学位論文要旨



No 115460
著者(漢字) 小泉,敏之
著者(英字)
著者(カナ) コイズミ,トシユキ
標題(和) 骨芽細胞(MC3T3-E1)における細胞内Ca2+動態の増殖依存性の変化 : 二次元画像解析法による検討
標題(洋)
報告番号 115460
報告番号 甲15460
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1646号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 織田,弘美
 東京大学 助教授 高取,吉雄
内容要旨 背景・目的

 近年、高齢者人口の増加とともに、骨粗鬆症などの骨代謝疾患が社会問題化している。病態の解明、治療法の確立に向け、骨代謝の解明が重要である。従来の骨代謝に関する研究の多くは、骨系細胞を均質な集団として捉えて代謝因子の作用を検討しており、生細胞において同一細胞集団内や生育条件の違いによる細胞集団間の差違を検討しているものは少ない。正確な骨代謝の理解や効果的な治療法の確立には細胞反応特性に応じた対処が必要である。

 そのため本研究では、生育条件、細胞外液の組成や投与薬剤の濃度を規定できる培養細胞系を用い、従来同一細胞集団と考えられている骨芽細胞株(MC3T3-E1)について、多くの細胞機能の発現に関わる細胞内カルシウムイオン(Ca2+)の濃度変化について、細胞内Ca2+貯蔵庫である滑面小胞体(sER:smooth-surfaced Endoplasmic Reticulum)からのCa2+放出に着目した。最終的には二次元画像解析法を用いて、接触抑制による増殖状態の違い、増殖因子の有無が各種の作動物質刺激による細胞内Ca2+動態に及ぼす影響を個々の細胞レベルで検討する事を目的とした。

材料と方法

 本研究では、まず1)増殖因子(FBS)が細胞増殖および生存に与える影響を観察するため、FBSを含む群と含まない群でMC3T3-E1を培養し、細胞内Ca2+動態の測定を行う時期を検討した。また、MC3T3-E1の静止時細胞内Ca2+濃度の特徴を知るために2)3種の異種細胞系列(血管内皮細胞、血管平滑筋細胞、線維芽細胞)との比較および、3)細胞を『疎』(1万/測定皿)および『密』(20万/測定皿)で播種し、24時間後にFBS(+)と(-)の2群に分け、計4群について初回培養液交換直前(0時間:この時点のみ2群)、交換後24、48、72および120時間後に静止時細胞内Ca2+濃度の測定を行い、経時変化を観察した。次に4)Ca2+-induced Ca2+ release(CICR)チャネルを介してsERからCa2+を放出するカフェイン(最終濃度10mM)、およびIP3-induced Ca2+ release(IICR)チャネルを介してsERからCa2+を放出するATP(最終濃度10M)刺激に対する細胞内Ca2+動態を0時間を除く2)と同条件で測定した。次いで、5)sERおよびsERを含む全細胞内小器官のCa2+量を推定するため、2)と同条件でタプシガージン(TG:最終濃度1M)およびイオノマイシン(IM:最終濃度10M)刺激に対する細胞内Ca2+濃度の変化を測定した。更に、観察された反応性の変動がチャネルの発現によるものか、sERの発達の相異によるかを検討する目的で、細胞内Ca2+濃度の測定と同様の4群を作製し24時間と120時間に、6)IP3 type-1 Receptor(IP3R1)特異抗体による免疫染色および7)透過型電子顕微鏡での観察を行った。

結果

 (1)FBSが細胞増殖におよぼす影響:FBS(+)で播種後24時間以降、旺盛な細胞増殖が見られた。今回の播種条件では5日目より接触作用と考えられる増殖の抑制が認められた。FBS(-)でも軽度の細胞増殖は観察されたが、FBS(+)と比較し著しく低かった。7日目にFBS(-)で培養を続けた細胞をFBS(+)に変更すると、再び旺盛な細胞増殖が確認された。これより、少なくとも7日目まではFBS(-)の条件はMC3T3-E1に致死的作用を有しないことが示唆された。

 (2)静止時細胞内Ca2+濃度:MC3T3-E1と血管内皮細胞、血管平滑筋細胞株、線維芽細胞株との共存培養系およびそれぞれの単独培養系において、静止時細胞内Ca2+濃度を比較すると3種の異種細胞はいずれも同程度の濃度だったが、MC3T3-E1のみが明らかに高い静止時細胞内Ca2+濃度を示した。培養条件の違いによるMCT3-E1の条件間の比較では、0時間では『密』が『疎』に比較し約1.5倍高く、『密』(+)はそのまま高値を維持した。『疎』(+)は徐々に上昇し、120時間では『密』(+)と同等になった。FBS(-)群は低いレベルを維持し推移した。

 (3)増殖条件による刺激薬剤に対する細胞内Ca2+動態の変化:カフェイン、ATPともに24、48時間では『疎』(+)で反応性が高く、『密』(+)は全時間を通じて低値を維持した。『疎』(+)は72時間で反応強度が著しく低下し、120時間では反応陽性細胞率も有意に低下した。『密』(-)では72時間以降でATPでの反応性が増し、『疎』(-)と逆転した。また、カフェインは『密』の群では反応が全くみられず、『疎』の群でも72時間以降は反応がなくなった。また、カフェインに対して反応が陽性の細胞群では陰性の細胞群に比較してATPに対する個々の細胞内Ca2+変化率も高かった。TGおよびIM刺激に対する反応もATP刺激でみられた経時変化と同様であった。特に『密』(+)のTG刺激に対する反応性は著しく低くかった。

 (4)IP3R1抗体による免疫染色:IP3R1抗体による免疫染色では24時間では、ATPに対する反応性が一番高かった『疎』(+)で発現が最も強かった。『疎』(-)は『疎』(+)と比較して劣ったが、『密』群と比し、強い発現が観察された。『密』の(+)と(-)群間に差は認めず、どちらも発現は弱かった。120時間では『密』(-)が24時間より発現が上昇し、全群中で最も発現が強かった。『密』(+)は24時間と差を認めず、また、24時間で最も発現が強かった『疎』(+)は120時間では『密』(+)と同様の細胞密度を示し、IP3R1の発現は著しく低下していた。『疎』(-)は24時間より明らかに染色性が低下した。これらの結果は、(2)で得たATPに対するCa2+反応と良く一致して挙動した。

 (5)透過型電子顕微鏡による観察:24時間で『密』(+)の細胞内小器官はrERとミトコンドリアで占められ、sERは少なかった。その他の3群ではsERが豊富に観察された。120時間で『密』(+)は24時間と変化はなく、また『疎』(+)も同様にsERが少なかった。FBS(-)群は24時間時点と同様にsERが豊富に観察された。

考察

 骨芽細胞株(MC3T3-E1)は他の3種類の異種細胞と比較して、細胞内Ca2+濃度変化の起点である静止時細胞内Ca2+濃度が高く、増殖条件により変化した。また、カフェインおよびATPに対する細胞内Ca2+反応性も増殖条件により変化し、細胞増殖期で両刺激に対して共に活性が高かった。これらの結果は、これまでに報告された他の組織での結果と大きく異なり、骨芽細胞は特異で複雑な細胞内Ca2+反応特性を持つ事が示された。

 カフェインに対する反応陽性細胞ではATPに対する反応強度も高いことから、これまで血管平滑筋などで報告されている機能発現とは逆の特徴を持つことが示唆された。また、カフェインに対する反応は細胞密度が低い状態でのみ観察された事から、MC3T3-E1ではCICRチャネルはIICRチャネルより敏感に細胞接触に影響され、発現が消失すると考えられた。細胞接触により増殖が抑制されると静止時細胞内Ca2+濃度は高く、sERが減少して細胞内Ca2+反応性が低下した。即ち、細胞接触で増殖が抑制された条件は、細胞内Ca2+濃度の変化に依存する細胞機能の発現が起きにくい状態にあると示唆された。また、細胞増殖期から増殖因子を除いた条件で、細胞内Ca2+の反応性は低下したが、これはIP3R1発現の減少によるものと示された。密集状態でも増殖因子を除くと、全条件中で唯一経時的に細胞内Ca2+反応性が上昇した。これはsERのCa2+量ならびにIP3R1発現の増加によると考えられた。

 こうした骨芽細胞の培養条件による、化学刺激に対する反応性の変化は、合目的的に都合が良い。即ち、骨芽細胞は化骨が完了した静止期では外的刺激に対して反応性が低下した状態にあると考えらりる。一方、幼弱な発育期や成人でも骨折など骨芽細胞が盛んに増殖している時期には、外界の刺激にも敏感に反応しながら発育する必要がある。この為には、細胞内の信号伝達系も十分に発達する結果IP3系や細胞内Ca2+動態も活発化すると予想される。本研究ではATP等の受容体レベルの検討は十分行っていないがIP3受容体蛋白とsER構造発現は本研究で観察した細胞内Ca2+動態と良く一致した。

審査要旨

 本研究は細胞機能の発現において重要な役割を担っている、細胞内Ca2+濃度の変化をマウス頭蓋冠由来骨芽細胞株(MC3T3-El)について、増殖状態の違いに着目し、二次元画像解析法を用いて、個々の細胞について反応性の変動およびその成因の解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.骨芽細胞では、細胞内Ca2+濃度の変化の起点である静止時細胞内Ca2+濃度が対照として用いた3種の異種細胞(血管内皮細胞、血管平滑筋細胞、線維芽細胞)と比較して高く、また、細胞密度および増殖因子の条件、即ち、増殖状態に応じて変動する事が示された。

 2.細胞内Ca2+貯蔵部位である滑面小胞体(sER)からの2種類のCa2+放出経路であるCa2+-induced Ca2+ release(CICR)チャネル、およびIP3-induced Ca2+ release(IICR)チャネルを介したCa2+放出反応は、ともに細胞増殖期でその機能発現が高く、逆に細胞接触により増殖が抑制された条件では両経路とも機能発現が著しく低下している事が示された。これは、これまでに報告されている他組織の細胞の機能発現と時期的に全く逆である。

 3.CICRチャネルを介したCa2+の放出は細胞密度が低い条件の培養時間の短い時期に限定して観察されたことから、CICRは細胞接触により強く抑制される可能性が示唆された。また、CICRチャネルが機能している細胞ではIICRチャネルを介したCa2+の放出反応は強く、逆にCICRチャネルが機能していない細胞ではIICRチャネルを介したCa2+の放出反応は弱い事が示され、同一条件内における反応の不均質性が示された。

 4.CICRおよびIICRチャネルを介したCa2+放出反応性が低下している、細胞接触により増殖が抑制された条件から増殖因子を除くと、IICRチャネルを介したCa2+放出反応が回復することが示された。

 5.細胞内Ca2+貯蔵部位であるsERおよびsERを含めた全ての細胞内小器官のCa2+の検討を行った結果、貯蔵するCa2+量は増殖条件により変動し、IICRチャネルを介したCa2+放出反応性の変動と一致していた。即ち、細胞増殖期では貯蔵するCa2+量が多く、細胞接触で増殖が抑制された条件では貯蔵するCa2+量が非常に少なく、また、この条件から増殖因子を除くと貯蔵するCa2+量は経時的に増加した。

 6.IICRチャネル、即ち、IP3 receptorの蛋白発現は、細胞増殖期で強く、細胞接触に増殖が抑制された条件では非常に弱く、また、この条件から増殖因子を除くと経時的に強まった。さらに、sERの構造発現を検討した結果、細胞接触で増殖が抑制された条件では、sERは数的に減少しており、この条件でのCa2+放出反応性の低下は、sERの数的欠如によることが示された。また、増殖因子の条件はsERの構造発現には著明な影響を与えないことが示された。これらの蛋白発現および構造発現の結果はCa2+放出機能の発現と一致していた。

 以上、本論文はマウス頭蓋冠由来骨芽細胞株(MC3T3-E1)における、細胞機能の発現に重要な細胞内Ca2+濃度の変化について、増殖状態の違いに着目して反応性の変動およびその成因の解明を試み、骨芽細胞は非常に特異で複雑な細胞内Ca2+動態を示す事を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、骨芽細胞の『生きた』条件での個々の細胞レベルでの機能発現の不均質性を示しており、骨代謝の解明、ひいては代謝性骨疾患に対する効果的な治療法の確立に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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