学位論文要旨



No 115419
著者(漢字) 前田,愼
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,シン
標題(和) Helicobacter pyloriの病原因子"Pathogenicity island"の遺伝子構造とその機能解析
標題(洋)
報告番号 115419
報告番号 甲15419
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1605号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 講師 一瀬,雅夫
内容要旨 研究の背景および目的

 Helicobacter pyloriは胃粘膜に感染する桿菌であり、胃炎、潰瘍の大きな原因である。しかし、H.pyloriによってひき起こされる疾患における病原機構については解明されていない。

 想定される病原因子のひとつがCagAをはじめとするcag pathogenicity island(PAI)である。欧米では50%の株がCagAを産生し、潰瘍、胃癌などの疾患から分離された菌は高率に保有する。

 H.pylori胃炎の特徴の一つに、好中球を中心とした炎症性細胞浸潤がある。IL-8はH.pylori感染粘膜において産生が増加し、胃炎に関与すると考えられている。cag PAIは30以上の蛋白をコードするが、いくつかの遺伝子をノックアウトした結果、IL-8の産生低下がみられ,この領域がIL-8産生に重要な役割をもつと考えられる。

 H.pyloriによるIL-8誘導には転写因子としてNF-Bが関与している。Cag PAI陽性株がこのNF-Bの活性化と関与すると考えられるが、この活性化機構は不明である。

 今回、cag PAI感染診断の確立および本邦における頻度の検討のため、抗体、蛋白の検出系、および遺伝子検出系の確立を行い、多数例において検討した。そして、cag PAIの機能を解明する目的で、NF-B活性化機構について検討を加えた。

方法(1)CagA検出系の確立

 H.pyloriよりDNAを精製、cagA遺伝子全長をPCRにて増幅した。増幅産物をクローニングし(pCRII cagA)、塩基配列を決定した。pCRII cagAより切り出した遺伝子断片(アミノ酸107から531)を蛋白発現用ベクターに挿入し、組換えcagA蛋白を精製した。次に組換え蛋白を家兎に免疫し、抗体を作製した。組換えCagA蛋白を用いたイムノブロット法により、患者血清144例について、抗CagA抗体の検出を行った。また、作成した抗体を用いて、臨床分離株68株中のcagA蛋白検出も施行した。

(2)cag PAIの検討

 菌株よりDNAを抽出し、cag PAIの13の遺伝子をPCR法にて増幅した。臨床分離株63株および欧米にて分離されたcagA陽性2株と陰性8株を用いた。DNAをHind IIIにて消化、電気泳動後、ナイロンメンブレンにブロットした。cagAおよびcag PAIの遺伝子をプローブとしてハイブリダイゼーションを施行した。PAIの有無とIL-8分泌との関連を細胞上清中の濃度をEIAにて測定し、検討した。

(3)NF-B活性化の検討

 H.pyloriのNF-kB活性化をNE-kB-Luc(5xNF-kB site)を用いたルシフェラーゼアッセイにて検討した。cag PA陽性株であるTN2、26695、cag PAI部分欠損株(T-25)および完全欠損株(Tx30a)、cag PAIのcagEを人工的に欠損した株(TN2-cagE)を用いた。

 IBの活性化は、H.pyloriを共培養した細胞(MKN45)より蛋白を抽出し、抗IB抗体を用いたイムノブロットにて、IB蛋白量の変化により検討した。同時にIBの32および36番のセリンをアラニンに変異させたDominant negativeを発現させ、NF-Bの活性化を検討した。IBのキナーゼであるIKKおよびIKKとH.pyloriとの関連を検討するため、FLAGラベルされたIKK、IKKを蛋白発現させ、抗FLAG抗体で免疫沈降後、GST-IBaを基質としてキナーゼアッセイを行った。また、IKKのDominant negative(IKK(K44M)およびIKK(K44M))を発現させ、H.pyloriによる変化を観察した。

 また、IKKの上流シグナルの検討としてNIK、TRAF2、TRAF6のDominant negativeによる影響を検討した。

結果(1)CagA検出系の確立

 cagA遺伝子は3741塩基で、1247アミノ酸をコードしていた。cagAの1272bpを切り出し、蛋白発現用プラスミドに組換え、発現、精製した。144人の患者血清中の抗CagA抗体の存在を組換えCagA蛋白を抗原としたイムノブロット法を用いて調べた。H.pylori感染例で疾患別に検討すると、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、慢性胃炎、胃癌、内視鏡的健常者において、抗体陽性率はそれぞれ90%、87%、90%、94%、93%であった。各群間で陽性率に差は認めなかった。臨床分離H.pylori株68株中61株(90%)にCagA蛋白を認めた。感染者の疾患別のCagA蛋白陽性率は、いずれの群でも陽性率は9割前後であり、各群間に有意差は認めなかった。

(2)cag PAIの検討

 Cag PAIの遺伝子の検討は次の図のとおりである。欠損部分を解析したT-94株ではcag PAIは約25kb欠損がみられた。cag PAI陽性の臨床分離株はcag PAI部分欠損株4株および完全欠損株と比べ明らかに細胞からのIL-8を誘導した。

図表
(3)NF-Bの活性化の検討

 Cag PAI intact株を用いて、菌数依存性にNF-Bの活性化が示された。cag PAI陽性のTN2、26695株はNF-Bを活性化したが、部分欠損株、完全欠損株およびTN2-cagEでは活性化は見られなかった。

 抗IB抗体を用いたイムノブロットではH.pyloriにてdegradationが観察された。さらにIBのDominant negativeによってNF-Bの活性化は抑制された。IKKのキナーゼアッセイでは、H.pyloriとの共培養によりIKKの活性化が観察された。また、IKKのDominant negativeによりNF-Bの活性化は容量依存性に抑制された。これらのことより、H.pyloriはIKK、IKKを活性化させてNF-Bを活性化することが示された。NIKおよびTRAF2とTRAF6のDominant negativeを発現させたところ、容量依存性の抑制を示し、NIK、TRAF2およびTRAF6がH.pyloriのNF-B活性化に関与していることが示された。

考案

 病原因子として考えられているCagA蛋白について組換え蛋白の作成、その蛋白に対する抗体を作成し、H.pylori菌体および患者血清中の抗体の有無について検討した。その結果本邦においては広くCagA陽性株が蔓延していることが明らかとなった。疾患による検討において患者血清による陽性率に差は見られず、欧米のデータと異なっている。

 近年のアジアの国からの報告ではcagA陽性のH.pyloriが蔓延していることが示されている。そして疾患特異性は示されていない。しかし、このことよりCagAはH.pyloriの病原性と関係がないとはいえない。胃癌は世界中でも高頻度にみられる悪性疾患であるが、日本は胃癌の発生が多い国である。疫学的研究により胃癌患者では、H.pylori感染が高率に認められる。また、動物実験により、感染動物で胃癌が発生することが報告されているが、メカニズムは不明である。我々の結果から、日本人のH.pylori感染者の大半はCagA陽性株に感染しているが、日本で胃癌の発生が多い原因が、H.pyloriの感染率が高いことに加えて、CagA産生株が多いことが関連している可能性を考えている。

 近年、cagA遺伝子の周囲の構造の検討によって、cag PAIという40kb、約30の蛋白からなる遺伝子群が同定された。我々はcag PAIの全体を網羅するように遺伝子座をクローニングし、サザンブロットにより遺伝子の存在を検討した。その結果、わが国においては多くの臨床分離株が完全なcag PAIを保持しており、これらの株ではIL-8誘導能が高いこと明らかとなった。つまり、CagAの解析により予想された病原性菌の蔓延はcag PAIの解析においても示された。しかし、少数の株においてcagA遺伝子が存在するにもかかわらすcagAの転写調節領域をふくむcag PAIの多くの部分が欠損する株が存在し、これらの株ではIL-8誘導能が明らかに低下していた。さらに興味深いことにcag PAI欠損株はすべて胃炎のみの患者からの株であった。

 H.pyloriのcag PAI陽性株がIL-8の産生することが報告されていたが、その誘導に不可欠な転写因子としてNF-Bの活性化が示されていた。その活性化機構を明らかにするために、TNFやIL-1の活性化経路についてH.pyloriの関与を検討した。その経路は共通経路としてNIK、IKKおよびIBが活性化される。ウイルスや紫外線など異なった経路でNF-Bを活性化するものもあるが、今回の検討でH.pyloriはTNF,IL-1と同様な経路で活性化されていた。さらに上流ではTNFに関与するTRAF2およびIL-1に関与するTRAF6の両方との関連性が示唆された。この上流の活性化経路については不明であるが、その活性化機構には大きく2つの可能性があると考えられる。1つはTRAF2および6を同時に異なった経路で活性化している場合と1つの経路で同時に活性化している場合がある。後者の例としてこれまで報告されているものとしてはTNF recepterのスーパーファミリーの1つであるCD40受容体がある。この受容体の関与については今後検討しなければならない。

 さらにH.pyloriがTRAF2およびTRAF6を活性化する経路に受容体が介在していない可能性がある。つまりH.pyloriのある種の蛋白が直接細胞内注入され、NF-B活性化に関与している場合である。Cag PAIはその遺伝子群のホモロジーからある種の分泌機構に類似した構造をもっていると考えられ、細菌内の蛋白を真核細胞に注入可能な機構を担っている可能性が示唆されている。この活性化因子の検討はH.pyloriの病原性を理解する上で重要なことと思われる。これまでの検討からその因子がcag PAIと関連している可能性が高く、今後さらなる検討が必要である。

審査要旨

 本研究はHelicobacter pyloriの病原因子とされるPathogenicity island(PAI)の構造およびその機能を明らかにする目的で、PAIに存在するCagAに対する抗体、蛋白の検出、およびPAI遺伝子群の検出系の確立を行い、多数例において検討した。加えて、PAIの機能を解明する目的で、NF-B活性化機構について検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1. H.pylori標準株であるATCC43526のcagA遺伝子全長をクローニングし、全塩基配列を決定した。アミノ酸配列で比較すると、既報の2株とは90%以上の相同性を認めたが、後半部分には繰り返し構造が3回存在し、200から300塩基長い遺伝子であった。

 2. H.pylori cagA遺伝子の一部(1344bp)を蛋白発現用プラスミドベクターに組換え、E.coli JM109株に導入し、CagA蛋白の発現を誘導・精製した。H.pylori株中のCagA蛋白の存在を組換え蛋白に対して作製した家兎抗血清をもちいてイムノブロット法にて検討した。また、内視鏡検査を施行した患者血清中の抗CagA抗体の存在を組換えCagA蛋白を抗原としたイムノブロット法を用いて調べた。その結果血清抗体、菌内蛋白ともにわが国では90%以上の陽性率であり、患者の疾患間に差を認めなかった。

 3. 約30のPAI遺伝子のうち13の遺伝子をクローニングし、それらをプローブとして63株の臨床分離株におけるPAIの構造を検討した。その結果59株は完全なPAIを有し、4株に部分欠損が認められた。これまでcag PAIのマーカーと考えられていたcagA遺伝子は全株に存在した。これらの株についてCagA蛋白、およびTranscriptとの関係を調べたところ、これらの株はcagA遺伝子が存在するにもかかわらず、Transcriptおよび蛋白が欠損していた。加えて、これらの株は胃癌細胞株からのIL-8誘導能が欠損していた。

 4. H.pyloriによるIL-8誘導には転写因子としてNF-Bが関与している。その経路解析のためH.pyloriのNF-B活性化をNF-B-Luc(5xNF-B site)を用いたルシフェラーゼアッセイにて検討した。その結果cag PAI陽性のTN2、26695株はNF-Bを活性化したが、部分欠損株、完全欠損株およびTN2-cagEでは活性化は見られなかった。IBの活性化を、H.pyloriを共培養した細胞(MKN45)より蛋白を抽出し、抗IB抗体を用いたイムノブロットによる、IB蛋白量の変化、およびIBのDominant negativeを発現させ、NF-Bの活性化の変化により検討したところ、イムノブロットではH.pyloriにてdegradationが観察され、さらにDominant negativeによってNF-Bの活性化は抑制された。IBのキナーゼであるIKKおよびIKKとH.pyloriとの関連をFLAGラベルされたIKK、IKKを蛋白発現させ、抗FLAG抗体で免疫沈降後、GST-IBを基質としてキナーゼアッセイを行った。また、IKKのDominant negative(IKK(K44M)およびIKK(K44M))を発現させ、H.pyloriによる変化を観察した。その結果、H.pyloriとの共培養によりIKKの活性化が観察された。また、IKKのDominant negativeによりNF-Bの活性化は容量依存性に抑制された。これらのことより、H.pyloriはIKK、IKKを活性化させてNF-Bを活性化することが示された。IKKの上流シグナルの検討としてNIK、TRAF2、TRAF6のDominant negativeによる影響を検討したところ、NIKおよびTRAF2とTRAF6のDominant negativeによって、NF-Bの活性化は容量依存性の抑制を示し、NIK、TRAF2およびTRAF6がH.pyloriのNF-B活性化に関与していることが示された。

 以上、本論文はH.pyloriの病原因子であるcag pathogenicity islandについて、その構造解析の結果、日本の臨床分離株のほとんどがintactなcag PAI陽性株であることを示し、またその病原性を既定していると考えられるNF-B活性化経路について膜近傍の因子までの関与を示唆した初めての論文であり、学位の授与に値すると考えられる。

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