学位論文要旨



No 115453
著者(漢字) 梅谷,直亨
著者(英字)
著者(カナ) ウメタニ,ナオユキ
標題(和) 大腸癌発生経路における遺伝子変化 : 早期癌の形態分類に基づく検討
標題(洋)
報告番号 115453
報告番号 甲15453
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1639号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 助教授 増田,道明
 東京大学 講師 河原,正樹
内容要旨 目的

 腺腫から癌が発生するという大腸癌発生経路の古典的な概念は広く受け入れられているが,1985年に表面型腺腫が最初に報告されて以来,通常のpolypoid adenomaと比較して癌化率が高率であることなどから,それらが臨床的に重要であると考えられるようになった.そして,大腸癌の発生経路として,大腸粘膜から腺腫を経由せず直接癌が発生する"de novo発癌"や,表面型腺腫からの発癌経路の存在が想定されるようになった.遺伝子変化のモデルにおいては,APC遺伝子変異は腺腫形成の最初の段階で生じ,腺腫のサイズと異型度の進行に並行してK-ras遺伝子の点突然変異が生じ,さらにその他の変異が蓄積されるとされるが,表面型腺腫,non-polypoid typeの早期癌においてはK-ras変異の率が低いという報告がなされ,古典的な経路であるpolypoid pathwayとは異なる遺伝子変化を示すnon-polypoid pathwayの存在が示唆されるようになった.この経路におけるAPC遺伝子の関与は殆ど解っていないため,過去の症例を詳細に検討し,大腸腫瘍の特に形態と進行度に注目して,APC遺伝子変化を解析した.また,K-ras変異についても検討した.同時に,経過観察症例を対象として,腫瘍の実際の形態変化の程度についても遡及的に検討し,想定した経路を検証した.

対象と方法

 1988年から1998年に切除された63の腺腫と100の浸潤癌を対象とした.HE染色により進行度分類,形態分類を行った.腺腫の形態学的分類を図1の如く定義した.Superficial adenomaは,その病変部の粘膜筋板からの高さが,周囲の正常粘膜の高さの二倍を越えない腫瘍と定義し,それ以上の隆起を伴う隆起型腺腫をpolypoid adenomaと定義した.さらにsuperficial adenomaのうち,50%以上の部分において,その病変部の粘膜筋板からの高さが周囲の正常粘膜の高さを越え々い腫瘍をsuperficial depressed adenomaとし,それ以外をsuperficial elevated adenomaと亜分類した.浸潤癌は,粘膜下層浸潤早期癌(sm癌)と,固有筋層浸潤進行癌(mp癌)に分類した.sm癌の形態学的分類を図2の如く定義した.Polypoid carcinomaは周囲の正常粘膜上に腫瘍組織の辺縁が張り出すように成長する腫瘍であるとし,non-polypoid carcinomaは中央に陥凹を持ち,辺縁に腫瘍組織は突出しておらず,周囲を正常粘膜で取り囲まれている腫瘍であるとした.sm癌の一部には,腺腫成分の併存が認められており,これは腺腫としての段階を経て癌へと進展したことを強く示唆する所見であるため,腺腫成分の併存の有無を検討した.mp癌は形態による細分類は適用しなかった.

図1.腺腫の形態分類図2.sm浸潤癌の形態分類

 ホルマリン固定された20厚パラフィン包埋切片から,隣接した切片のHE染色を参考に顕微鏡下に腫瘍組織を正確に切り出し,DNAを抽出,精製し,遺伝子の解析を行った.K-ras変異は,散発性大腸癌において約80%の変異が集中するcodon12の点突然変異を,高感度な方法であるtwo-step PCR-restriction fragment length polymorphism(PCR-RFLP)法により解析した.APC遺伝子の変異は,exon15に存在し,散発性大腸癌の変異の70%程度が集中するとされるmutation cluster region(MCR)を検索した.まず,MCR領域全長を含むexon15のcodon1251から1536を5つの領域に分割してpolymerase chain reaction-single strand conformation polymorphism(PCR-SSCP)法で変異をスクリーニングし,ダイレクトシークエンス法で配列を決定した.

 また,6カ月以上の間隔を置いた注腸検査によって経過観察され,最終的に手術となった11例の大腸癌の症例から,実際の形態変化を検討した.

結果

 sm浸潤癌は,polypoid carcinomaが47検体(65%),non-polypoid carcinomaが19検体(26%),分類不能が6検体であった.Polypoid carcinomaの49%が腺腫成分を伴い,non-polypoid carcinomaには腺腫の併存は認められなかった.

 K-ras codon12の点突然変異は,腺腫においてはsuperficial depressed adenomaの変異率(0/15,0%)は,polypoid adenomaの変異率(9/31,31%)と比較して有意に低く, sm浸潤癌においてはnon-polypoid carcinomaの変異率(2/19,11%)は,polypoid carcinomaの変異率(24/43,56%)と比較して有意に低かった.Non-polypoid carcinomaの変異率はpolypoid adenomaと比較しても有意差はないが低い傾向を認めた(11%vs.31%).

 APC遺伝子の変異は56の検体で同定され,51例(91%)は蛋白のtruncationを生じるframe shiftまたはnonsense mutationであり,残り5例(9%)は単一アミノ酸置換となる一塩基置換であった.腺腫においてsuperficial depressed adenomaの変異率(1/15,7%)はpolypoid adenomaの変異率(13/30,43%)よりも有意に低く,sm浸潤癌においてはnon-polypoid carcinomaの変異率(6/17,35%)はpolypoid carcinomaの変異率(20/47,43%)と較べてやや低値だが近い値であった.進行癌の変異率(14/33,42%)は,polypoid pathwayを構成するpolypoid adenoma,polypoid carcinomaとほぼ同程度であった.

 APC変異とK-ras変異の間には,有意な相関は認められなかった.

 2回の注腸検査により形態変化の確認が可能であった11例の大腸癌の症例では,いずれの病変も大きな形態の変化を伴わないで浸潤癌へと進展していた.

腫瘍の形態学的分類と腺腫併存率,K-rasおよびAPC変異
考察

 sm浸潤癌を,より容易に判定が可能でわかりやすい分類を目標として,癌部分の辺縁の形状に主に注目し,polypoid carcinomaとnon-polypoid carcinomaに分類した.この分類方法は,腫瘍部分の周囲への突出のみで判定可能であるため,粘膜内癌を含む全ての大腸癌の分類に容易に適用することが可能であった.また,腺腫成分の併存率に明らかな差が認められたことは,腫瘍の発育進展経路の違いを示唆していると考えられ,この分類が大腸癌発生の研究において極めて有用な分類法であることを表している.

 K-ras変異率は,superficial depressed adenoma,non-polypoid carcinomaにおいて低いことが示され,non-polypoid carcinomaの前駆体がpolypoid adenomaではなく,de novoもしくはsuperficial depressed adenomaであって,non-polypoid carcinomaはpolypoid pathwayを経由しないで発展するという説を支持し,non-polypoid pathwayと呼ぶべき大腸発癌経路の存在が示唆された.K-rasR異はnon-polypoid pathwayにおいてはあまり重要な役割を果たしていないと考えられた.Non-polypoid carcinomaのsm浸潤早期癌全体に占める割合は,26%であり,non-polypoid pathwayを経由して発育進展する癌の割合も同程度であろうと推察されたが,superficial depressed adenomaがまれな腫瘍であることから,1)de novo発癌が主であり,腺腫を経由するものは少ない,2)Superficial depressed adenomaは容易に粘膜下浸潤を起こし,急速に癌へと進展するため,腺腫の段階でとどまる期間が短い,のどちらかと考えられた.

 Polypoid adenoma,polypoid carcinoma,進行癌のAPC変異率が殆ど同じであったことから,polypoid pathwayにおいてAPCが大腸上皮細胞の増殖の"門番"の役を演じているという考えが支持された.また,polypoid carcinomaとnon-polypoid carcinomaがほぼ同じAPC変異率を持っていることが示され,non-polypoid pathwayにおいても,APCはpolypoid pathwayにおける場合と同様の役割を果たしており,形態の違いを規定する因子ではないことが示唆された.Superficial depressed adenomaにおいてはAPC変異率が低い事が示され,1)浸潤癌に至るまでに新たなAPC変異が獲得される,2)APCに変異を持つ一部の腫瘍のみが癌に進展する,3)Non-polypoid carcinomaは主にAPC変異を伴うde novo発癌により生じておりsuperficial depressed adenomaを経由するものは少ない,のいずれかであろうと考えられた.

 全ての腫瘍発生段階において,APCのMCR領域における変異とK-rasコドン12の変異に相関がなく,大腸腫瘍発生経路においては,APCとK-ras遺伝子の上記部分における変異は独立して生じると考えられた.

 Non-polypoid pathwayの存在は実際の形態変化の遡及的検討によっても支持された.

審査要旨

 本研究は,大腸癌発生経路の古典的な経路であるpolypoid pathwayとは異なるnon-polypoid pathwayにおけるAPC遺伝子変化およびK-ras変異を検討したものであり,以下の結果を得ている.

 1.sm浸潤癌のうち,Polypoid carcinomaの49%が腺腫成分を伴い,non-polypoid carcinomaには腺腫の併存は認められなかった.

 2.K-ras codon12の点突然変異は,腺腫においてはsuperficial depressed adenomaの変異率は,polypoid adenomaと比較して有意に低く,sm浸潤癌においてはnon-polypoid carcinomaの変異率は,polypoid carcinomaと比較して有意に低かった.

 3.APC遺伝子の変異は,腺腫においてはsuperficial depressed adenomaの変異率はpolypoid adenomaよりも有意に低く,sm浸潤癌においてはnon-polypoid carcinomaの変異率はpolypoid carcinomaと較べてやや低値だが近い値であった.進行癌の変異率は,polypoid pathwayを構成するpolypoid adenoma,polypoid carcinomaとほぼ同程度であった.

 4.APC変異とK-ras変異の間には,有意な相関は認められなかった.

 同時に,経過観察症例を対象として,腫瘍の実際の形態変化の程度についても遡及的に想定した経路を検証しているが,2回の注腸検査により形態変化の確認が可能であった11例の大腸癌の症例で,いずれの病変も大きな形態の変化を伴わないで浸潤癌へと進展していたとの結果を得た.

 以上の結果により,本論文は,non-polypoid carcinomaの前駆体がpolypoid adenomaではなくde novoもしくはsuperficial depressed adenomaであることを示し,K-ras変異が重要でないnon-polypoid pathwayの存在を示した.また,non-polypoid pathwayにおいても,APCはpolypoid pathwayにおける場合と同様の役割を果たしており,形態の違いを規定しないことを示した.しかし,superficial depressed adenomaにおいてはAPC変異率が低い事を示した.また,non-polypoid pathwayの存在を実際の形態変化の遡及的検討によって示した.従って,本論文は,大腸癌発生の解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54768