62.1才)より癌組織と近傍の非癌組織を手術標本より得た。臨床病期分類ではStageIが11例、StageIIが3例、StageIIIAが9例、StageIIIBが1例、StageIVが、2例であった。組織型は腺癌が16例、扁平上皮癌が10例であった。癌部と非癌部は肉眼的に分け、後で組織学的に確認した。また、術前には化学療法や放射線治療は受けていなかった。 標本から組織溶解液を作成しサイクリンD1、Cdk4、6のウェスタンブロット、サイクリンD1の免疫染色、サイクリンD1関連キナーゼアッセイを行った。得られたバンドはイメージアナライザーを用いて定量化し、癌部と非癌部の比を求めて統計処理を行った。 結果 サイクリンD1、Cdk4、6のウェスタンブロットの結果、いずれも腺癌の癌部において有意な蛋白量の増加が見られた(p<0.005、p<0.001、p<0.001)。一方、扁平上皮癌ではいずれも増加は見られなかった。また、サイクリンD1の免疫染色の結果もウェスタンブロットの結果と同様で、腺癌細胞の核と細胞質に集積が見られたが、扁平上皮癌では染色は弱かった。 サイクリンD1関連キナーゼアッセイの結果、キナーゼ活性についても同様に腺癌で有意な活性増加(p<0.05)がみられたが、扁平上皮癌では増加していなかった。また、腺癌症例を腫瘍の最大径3cm以下のものとそれ以上のものとに分けると、3cm以上のもので有意に活性が増加していた(p<0.05)。また、サイクリンD1の発現量とその関連キナーゼ活性の間には有意な相関関係が得られた(r=0.76、p<0.001)。しかしながら、キナーゼ活性と臨床病期あるいは癌細胞の分化度との間に有意な相関は見られなかった。 また、腺癌の症例でリン酸化Rb蛋白の抗体を用いたウェスタンブロットでリン酸化Rb蛋白の増加がみられた症例や、Rb蛋白に結合したE2F-1の減少がみられた症例があり、これらの結果はキナーゼアッセイの結果を支持するものと考えられた。 考案 今回の我々の検討では、ヒト肺腺癌においてサイクリンD1、Cdk4、6すべでの発現が有意に増加していた。その結果サイクリンD1とCdk4あるはCdk6との複合体形成が増加し、サイクリンD1関連キナーゼ活性が増加したものと考えられた。サイクリンD1の発現とその関連キナーゼ活性の間には相関がみられたが、発現量に比べキナーゼ活性の増加が少なかった。これはpl6やp21などのインヒビターの影響によるものと思われた。 一方、扁平上皮癌においてはこれらサイクリンD1、Cdk4、6の発現やキナーゼ活性の増加はみられず、腺癌との間に有意差があった。サイクリンD1の発現は カテニンやRasが調節していると考えられることから、この腺癌と扁平上皮癌の差はこれらの調節因子によるものと考えられた。 結語 ヒト肺腺癌においては、サイクリンD1関連キナーゼ活性の増加が見られ、腺癌の腫瘍化に関係していると考えられた。 |