学位論文要旨



No 115417
著者(漢字) 速水,紀幸
著者(英字)
著者(カナ) ハヤミ,ノリユキ
標題(和) 心筋梗塞における遅延整流型カリウムチャネルerg蛋白の発現動態に関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 115417
報告番号 甲15417
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1603号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 講師 竹中,克
 東京大学 講師 小室,一成
内容要旨 目的

 ergは電位依存性カリウムチャネルに属する膜6回貫通型チャネルで、その電流は心筋細胞の遅延外向き電流の速い成分(IKr)である。この電流は心臓の活動電位形成に重要な役割を果たしており、ergの突然変異はQT延長症候群を引き起こす。しかしながらergの発現調節は機構はわかっておらず、また病的状態における分布はほとんどわかっていない。一方心筋梗塞はその発症急性期のみならず慢性期においても重篤な心室性不整脈を引き起こす予後不良な疾患である。これまで心筋梗塞後の心室性不整脈の予防のため薬物療法の大規模試験が行われたがアミオダロンやソタロールなど限られた薬物である程度の効果が示されたに過ぎない。またカテーテルアブレーション、植え込み型除細動器は一定の効果はあるがその適応には限界がある。梗塞心筋の電気生理学的な性質は梗塞巣以外の部分においても変化しており、このことは最近注目されている心筋梗塞後のリモデリングと同様な過程で電気生理学的リモデリングが生じている可能性を示唆している。この研究では心筋梗塞後の電気生理学的リモデリングを明確にする目的で、erg蛋白の正常心筋における分布を調べ、更にそれに対する心筋梗塞の影響を主に生化学的な手法を用いて調べた。

方法

 Sprague-Dawleyラット(雌、200〜250g)を用いた。正常心室筋を心外膜側、心筋中層、心内膜側、右室に分離し、各々からmRNA、蛋白を抽出して、RNase protection assay、Western blotでそれぞれの発現量を半定量した。また、心筋をパラフィン包埋切片にし、in situ hybridization、免疫組織染色で詳細な分布を検討した。さらにパッチクランプ法でwhole cell currentを計測し、IKrの分布を調べた。次にラットに心筋梗塞を作成し、4日、7日、14日、28日後に心臓を取り出し、ergの発現における心筋梗塞の影響を調べた。壊死巣は取り除き、その周囲部、左室後壁、右室の3つに分離して、各部位ごとのmRNA、蛋白発現量をRNase protection assay、in situ hybridization、免疫組織染色で検討した。

結果

 正常心筋ではRNase protection assayによる検討で心外膜側,心内膜側が心筋中層に比べergm RNAの発現が有意に多かった。Western blotでも心外膜側で他の部位に比較してerg蛋白の発現が多く、mRNAと同様な結果を得た。in situ hybridization、免疫組織染色でも同様に心筋中層での発現が少なく、erg発現は心室筋内で不均一であることがわかった。パッチクランプ法においてもIKr電流が心筋中層で少なかった。以上、RNase protection assay、Western blot、In situ hybridization、免疫組織染色、パッチクランプの結果から、IKrは正常心室筋内で不均一に分布し、特に心筋中層でその発現が減少していることが特徴であった。

 心筋梗塞ラットでは心室頻拍の誘発率は80%であったのに対し、対照群では0%であった。このモデルを用い正常心で不均一な分布を呈するerg mRNA、erg蛋白が、心筋梗塞後の心不全形成の過程でどのように修飾されるか検討した。RNase protection assay法での検討では心筋梗塞周囲部では心筋梗塞作成4日後でerg mRNAの発現は著明に減少し、その後徐々に回復した。その他の障害を受けていない部位ではergの発現は有意な変化を示さなかった。In situ hybridizationで見ると心筋梗塞4日後は壊死巣に接した残存心筋では比較的均一にergの発現は著明に低下していたが、梗塞巣から離れた部位ではそのような変化は認めなかった。28日後の心室筋では壊死巣は完全に線維化しており、その心外膜側、心内膜側の残存心筋ではergの強い発現を認め、心内膜側の残存心筋は全く染色されない壊死巣の中に島状に散在しており、ergの分布はより不均一なものとなった。免疫組織染色でもIn situ hybridizationと同様な結果を得られた。心筋梗塞4日後の心室筋では壊死に陥った領域には特異的な染色はなく、周囲部では左室後壁と比べてergの発現が弱かった。28日後では壊死を免れた細胞ではerg発現が回復していたが、特に心内膜側の残存心筋はモザイク状に散在しており不均一な分布となっていた。

考察

 哺乳類のあらゆる種で心外膜側よりも心内膜側の方が一過性外向き電流が少なく活動電位が長いことが知られている。また、心室筋中層にはM cellと呼ばれる電気生理学的性質が異なる細胞の亜集団があることも報告された。このような心外膜側、心室中層、心内膜側の活動電位の不均一性はT波の成因とされ、興奮頻度や虚血に対する反応がそれぞれ異なるため、病的状態においてその不均一性が増大して心室不整脈の原因となる可能性がある。これらの変化は虚血による細胞外カリウム濃度やpHの変化など生理学的な要因によるものもあるが、チャネル自体の発現変化など生化学的な変化についてはほとんど知られていないのが現状である。近年分子生物学的な手法によりカリウムチャネルの構造が明らかにされているが、発現調節機構はわかっていないものがほとんどであり、病的状態の発現分布についての研究はほとんどない。

 本研究の結果からラット正常心筋においてはergの不均一な発現分布が電気生理学的な不均一性を引き起こしT波の成因となる可能性が示された。また梗塞心筋では、梗塞巣周囲部分で静止膜電位の上昇による伝導速度の不均一な遅延や活動電位持続時間の不均一な延長がおこり、これらが一方向性ブロックの基質となりリエントリー性不整脈の発生素地となることが知られている。ergに関しては心筋梗塞における報告はこれまでされておらず、ergが虚血によりその不均一性が修飾され不整脈源性となる可能性があると考え、その可能性を調べた。心筋梗塞亜急性期(4日後)では壊死巣は心筋中層を中心に広がっておりこれに接する残存心筋においてergの発現はほとんど認められなかった。壊死巣から離れると、比較的明瞭な境界を持って心外膜側にergの発現を認めた。これに影響する因子として心筋炎、虚血、心腔内圧などが考えられるが、このパターンは血液潅流量の分布と一致し虚血の影響が示唆される。心筋梗塞亜急性期では周囲部で一様にerg発現が認められなかったのに対し、慢性期では壊死組織の中に島状に強くergを発現している細胞が散在しており局所的な不均一性はむしろ増大していた。慢性期の比較的安定したりエントリー回路はこのような組織がその一部を成すと思われる。ergの変異体がQT延長症候群の原因となるようにerg発現の減弱は心筋の不応期を延長させT波の形状を変化させる。心筋梗塞亜急性期と慢性期のこのようなerg発現量の変化は、心筋梗塞後の体表面心電図上のT波変化の原因と考えられた。ラット正常心筋においてはerg RNA、erg蛋白とも心筋中層領域には発現が少なく、機能的にそれと相応するIKrも減少していた。心筋梗塞により梗塞近傍の細胞ではerg RNA発現が著明に一様な低下を示したが慢性期には結果的にはモザイク状に回復した。

 このようなergチャネルの不均一な分布は正常心電図、梗塞後心電図を理解するうえで、また、不整脈の発生基質を理解するうえで重要な所見と考えられる。

審査要旨

 本研究は心臓の活動電位形成に重要な役割を演じていると考えられる、遅延整流型カウムチャネル蛋白ergの正常心筋、梗塞心筋での発現動態を明らかにするため、主に生化学的手法を用いて解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.ラット正常心筋の左室心外膜側、左室心筋中層、左室心内膜側、右室からRNAを抽出し、RNase protection assayを行ってerg mRNAの発現量を半定量した。その結果心外膜側、心内膜側では心筋中層と比較して有意にerg mRNAの発現が多かった。固定したラット正常心筋でin situ hybridizationを行い、erg mRNAを染色し、これを裏付ける結果を得た。同様に心臓の各部位から蛋白を抽出し、Western blotでerg蛋白の発現量を半定量した。心外膜側では他の部位と比較して有意にerg蛋白が多く、免疫組織染色でも同様な結果を得た。また、パッチクランプ法で計測したところ、erg蛋白がチャネルを構成すると考えられるIKrも同様な分布をすることが示された。

 2.左前下行枝結紮により心筋梗塞を作成したラットにおいて、梗塞4日後には梗塞巣周囲の残存心筋ではmRNAの発現は著明に減少しており、in situ hybridizationでも同様な結果を得た。また、蛋白の分布も同様であった。心筋梗塞巣から離れた部分ではergの発現に変化は認めなかった。

 3.心筋梗塞28日後には心筋梗塞巣の周囲部においてもerg mRNA、erg蛋白の発現が回復した。これはRNase protection assay、in situ bybridization、Western blotting、免疫組織染色で一致した所見を得た。ergの発現は細胞一個当たりでは多かったが、残存心筋は壊死巣の中に散在しており、局所的には不均一分布となっていた。

 以上、本論文はラット正常心筋でergの分布に不均一性があること、また心筋梗塞後によってmRNAレベルでergの発現が著明に抑制されることを明らかにした。本研究は病的心筋におけるカリウムチャネル蛋白の発現動態を、この分野ではこれまでほとんどなされていなかった分子生物学的手法を用いて明らかにしたものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク