学位論文要旨



No 115454
著者(漢字) 釣多,義一郎
著者(英字)
著者(カナ) ツリタ,ギイチロウ
標題(和) 連続パルス磁気刺激及び高周波電磁界が生体に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 115454
報告番号 甲15454
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1640号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 講師 本間,之夫
 東京大学 講師 宇川,義一
内容要旨

 近代科学の急速な進歩により、人体が電磁場に曝露される機会は次第に増加してきた。特に、コンピューター、家電製品、携帯電話等の急速な普及は、職業曝露だけでなく環境曝露の機会をも増加させた。1979年に初めて、高電圧線周囲の小児白血病の発症率の増加が報告されて以来、電磁場曝露と、小児白血病、脳腫瘍、男性乳癌等の発癌との関係に関する疫学報告が多数なされ、社会的関心も高まっている。しかし、電磁波曝露と発癌の関係については、未だ明確な結論が得られていない。電磁界の生体に対する影響については、欧米を中心に多くの研究がなされているにもかかわらず、不明な点が多い。しかし、今後ますます、電磁場曝露の機会が増加することが予想されることにより、人体への安全性という観点から、早急に解明されるべき問題であると思われる。

 本研究では第一に、連続パルス磁気刺激(Repetitive Pulsed Magnetic Stimulation、以下RPMS)が生体に及ぼす影響を検討した。RPMSは特に刺激の時間幅が短いため、その単位時間あたりの磁束変化が大きくなることにより、大きな誘導電界を生じる。したがって、RPMSが生体に及ぼす影響は、誘導電界による渦電流の影響を反映していると考えられる。このRPMSが、細胞増殖、及び熱ショック蛋白質(Heat Shock Protein、以下HSP)の発現に及ぼす影響が、正常細胞と腫瘍細胞の間で違うかどうかに着目した。

 第二に、携帯電話使用における高周波電磁波曝露が生体に及ぼす影響を検討した。特に、高周波電磁波の脳に対する非熱作用に着目し、血液-脳関門(Blood-Brain Barrier,以下BBB)の透過性に及ぼす影響、脳の形態変化に及ぼす影響、体重変化に及ぼす影響を検討した。

検討項目(A):RPMSが、細胞増殖とHSPの発現に及ぼす影響の検討-正常細胞と腫瘍細胞の比較-

 対象と方法) マウス細胞株とヒト細胞株で検討した。マウス細胞株は、正常線維芽細胞株(NIH3T3)及び、NIH3T3にヒト大腸癌遺伝子ret-IIを導入して作製された細胞(以下Ret-II)を使用し、ヒト細胞株は、正常乳腺細胞株(HBL-100)、乳癌細胞株(MCF-7)及び子宮頚癌細胞株(HeLa)を使用した。RPMSは日本光電社製の連続磁気刺激装置により行い、刺激コイルはHelmholtzcoilを使用した。パルス波は,時間幅が0.23msの2相波を使用し、刺激頻度50Hzのパルス波曝露を2秒間,曝露休止を1秒間と設定した。刺激強度は最大34mTとした。正常の培養温度(37℃)、弱い熱刺激が加わっている温度(40℃)、強い熱刺激が加わっている温度(42℃)、の3つの温度条件を厳密に管理した実験系を作製し、曝露を行った。刺激時間は37℃、40℃条件では3、6、12時間と、42℃条件では0.5、1、2、4時間と他の2条件(37℃及び40℃)より短く設定した。細胞増殖に対する影響は、RPMS前後の細胞をトリプシン処理によりFlaskより遊離させた後、生存細胞数を、トリパンブルー染色下で血球測定板により計測した。HSP70の発現に及ぼす影響については、RPMS前後の細胞を全溶解後、Western-blotting法を施行し、細胞内に発現したHSP70を検出し、落射式蛍光読取装置にてHSP70の発現を定量化した。

 結果) RPMSが細胞増殖に及ぼす影響はマウス、ヒトの全ての細胞で認められなかった。マウス細胞株におけるHSP70の発現に及ぼす影響については、37℃条件では、RPMSによるHSP70の発現増強も認めなかったが、40℃、つまり弱い熱刺激により、NIH3T3、Ret-IIともHSP70の発現は熱刺激開始後6時間まで増強し、その後HSP70発現は一定あるいはやや減弱していた。これは40℃の熱刺激下において、磁気刺激は、NIH3T3、Ret-IIの両方の細胞に対して、熱耐性を細胞が獲得するまでの6時間はストレス刺激としてHSP70の発現を増強させているが、その後はストレス刺激とならずHSP70の発現に影響していなかった。この結果は、細胞に熱刺激のようなストレス刺激が加わったとき、その耐性を獲得するまでに磁気刺激が加わると更に大きなストレス刺激を細胞が受けている可能性が考えられた。42℃、つまり強い熱刺激により、NIH3T3、Ret-IIともHSP70の発現は熱刺激開始後2時間で非常に強い増強を示したが、磁気刺激による影響は認めなかった。このような致命的な熱刺激下では、磁気刺激のストレスはマスクされてしまうと考えられた。

 ヒト細胞株におけるHSP70の発現に及ぼす影響については、いずれの細胞も、37℃条件では、RPMSによるHSP70の発現増強は認められなかった。しかし、40℃条件、及び、42℃条件では発現増強が細胞株により異なっていた。40℃条件においては、正常細胞(HBL-100)では3及び6時間のRPMSによりHSP70の発現が増強したが、12時間のRPMSでは増強を認めなかったのに対して、腫瘍細胞では、子宮頚癌細胞株(HeLa)は3時間のRPMSによりHSP70の発現が増強するものの6時間以降はRPMSによるHSPの発現増強を認めなかった。それに対して、乳癌細胞株(MCF-7)ではHSP70の発現増強を認めなかった。42℃条件においては、正常細胞(HBL-100)では、2時間刺激がピークとなるようなRPMSによるHSP70の発現増強を示した。腫瘍細胞では、RPMSによるHSP70の発現の経時的増強を認める一方(HeLa)、RPMSによる増強を認めないものもあった(MCF-7)。

 以上から、RPMSは、細胞増殖に影響を及ぼさず、また通常の温度条件ではHSP70の発現を増強させない。しかし、熱刺激下においては、RPMSはHSP70の発現を増強させる場合があり、しかもその発現様式は正常細胞と腫瘍細胞間で、あるいは由来臓器の異なる腫瘍細胞間で異なる可能性があることが示された。

検討項目(B):1439 MHz高周波曝露がラットの脳に及ぼす影響の検討

 対象と方法) 週令30週以上の雄性Sprague-Dawley(以下SD)ラットを使用した。電磁波曝露装置は、内壁の上面及び前後左右の五面に電波吸収体を装着した小型電波暗室の下面中央にモノポールアンテナを設置し、そのアンテナに向かうように放射状に最大8匹のラットを固定できる仕様とした。高周波電磁波は、我が国の携帯電話で使用されている、Personal Digital Cellular変調方式の1,439MHz電磁波を使用した。電磁波の強度は、(a)脳ピークSpecific Absorption Rate(以下SAR)が20W/kg(脳平均SAR:7.4W/kg、正常の携帯電話使用により曝露する高周波電磁波強度の14倍程度)、(b)脳ピークSARが2.0W/kg(脳平均SAR:0.99W/kg、正常の携帯電話使用により曝露する高周波電磁波強度の2倍程度)、(c)脳ピークSAR:66W/kg(脳平均SAR:25W/kg)の3条件とし、曝露期間は、(a)条件が4時間/日×1日、(b)条件が1時間/日×2週間と1時間/日×4週間、(c)条件が1時間1日×1日とした。(a)、(c)条件では、SDラット12匹を4匹づつ、(b)条件ではSDラット24匹を8匹づつ、EM(+)群(曝露実験用装置にて電磁波曝露を行った)、EM(-)群(シャム対照実験用装置にいれることにより,電磁波曝露以外の条件をEM(+)群と同様にした)、及びケージコントロール(C-C)群(実験期間中、通常の飼育方法により飼育し続けた)の3群に分けた。BBBの透過性の評価はアルブミンの免疫染色法で行った。脳の形態変化は、小脳のプルキニエ細胞の変性と顆粒層の細胞密度の変化に着目し、検討した。全身ストレスの評価は、曝露期間中の体重変化で検討した。また、高周波曝露による熱影響に有無を、生体用光ファイバー温度計で高周波曝露中のSDラットの体温を実測することにより、確認した。

 結果)BBBの透過性に及ぼす影響は(a)、(b)条件では、EM(+)群,EM(-)群,C-C群すべてのラット(12匹)において全くみられなかった。しかし、(c)条件では、EM(+)群のラットにのみ、BBBの透過性が亢進していた。小脳の病理組織学的形態変化に及ぼす影響については、(a)、(b)、(c)すべての条件において、EM(+)群,EM(-)群,C-C群いずれのラットにも、プルキニエ細胞の変性や顆粒層の細胞密度変化は認められなかった。体重変化に及ぼす影響は、(b)条件の2週間曝露実験及び4週間曝露実験においてともに、EM(+)群、EM(-)群、C-C群の体重変化に差は認められなかった。また高周波の熱影響は、実測の結果、(c)条件においてのみ明らかに認められた。

 以上から、本検討の条件下において、正常の携帯電話使用により曝露する高周波電磁波強度の2倍の強度で、1日1時間程度で4週間、高周波を脳に曝露し続けても、BBBの透過性や小脳の形態に影響は認められなかった。また正常の携帯電話使用により曝露する高周波電磁波強度の14倍の強度の電磁波を、4時間連続で脳に曝露し続けても、BBBの透過性や小脳の形態に影響が認められないことが示された。

審査要旨

 本研究は、電磁界が生体に及ぼす影響を明らかにすることを目的とし、第一に連続パルス磁気刺激(Repetitive Pulsed Magnetic Stimulation、以下RPMS)が細胞増殖、及び熱ショック蛋白質(Heat Shock Protein、以下HSP)の発現に及ぼす影響の解析を試みており、第二に、携帯電話使用における高周波電磁波曝露が生体に及ぼす影響を、血液-脳関門(Blood-Brain Barrier,以下BBB)の透過性に及ぼす影響、脳の形態変化に及ぼす影響、体重変化に及ぼす影響に着目し解析を試みている。そして、これらの解析の結果、下記の結果を得ている。

 1.厳密な温度コントロール下で、細胞に対するRPMSが長時間可能な実験系を確立した。

 2.マウス細胞株及びヒト細胞株において、正常細胞株及び腫瘍細胞株それぞれに対する、RPMSの影響を検討した結果、細胞増殖については、マウス、ヒトの正常細胞、及び腫瘍細胞の全ての細胞でその影響は認めらず、RPMSは、細胞増殖に影響を及ぼしていないことが示された。

 3.HSP70の発現に及ぼす影響については、42℃の熱刺激下でのみ、RPMSによるHSP70の発現増強が、ヒト子宮頚癌細胞株(HeLa)、及び、ヒト正常乳腺細胞株(HBL-100)で認められた。このことより、RPMSは、通常の温度条件ではHSP70の発現を増強させないが、熱刺激下においては、RPMSはHSP70の発現を増強させる場合があり、しかもその発現様式は正常細胞と腫瘍細胞間で、あるいは由来臓器の異なる腫瘍細胞間で異なる可能性があることが示された。

 4.携帯電話使用による1439MHz高周波曝露が脳に及ぼす影響を検討するために、高周波曝露の非熱作用のみを特異的に検出する新たなシステムを確立した。

 5.正常の携帯電話使用により曝露する高周波電磁波強度の2倍の強度で、1日1時間程度で4週間、高周波を脳に曝露し続けても、BBBの透過性や小脳の形態に影響は認められなかった。

 6.正常の携帯電話使用により曝露する高周波電磁波強度の14倍の強度の電磁波を、4時間連続で脳に曝露し続けても、BBBの透過性や小脳の形態に影響が認められないことが示された。

 7.高周波曝露がBBBの透過性に及ぼす影響は、熱作用を有する強度の高周波曝露でのみBBBの透過性亢進が認められた。

 以上、本論文は、連続パルス磁気刺激がHSP70の発現に及ぼす影響が、正常細胞と腫瘍細胞で異なり、またその由来臓器の異なる腫瘍細胞間で異なる可能性を示しており、また、社会問題にもなっている、携帯電話使用による高周波曝露が脳に及ぼす影響を科学的思考により検討し、深い考察を行っている。以上から、本研究は、電磁界が生体に及ぼす影響の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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