学位論文要旨



No 115428
著者(漢字) 松村,真司
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,シンジ
標題(和) 終末期医療に関する態度の日本人・日系人における文化的相違についての比較研究
標題(洋) Cross-cultural differences in attitudes toward end-of-life care between Japanese and Japanese Americans
報告番号 115428
報告番号 甲15428
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1614号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 助教授 五十嵐,徹也
 東京大学 講師 福原,俊一
 東京大学 講師 山本,則子
内容要旨 背景

 米国をはじめとする西欧諸国においては患者の終末期ケアを向上させることを目的として、終末期医療の治療法を事前に指示しておくアドバンス・ケア・プランニングという方法が一般に推奨されている。具体的には、事前指示(アドバンス・ディレクティブ)、あるいは代理人指定という方法がしばしば用いられている。しかし、非西欧文化を背景にもつ患者を西欧圏の医療従事者が診察する場合、しばしばこのような米国で主流となっている考え方が患者や患者家族の希望と文化的に衝突するため問題となることが多い。近年米国がその文化的多様性を増すにつれて、このような異文化同士の接触による倫理問題が注目を集めている。しかし、米国の主流の文化とは異なる文化を背景にもつ集団において、終末期医療での意思決定方法やアドバンス・ケア・プランニングに関する考え方がどのような面で、どの程度異なっているかという点についての検討はこれまでほとんど行われていない。本研究はこのような西洋文化とは異なる文化背景を持つ日系人が、終末期医療についての希望に相違があるか、そしてまた相違があるとすればどのように異なっているかを明らかにすることを目的とした。また近年日本において西洋式の終末期医療を受け入れどうか議論となっている。わが国でも、このような西洋式の終末期医療を受け入れることができるかどうかの示唆を得るために、米国在住の日系人の終末期医療に関する態度が日本に現在住む日本人とどのような点で異なっているかを検討することも目的とした。具体的には、在米日系人と日本在住の日本人の1)延命治療についての希望に関する医師・患者間コミュニケーション、2)終末期における意思決定モデル、3)終末期の告知に関する希望、4)治療からの撤退およびアドバンス・ケア・プランニングに関する態度について比較検討を行うことを目的とした。

方法

 日系人の集団内の相違をより理解するために、米国ロサンゼルス地域に在住の異なる文化変容レベルの日系人を対象とした。異なる文化変容レベルの集団を得るために、主に使用する言語により2種類の日系人を特定した。より文化変容の進んでいる日系人として英語を主な使用言語として生活する日系人(EJA)、また比較的文化変容が進んでいない日系人として、日本語を主な使用言語として生活する日系人(JJA)を採用した。また、比較グループとして、名古屋在住の日本人(JJ)を採用した。EJAサンプルは、ロサンゼルス地域の日系人コミュニティーセンター所属メンバーより、JJAサンプルはロサンゼルスの日系・日本人用アパート居住者、ならびに日本人老人会所属者より得た。JJサンプルは、名古屋市内の老人会、ならびに病院職員の家族より得た。調査は、英語および日本語で行われた自己記入式アンケート調査で行われた。郵送法による調査を行い、最終的に539名のEJA、340名のJJA、そして304名のJJから有効回答を得た。

 アンケートに用いた質問票は、日米双方で行われたフォーカス・グループ・インタビューにより得られた知見と、これまでに米国で行われた終末期医療に関する先行研究で使用された質問をもとに開発した。これらの質問は、終末期医療についての医師との話し合い、終末期医療においてより望ましいと考える意志決定方法、予後不良疾患の終末期における告知の希望、終末期医療に関する態度を含んだ。終末期医療に関する態度は、4つの異なる分野についてそれぞれ多項目尺度で測定した。これらは、2つの3項目尺度(終末期における生命維持への積極性、終末期における治療撤退への積極性)、5項目尺度(アドバンス・ケア・プランニングヘの積極性)、4項目尺度(医学的意思決定における自律性)である。各集団間の性、年齢分布が有意に異なっていたため、各群間の比較は名目変数に関しては性・年齢・各群ダミー変数を説明因子に用いたロジスティック回帰モデルによって、連続変数に関しては同様の説明因子を用いた線形回帰モデルで性と年齢を調整して行われた。またさらに各群間の潜在的撹乱因子を考慮し、前述の性・年齢に加え、患者の各種背景因子、健康状態、かかりつけ医の有無、過去半年間の入院歴、集中医療室(ICU)を実際訪問したことがあるかどうかの各項目を説明因子に用いたモデルを用いて調整し各群を比較した。

結果

 多くの人々(EJA40%,JJA55%,JJ54%)が医師と自分の終末期のことについて話し合いたいという希望を持っているにもかかわらず、これまでに話し合ったことがあると答えた人は各集団とも極めて少数であった。

 ほとんどの回答者は、終末期医療の治療方針は、特定の個人ではなく、複数の個人よりなる集団で治療方針を決定していきたいと答えた(EJA75%,JJA57%,JJ69%)。また末期状態の予後について本人に告知してほしいという希望は、背景因子ならびに健康状態で補正したあとでも、日系人は日本人に比べて有意に強かった。(オッズ比[95%信頼区間]:EJA2.3[1.4,4.0],JJA3.9[2.3,6.9],JJ1.0)。EJAは、延命治療からの撤退、アドバンス・ケア・プランニング、治療法についての自律性に関してJJA、JJに比し、より積極的な意見を持っている人が多かった。JJAは、JJよりこれらについてむしろ消極的な意見を持っている人が多かった。これらの差異は、潜在的撹乱因子を考慮に入れても保持された。

考察

 オープン・ディスカッションならびに自己決定を倫理的基盤におく西欧、とりわけ北米文化とことなり、伝統的日本文化は以心伝心と始めとする間接的コミュニケーションと、意思決定における集団でのコンセンサスをより重視している。このような文化間の差異により、米国医療の基盤となっている倫理原則が終末期医療において患者ならびに患者家族の価値観と対立することがあると考えられる。今回の研究で、日本文化を背景にもつ日系人と日本人は、世代や環境が異なっていても、ある部分終末期医療に関する希望や、態度において日本の伝統的な価値観を共有していることが明らかになった。ひとつは、各群とも医師と終末期医療について話し合いたいと希望しているにも関わらず、ほとんどの人が医師とこのようなトピックについて実際にはコミュニケーションをとれている人がいないことである。これについては両国において共通する医師・患者間のコミュニケーション・ギャップが存在することが示唆された。

 また、各群とも特定の個人より、複数の個人からなる集団内の合意によって終末期における治療法を決定したいと考えていることが明らかになった。これは、個人による自己決定を重視する西欧型の事前指示のモデルとは対立する。日系人・日本人にとってよりよい終末期医療を提供するには、患者本人の希望のみならず、家族を中心とする、患者の周囲の人々との関係性を考慮にいれたアドバンス・ケア・プランニングの方法の確立か必要であると考えられた。

 逆に、日系人は、西欧的価値観を反映し、日本人といくつかの面で明らかに異なる態度を示すことも本研究は示した。末期状態の予後の告知に関して、日系人は本人への告知をより望んでいたが、その希望の程度はEJA、JJA、JJの間で異なった。またJJAやJJにおいては、言葉をつかってはっきりとではなく、それとなく告知してほしいという希望の人が多かった。日本文化は、あいまいな表現方法や、間接的なコミュニケーションをより重視しており、とりわけ終末期医療の現場においてはこのようなコミュニケーションが大切になっていると思われる。この際、通常米国で行われているような言葉によるはっきりとした告知法は、このような日系人の一部や日本人の患者や患者家族との間に問題が生じる可能性があることがあきらかになった。また、延命治療に関する態度もEJAとJJAの間に差が見られ、このような態度が同じ日系人の間でも異なっていることを示した。したがって事前指示(アドバンス・ディレクティブ)をはじめとするアドバンス・ケア・プランニングの考え方はEJAの間ではより受け入れられると考えられた。しかし、その場合でも、集団での意思決定を望んでいるために、事前指示においては集団での決定を可能とするようなオプションが必要になると考えられた。

 今回の研究では、日系人におけるこのような終末期医療における態度は、完全な西洋モデルヘの急速な転換によって生じるのではなく、その一部にのみ相違が生じ、他の部分は依然共通の態度が保たれることが明らかになった。また同じ文化的背景を持つ人々でも、その考え方には大きな違いがあることが示された。このように、終末期医療に関する態度や希望が様々な面で異なっていることから、患者や患者家族の希望について一律的な評価は難しいと考えられた。したがって、日系人の治療にあたる医師は、終末期医療に関する伝統的日本文化への知識を深めるとともに、それぞれの患者や患者家族のそれぞれ固有の希望を評価し、これらの終末期医療への嗜好を的確に考慮にいれて治療にあたる必要性があると考えられた。日本人においても、米国に居住する日系人でさえ一部日本の伝統的な価値観を残していることから、将来的に現在米国で行われている終末期医療の我が国への完全な導入は難しいと考えられた。したがって、日系人同様、患者および患者家族の固有の希望を評価していくような方法の検討をすることが今後必要であると考えられた。また、このような患者および患者家族の個々の事例に応じた、終末期医療についての希望や態度の評価をより早期から開始することが、米国在住日系人においても、日本に住む日本人においても終末期医療における医師、患者、患者家族間のコミュニケーションを改善し、終末期における意思決定を円滑にする上で重要であると考えられた。

審査要旨

 本研究は、西洋文化とは異なった文化背景をもつ日本人や、在米日系人において終末期医療についての希望に相違があるか、また相違があるとすればどのように異なっているかについて明らかにすることを目的とした。米国ロサンゼルス地域在住の英語を主に話す日系人(English-speaking Japanese Americans:EJA)、日本語を主に話す日系人(Japanese-speaking Japanese Americans:JJA)、および日本在住の日本人(Japanese living in Japan:JJ)を対象に、1)延命治療についての希望に関する医師・患者間コミュニケーション、2)終末期における意思決定モデル、3)終末期の告知に関する希望、4)治療からの撤退およびアドバンス・ケア・プランニングに関する態度について、自己記入式質問表を用いた比較調査研究を行った。最終的に539名のEJA、340名のJJA、そして304名のJJから有効回答を得た。本研究から以下の結果を得た。

 1.日系人、日本人ともに多くの人々が医師と自分の終末期のことについて話し合いたいという希望を持っているにもかかわらず、これまでに話し合ったことがあると答えた人は各集団とも極めて少数であった。したがって、日米ともに終末期医療に関して医師・患者間にコミュニケーション・ギャップがあることが考えられた。

 2.ほとんどの回答者は、終末期医療の治療方針は、特定の個人ではなく、複数の集団で治療方針を決定していきたいと答えた。したがって集団での決定を含むアドバンス・ケア・プランニングの確立が日系人・日本人には必要と考えられた。

 3.対象者の背景因子ならびに健康状態で補正したあとでも、末期状態の予後について本人に告知してほしいという希望は、日系人は日本人に比べて有意に強かった。

 4.EJAは、延命治療からの撤退、アドバンス・ケア・プランニング、治療法についての自律性に関してJJA、JJに比し、より積極的な意見を持っている人が多かった。JJAは、JJよりこれらについてむしろ消極的な意見を持っている人が多かった。

 以上の結果より、日本文化を背景にもつ日系人と日本人は、世代や環境が異なっていても、ある部分終末期医療に関する希望や、態度において日本の伝統的な価値観を共有していること、逆に末期状態の予後の告知、延命治療に関する態度、アドバンス・ケア・プランニングの考え方などは日系人・日本人の間で考え方に違いがあることが明らかになったと考えられた。したがって患者および患者家族の個々の事例に応じ、終末期医療についての希望についての評価をより早期から開始することが、米国在住日系人についても、日本に住む日本人においても終末期医療における医師、患者、患者家族間のコミュニケーションを改善し、終末期における意思決定を円滑にする上で重要であるという示唆が得られた。

 本研究は、同じ文化背景をもつ文化集団間の終末期医療態度の違いについて多岐にわたり共通の質問票を用いて定量的に検討した初めての研究である。本研究はこの点において独創性があり、また米国在住の日系人、さらには米国在住のマイノリティーに対する終末期医療のあり方への提言を与え、日本人・日系人の今後の終末期医療のありかたについて具体的な示唆を提示したという点で臨床的かつ社会的有用性があり、学位の授与に値するものであると考えられる。

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