学位論文要旨



No 115450
著者(漢字) 久米,春喜
著者(英字)
著者(カナ) クメ,ハルキ
標題(和) 両側性腎癌におけるVHL遺伝子の解析 : 発生機序と臨床応用に関する考察
標題(洋)
報告番号 115450
報告番号 甲15450
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1636号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 新家,眞
 東京大学 助教授 保坂,義雄
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 講師 浅井,昭雄
内容要旨 緒言

 腎細胞癌は尿細管に由来する悪性腫瘍で、腎臓の悪性腫瘍の中で最も発生頻度の高いものである。通常は片側の腎臓に単発するが、約2%〜4%の症例で両側性に発生することが知られている。本邦では1963年以来130例を超える報告がなされている。

 今までの両側性腎細胞癌に関する研究は治療法、治療成績に関するものが多く、病態や腫瘍発生に関しての報告、研究は比較的少なかった。今までに得られた知見としては両側性腎細胞癌はvon Hippel-Lindau(VHL)病などの遺伝性疾患で高頻度に認められること、乳頭状の発育を示す乳頭状腎細胞癌でしばしば腫瘍が両側に多発することなどがある。しかし、どのような症例で腫瘍が独立して発生し、どのような症例で片側から対側に転移しているのか、という点に関しては明確な結論が出ていない。臨床的・病理学的見地から、いくつかの診断基準が提唱されているが、これらの基準は形態学上の比較にのみ基づいているため、全ての症例で簡単に確実に判断できるわけではない。特に左右の組織像が類似している場合など判断が困難なことが指摘されている。

 そこで今までの報告をあらためて検討し直し、両側性腎細胞癌の病態が十分に解明されなかった理由として、1)VHL病の有無が明確にされていない、2)乳頭状と非乳頭状などの組織型の分類が必ずしも十分でない、3)対側への転移性、両側原発性の鑑別を明確にできる良いマーカーがない、などの点を考えた。

 このような中、1993年にVHL病の原因遺伝子としてVHL遺伝子が染色体3p25-26上にクローニングされた。VHL遺伝子の不活化は、早期癌を含めた非乳頭状腎細胞癌の約60%で観察され、まさにVHL遺伝子の不活化が非乳頭状腎細胞癌の発生段階において重要な役割を果たすことも示された。

 本研究ではこの点に着目し、このVHL遺伝子がclonalityを明確にする良いマーカーとなると考え解析を行った。まずgermlineの変異をみることにより、表現型が不完全なVHL病の有無を確かめた。また腫瘍での変異を左右で比較することにより、これまで必ずしも明確にできなかった左右の腎細胞癌のclonalityを明らかにし、これらの腫瘍が同一の起源を持つものむのか(対側への転移症例、Contralateral Metastatic Type)、異なる起源を持つものなのか(両側原発性、Bilateral Primary Type)を検討した。最後にこれらの症例で、病理組織、臨床経過、などを再度検討しそれらの特徴につき考察した。

対象

 東京大学医学部附属病院、およびその関連施設の両側性腎癌症例17例を対象とした。内訳は、剖検例2例、手術例15例で、うち4例(3家系)は、以前に報告された診断基準で臨床的にVHL病と診断された。残り13例中3例 (1例の剖検症例を含む)の組織型は乳頭状腎細胞癌であった。他の10例の組織型は非乳頭状腎細胞癌であった。

 VHL病4例全例(3家系)で本人の同意のもと、末梢血の採血を行った。乳頭状腎細胞癌症例3例中2例、非乳頭状腎細胞癌症例の10例中9例でパラフィン包埋した病理組織ブロックよりDNA解析を行った。

材料、及び、方法

 VHL病症例では末梢血より、またVHL病以外の症例では、腫瘍組織、および非腫瘍部の組織を含む病理組織ブロックよりDNAを抽出した。VHL遺伝子の全3エクソンのタンパク翻訳領域をPCR法によって増幅した。1.5%アガロースゲルでの電気泳動後、バンドを切り出しDNAを精製した。次に、[-32P]ATPにてラベルしたプライマーを用いてサイクルシークエンス反応を施行した。すべてのシークエンス反応は順方向、逆方向の両方から行い、更に、イントロンとエクソンの接合部周辺のシークエンスも確認した。

結果1.両側性腎細胞癌症例の臨床像

 VHL病症例 4例3家系のVHL病症例に関しては、全例で中枢神経系の脳血管芽細胞腫を合併していた。1例では右副腎褐色細胞腫を併発していた。この症例の母親はVHL病により死亡し剖検を施行したが、剖検で副腎には異常は認められなかった。

 3例の初発症状は中枢神経系の血管芽細胞腫であり、1例の初発症状は両側性腎細胞癌であった。初発当時、この症例はVHL病の臨床症候での診断基準を満たしていなかったが、その後に小脳血管芽細胞腫を発症しVHL病と診断された。

 散発性症例 13例の散発性症例に関しては、初発時の平均年齢は61.4歳、性別は男8、女5であり、一般の腎細胞癌と同様であった。腎細胞癌の発症時期に関しては8例が同時性、4例が異時性であった。

 病理学的に3例は左右ともに乳頭状の発育を示す腎細胞癌で、他の10例は左右ともに乳頭状の発育を示さない非乳頭状腎細胞癌であった。乳頭状腎細胞癌では1例で両側に腫瘍が多発していたものの、他の2例では腫瘍は両側ともに単発性であった。非乳頭状腎細胞癌では、4例で片側もしくは両側に腫瘍が多発していた。腫瘍の被膜はいずれの症例においても比較的明瞭であった。

2.VHL病症例のVHL遺伝子解析

 3家系すべてにおいてVHL遺伝子の変異が確認された。2家系ではコドン162にそれぞれナンセンス変異(CからA)、ミスセンス変異(CからG)を認めた。残る1家系ではコドン72に1塩基のdeletionを認めた。

3.散発症例での腫瘍のVHL遺伝子解析

 VHL病以外の散発性の症例ではgermlineにはVHL遺伝子の変異はなく、潜在性のVHL病はなかった。乳頭状腎細胞癌症例の腫瘍では、VHL遺伝子には変異が認められなかった。

 9例の非乳頭状腎細胞癌症例中、5例においてVHL遺伝子の変異が両側、もしくは片側において確認された。これら5例のうち3例では、各々の症例でVHL遺伝子の変異は両側で同一であった。残る2例ではVHL遺伝子変異は片側のみに認められ、左右でVHL遺伝子の変異の状態が異なっていた。

考察1.VHL病症例のVHL遺伝子解析

 VHL遺伝子変異に関してはいずれも今まで他の家系で報告されているものであり、新たな種類の変異ではなかった。ただし副腎褐色細胞腫を有していた症例ではコドン162のナンセンス変異が認められたが(ただしこの症例の母親では副腎褐色細胞腫を合併していなかった)、このような合併はVHL遺伝子のデータベースの検索では認められなかった。

2.散発症例での腫瘍のVHL遺伝子解析

 1)「潜在性」のVHL病の検索。両側性腎細胞癌を初発症状とし、他の症候を生じないVHL病の有無を検索した。すなわち初発症状が両側性腎細胞癌で、臨床的にVHL病と診断できない症例で、「潜在性の」VHL病の有無をみるために、VHL遺伝子のgermline変異を検索したが、今回の散発性の症例にはVHL遺伝子のgermlineでの遺伝子変異は認められなかった。

 2)乳頭状腎細胞癌でのVHL遺伝子の解析。次に我々は、これまでの報告で乳頭状と非乳頭状などの組織型の分類が不十分なものが散見されることから、病理組織学的所見を再度評価した。13例の散発性症例を乳頭状腎細胞癌と非乳頭状腎細胞癌症例に分類した。乳頭状腎細胞癌は非乳頭状腎細胞癌と異なり、しばしば両側腎に多中心性に発生することが知られている。その病態の機構は、まだ十分には解明されていないが、細胞遺伝学的な研究によれば、乳頭状腎細胞癌では非乳頭状腎細胞癌と明確に異なる染色体のパターンを持ち、VHL遺伝子変異も認められない。最近、c-metが乳頭状腎細胞癌の発生に重要であることも報告された。今回の解析でも同様に乳頭状腎細胞癌においてVHL遺伝子の変異を認めなかった。また一般に報告されている乳頭状腎細胞癌の頻度(5-10%)と比較すると、今回の解析での割合3例/13例(23%)は若干高かった。

 3)乳頭状腎細胞癌でのVHL遺伝子の解析。非乳頭状腎細胞癌の9例中5例にVHL遺伝子の変異が認められた。これは、以前に報告されている非乳頭状腎細胞癌におけるVHL遺伝子の変異の頻度(約60%)と一致する。これら5例のうち8例では、各々VHL遺伝子の変異が両側で一致していた。VHL遺伝子の不活化が非乳頭状腎細胞癌の発生に重要な役割を有するというこれまでの報告を考慮すれば、これらの症例においては片側の腫瘍が他側に転移したことを示していると考えられる(Contralateral Metastatic Type)。一方、他の2つの症例では、VHL遺伝子の変異が片側においてのみ認められた。すなわちVHL遺伝子の変異の状態が左右で異なっていることから、これらの左右の腫瘍が、転移ではなく独立に発生したと考えられる(Bilateral Primary Type)。

 今回の解析で明らかになったContralateral Metastatic Typeの3症例の特徴は、1)両側の腫瘍が同様の組織像、2)片側の腫瘍が転移を生ずるに十分な大きさを有する(3cm以上の径)、3)他方の腫瘍は、比較的小さく多発している、などである。一方でBilateral Primary Typeの症例は両側ともに腫瘍が単発であった。

 これらのうち、多発という点に関しては、腫瘍が片側もしくは両側め腎臓に多発している症例が4例あったが、そのうち3例で転移であることが確認され、非常に特徴的な点であると考えた。

 一方で組織像の左右差という点に関しては、いずれのタイプの症例でも細胞異型や構造異型で大きな左右差は認めなかった。また、腫瘍被膜に関しても、全例で組織学的に被膜は比較的明瞭で、必ずしも特徴的とは言えないと考えた。また、顕微鏡的に認められる血管侵襲はいずれのタイプにも認められ、血管侵襲は両者を区別する良い指標では無いように思われた。

 その他、両側の腫瘍の発生間隔に関しても、Contralateral Metastatic Typeの1例では14.5年ときわめて長い症例もあり、発生間隔も必ずしも転移性のものでは短いということではなかった。

 以上のように腫瘍の「多発性」という点が散発性の両側性腎細胞癌の腫瘍発生を考える上で重要な点であると考えられた。今回の症例数はなお少なく、更に多くの症例の解析が必要と思われるが、少なくともVHL遺伝子を指標としたアプローチは両側性腎細胞癌の発生を研究する上で、きわめて重大な意味を持つものと考えられる。また臨床的にも、個々の症例でこのような形の遺伝子解析が行われれば、臨床情報、病理組織所見と同様に、泌尿器科医にとって重要な情報になるものと考えている。

審査要旨

 本研究は両側性腎細胞癌の発生機序を解析するために、腎細胞癌の発生において重要な役割を演じていると考えられているVHL遺伝子の変異を15例の両側性腎細胞癌症例のgermlineおよび左右の腫瘍において調べ、以下の結果を得ている。

 1.臨床的にvon Hippel Lindau(VHL)病と診断された4例(3家系)ではgermlineのVHL遺伝子の変異を認めた。

 2.von Hippel Lindau(VHL)病以外の症例、すなわち散発性症例11例(乳頭状腎細胞癌症例2例、非乳頭状腎細胞癌症例9例)ではgermlineにはVHL遺伝子の変異は認められなかった。すなわち潜在性のVHL病患者は認められなかった。また2例の乳頭状腎細胞癌症例では腫瘍にはVHL遺伝子の変異は認められなかった。

 3.非乳頭状腎細胞癌症例9例中5例で腫瘍におけるVHL遺伝子の変異を認めた。このうち3例では各々左右で腫瘍におけるVHL遺伝子の変異が一致しており片側から対側への転移と考えられた(Contralateral Metastatic Type)。一方残る2例ではVHL遺伝子の変異は片側の腫瘍のみに認められ、左右とも独立して発生したものと考えられた(Bilateral Primary Type)。

 4.腫瘍の多発しているという点が前者に特徴的であると考えられたが、腫瘍の被膜の有無、血管侵襲の有無、左右の腫瘍の出現間隔などでは両者に大きな差は認められなかった。

 5.臨床的には前者では手術は可能な限り保存的に行い、術後の補助療法も必要となることが考えらる。また後者では手術は可能な限り根治的に行う必要があると考えられる。

 以上、本論文ではVHL遺伝子を調べることにより、両側性腎細胞癌がContralateral Metastatic TypeおよびBilateral Primary Typeに分けられることを示し、その臨床病理学的な特徴を明かにした。本研究はこれまでほとんどなされていなかった両側性腎細胞癌の発生メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられる。またこのことは、臨床的にも、手術法、手術後の補助療法などの選択反映されると考えられ、本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

 なお、臨床応用の可能性を強調するために、副題として「発生機序と臨床応用に関する考察」を加えることとした。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54767