学位論文要旨



No 115435
著者(漢字) 田口,仁美
著者(英字)
著者(カナ) タグチ,ヒトミ
標題(和) HIV-1感染症における貧血の研究
標題(洋)
報告番号 115435
報告番号 甲15435
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1621号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 平井,久丸
 東京大学 助教授 増田,道明
 東京大学 助教授 佐藤,典治
内容要旨

 研究の背景:Human Immunodeficiency virus type1(HIV-1)は、CD4陽性Tリンパ球に感染し、主に宿主の細胞性免疫を破壊し、免疫不全(AIDS)を起こす。感染標的の一つであるCD4陽性Tリンパ球の減少は、免疫不全の指標として臨床的に用いられるが、HIV-1感染者においては、その他の血球成分である赤血球、好中球、血小板などもしばしば減少する。HIV-1感染症自身による骨髄障害に加え、抗HIV-1治療薬や、日和見感染症、AIDS関連悪性腫瘍などの治療薬もしばしば骨髄抑制をもたらす。

 貧血は、HIV-1感染患者にとって最も多く見られる血液異常である。貧血の70-80%は何らかの感染症による慢性消耗性疾患に伴う慢性貧血として現れる。感染症以外の原因としては、AZTによる大球性貧血が有名であるが、他に葉酸合成阻害薬などの薬剤による貧血もある。HIV-1感染症に伴う貧血の多くは、徐々に経過する慢性貧血であるが、私はHIV感染者における急性貧血を2例経験し、それらの原因解析を行った。また、医科学研究所のHIV-1感染症例における血液所見をまとめ、特に急性貧血に関する検討を行った。

 対象と方法:パルボウイルスB19(以下B19)のゲノムの検出は、PCR法によって行った。B19に対する特異抗体の検出には、B19の組換えVP1+VP2蛋白から成る精製中空粒子を抗原としたELISA法を用い、B19特異IgGおよびIgMをそれぞれ検出した。ウイルスゲノムの検出や、抗体検査については-80℃に保存された患者血液を用いた。医科研を受診した455名のHIV-1感染者の病歴を詳細に検討し、急性貧血例、AZTに由来する貧血例などについて検討した。

 研究結果:AZTによる薬剤性貧血は、プロテアーゼインヒビター(PI)併用療法により患者のCD4陽性細胞数が上昇するとヘモグロビン値も回復することが新たにわかった。さらに経験した2例のHIV-1感染者における急性貧血症例について報告する。うち1例は、カリニ肺炎に対しpentamidine点滴で治療を行った後に、pentamidine点滴による再燃予防を行っていた。この再燃予防のためのpentamidine投与後に発疹、発熱と溶血性貧血がみられた。急性貧血発症時の間接クームス試験は酵素でのみ陽性から弱陽性がみられた。pentamidineを用いたクームス試験では陽性とならなかったが、臨床的にpentamidineによる薬剤起因性溶血性貧血と診断した。もう1例については、急性貧血発症の2年前よりAZTとddCの抗HIV-1療法を行っていた。全身に麻疹様紅斑が出現した後に、急性貧血を認めた。この症例において、パルボウイルスB19(B19)特異IgG、IgM抗体およびB19DNAを検出し、B19初感染による急性貧血と診断した。急性貧血の1例がB19感染によるものであったため、医科研のHIV-1感染症例における258名についてB19特異IgG抗体を調べた。HIV-1感染のリスクファクターが血液製剤感染者113人(43.8%)と性的接触におけるHIV-1感染者145人(56.2%)に分けると、HIV-1血液製剤感染者のうちのB19IgG陽性者は108/113人(96%)であるのに対し、性的接触におけるHIV-1感染者中のB19IgG陽性者は73/145人(50%)であった。これはx2検定でp<0.001となり、統計学的に有意差を認めた。HIV-1感染リスクファクターが非血液製剤感染者群では、健常者とほぼ同様の抗体保有率を示していた。さらにB19特異IgM抗体とB19DNAを調べたが、B19特異IgM抗体は、すべて陰性であったが、B19DNAは1人のみ陽性となった。

 医科研のHIV-1感染症例における急性貧血症例について検索したところ、上述の2例以外に3症例認めた。合わせた5症例のうちAZTを含む抗HIV-1療法を受けていたのは4症例であり、これはAZTを含む抗HIV療法を受けたことのある患者の1.6%にあたる。B19初感染症例以外の3症例は、AZT内服から3ヶ月以内に急性貧血を発症しており、AZT中正により貧血は回復している。急性貧血時は、大球性貧血は呈さず、むしろ小急性貧血を呈していた。溶血や感染の所見はなく、AZTによる薬剤性貧血が考えられた。

 考察:PI併用療法により患者の免疫力が回復すると貧血も改善することが新たにわかったが、PI併用療法でも免疫力の回復が見られるまでは、急性貧血を発症する可能性があることを忘れてはならない。HIV-1陽性患者において汎用される薬剤のうち、今までに溶血性貧血が報告されている薬剤には、indinavir、ST合剤、rifampicin、dapson、ribavirineで報告がある。本研究により、今までには報告されていないpentamidineを起因薬剤のひとつとして加えることになった。

 HIV-1感染症患者の慢性貧血の原因としてB19の持続感染が数多く報告されているが、急性貧血患者のうちB19初感染例を経験した。本症例において赤芽球癆が起こるような誘因としては、AZTを長期間内服していたことが関連していると考えられる。HIV-1陽性患者における感染リスクファクター別のB19IgG抗体保有率について調べた結果は、血液製剤からのHIV-1感染者においてB19IgG抗体の保有率が高値であった。性的接触におけるHIV-1感染者におけるB19IgG抗体保有率は、松永らの報告による健常者の抗体保有率とほぼ同様であり、HIV-1感染患者が特にB19に罹患しやすいわけではないことがうかがえる。そして、血液製剤によるHIV-1感染者におけるB19感染は、血液製剤そのものにより感染したと考えられる。

 HIV-1感染者におけるB19感染は、そのときの免疫状態により、B19の完全排除はできずに慢性持続性B19感染に至る可能性がある。HIV-1感染患者において急性あるいは慢性貧血を認めた場合は、薬剤起因性貧血、日和見感染症やHIV-1感染症による骨髄障害を考慮するだけではなくB19の初感染、慢性持続性感染の可能性も念頭において検査、治療をすすめるべきであると言える。

審査要旨

 本研究は、HIV-1感染症患者における貧血の原因、臨床像を詳細に調べることにより、新たな貧血の原因や病態解明ができることを目的に行った。

 1.HIV-1感染者においては、免疫能の低下に伴いHIV-1感染自身や日和見感染症あるいは薬剤により骨髄障害を来す。このうち貧血に焦点をあて、まず未治療患者においてCD4陽性細胞数の低下とともに貧血がみられることを確認し、次に薬剤性貧血について調べた。AZTによる薬剤性貧血は今までに知られているが、1996年に登場したプロテアーゼインヒビター(PI)との併用療法により患者のCD4陽性細胞数が上昇するとヘモグロビン値の上昇が見られることが新たに知り得た。これは、患者の免疫力回復に伴い貧血から回避できうることを示唆していると考えるが、免疫力の回復が認められるまでは、PI併用療法でも急性貧血を呈する症例があることもわかった。

 2.HIV-1感染患者における急性貧血の原因として今までに報告されている薬剤以外にpentamidineも今回の研究で薬剤性溶血性貧血を起こしうることがわかった。

 3.薬剤性急性貧血の他にAZT内服中の患者にパルボウイルスB19(B19)の初感染から急性貧血を呈した症例を経験した。B19感染後、約10ヶ月間に渡りB19DNAが持続的に検出されたが、PIを含む多剤併用抗HIV-1療法により免疫力の回復がみられると、B19DNAも消失し持続感染から回避できることがわかった。

 4.HIV-1感染患者におけるB19IgG抗体保有率について調べた。HIV-1感染リスクファクター別に明らかに有意差がみられ、血友病患者では96%、性行為感染者では50%であった。性行為感染者は健常人のB19抗体保有率とほぼ同様であり、HIV-1感染患者がB19に罹患しやすいわけではないことが言える。血友病患者は、血液製剤によりB19感染が示唆されることを確認した。

 以上、本論文は、HIV-1感染患者における貧血の臨床像を詳細に把握するとともに、新しい治療薬であるプロテアーゼインヒビターとの併用療法により免疫力が回復すると貧血が改善することや、今までに報告のなかったpentamidineによる薬剤性貧血がみられたことを新たに知り得た。またパルボウイルスBl9と貧血との関係も確認している。これらの結果より、HIV-1感染患者における臨床にとり重要な点が含まれていると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54124