学位論文要旨



No 115438
著者(漢字) 佐々木,淳子
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ジュンコ
標題(和) 福山型先天性筋ジストロフィー(FCMD)遺伝子のゲノム構造と発現
標題(洋)
報告番号 115438
報告番号 甲15438
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1624号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 堤,治
 東京大学 助教授 村上,俊一
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 講師 難波,吉雄
内容要旨 緒言

 福山型先天性筋ジストロフィー(Fukuyama-type Congenital Muscular Dystrophy:FCMD)は、1960年、福山らにより提唱された常染色体劣性遺伝疾患であり、わが国の小児期筋ジストロフィーのなかではDuchenne型に次いで多く、(発生率2.9/10万人)日本人の約90人に1人が保因者と考えられる。本症は重症の筋ジストロフィー病変とともに、多小脳回を基本とする高度の脳奇形が共存する点を特徴とする。さらに最近は眼症状も注目されており、骨格筋-眼-脳を中心に侵す-系統疾患であると認識されている。

 1993年、FCMD家系を用いたポジショナルクローニング法での原因遺伝子へのアプローチが始まり、多型マーカーの連鎖不平衡の解析により、9q31の100kb以内に候補領域が狭めらた。その後患者DNAの解析から候補cDNAの3’非翻訳領域におけるレトロトランスポゾンinsertionが見出され、1998年小林らによりFCMD原因遺伝子が同定された。fukutinと命名されたこの遺伝子産物は、ホモロジーを示す既知の遺伝子、蛋白質、モチーフは得られず、機能未知の新規蛋白であった。アミノ酸配列などからは、細胞外蛋白と考えられた。

 その後多くの患者の変異解析で数種の変異が見つかってきているが、一方で、片方はレトロトランスポゾン変異、もう一方には変異が見つからない例も存在し遺伝子変異の検索のためにも、他プロモーターを含めた転写調節解析のためにもゲノム横造の解析は必要である。

 一方、ハプロタイプの解析から出生前診断が可能となり、胎児脳病変の解析が進んだ。FCMDは多小脳回という特徴的な脳の奇形性病変を持つ。出生前診断を行った17-20週齢の胎児剖検例及び出生後剖検例の検討から、この脳の病変は神経細胞の移動を抑止する基底膜の脆弱化が生じ、結果としてglia limitans-基底膜複合体の亀裂が生じ神経細胞及びグリア細胞のover flowが起こることによるためと考えられている。

 FCMD遺伝子産物は脳で発現するという筋ジストロフィーの中での特異性を持つ未知の機能分子であり、神経細胞の遊走にどのような関与をしているのかが病態の解明にも重要であり、脳の発生における分子機構の解明にもつながると考えられる。そこで今回私は、このように同定されたFCMD遺伝子のゲノム構造を解析すると共に、脳病変に焦点をあてFCMD遺伝子の特に脳における発現を解析した。

方法と結果1.FCMD遺伝子のゲノム構造

 ゲノムの塩基配列は、染色体9q31対象領域に存在する5つのコスミドクローンを用いてショットガン法で決定した。得られた塩基配列をワークステーションを用いて連結編集し、コンピュータープログラムを用いて解析した。脳、骨格筋をテンプレートにRT-PCR(Reverse Transcription-Polymerase Chain Reaction)を行い、サブクローニングして塩基配列を決定し、FCMD遺伝子のalternative splicingの解析を行った。

 総塩基数は131,892bpであり、FCMD遺伝子はゲノム上約100kbに渡っており、41bpから6,067bpにわたる10個のエクソンと1,841bpから21,460bpのイントロンで構成されていた。すべてのスプライス部位はAG/GTのコンセンサス配列に従っていた。またmRNA転写開始部の上流にTATA boxを同定した。

 9q31はG-bandであるが、解析を行った全領域においてGC配列は37.53%であり、Alu elementsは38コピー、塩基配列として7.49%存在した。L1 elementsは26コピー、塩基配列として22.64%存在した。(CA)21repeat、(TGAA)5repeat、(TA)11repeatも認められた。

 EST探索では3つのESTクラスターが見られ、そのうち1つはFCMD遺伝子に相当し、他の1つはpseudogene、残る1つは新規tyrosine kinaseと思われた。

 FCMD遺伝子alternative splicingの解析により、major transcriptは全長cDNAと同様であったが10以上のminor transcriptsが得られた。フレームシフトにより、短いtranscriptsとなるものや、アミノ酸置換の起きた比較的長いtranscriptsが見られた。

2.FCMD遺伝子の発現

 脳での遺伝子発現についてはノーザンブロット解析、RT-PCR、in situ hybridizationにより解析した。ノーザン解析において、胎児組織、成人脳各部位で、同程度FCMD遺伝子の発現が確認された。RT-PCRでも胎児各時期、小児、成人脳組織で発現に大きな差は認められず、コントロール胎児とFCMD胎児、コントロール成人とFCMD成人患者の比較では、患者において発現の著明な低下が認められた。細胞株では、神経系の細胞において優位に発現していた。

 in situ hybridizationでは、胎児脳で神経前駆細胞を含む発生過程の全ての神経細胞とCajar-Retzius細胞に発現が見られた。成人脳でも、大脳皮質神経細胞に発現が継続して認められた。また海馬錐体細胞、歯状回神経細胞、小脳のプルキンエ細胞、顆粒細胞にも発現が認められた。glia limitans-基底膜複合体には発現を認めず、分子層、白質のダリア細胞にも発現を認めなかった。

 FCMD胎児では、病変のない領域で軽度のシグナルを比較的連続的に認めるが、病変部(皮質構築の障害)では、著明に発現が低下しており、連続性も消失していた。FCMD成人患者では、全体としてシグナルは正常と比較して弱いが、病変部のないところでは比較的よく発現しており、病変部位では大きく発現の低下している細胞群と弱く発現している細胞群が集簇して認められた。

考察1.FCMD遺伝子のゲノム構造

 FCMD遺伝子周辺のゲノム構造の決定は、FCMD遺伝子の新たな遺伝子変異の探索、FCMD遺伝子の転写制御の検討、新規遺伝子同定に有用な情報である。

 またFCMD遺伝子のalternative splicingの検索において、10以上のminor transcriptsが得られた。minor transcriptsの意味付けは現在のところ不明であるが、正常fukutinに加えてminor transcriptsが別の機能を持ち相補している可能性は否定できない。

2.FCMD遺伝子の発現

 中枢神経系において、基底膜は神経組織と軟膜の間にあり柔膜-グリア壁の一部を構成する。電顕所見では基底膜は、astrocyteのすぐ上に存在していることがわかりこの構造上の知見によりastrocyte、間葉系の細胞群(軟膜、血管など)が基底膜と関係する蛋白を生産すると考えられている。FCMD胎児の病理所見の検討により皮質異形成を呈する病変部ではglia limitans-基底膜に破れがあり電顕所見で基底膜は見られないことから、fukutinは基底膜形成に関与すると考えられていた。

 しかしながら今回のデータは、発生過程からCajar-Retzius細胞を含む遊走に関与する神経細胞に発現が認められ、成人まで継続していた。すなわち本来基底膜と接していないニューロンで発現が見られており、fukutin蛋白質が神経細胞の遊走自体に関与する可能性や、fukutin蛋白質(細胞外蛋白質?)がニューロンで産生され分泌され基底膜の形成に関与する可能性もある。またFCMD患者において、病変部、正常部の発現レベルに差が見られたことは、FCMD遺伝子変異によるmRNAの不安定性が、発生のある段階で細胞ごとにmRNA量の差を生じ、病変部正常部を区別する可能性も考えられる。

審査要旨

 本研究は近年同定された福山型先天性筋ジストロフィー(FCMD)遺伝子について、未知の遺伝子変異の解析や転写調節領域の解析などの基盤を得るためにFCMD遺伝子のゲノム構造を決定し、また神経細胞遊走障害の一種である多小脳回というFCMDにおいて特徴的な脳の奇形性病変におけるFCMD遺伝子の関与を解明するためにFCMD遺伝子のヒト脳組織における発現の解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

 1.ゲノムの塩基配列は、染色体9q31対象領域に存在する5つのコスミドコンティグを用いてショットガン法で決定した。得られた塩基配列をワークステーションを用いて連結編集し、コンピュータープログラムを用いて解析した。総塩基数は131,892bpであり、FCMD遺伝子はゲノム上約100kbに渡っていた。41bpから6,067bpにわたる10個のエクソンと1,841bpから21,460bpのイントロンで構成されおり、各々の塩基配列とゲノム上の位置を明らかにした。すべてのスプライス部位はAG/GTのコンセンサス配列に従っていた。またmRNA転写開始部の上流にTATA boxを同定した。

 2.ゲノム塩基配列を決定した領域のEST探索を行って3つのESTクラスターを認めた。そのうち1つはFCMD遺伝子に相当するものであり、他の1つはpseudogene、残る1つは新規tyrosine kinase遺伝子と思われた。

 3.脳、骨格筋組織のRT-PCRを行いサブクローニングにより塩基配列を決定し、FCMD遺伝子のalternative splicingを解析した。主要転写産物以外に10以上の転写産物を同定し、ゲノム上に存在する新規エクソンを確認した。

 4.ヒト脳組織でのFCMD遺伝子発現について、ノーザンブロット解析、RT-PCRを用いて解析した。ノーザン解析では、胎児組織、成人脳各部位で、同程度FCMD遺伝子の発現が確認され、RT-PCRでも胎児各時期、小児、成人脳組織で発現に大きな差異を認めなかった。FCMD胎児、成人患者ではコントロールと比較して発現の著明な低下が認められ、細胞株では、神経系の細胞において優位に発現していた。

 5.in situ hybridizationを用いたヒト脳組織での発現の解析では、10週齢より胎児大脳において神経前駆細胞を含む発生過程の全ての神経細胞とCajar-Retzius細胞に発現が認められ、小脳ではプルキンエ細胞、顆粒細胞に発現していた。出生後も、大脳、小脳などの神経細胞に発現が継続する事を明らかにした。また患者で病変の見られるglia limitans-基底膜複合体には発現が認められず、分子層、白質のグリア細胞にもほとんど発現を認めなかった。一方、FCMD患者では、コントロールに較べ発現が低下しており、特に胎児の患者では病変部(皮質構築の障害)の発現レベルが近接する正常皮質より著明に低下していることを明らかにした。

 以上、本論文はFCMD遺伝子のゲノム構造を決定し、新たに複数の転写産物を同定、FCMD遺伝子近傍に新規遺伝子と思われるEST群を同定した。またFCMD遺伝子が発生早期よりヒト脳組織神経細胞に強く発現しており出生後も継続すること、FCMD患者では著明に発現が低下しており、患者の病変部と正常部においても発現に差異を認めることを明らかにした。これらはたな遺伝子変異の探索、遺伝子の転写制御の検討、新規遺伝子同定に重要な情報となるとともに、FCMD遺伝子の神経細胞の機能自体への関与を示唆し、FCMDの皮質構築障害はastrocyteが形成する基底膜の破綻が病因、という説に新たな展開をもたらし、分子レベルでは未知に等しいFCMDの脳奇形の病態解明や最近進展が見られつつある脳発生機構解明に重要な貢献をなすと思われ、学位の授与に値すると考えられる。

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