本研究はスキルス胃がんで特に増幅するK-sam遺伝子を含む染色体10q26増幅ユニットの構造を詳細に解析することにより、スキルス胃がんの発生・進展においてこの増幅ユニットが増幅する意義を明らかにすること、また遺伝子増幅の機構を解明する手がかりとなるfragile siteを同定し、がん細胞の基本的な特徴であるgenomic instabilityの本質的な特性を理解することを目的としており、下記の結果を得ている。 1.充分に増幅する領域をカバーする複数のBACクローンを分離し、BACクローンの両末端のプローブを用いてK-samが増幅するスキルス胃がん培養細胞株とスキルス胃がん手術材料においてサザンブロット解析を行い、増幅のコピー数を調べ、10q26増幅ユニットのコア領域を同定した。KATOIII細胞由来のmRNAより合成したcDNAを用い、コア領域に含まれるBACクローンをプローブとしてcDNA selection法を行い、この領域の新規の増幅遺伝子を検索したが、新規遺伝子は存在せず、l0q26増幅ユニットにおいてK-samが増殖に関してがん細胞に優位性を与えている唯一の遺伝子であると推測された。増幅のコピー数が変化する領域にbreakがおこりやすいfragile siteが存在し、いくつかの場所でサザンブロット解析によりrearranged DNA fragmentがみつかり、増幅ユニットの連結部位が特定された。 2.10q26増幅ユニットのコア領域の同定の際に、K-sam遺伝子が増幅しているスキルス胃がん培養細胞株4例中3例においてK-sam遺伝子のC末端領域の200kb以上におよぶ欠失を認めた。さらに詳細なサザンブロット解析によりC2C1エクソンまたはC3エクソンも含めたC末端エクソンの欠失が起こっていた。欠失の連結部位のシークエンス解析を行い、これらの欠失は4〜7塩基のshort homologyを介した組み換えによって生じていることを見い出した。欠失を起こした培養細胞株において、K-sam遺伝子の転写産物を解析したところ、6種類の新しいC末端をもつ転写産物が認められ、それらのC末端をコードするエクソンをHl,H2,H3,O1,O2,O3と命名した。これらの6種類の転写産物は、従来から知られているC3型と同様に、チロシンキナーゼ活性に対し抑制的に働く780,784,813番目のチロシン残基をもたない活性型K-samをコードするmRNAであった。従ってK-sam遺伝子はC末端エクソンの欠失によって活性型産物の産生を高めているものと思われた。 3.新しい6種類のC末端エクソンの場所を決定した結果、少なくともO1,O2,O3,H1の4つのエクソンは、従来から知られているC3およびC2C1エクソンの200kb以上下流に存在していた。スキルス胃がん培養細胞株7例、非スキルス胃がん培養細胞株7例、乳がん培養細胞株7例およびヒト正常組織20例において、C1,C3エクソンおよび新しい6種類のエクソンをC末端とするK-samの転写産物の発現をRT-PCRにより調べた。C3型および新しい6種類の転写産物の発現は低分化型胃がん培養細胞株、特にスキルス胃がん培養細胞株に特異的であり、正常胃粘膜および骨髄、リンパ節、末梢血での発現はみられなかった。しかも新たに認めた6種類の転写産物の発現はすべての正常組織においてみられなかった。O1型、O2型、H1型の活性型転写産物の発現は、K-sam遺伝子の増幅およびC末端エクソンの欠失に依存しなかった。これらの結果より、スキルス胃がん培養細胞株では、遺伝子再編成によらず通常の転写終結点より200kb以上下流にあるC末端エクソンまで転写が行われるようになり、活性型K-samをコードするmRNAが発現していた。 4.H1型、O1型、O2型の転写産物およびC3型の転写産物は、スキルス胃がんの特異的マーカーとなる可能性がある。そこでスキルス胃がん培養細胞株において最も発現頻度が高いC3型の転写産物について、微小転移の検出への応用の可能性を検討した。C3型の発現は末梢血およびリンパ節において認められず、C3型の発現の高いKATOIIIおよび発現の低いHSC59由来のcDNAを希釈し、末梢血およびリンパ節由来のcDNAと混合した感度検定では、末梢血では107個から103個、リンパ節では105個から101個に1個のがん細胞が検出可能であり、従来のマーカーcytokeratin 19,cytokeratin 20,CEAと比較して遜色なかった。微小転移検出に用いられている遺伝子は正常組織において発現を認める、あるいは症例ごとに発現レベルが異なるなど、偽陽性や偽陰性となる危険性があり、臨床応用の際には複数のマーカーを用いる必要がある。従ってC3型の転写産物を従来のマーカーとともにRT-PCR法によるスキルス胃がんの微小転移の検出に応用することにより、信頼性の高い検出が可能になると思われた。 以上、本論文はK-sam遺伝子を含む染色体10q26増幅ユニットの構造を解析することにより、コア領域を同定し、原因遺伝子を推定し、増幅ユニットの連結部位を特定した。増幅にともなうK-sam遺伝子のC末端領域の欠失を認め、欠失の連結部の解析から遺伝子欠失のみならず、遺伝子増幅や転座の機構解明の重要な手がかりとなる知見を見い出した。また本研究は、スキルス胃がんで特異的に発現する6種の新しいC末端をもつ活性型転写産物を発見し、がん細胞において200kb以上下流にあるエクソンまで転写が伸長するというepigeneticな変化の新たな機構の存在の可能性を示した。さらに、K-sam遺伝子の活性型転写産物を微小転移の検出に応用しうる可能性をも示しており、学位の授与に値するものと考えられる。 |