学位論文要旨



No 115416
著者(漢字) 根來,秀行
著者(英字)
著者(カナ) ネゴロ,ヒデユキ
標題(和) 内因性プロスタグランジンD2産生が血管平滑筋細胞誘導型一酸化窒素合成調節に及ぼす影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 115416
報告番号 甲15416
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1602号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 教授 新家,眞
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 講師 高市,憲明
 東京大学 講師 中尾,彰秀
内容要旨 背景

 アラキドン酸の代謝産物であるプロスタグランジンD2(PGD2)は、PGG2/PGH2を基質としてPGD2合成酵素により作られ、PGJ212-PGJ2,15-deoxy-12,14-PGJ2(15d-J2)へと代謝される。その生理的作用は、脳における神経伝達物質としての役割が報告されてきた。心臓血管系ではアデニル酸シクラーゼの活性化を介して血小板の凝集能を抑制し、血管拡張作用を有する。また、血小板、マクロファージ、肥満細胞といったアテローム性動脈硬化病巣の構成細胞でもPGD2が産生されているとの報告があり、血管系でのPGD2役割も注目されている。最近、細胞内にperoxisome proliferator-activated receptor(PPAR)という核内レセプターが存在し、そのタイプにPGD2の代謝産物である15d-J2がリガンドとして作用することが明らかにされた。これは、PGD2系の新しい細胞内作用メカニズムの存在を示唆する。これらより、PGD2は細胞内、外のメカニズムを介して、心血管系障害の進展退縮に関与していると考えられる。

 一方、一酸化窒素(NO)はL-アルギニンを基質としてNO合成酵素(NOS)により合成され、抵抗血管の拡張作用を有し、心血管系障害の進展退縮のメカニズムに関与する。NOSには3種類のアイソフォームがクローニングされているが、誘導型NOS(iNOS)は生理的状態では発現しておらず、炎症性サイトカインなどにより誘導され発現する。iNOSにより産生されるNOは大量で、血管壁構成細胞に対し障害性に作用する。実際、動脈硬化病巣に浸潤したマクロファージなどは種々のサイトカインを分泌しiNOSを発現し、大量のNOを分泌して血管障害性に働く。また、動脈硬化巣では血管平滑筋細胞自体がiNOS mRNA発現によるNO産生の主要な場となる。

 ところが、これまでPGD2とNO産生系のクロストークに関する報告は無かった。こうした背景をもとに、PGD2の新たなる作用メカニズム、役割を解明する為に、PGDS遺伝子を血管平滑筋細胞、血管内皮細胞に導入し、内因性PGD2産生を刺激することにより、iNOSによるNO産生をはじめとする種々め血管障害因子への影響を検討した。

方法

 (1)6週齢Wistar系雄ラット胸部大動脈からexplant法により血管平滑筋培養細胞(VSMC)を作成し、ウシ頚動脈より血管内皮培養細胞(EC)を作成した。VSMCに20U/mLのIL-1を添加し、NO産生を刺激した後、外因性PGD2、及び15d-J2、PGI2 analogueを添加し、24時間インキュベートし、上澄みと細胞を回収した。

 (2)3kbのPGDS(lipocalin type)遺伝子を、SV40 promoterを持つpcD2 plasmid vectorにライゲーションし、このPGDS発現ベクターをエレクトロポレーション(EP)法で培養細胞に導入した。24時間後アラキドン酸(10-6mole/L)を加え、内因性PGD2産生を24時間刺激した後、20U/mLのインターロイキン-1(IL-1)を添加して18時間培養し、新鮮培養液に交換して2時間後上澄みと細胞を回収した。NO産生に関する実験ではVSMCを、plasminogen activator inhibitor-1(PAI-1)及びエンドセリン(ET)産生に関する実験ではECを用いた。

 (3)抗PGD2抗体前処置にて外因性PGD2を中和させPGDS遺伝子導入による内因性PGD2のみの作用を観察した。

 (4)遺伝子導入効率は-galassayで確認した。エイコサノイドは放射免疫測定法、一酸化窒素はGriess法、PAI-1はenzymeimmunoassay法、ETはenzyme-linked immunosorbent assay法、mRNAの発現はreverse transcription-polymerase chain reaction(RT-PCR)法で測定した。mRNA発現の定量はcompetitive RT-PCR法で行った。蛋白合成はWestern blot法で確認した。すべての値は平均値±SEで示し、統計上の有意差はone-way ANOVAで評価した。P値0.01以下を統計的に有意と考えた。

結果

 IL-1刺激を行ったVSMCでのNO産生量は10-7〜10-5mol/Lの外因性PGD2あるいは15d-J2の添加により、用量依存的に抑制され、PGI2 analogue添加により軽度増加した。transporter遺伝子だけを導入した(コントロール)VSMCではPGD2産生量は22.65±0.91pg/2hoursと低値であった。PGDS遺伝子を導入したVSMCでは、182%と著明にPGD2産生量が増加した(遺伝子導入効率は18.3±1.2%)。培養液中に10-6mol/Lのアラキドン酸を添加すると、PGDS遺伝子を導入したVSMCでは、著明にPGD2産生量が増加した。コントロールVSMCとPGDS遺伝子を導入したVSMCの間で、PGI2産生量には有意差は認めなかった。VSMCのNO産生量は、IL-1での刺激により有意に増加した。さらに、PGDS遺伝子導入し10-6mol/Lのアラキドン酸にて内因性PGD2合成能を刺激したVSMCでは、コントロールと比べNO産生量が19%抑制された。また、PGDS遺伝子を導入し10-6mol/Lのアラキドン酸で内因性PGD2合成能を刺激した後、外因性PGD2を抗PGD2抗体で中和しても、NO産生は抑制されたままであった。一方、20U/mLのIL-1刺激を行ったVSMCではiNOS mRNAの発現、iNOS蛋白合成が顕著に認められたが、それはPGDS遺伝子導入により有意に抑制された。さらに、iNOS mRNAの定量によりこのiNOS mRNAの発現抑制幅は約25%と考えられた。

 20U/mLのIL-1刺激によってECにおけるPAI-1産生およびエンドセリン産生は有意に増加した。これらの増加は、PGDS遺伝子導入により有意に抑制された。また、このECにおけるPAI-1産生抑制は、PAI-1 mRNA発現抑制に起因することが示された。

考察

 ラットVSMCに外因性PGD2、あるいは15d-J2を添加したところ、サイトカイン刺激によるNO産生が用量依存的に抑制された。ところが、これまで考えられていた細胞膜のPGD2レセプターを介するアデニル酸シクラーゼ活性化とそれに基づくcyclic AMP増加の機序からは、外因性のPGD2はiNOS mRNAの発現およびそれによるNO産生を増加させる方向に働くと考えられる。そこで、我々は細胞膜PGD2レセプター作動性メカニズム以外にPGD2の抑制機序があることを想定した。実際細胞内にPPARという核内レセプターが存在し、そのタイプのレセプターにPGD2の代謝産物である15d-J2がリガンドとして作用することが最近明らかにされた。心血管系の構成細胞でも、この核内レセプターを介した細胞内機序により、PGD2あるいはPGD2代謝産物が種々の機能を果たしている可能性がある。その解明のため、PGDS遺伝子を血管壁構成細胞に導入し内因性PGD2の産生増加を試みた。PGDS遺伝子を導入したVSMCでの内因性PGD2産生量が有意に増加した。また、PGDSの遺伝子導入を行ったVSMCではIL-1刺激によるiNOS mRNA発現、iNOS蛋白合成及びNO産生量は、コントロール細胞に比べ有意に低値を示した。さらに細胞外に分泌されたPGD2を抗PGD2抗体で中和しても、IL-1刺激によるNO産生は抑制された。よってNO産生の抑制は、PGD2の細胞内メカニズムを介して起る現象であると考えられた。IL-1で誘導したiNOSmRNAの発現は、PGDS遺伝子導入したVSMCではコントロールに比べ有意に抑制され、competitive RT-PCR法で定量性を検証したところ、約25%抑制されていた。これらより、PGD2あるいはその代謝産物は細胞内の機序を介してiNOS mRNAの発現を抑制し、その結果、NO産生を抑制することが判明した。

 また、新しく明らかになった核内レセプターを介するPGD2の作用機序に関連して、他の血管障害因子に対しても内因性PGD2の影響を検討した。IL-1刺激によりECでのPAI-1合成は有意に増加したが、PGDS遺伝子導入による内因性PGD2産生刺激を行ったところ、有意に抑制された。これより、内因性PGD2は線溶系を亢進させ、血栓形成を防ぐ方向に作用すると考えられる。また、ECでのET-1産生も、PGDS遺伝子導入による内因性PGD2合成刺激により有意に抑制された。これらのin vitroでの結果より、生体内においてもPGD2あるいはその代謝産物は線溶系を亢進させ、ET-1産生を抑制することで、動脈硬化巣や血管収縮性の臓器虚血状態などで、その病態を改善する方向に働く可能性が考えられる。

結論

 PGDS遺伝子導入により血管壁構成細胞における内因性PGD2産生が増加し、細胞内メカニズムを介した内因性PGD2の血管障害因子抑制作用が示された。PGDS遺伝子導入による内因性PGD2の増加は、血管障害因子の産生抑制を介して血管壁保護性に働くと考えられ、臨床応用への可能性が示された。

審査要旨

 本研究は、PGD2の新たなる作用や作用メカニズム、血管保護因子としての役割を解明する為に、PGD2合成酵素遺伝子(PGDS遺伝子)をelectroporation(EP)法にて血管平滑筋細胞、血管内皮細胞に導入し、内因性PGD2産生を刺激することにより、iNOSによるNO産生をはじめとする種々の血管障害因子への影響を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 (1) IL-1刺激により増加したVSMCでのNO産生は10-7〜10-5mol/Lの外因性PGD2、あるいは15-deoxy-12,14PGJ2の添加により用量依存性に抑制された。抑制の程度は有意に15-deoxy-12,14PGJ2の方が強がった。

 (2) EP法でPGDS遺伝子導入後、アラキドン酸を添加し、PGD2合成を刺激したところ、VSMCでの内因性PGD2産生は有意に増加した。

 (3) IL-1刺激によりPGDS遺伝子非導入VSMCでのNO産生は有意に増加したが、RGDS遺伝子導入後、アラキドン酸で刺激したVSMCではIL-1刺激によるNO産生量は有意に減少し、iNOS mRNA発現量、iNOS蛋白産生量とも有意に抑制された。

 (4) PGDS遺伝子導入後、アラキドン酸で刺激した細胞では、細胞外に分泌されたPGD2を抗PGD2抗体で中和しても、IL-1刺激によるNO産生量は有意に減少し、mRNA発現量も有意に抑制された。

 (5) PGDS遺伝子非導入ECでのPAI-1産生は、IL-1刺激により有意に増加したが、PGDS遺伝子導入後アラキドン酸刺激したECでは、IL-1刺激によるPAI-1産生量は有意に減少し、PAI-1mRNA発現量も有意に抑制された。

 (6) PGDS遺伝子非導入ECでのET-1産生は、IL-1刺激により有意に増加したが、PGDS遺伝子導入後アラキドン酸で刺激したECでは、IL-1刺激によるET-1産生量は有意に減少した。

 以上、本論文は新しい細胞内メカニズムを介した内因性PGD2の血管障害因子抑制作用を示した。これは、血管壁構成細胞における細胞内メカニズムを介した内因性PGD2の血管保護性作用を示すとともに、PGDS遺伝子導入によって血管障害を防御していくという新しい血管障害克服法の確立にむけて重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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