学位論文要旨



No 115456
著者(漢字) 中澤,達
著者(英字)
著者(カナ) ナカザワ,タツ
標題(和) ずり応力下の血液細胞成分と血管内皮細胞の相互作用が血管平滑筋細胞遊走・増殖に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 115456
報告番号 甲15456
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1642号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 波利井,清紀
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 朝戸,裕貴
内容要旨 研究の背景と目的

 人工血管吻合部内膜肥厚の原因は,血管平滑筋細胞(SMC)の過剰な遊走・増殖と細胞外マトリックスの蓄積である.また,吻合部は流体力学的に非生理的で血小板やマクロファージなどの血液細胞成分が付着しやすく,これらから放出される増殖因子により,吻合部内膜肥厚の進展は影響を受けている.血小板は,活性化されることにより細胞増殖因子を放出する.その増殖因子の中でもSMCに対する作用が強いのは,PDGFである.一方,炎症性サイトカインであるIL-1は,SMCの遊走・増殖に重要な役割を演じており,特に血行再建術後の吻合部においては,宿主動脈の損傷と人工血管という異物に対する異物反応が存在するためその影響は一層大きいと考えられる.今回,人工血管の吻合部内膜肥厚の成因を解明するために,非定常流のずり応力による血管内皮細胞(EC)やSMCなどの血管構築細胞に対する影響を,血液細胞成分との相互作用という観点から以下の3点を目的に検討した.

 1)血液細胞成分とECの相互作用が,非定常流ずり応力下でSMCの遊走・増殖に与える影響を検討すること.

 2)SMC遊走・増殖因子であるPDGFとIL-1が,ずり応力下で血小板とECの相互作用を介したSMCの遊走・増殖に与える影響を検討すること.

 3)ずり応力下の血小板とECの相互作用により産生された,炎症性サイトカインIL-1の濃度とその由来について検討すること.

材料と方法

 Type I collagen gelでコートしたdish中央に1辺3mmのSMC方形コロニーを作成し,各種の調整した培養液を用い培養した.24時間毎4日間,コロニーの進展距離を測定し,SMC遊走・増殖能の指標とした.また,MTT assayを用いて,増殖能のみを別に測定した.

 非定常流のずり応力(平均60dyne/cm2)は,ECの培養dishを回転式振とう器で160rpmで円運動させることにより負荷した.これは下肢の人工血管末梢側吻合部のずり応力に相当する.

実験1SMC遊走・増殖に対する血小板の影響

 以下の5種類の培養液を作成し,それぞれの群でSMC遊走・増殖の測定を行った.

 Control群:MCDB151培養液,Static群:静止下ECの培養上清,Static-P群:静止下血小板とECの培養上清,Shear群:ずり応力負荷ECの培養上清,Shear-P群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清.

 また別に,MTT assayで各群での増殖能を測定した.

実験2赤血球のSMC遊走・増殖に与える影響

 以下の4種類の培養液を作成し,それぞれの群でSMC遊走・増殖の測定を行った.

 Shear群:ずり応力負荷ECの培養上清,Shear-R群:ずり応力負荷赤血球とECの培養上清,Shear-P群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清,Shear-R+P群:ずり応力負荷赤血球,血小板とECの培養上清.

実験3SMC遊走・増殖に対する抗PDGF抗体の影響

 以下の5種類の培養液を作成し,それぞれの群でSMC遊走・増殖の測定を行った.

 Control群:MCDB151培養液,Shear-P群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清,Shear-P(10)群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清を抗PDGF-BB抗体10g/mlの濃度に調整,Shear-P(100)群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清を抗PDGF-BB抗体100g/mlの濃度に調整,Shear-P(1000)群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清を抗PDGF-BB抗1000g/mlの濃度に調整.

 また別に,MTT assayで各群での増殖能を測定した.

実験4SMC遊走・増殖に対する抗IL-1抗体の影響

 以下の5種類の培養液を作成し,それぞれの群でSMC遊走・増殖の測定を行った.

 Control群:MCDB151培養液,Shear-P群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清,Shear-P(0.1)群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清を抗IL-1抗体0.1ng/mlの濃度に調整,Shear-P(1)群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清を抗IL-1抗体1ng/mlの濃度に調整,Shear-P(10)群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清を抗IL-1抗体10ng/mlの濃度に調整.

 また別に,MTT assayで各群での増殖能を測定した.

実験5SMC遊走・増殖に対するIL-1受容体拮抗物質(IL-1ra)の影響

 以下の5種類の培養液を作成し,それぞれの群でSMC遊走・増殖の測定を行った.

 Shear群:ずり応力負荷ECの培養上清,Shear-P群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清,Shear-P(anti-PDGF)群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清を抗PDGF抗体10g/mlの濃度に調整,Shear-P(anti-IL-1)群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清を抗IL-1抗体1ng/mlの濃度に調整,Shear-P(IL-1ra)群:ずり応力負荷血小板とECの培養上清をIL-1 ra 100ng/mlの濃度に調整.

 また別に,MTT assayで各群での増殖能を測定した.

実験6ELISAによるIL-1濃度測定とRT-PCRによるIL-1mRNAの解析

 Static:静止下ECの培養上清,Static-P:静止下血小板とECの培養上清,Shear:ずり応力負荷ECの培養上清,Shear-P:ずり応力負荷血小板とECの培養上清.

 以上4種類の上清のIL-1濃度を,ELISAにより測定した.

 上清採取後に各群のECを回収し,RNAを抽出,逆転写反応によりcDNAを作成した.ヒトIL-1に対するセンスブライマーを用いPCRを行った.各群のG3PDHについても,PCRを行い内因性コントロールとした.また,本実験に使用した血小板からRNAを抽出,逆転写反応によりcDNAを作成した.ヒトIL-1に対するセンスブライマーを用いPCRを行った.PCR産物は,ポリアクリルアミドゲルにて電気泳動し,銀染色した.

結果

 実験1 静止下ECの培養上清は,SMC遊走を亢進させず,すり応力を負荷することによりSMC遊走を亢進させた.また血小板をECと共に培養することにより,その遊走はさらに増強された.

 実験2 ずり応力下の赤血球は,血小板やECを介するSMC遊走には影響を与えなかった.

 実験3 ずり応力負荷の血小板とECにより誘導された,SMC遊走は抗PDGF抗体により抑制された.しかし,Control群のレベルまでは抑制されなかった.

 実験4 ずり応力負荷の血小板とECにより誘導された,SMC遊走は抗IL-1抗体により抑制された.

 実験5 ずり応力負荷の血小板とECにより誘導された,SMC遊走は抗PDGF抗体,抗IL-1抗体と同様に,IL-1raにより抑制された.

 MTT assayの結果は,すべての実験において各群間に有意差は認めず,SMCコロニーの進展にSMC増殖は伴っていなかった.

 実験6 4群すべてにおいて培養上清中のIL-1濃度は,ELISAで検出できる限界の3pg/ml以下の極微量であった.IL-1mRNAは4群中,Shear-P群にのみ検出され,血小板にも,IL-1mRNAは検出された.

考察

 MTT assayによる増殖能の測定から,SMCが細胞コロニーの進展と同時には増殖していないことが示され,このモデルにおけるSMC進展距離は主として遊走能を反映していることが示された.

 血小板は,ずり応力下でvon Willebrand Factorと血小板膜蛋白GPHb/IHaにより凝集し,そこで活性化した血小板はさらに凝固因子や細胞増殖因子を放出する.今回の実験では,特に血小板とECの相互作用を中心に検討し,実験1において,静止下のECの培養上清単独では,SMC遊走は亢進されず,ずり応力に刺激されたECによるSMC遊走は,血小板を加えることにより,さらに増強された.また,実験3で,ずり応力で刺激した血小板とECによるSMC遊走は,抗PDGF抗体により抑制されたことから,ずり応力により血小板とECいずれか,もしくは両者からPDGFが産生されたことが確認された.このことから,ずり応力という機械的刺激が,血小板からのPDGF産生には重要と考えられたが,抗PDGF抗体濃度を上げてもSMC遊走はControl群のレベルまでは抑制されないことより,PDGF依存性の経路とは別にSMC遊走促進の経路が存在していることが示唆された.

 ずり応力下の赤血球は機械的刺激により溶血し,放出されるADPを介して血小板凝集を促進する.そのため,ずり応力下の赤血球の影響は,臨床的には血流ポンプ中の血小板凝集・活性化を抑える目的で研究されている.実験2の結果,非定常流ずり応力下では血小板を介したSMC遊走増強は,機械的刺激による血小板の活性化によるものが主体で,赤血球による血小板凝集・活性化を介した反応系の影響は極めて軽度であると考えられた.

 IL-1はIL-1,IL-1,IL-1raの3種類のポリペプタイドから成る免疫や炎症反応,特に急性炎症反応時の中心的なサイトカインであり,免疫系細胞以外のSMC,ECなど血管構築細胞にも多彩な作用を示す.実際,血行再建術後の吻合部においても,IL-1が術後早期に発現しSMCの遊走を惹起し,人工血管吻合部内膜肥厚の一因となっていると考えられ,この初期反応を回避することが,吻合部内膜肥厚の抑制に効果があると考えられた.今回の検討では,IL-1の働きを遮断するため抗IL-1抗体とIL-1raを使用した.実験4・5において,抗IL-1抗体,IL-1raのいずれも,ずり応力下の血小板とECの相互作用によるSMCのコロニー進展を抑制した.このことから,今回の検討ではずり応力下の血小板もしくはECのいずれか,もしくは双方から産生されたIL-1はECの遊走能を亢進したと考えられた.

 IL-1の検出・定量は困難とされる.それは構造の類似しているIL-1raやsoluble IL-1 receptorが同時に存在することと,IL-1が強力なサイトカインで1pg/mlでも生理学的活性をもつためである.今回の検討でも,ずり応力下で血小板とECを培養した上清のELISAによるIL-1測定では検出能以下であるにもかかわらず,EC内のIL-1mRNAの発現は,ずり応力を負荷することにより上昇し,血小板にもIL-1mRNAは検出された.従って,今回の実験では極微量のIL-1が産生されたと考えられ,このことは,過去の報告とも矛盾していない.

結語

 これらの実験結果から

 1.非定常流ずり応力下でECはSMCの遊走因子を産生すること.

 2.非定常流ずり応力で血小板とECを刺激することにより,SMCの遊走は更に増強され,その遊走は抗PDGF-BB抗体,抗IL-1抗体,IL-1受容体拮抗物質により抑制されること.

 3.ずり応力で刺激した赤血球は,血小板とECを介したSMCの遊走には影響を与えないこと.

 4.ECは,ずり応力下で血小板との相互作用によりIL-1を産生していること.

 が明らかとなった.

 従来,動脈硬化や吻合部内膜肥厚はPDGFが,中心的役割を演じていると考えられていたが,今回の検討でIL-1もSMC遊走に関与していることが示された.このことは,血小板に関連した吻合部内膜肥厚の新しい予防法に応用が可能と考えられた.特に今回用いたIL-1raは,生体内由来の物質のため,副作用の軽減,また創傷治癒を過剰に阻害しないという意味で臨床応用に適していると考えられた.また,生体由来で受容体拮抗物質であることから,高濃度の局所投与が適していると考えられた.

審査要旨

 人工血管吻合部内膜肥厚の原因は、血管平滑筋細胞(SMC)の過剰な遊走増殖と細胞外マトリックスの蓄積である。また、吻合部は流体力学的に非生理的で血小板やマクロファージなどの血液細胞成分が付着しやすく、これらから放出される増殖因子により、吻合部内膜肥厚の進展は影響を受けている。血小板は活性化されることにより、細胞増殖因子を放出する。その増殖因子の中でもSMCに対する作用が強いのは、PDGFである。一方、炎症性サイトカインであるIL-1は、SMCの遊走・増殖に重要な役割を演じており、特に血行再建術後の吻合部においては、宿主動脈の損傷と人工血管という異物に対する異物反応が存在するためその影響は一層大きいと考えられる。本研究は、人工血管の吻合部内膜肥厚の成因を解明するために、非定常流のすり応力による血管内皮細胞(EC)やSMCなどの血管構築細胞に対する影響を、血液細胞成分との相互作用という観点から検討し、下記の結果を得ている。

 1.ECを非定常流ずり応力(60dyne/cm2)下で培養し、その培養上清を用いSMCの遊走・増殖能を測定した。その結果、非定常流ずり応力下でECはSMCの遊走因子を産生することが示された。

 2.EC培養液に血小板を加えると、非定常流ずり応力(60dyne/cm2)はECと血小板の相互作用により、SMCの遊走を更に亢進させた。

 また、その遊走は抗PDGF-BB抗体、抗IL-1抗体、IL-1受容体拮抗物質により抑制された。

 3.赤血球は、非定常流ずり応力(60dyne/cm2)下では血小板とECを介したSMCの遊走には影響を与えなかった。

 4.ECは、非定常流ずつ応力(60dyne/cm2)下で血小板との相互作用によりIL-1を産生していることが、RT-PCRにより確認された。

 従来、動脈硬化や吻合部内膜肥厚はPDGFが、中心的役割を演じていると考えられていたが、本研究によりIL-1もSMC遊走に関与していることが示された。このことは、血小板に関連した吻合部内膜肥厚の新しい予防法に応用が可能である。特に今回用いたIL-1受容体拮抗物質は、生体内由来の物質のため、副作用の軽減、また創傷治癒を過剰に阻害しないという意味で臨床応用に適している。従って、本研究は血行再建術後の吻合部内膜肥厚抑制の研究に、重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク