学位論文要旨



No 115452
著者(漢字) 池田,重雄
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,シゲオ
標題(和) 侵襲時の局所生体防御、とくに貧食細胞の局所への滲出と滲出後の機能に及ぼす低栄養の影響
標題(洋)
報告番号 115452
報告番号 甲15452
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1638号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前川,和彦
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 三村,芳和
 東京大学 講師 針原,康
内容要旨

 従来から、低栄養状態は生体防御能を減弱させ、易感染性をもたらすとされている。そして、免疫細胞のうち、貪食細胞の機能に及ぼす低栄養状態の影響については、一般的に走化性、貪食能、殺菌能が低栄養状態によって障害されることが報告されている。しかし、感染や炎症の局所への好中球や単球/マクロファージの滲出、さらには滲出貪食細胞の機能などと栄養状態との関係については、kwashiorkorの小児での検討など数少なく、しかも古典的な手段での検討に限られている。

 さらに、炎症や感染の早期に局所での生体防御能に直接関与するのは、局所へ滲出した好中球や、マクロファージである。これらの貪食細胞は、流血中で血管内皮細胞に接着、血管外滲出(transendothelial migration)を経て損傷・炎症局所に集積することが知られている。そして、この好中球、単球と血管内皮細胞間の相互作用には、両細胞の表面上に発現する接着分子が重要な役割を果たしている。しかしながら、これらの貪食細胞表面上の接着分子発現に及ぼす栄養状態の影響を調べた報告は、現在まで知られていない。さらに、この流血中の貪食細胞の接着分子発現、これらの細胞の炎症局所への滲出、滲出後の局所での機能修飾などに密接に関与する局所のサイトカインをはじめとする炎症局所の環境と低栄養状態との関係を新しい方法で詳細に検討した報告はない。

 そこで、本研究は、貪食細胞の接着分子発現、貪食細胞の炎症局所への滲出、局所へ滲出した貪食細胞機能に及ぼす低栄養状態の影響と、さらに、貪食細胞の局所への滲出や局所での機能修飾に関わるサイトカイン産生に及ぼす低栄養状態の影響を、実験的、臨床的にin vivo、及び、in vitroで明らかにすることを目的とした。

 このため、1)マウス細菌性腹膜炎モデルにおいて、短期食餌制限が生存率及び、生存時間に及ぼす影響、2)マウス腹腔内炎症惹起モデルで、短期食餌制限が貪食細胞接着分子発現、腹腔内サイトカイン濃度、腹腔内滲出液オプソニン活性、貪食細胞滲出、滲出貪食細胞貪食能、活性酸素産生能、in vitroでのE.coli殺菌能、腹腔内常在マクロファージのサイトカイン産生能へ及ぼす影響、3)食餌制限マウス腹腔内炎症惹起モデルで、食餌再摂取が、貪食細胞接着分子発現、腹腔内サイトカイン濃度、腹腔内オプソニン活性、貪食細胞滲出、滲出貪食細胞機能に及ぼす影響、4)術前手術患者で、栄養状態が、末梢血好中球の接着分子発現、この好中球の、in vitroフローチャンバーモデルでの血管内皮細胞への接着、血管外滲出能へ及ぼす影響、5)消化器外科手術患者で、術前栄養状態が術後の腹腔局所のサイトカイン濃度、好中球滲出、滲出好中球へ及ぼす影響を順次検討することとし、以下の研究を行った。

第1章短期食餌制限マウス細菌性腹膜炎モデルにおける生存率及び、生存時間の検討

 (1)マウスを1週間の食餌制限後に、E.coliを腹腔内投与し腹膜炎を惹起した。その後マウスの生死を2時間毎に48時間観察した。

 (2)その結果、細菌性腹膜炎時には厳しい食餌制限群の生存時間が最も短かく、腹膜炎惹起48時間後の生存率も、厳しい食餌制限群がもっとも低いことが判明した。

 (3)これらの成績から、厳しい食餌制限によって細菌性腹膜炎に対する生体防御能は低下していることが明らかになった。

第II章短期食餌制限の貪食細胞接着分子発現、腹腔内サイトカイン濃度、腹腔滲出液中オプソニン活性、貪食細胞滲出、滲出貪食細胞機能への影響-マウス腹腔内炎症惹起モデルを用いて

 (1)マウスを1週間の食餌制限後に、炎症細胞を誘導する目的で、グリコーゲンを腹腔内に注入した。その後、経時的に0,2,4,8時間後の末梢血、腹腔洗浄液を採取し、滲出貪食細胞を採取した。これらの末梢血、炎症腹腔内の滲出貪食細胞の接着分子発現、貪食細胞滲出、貪食細胞貪食能、活性酸素産生能、in vitroでのE.coli刹菌能、腹腔洗浄液中のサイトカイン濃度、オプソニン活性、腹腔内常在マクロファージのサイトカイン産生能へ及ぼす短期食餌制限の影響を検討した。

 (2)その結果、食餌制限によって、末梢血の好中球や単球、とくに好中球の接着分子発現が低いこと、またグリコーゲン刺激後の腹腔内に滲出する好中球数やマクロファージ数が少ないこと、さらに腹腔内滲出好中球やマクロファージの貪食能、腹腔内総殺菌能が低いこと、そして腹腔洗浄液中のサイトカイン濃度、オプソニン活性が低いこと、さらに腹腔内常在マクロファージのサイトカイン産生能も低下していることなどが明らかになった。

 (3)これらの成績から、厳しい食餌制限による流血中の好中球やマクロファージのCD11b/CD18発現低下と炎症局所のケモカイン産生低下が炎症局所への滲出細胞数を減少させ、その局所での貪食、殺菌能も障害させるという病態は、ヒトでも生じていることが容易に想像された。従って、栄養不良の患者では、栄養療法によって、このような異常を是正して局所の生体防御能を改善させることが重要と考えられた。

第III章食餌制限マウス腹腔内炎症惹起モデルにおける食餌再摂取が、貪食細胞接着分子発現、腹腔内サイトカイン濃度、腹腔内オプソニン活性、貪食細胞滲出、滲出貪食細胞機能へ及ぼす影響

 (1)マウスを1週間の食餌制限後に、1日間のみ、自由に食餌を摂取させた。その後、第II章と同じ方法で、グリコーゲンを腹腔内に注入して4時間後の末梢血、腹腔洗浄液を採取し、腹腔洗浄液より、滲出貪食細胞を採取した。これらの末梢血、炎症腹腔内への滲出貪食細胞の分画と数、接着分子発現、貪食能、細胞内活性酸素産生能と、炎症腹腔内のサイトカイン濃度、腹腔内オプソニン活性を検討した。

 (2)その結果、第II章の実験で食餌制限によって低下していた、末梢血の好中球やマクロファージのCD11b/CD18発現能、炎症の局所である腹腔への滲出貪食細胞数の減少、滲出細胞の貪食能の低下、活性酸素産生能の増強、腹腔内サイトカイン濃度、腹腔内オプソニン活性の低下は、わずか1日間の食餌自由摂取によって消失した。

 (3)これらの成績から、食餌摂取制限により出現した好中球や単球/マクロファージの機能変化、さらに腹腔サイトカイン産生の低下が、1日間のみの食餌自由摂取で改善されたことが明らかになった。このことから、臨床での食餌制限患者ではごく短期間でもこのような病態が改善され、周術期の感染性合併症の低下につながることが示唆された。

第IV章消化器外科患者の術前栄養状態と末梢血好中球の接着分子発現、血管内皮細胞への接着、血管外滲出能との関連-フローチャンバーモデルでのin vitroの検討

 (1)腹部外科手術術前患者12例を対象に、末梢血を術前の早朝に採取した。血清を分離し、血清中プレアルブミン濃度を測定して術前栄養状態の指標とした。同時に分離好中球の接着分子発現をフローサイトメトリーで検討した。分離好中球と、あらかじめ、採取培養後、TNF 1ng/mlで4時間刺激してあったヒト臍帯血管内皮細胞との接着、滲出をフローチャンバーモデルでin vitroで検討した。好中球、血管内皮細胞へかかるshear stressは、実際の生体での細静脈でのshear stressと同じになるように調節した。

 (2)その結果、接着、滲出好中球数は、術前血清プレアルブミン濃度と正相関する、滲出した好中球数は、低プレアルブミン群の方が高プレアルブミン群に比較して有意に低い、ことなどが明らかとなった。

 (3)これらの成績から、少なくとも低栄養状態での流血中好中球の炎症局所の血管内皮細胞への接着やその後の滲出の抑制が、in vitroでも確認された。この低栄養状態での流血中好中球の炎症局所への血管内皮細胞への接着やその後の滲出の抑制が、低栄養状態時の局所生体防御力減弱の一因であると考えられた。

第V章消化器外科手術患者における術前栄養状態と術後の腹腔局所のサイトカイン濃度、好中球滲出、滲出好中球機能の関連-腹腔ドレーン排液を用いて

 (1)外科手術患者11例を対象に、末梢血は術前、腹腔ドレーン排液は術後1、2、3日目に採取した。術前末梢血の血清を分離し、血清中アルブミン濃度を測定し、術前栄養状態の指標とした。さらに、腹腔ドレーン排液中の分離好中球を用いてフローサイトメトリーによる活性酸素産生能、腹腔ドレーン排液中のサイトカイン濃度を測定した。

 (2)その結果、ドレーン排液中の滲出好中球数は、術前血清アルブミン値と正相関する、同一の侵襲に反応してドレーン排液中に滲出する好中球数は、術前血清低アルブミン群では減少する、術後第1病日のドレーン排液中のIL-1、IL-10濃度は、術前低アルブミン群では低下する、術後第3病日の低アルブミン群のドレーン排液中好中球の細胞内活性酸素産生能は、高アルブミン群に比して有意に高値である、術後第1病日の低アルブミン群のIL-6/IL-10、G-CSF/IL-10、GM-CSF/IL-10比が、高アルブミン群に比し有意に高値であった、ことが明らかとなった。

 (3)これらの成績から、低栄養状態では、消化器外科患者の局所のサイトカインバランスおよび細胞内活性酸素産生能からみて、局所の炎症優位状態が遷延していることが推測された。その病態生理学的な意義の詳細は明らかでないが、低栄養状態での生体防御の減弱に対する代償反応とも考えられる。しかし、一方では炎症優位状態では組織の障害が招来される可能性も考えられた。

 以上の臨床的、実験的検討をまとめると、

 侵襲時の貪食細胞の接着分子発現、貪食細胞の炎症局所への滲出、局所へ滲出した貪食細胞機能に及ぼす低栄養状態の影響と、さらに、貪食細胞の局所への滲出や局所での機能修飾に関わるサイトカイン産生に及ぼす低栄養状態の影響を、実験的、臨床的にin vivo、及び、in vitroで検討した。低栄養状態は、外科侵襲時の貪食細胞の接着分子発現低下、炎症局所のサイトカイン産生能低下を引き起こし、その結果、局所への滲出貪食細胞数の減少と、貪食細胞の機能変化をもたらすことが判明した。低栄養状態によるこれらの貪食細胞の変化、炎症局所のサイトカイン濃度の変化は炎症、感染時の局所における生体防御能低下、局所の炎症の遷延化につながることが示唆された。食餌制限により、障害されたこれらの貪食細胞、好中球、単球/マクロファージの機能、局所のサイトカイン産生能は、マウスの食餌制限モデルでは、極めて短期の食餌再摂取で改善された。従って、栄養不良の患者では、栄養療法によって、このような異常を是正して局所の生体防御能を改善させることが期待される。

審査要旨

 本研究は細菌感染時の局所生体防御において重要な役割を演じている貪食細胞、好中球、単球/マクロファージについて、特に好中球の血管内皮への接着とその後の局所への滲出、さらに、滲出後の局所でのこれらの貪食細胞の機能修飾などに密接に関与する局所のサイトカインをはじめとする炎症局所の環境に、低栄養状態の及ぼす影響を検討したものである。そして、下記の結果を得ている。

 1)マウス細菌性腹膜炎モデルでの検討では、細菌性腹膜炎時には厳しい食餌制限群の生存時間が最も短かく、腹膜炎惹起48時間後の生存率も、厳しい食餌制限群がもつとも低いことが示された。つまり、厳しい食餌制限によって細菌性腹膜炎に対する生体防御能は低下していることが示された。

 2)マウス腹腔内炎症惹起モデルでの検討では、食餌制限群では、末梢血の好中球、単球のCD11b/CD18発現が低いこと、またグリコーゲン刺激後の腹腔内に滲出する好中球数やマクロファージ数が少ないこと、さらに腹腔内滲出好中球、マクロファージの貪食能、腹腔内総殺菌能が低いこと、そして腹腔洗浄液中のサイトカイン濃度、オプソニン活性が低いこと、さらに腹腔内常在マクロファージのサイトカイン産生能が低下していることが示された。

 3)食餌制限マウス腹腔内炎症惹起モデルでの食餌再摂取の影響の検討では、食餌制限によって低下していた末梢血の好中球、単球のCD11b/CD18発現能、炎症の局所である腹腔への滲出貪食細胞数の減少、滲出細胞の貪食能の低下、活性酸素産生能の増強、腹腔内サイトカイン濃度、腹腔内オプソニン活性の低下が、わずか1日間の食餌自由摂取によって消失した。つまり、食餌摂取制限により出現した好中球や単球/マクロファージの機能変化、さらに腹腔サイトカイン産生の低下が1日間のみの食餌自由摂取で改善されたことが示された。

 4)術前手術患者の末梢血好中球の接着分子発現、in vitroフローチャンバーモデルでの血管内皮細胞への接着、滲出能の検討では、サイトカイン刺激ヒト臍帯血管内皮細胞への分離好中球の接着、滲出数が、術前血清プレアルブミン濃度と正相関すること、滲出した好中球数は、低プレアルブミン群の方が高プレアルブミン群に比較して有意に低いことが示された。つまり、低栄養状態では流血中好中球の炎症局所の血管内皮細胞への接着やその後の滲出が抑制されることが、in vitroでも示された。

 5)消化器外科手術患者の術後の腹腔局所のサイトカイン濃度、好中球滲出、滲出好中球機能の検討では、ドレーン排液中の滲出好中球数は、術前血清アルブミン値と正相関する、同一の侵襲に反応してドレーン排液中に滲出する好中球数は、術前血清低アルブミン群では減少する、術後第1病日のドレーン排液中のIL-1、IL-10濃度は、術前低アルブミン群では低下する、術後第3病日の低アルブミン群のドレーン排液中好中球の細胞内活性酸素産生能は、高アルブミン群に比して有意に高値である、術後第1病日の低アルブミン群のIL-6/IL-10、G-CSF/IL-10、GM-CSF/IL-10比が、高アルブミン群に比し有意に高値であることが判明した。つまり、低栄養状態では、消化器外科患者の局所のサイトカインバランスおよび細胞内活性酸素産生能からみて、局所の炎症優位状態が遷延していることが示された。

 本研究はこれまで報告の全くなかった貪食細胞の接着分子発現に対する低栄養状態の影響を明らかにした点、in vivoとin vitroの両検討で貪食細胞の血管内皮細胞への接着、その後の局所への滲出に及ぼす低栄養状態の影響を明らかにした点、および、これまで意見の相違を見ていなかった炎症局所の貪食細胞機能、局所のサイトカイン産生能へ及ぼす低栄養状態の影響を詳細な検討方法で明らかにした点から、今後の腹膜炎治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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