学位論文要旨



No 115448
著者(漢字) 上田,哲也
著者(英字)
著者(カナ) ウエダ,テツヤ
標題(和) スキルス胃がんで選択的に増幅するK-sam遺伝子を含む10q26増幅ユニットの構造解析
標題(洋) Structural analysis of the 10q26 amplicon containing the K-sam gene amplified preferentially in the scirrhous gastric cancer
報告番号 115448
報告番号 甲15448
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1634号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 勝木,元也
 東京大学 助教授 斎藤,泉
 東京大学 講師 瀬戸,泰之
 東京大学 講師 河原,正樹
内容要旨

 固型がんの発生・進展に伴うがん遺伝子の活性化はしばしば遺伝子増幅によって起こる。しかしヒトのがんで増幅するがん遺伝子または染色体領域は10数個(領域)にすぎない。すなわち特定のがん遺伝子または領域のみが主に増幅する。この増幅領域には発がんに深く寄与する遺伝子が密集している場合が多く、新しい増幅遺伝子の同定はがんの分子機構の理解に役立つ。また増幅遺伝子のなかには予後や転移の指標になるものもあり、適切な治療法の選択に役立つ可能性がある。遺伝子増幅は、遺伝子欠失や白血病細胞における転座と同様に染色体切断によって誘発されることが酵母やマウスのモデル実験によって明らかにされている。ヒトの染色体において切断を起こしやすい部位の同定は容易ではなく、その構造の多くは不明である。がんにおいて変化しやすいこのfragile siteを同定することは、がん細胞の基本的な特徴であるgen omic in stabilityの本質的な特性を理解することにつながる。このfragile siteは増幅ユニット間の連結部をクローニングすることによって分離可能である。しかし増幅領域は数100kbから数Mbにおよぶため、広い範囲にわたって精緻な解析を必要とする。

 本研究ではスキルス胃がんで特に増幅するK-sam遺伝子を含む染色体10q26増幅ユニットについて、増幅する領域をカバーするBACクローンを分離し、コア領域を同定した。またこの詳細な構造解析によって増幅ユニットの連結部位を特定した。K-sam遺伝子の増幅に伴うC末端領域の欠失部を解析し、スキルス胃がんで特異的に発現する6種の新しいC末端をもつ活性型K-samをコードするmRNAを発見した。これらの新しいK-sam mRNAおよび従来から知られているC3型mRNAを標的として、RT-PCR法による胃がんの微小転移の敏速な検出が可能である知見が得られた。

1.10q26増幅ユニットのコア領域の同定、原因遺伝子の推定および増幅ユニットの連結部位の特定

 K-sam遺伝子はfibroblast growth factor receptor 2(FGFR2)であり、スキルス胃がん培養細胞株KATOIIIより単離されたもので、低分化型胃がん、特にスキルス胃がんで特異的に増幅を示す。K-samの発現陽性例は陰性例に比べ予後が悪いことが知られている。

 10q26増幅ユニットのコア領域の同定のため、K-sam遺伝子を含むBACクローンを得た。BACクローンの末端の配列およびプローブを用いて、充分に増幅する領域をカバーする複数のBACクローンを分離した。BACクローンの両末端のプローブを用いて、K-samが増幅するスキルス胃がん培養細胞株4例、低分化型胃がん培養細胞株1例、スキルス胃がん手術材料3例においてサザンブロット解析を行い、増幅のコピー数を調べた。この結果10q26増幅ユニットのコア領域は、スキルス胃がん培養細胞株HSC39において連続的に増幅する400kb以下の領域であることが判明した。興味深いことにK-sam遺伝子のC末端領域には2項にて詳述する200kb以上におよぶinterstitial deletionが認められ、欠失領域内(スキルス胃がん培養細胞株HSC43)と3’breakpointの上流(スキルス胃がん培養細胞株HSC43,OCUM2M)に増幅領域がみられることから、10q26領域の増幅はdeletionとinversionを伴って起きていることが明らかになった。KATOIII由来のmRNAより合成したcDNAを用い、コア領域に含まれるBACクローンをプローブとしてcDNA selection法を行い、この領域の新規の増幅遺伝子を検索した。増幅するcDNAクローンを2クローン得たが、新規遺伝子をコードするものではなかった。コア領域内にも欠失領域があることから、10q26増幅ユニットにおいてK-samが増殖に関してがん細胞に優位性を与えている唯一の遺伝子であると推測される。増幅のコピー数が変化する領域に増幅ユニットの連結部位が存在する。17q12増幅ユニットの連結部位の解析から、増幅ユニットは部位特異的な組み換えによりhead to tail mannerで連結し、連結部はサザンブロット解析では正常とサイズの異なるDNA断片としてみられるが、10q26増幅ユニットにおいてもこのようなrearranged DNA fragmentがいくつかの場所でみつかっている。これらを解析することにより10q26増幅ユニットのさらに詳細な構造が明らかになることが期待される。K-samのC末端領域から300kb以上下流の領域にかけて多数のbreakpointが散在し、この領域は全体にわたって非常にfragileな領域であると考えられる。

2.K-sam遺伝子のC末端領域の欠失部の解析と新しい活性型転写産物の同定

 K-sam遺伝子の転写産物は複数あり、alternative splicingにより多様性がつくられる。1つの多様性はthird immunoglobulin-like domainの後半部のエクソンの選択であり、これによりaffinityをもつFGF familyのligandが異なる。K-sam-I/BEC型はbasic FGFと、K-sam-II/KGFR型はKGFと親和性をもつ。もう1つの多様性はチロシンキナーゼドメインのあとのC末端領域であり、チロシンキナーゼ活性に対し抑制的に働く780,784,813番目のチロシン残基をもつC1エクソンをC末端とする転写産物(C1型)よりも、これを持たないC3エクソンをC末端とする転写産物(C3型)の方が、NIH3T3細胞のトランスフォーム能が高く、実際にKATOIII細胞においてC3型が優位に発現していることが示されている。

 10q26増幅ユニットのコア領域の同定の際に、K-sam遺伝子が増幅しているスキルス胃がん培養細胞株4例中KATOIII,OCUM2M,HSC43の3例においてK-sam遺伝子のC末端領域の欠失を認めた。これらの3例において、C3エクソン、C1エクソンに対するプローブおよびチロシンキナーゼドメインのあとのイントロン由来のプローブを用いてサザンブロット解析を行うと、正常では9kbのシグナルがみられるが、KATOIIIでは半数のコピー数でC2C1エクソンが欠損して8kbのシグナルがみられ、OCUM2MではC2C1エクソンが欠損して7.5kbのシグナルがみられ、HSC43ではC3エクソンおよびC2C1エクソンの両者が欠損して7kbのシグナルがみられた。そこで9kbの正常のEco RI fragmentおよびこれらの欠失によって生じたEco RI fragmentをクローニングし、シークエンス解析を行った。C末端領域の欠失のはじまりは、2.2kbの領域内にあり、この領域に欠失のhot spotが存在する。欠失の終わりは200kb以上下流であった。欠失のjoint部分には、KATOIIIではTGCCTGの6塩基、OCUM2MではGGTTの4塩基、HSC43ではATATTTAの7塩基のオーバーラップがみられ、これらの欠失はshort homologyを介した組み換えによって生じている。

 欠失を起こした培養細胞株OCUM2MとHSC43において、K-sam遺伝子の転写産物を解析したところ、6種類の新しいC末端をもつ転写産物が認められ、それらのC末端をコードするエクソンをH1,H2,H3,O1,O2,O3と命名した。これらの6種類の転写産物はC3型と同様に、チロシンキナーゼ活性に対し抑制的に働く780,784,813番目のチロシン残基をもたない活性型K-samをコードするmRNAであった。従ってK-sam遺伝子はC末端エクソンの欠失によって活性型産物の産生を高めているものと思われる。

3.K-sam遺伝子の新しいC末端エクソンのmappingと転写産物の発現解析

 K-sam遺伝子を含むBACクローンの部分的シークエンスにより、K-sam遺伝子は20個のエクソンをもっていた。新しい6種類のC末端エクソンの場所を決定した結果、少なくともO1、O2,O3,H1の4つのエクソンは、従来から知られているC3およびC2C1エクソンの200kb以上下流に存在していた。

 スキルス胃がん培養細胞株7例、非スキルス胃がん培養細胞株7例、乳がん培養細胞株7例およびヒト正常組織20例において、C1,C3エクソンおよび新しい6種類のエクソンをC末端とするK-samの転写産物の発現をRT-PCRにより調べた。C3型および新しい6種類の転写産物の発現は低分化型胃がん培養細胞株、特にスキルス胃がん培養細胞株に特異的であり、正常胃粘膜および骨髄、リンバ節、末梢血での発現はみられなかった。しかも新たに認めた6種類の転写産物の発現はすべての正常組織においてみられなかった。O1型、O2型、H1型の活性型転写産物の発現は、K-sam遺伝子の増幅およびC末端エクソンの欠失に依存しなかった。これらの結果は、スキルス胃がん培養細胞株では、遺伝子再編成によらず200kb以上も下流のC末端エクソンから活性型K-samをコードするmRNAが発現することを示す。すなわちがん細胞ではクロマチン構造が広範囲でゆるみ、通常の転写終結点より200kb以上下流にあるエクソンまで転写が行われるようになるものと思われる。これは発がんに伴うepigeneticな変化の新たな機構になりうると考えられる。臨床応用としては、C3型、O1型、O2型、H1型のタンパクを認識する特異的抗体を作製し、活性型K-samの発現の高い細胞を判別し、予後の判定に役立てることが考えられる。

4.K-sam遺伝子の活性型転写産物を用いたスキルス胃がんの微小転移の検出

 K-sam遺伝子の増幅もC末端領域の欠失も示さないスキルス胃がん培養細胞株HSC59,HSC60においても発現を認めたH1型、O1型、O2型の転写産物およびC3型の転写産物は、スキルス胃がんの特異的マーカーとなる可能性がある。そこでスキルス胃がん培養細胞株において最も発現頻度が高いC3型の転写産物について、微小転移の検出への応用の可能性を検討した。従来cytokeratin 19,cytokeratin 20,CEAを用いたリンパ節、末梢血、骨髄、腹腔洗浄液がらのがん細胞の検出が、乳がん、大腸がん、胃がん、食道がん、肺がんなどにおいて行われてきたが、これらのマーカーの発現には胃がんの組織型による特異性はみられなかった。スキルス胃がん手術材料9例においてK-samの発現は全例に認められたが、C3型の転写産物の発現も9例中8例に認められた。C3型の発現は末梢血およびリンパ節において認められず、C3型の発現の高いKATOIIIおよび発現の低いHSC59由来のcDNAを希釈し、末梢血およびリンパ節由来のcDNAと混合した感度検定では、末梢血では107個から103個、リンパ節では105個から101個に1個のがん細胞が検出可能であった。cytokeratin 19,cytokeratin 20,CEAについも同様の条件で検討を行った。末梢血ではcytokeratin 19は103個、cytokeratin 20は102個から101個、CEAは104個から101個に1個のがん細胞が検出可能であった。しかしリンパ節ではいずれのマーカーも正常リンパ節由来の転写産物が検出された。微小転移検出に用いられている遺伝子は正常組織において発現を認める、あるいは症例ごとに発現レベルが異なるなど、false positiveやfalse negativeとなる危険性があり、臨床応用の際には複数のマーカーを用いる必要がある。従ってC3型の転写産物を従来のマーカーとともにRT-PCR法によるスキルス胃がんの微小転移の検出に応用することにより、信頼性の高い検出が可能になると思われる。

審査要旨

 本研究はスキルス胃がんで特に増幅するK-sam遺伝子を含む染色体10q26増幅ユニットの構造を詳細に解析することにより、スキルス胃がんの発生・進展においてこの増幅ユニットが増幅する意義を明らかにすること、また遺伝子増幅の機構を解明する手がかりとなるfragile siteを同定し、がん細胞の基本的な特徴であるgenomic instabilityの本質的な特性を理解することを目的としており、下記の結果を得ている。

 1.充分に増幅する領域をカバーする複数のBACクローンを分離し、BACクローンの両末端のプローブを用いてK-samが増幅するスキルス胃がん培養細胞株とスキルス胃がん手術材料においてサザンブロット解析を行い、増幅のコピー数を調べ、10q26増幅ユニットのコア領域を同定した。KATOIII細胞由来のmRNAより合成したcDNAを用い、コア領域に含まれるBACクローンをプローブとしてcDNA selection法を行い、この領域の新規の増幅遺伝子を検索したが、新規遺伝子は存在せず、l0q26増幅ユニットにおいてK-samが増殖に関してがん細胞に優位性を与えている唯一の遺伝子であると推測された。増幅のコピー数が変化する領域にbreakがおこりやすいfragile siteが存在し、いくつかの場所でサザンブロット解析によりrearranged DNA fragmentがみつかり、増幅ユニットの連結部位が特定された。

 2.10q26増幅ユニットのコア領域の同定の際に、K-sam遺伝子が増幅しているスキルス胃がん培養細胞株4例中3例においてK-sam遺伝子のC末端領域の200kb以上におよぶ欠失を認めた。さらに詳細なサザンブロット解析によりC2C1エクソンまたはC3エクソンも含めたC末端エクソンの欠失が起こっていた。欠失の連結部位のシークエンス解析を行い、これらの欠失は4〜7塩基のshort homologyを介した組み換えによって生じていることを見い出した。欠失を起こした培養細胞株において、K-sam遺伝子の転写産物を解析したところ、6種類の新しいC末端をもつ転写産物が認められ、それらのC末端をコードするエクソンをHl,H2,H3,O1,O2,O3と命名した。これらの6種類の転写産物は、従来から知られているC3型と同様に、チロシンキナーゼ活性に対し抑制的に働く780,784,813番目のチロシン残基をもたない活性型K-samをコードするmRNAであった。従ってK-sam遺伝子はC末端エクソンの欠失によって活性型産物の産生を高めているものと思われた。

 3.新しい6種類のC末端エクソンの場所を決定した結果、少なくともO1,O2,O3,H1の4つのエクソンは、従来から知られているC3およびC2C1エクソンの200kb以上下流に存在していた。スキルス胃がん培養細胞株7例、非スキルス胃がん培養細胞株7例、乳がん培養細胞株7例およびヒト正常組織20例において、C1,C3エクソンおよび新しい6種類のエクソンをC末端とするK-samの転写産物の発現をRT-PCRにより調べた。C3型および新しい6種類の転写産物の発現は低分化型胃がん培養細胞株、特にスキルス胃がん培養細胞株に特異的であり、正常胃粘膜および骨髄、リンパ節、末梢血での発現はみられなかった。しかも新たに認めた6種類の転写産物の発現はすべての正常組織においてみられなかった。O1型、O2型、H1型の活性型転写産物の発現は、K-sam遺伝子の増幅およびC末端エクソンの欠失に依存しなかった。これらの結果より、スキルス胃がん培養細胞株では、遺伝子再編成によらず通常の転写終結点より200kb以上下流にあるC末端エクソンまで転写が行われるようになり、活性型K-samをコードするmRNAが発現していた。

 4.H1型、O1型、O2型の転写産物およびC3型の転写産物は、スキルス胃がんの特異的マーカーとなる可能性がある。そこでスキルス胃がん培養細胞株において最も発現頻度が高いC3型の転写産物について、微小転移の検出への応用の可能性を検討した。C3型の発現は末梢血およびリンパ節において認められず、C3型の発現の高いKATOIIIおよび発現の低いHSC59由来のcDNAを希釈し、末梢血およびリンパ節由来のcDNAと混合した感度検定では、末梢血では107個から103個、リンパ節では105個から101個に1個のがん細胞が検出可能であり、従来のマーカーcytokeratin 19,cytokeratin 20,CEAと比較して遜色なかった。微小転移検出に用いられている遺伝子は正常組織において発現を認める、あるいは症例ごとに発現レベルが異なるなど、偽陽性や偽陰性となる危険性があり、臨床応用の際には複数のマーカーを用いる必要がある。従ってC3型の転写産物を従来のマーカーとともにRT-PCR法によるスキルス胃がんの微小転移の検出に応用することにより、信頼性の高い検出が可能になると思われた。

 以上、本論文はK-sam遺伝子を含む染色体10q26増幅ユニットの構造を解析することにより、コア領域を同定し、原因遺伝子を推定し、増幅ユニットの連結部位を特定した。増幅にともなうK-sam遺伝子のC末端領域の欠失を認め、欠失の連結部の解析から遺伝子欠失のみならず、遺伝子増幅や転座の機構解明の重要な手がかりとなる知見を見い出した。また本研究は、スキルス胃がんで特異的に発現する6種の新しいC末端をもつ活性型転写産物を発見し、がん細胞において200kb以上下流にあるエクソンまで転写が伸長するというepigeneticな変化の新たな機構の存在の可能性を示した。さらに、K-sam遺伝子の活性型転写産物を微小転移の検出に応用しうる可能性をも示しており、学位の授与に値するものと考えられる。

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