学位論文要旨



No 115446
著者(漢字) 稲葉,博隆
著者(英字)
著者(カナ) イナバ,ヒロタカ
標題(和) 触覚センサーを用いた広背筋耐疲労性および収縮能評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 115446
報告番号 甲15446
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1632号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,耕三
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 助教授 朝戸,裕貴
内容要旨 緒言

 広背筋はdynamic cardiomyoplastyや骨格筋ポンプといった方法で心補助への応用が研究され、実用化されている。心補助に利用する前にelectrical preconditioningによって広背筋の筋線維は収縮速度の速い解糖系に依存した易疲労性のtype 2 fiberから収縮速度の遅い有酸素代謝に依存する耐疲労性のtype 1 fiberに変換され、また胸背動静脈および胸背神経を温存し他の血管を全て処理した後の広背筋全体への十分な血流を得るには側副血行の形成すなわちvascular delayを待つ必要がある。広背筋の耐疲労性獲得には8週間のプロトコールが提唱されいるが、耐疲労性獲得の有無を確認せず心補助に利用される。type 2 fiberからtype 1 fiberへの変換の評価方法として筋肉の組織を生検して確認する方法は心補助に利用するための広背筋の一部を切除しなければならず、張力で評価する方法は臨床で行うには侵襲が大きいからである。しかし、耐疲労性獲得の程度は広背筋ごとに異なる可能性があり、それを評価したうえで心補助に使用するのがより効果的である。 我々は触覚センサー(tactile sensor)の心臓外科および呼吸器外科領域での臨床及び実験への応用を研究してきた。本研究では、触覚センサーを用いて心補助に用いるための広背筋の耐疲労性を検出する方法、及び広背筋の収縮能を評価する方法に関しての検討を行った。

 触覚センサー

 触覚センサーのプローベは直径7mm、長さ55mm、重さ2.4gの円筒型である。物体はすべて固有の振動数即ち固有振動周波数を有しており、一定の共振周波数f0で振動している物体が別の物体に接触すると、振動数が変化し新たな共周波数fxとなる。この共振周波数の差、すなわちf=fx-f0は接触する物体の硬さによって異なるので、fを測定すれば物質の硬さかさを求めることができる。これが原理である。触覚センサーは共振周波数の変化f(Hz)を測定しており、これcounter balance法より求めた較正式で硬さの糺対値(gram/mm2)に変換される。

対象と方法

 雑種成犬(9.5-18.5kg、計24頭)を用いた。

 [実験1]6頭の両側の広背筋で硬さと張力の関係を検討した。広背筋を終止端(近位端)を除き周囲組織から剥離、胸背動静脈及び神経は温存した。広背筋の起始端(遠位端)に張力計(9E01-L31-20K、NEC medical system社製)を接続、触覚センサーは広背筋に接触させた。2本の神軽刺激用電極を広背筋に縫着、電気刺激装置(フクダ電子社製)でburst pulseによる刺激を行い、張力と硬さの同時測定を行った。45分間の連続刺激による疲労実験も行い、張力と硬さの経時変化を記録した。

 [実験2]別の6頭の両側広背筋でin situのまま硬さを測定、連続刺激時の経時変化を記録した。3cmの皮切を通して触覚センサーを広背筋に接触させ、神経刺激電極は別の皮切から縫着した。45分間の疲労実験を行い実験1の硬さの経時変化と比較した。

 [実験3]広背筋の耐疲労性の検出および収縮弛緩の評価を張力と硬さの同時測定で検討した。別の6頭の左広背筋に10-14週間のelectrical preconditioningとvascular delay、すなわちunipoler pacemaker (Programalith,Pacesetter社製)を広背筋に埋め込み、同時に広背筋に入る全ての肋間動静脈の枝を結紮切離した。右は対照とした。張力と硬さの45分間の同時測定を行い、preconditioningの有無による張力と硬さの低下の違いを検討した。また、広背筋の収縮、弛緩を解析するパラメータとして、1:time to peak即ち、広背筋収縮時に張力が最高値に達するまでの時間、 2:ripple即ち、burst刺激で広背筋が収縮する際に最大収縮時に生じる痙攣の振幅、3:時定数即ち、広背筋弛緩時のtime constant、の3つを張力と硬さの両方に関してpreconditioningの有無による違いを検討した。

 [実験4]別の6頭の左の広背筋に実験3同様にpreconditioningを行い、in situでの広背筋耐疲労性の検出を検討した。硬さの経時変化をin situで45分間計測、またtime to peak、ripple、時定数を算出し、preconditioningの有無による違いを検討した。

結果

 [実験1]硬さと張力は強く相関した。連続刺激時には硬さ、張力とも有意に低下、硬さは初期値の22.8±3.9%に、張力は18.6±4.7%に低下した。両者の低下パターンには有意差を認めなかった(p=0.0594)。

 [実験2]in situでも経時的に硬さが有意に低下した。実験1の硬さのデータと比較するとその低下に有意差を認めなかった(p=0.2735)。

 [実験3]preconditioningの有無によって張力、硬さともその低下に各々有意差を認めた(張力;p<0.0001、硬さ;p=0.007)。連続刺激後の張力は、preconditioningを行った広背筋で初期値の86.1±24.1%、行っていない広背筋では11.6±4.5%であり有意差を認め(p=0.0043)、硬さはそれぞれ61.1±24.6%、13.5±13.8%であり有意差を認めた(p=0.026)。preconditioningによってtime to peakは張力、硬さ共に延長、rippleは張力、硬さとも減少し、いずれも名犬で有意差を認めた。広背筋弛緩時の張力、硬さの低下を時間軸に対する片対数グラフに記録すると、張力も硬さも高い相関で直線回帰を示した。すなわち、張力のみではなく硬さも広背筋の弛緩時には指数関数的に減少することが示された。各犬で時定数にはpreconditioningの有無で有意差を認めた。

 [実験4]in situの測定でもpreconditioningの有無によって硬さの低下には有意差を認めた(p=0.0255)。硬さは連続刺激でpreconditioningされた広背筋では初期値の89.0±21.8%、されていない広背筋で11.5±9.3%に低下、有意差を認めた(p=0.0016)。preconditioningによってtime to peakは延長、rippleは減少、各犬で有意差を認めた。広背筋弛緩時の硬さの低下を片対数グラフに記録すると、高い相関で直線回帰を示し、in situで測定された硬さも広背筋の弛緩時には指数関数的に減少することが示された。各犬で時定数にはpreconditioningの有無で有意差を認めた。

考察

 心補助に利用するためにpreconditioningされた広背筋の、耐疲労性及び収縮能を臨床の現場で評価する方法は確立していない。本研究では心補助に用いる目的でpreconditioningを施行した広背筋の評価に触覚センサーが有用であるか否かを検討した。実験1で触覚センサーで測定した硬さは絶対値であるgram/mm2の単位に変換することで張力と直線的な相関関係を示した。また、広背筋を連続刺激すると疲労を反映して、張力同様に硬さも低下することが示された。実験2はin situで測定した硬さは実験1との比較から筋肉疲労を反映しており、硬さをin situて測定すれば広背筋の疲労を検出できることが示された。実験3でpreconditioningを行った広背筋と行っていない広背筋の間には連続刺激時の経時変化において張力だけではなく硬さについても有意差を認めた。実験4ではin situの測定でも疲労実験で有意差を認めた。これらからin situでの硬さの測定によって連続刺激時の広背筋のpreconditioningの有無による疲労の差を検出することができることが示された。さらに実験3では張力と硬さの両方において広背筋收縮時のtime to peakがpreconditioningによって延長すること、広背筋の最大收縮時の攣縮であるrippleが減少することが示された。また従来から筋肉弛緩時に張力が指数関数的に低下することが示されているが、硬さも指数関数的に低下することが示された。広背筋が弛緩時際の時定数にも、preconditioningによる有意差を認めた。実験4では、実験3で示されたことがin situで測定した硬さについて全てあてはまることが示された。すなわち、広背筋の弛緩時には硬さも指数関数的に減少することがin situにおいても示すことができ、in situの硬さの測定で、疲労実験、time to peak、ripple、時定数を比較すればpreconditioningの有無の検出が可能であることが示された。

 触覚センサーは超音波検査のプローベと同様に硬さを計測したい対象に接触させるだけで測定ができる。触覚センサーで測定した広背筋の硬さは広背筋疲労の検出では張力に代わりうるパラメータであり、收縮弛緩の解析でも張力と全く同様に用いることが可能であること、そして特にin situの状態でそれが可能であることを示すことができた。臨床の場では広背筋の張力の測定は不可能であるが、触覚センサーであれば広背筋に接触させるだけで硬さが計測でき、広背筋の收縮能を評価する有効な手段として臨床応用可能であると考える。

審査要旨

 本研究は、心補助に利用する目的でpreconditioningされた広背筋の耐疲労性および収縮能を、in situの状態で評価する方法を確立する目的で触覚センサーを利用して検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.広背筋の張力と触覚センサーで測定した硬さとのあいだには強い相関関係を認めた。

 2.触覚センサーを用いて、in situの状態にある広背筋の硬さの測定は可能であり、広背筋の硬さの経時変化を計測することで広背筋の疲労を検出することが可能であることが示された。

 3.従来からpreconditioningされた広背筋とされていない広背筋では長時間の連続刺激で張力の低下に有意差が認められるといわれている。張力と硬さを同時測定することで、長時間の連続刺激時には張力と同様に硬さの測定においても硬さの低下に有意差を認めることが示された。また、in situの状態の広背筋における測定でも、長時間の連続刺激で硬さの低下に有意差を認めた。

 4.従来、筋肉の収縮弛緩の解析には張力が用いられているが、広背筋の収縮弛緩における硬さの変化を解析することで、広背筋の収縮弛緩の解析が可能であることが示された。そして、広背筋の収縮弛緩の解析はin situの状態での広背筋の測定でも可能であることが示された。

 以上本論文では、in situの状態で広背筋の硬さを測定し長時間連続刺激時の硬さの低下の解析および収縮弛緩時の解析を行うことで、広背筋の疲労の検出、および広背筋のpreconditioningの有無の検出が可能であることが示された。従来、広背筋の耐疲労性および収縮能は張力を測定することで検討されてきた。そのため、広背筋の張力測定に大きな侵襲を伴うことから実際の臨床の場では広背筋のpreconditioningの評価を行うことは困難であった。本研究で示された触覚センサーを使用して硬さを測定する方法は、in situでの広背筋の評価を可能にする方法であり、これまで不可能であった臨床の場での広背筋耐疲労性および収縮能の評価方法の確立に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54765