学位論文要旨



No 115466
著者(漢字) 中澤,伸子
著者(英字)
著者(カナ) ナカザワ,ノブコ
標題(和) 前房水中に存在するサイトカイン発現抑制因子の解析 : 可溶性Fas ligandによるIFN-発現抑制機構
標題(洋)
報告番号 115466
報告番号 甲15466
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1652号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 助教授 川島,秀俊
 東京大学 講師 米山,彰子
内容要旨 序論および研究目的

 HTLV-1ぶどう膜炎(HU)は、他に症状のないHTLV-1キャリアーに発症するぶどう膜炎であり、現在では成人T細胞白血病(ATL)および熱帯性痙性麻痺/HTLV-1関連脊髄症(TSP/HAM)に続く、HTLV-1感染で発症する第3の疾患単位として認められるに至っている。HUは、片眼性または両眼性に突然発症し、中等度から高度の硝子体混濁と、比較的軽度の虹彩炎と網膜血管炎を特徴とする。ステロイドの点眼、あるいは全身投与に対して良く反応し、視力予後は良好である。つまり、細胞浸潤を主体とした組織障害をほとんど伴わない眼内炎症が特徴と言える。眼内浸出細胞のほとんど全てがT細胞を主体とするリンパ球であり、眼炎症局所にHTLV-1感染細胞が集積している。RT-PCRを用いた解析から、HU患者の末梢血単核球、および眼内浸出細胞から樹立されたHTLV-1感染T細胞クローンは、IL-1、IL-6、IFN-、TNF-などの炎症性サイトカインを構成的に発現しているのに対して、HU患者の前房浸出細胞はIL-6を除き炎症性サイトカインを発現していないことが明らかになり、眼内においてHTLV-1感染T細胞のサイトカインの発現が抑制されていることが示唆された。

 眼は脳、精巣とともに免疫学的に特権(immune privilege)を持つ臓器とされている。その成立には、前房水中の免疫抑制因子の存在、抗原特異的サプレッサーT細胞による遅延型過敏反応の抑制など、多様な機構が関わっている。最近、眼や精巣における構成的なFas ligand(FasL)の発現が、浸潤炎症細胞のアポトーシスを誘導することにより、そこでのimmune privilegeの維持に重要な役割を果たしていることが報告された。FasLは、tumor necrosis factor(TNF)ファミリーに属するII型膜蛋白質で、その受容体Fasに結合することにより細胞にアポトーシスを誘導する機能を持つ。FasLには、膜型FasL(mFasL)と、その細胞外領域がメタロプロテアーゼにより切断された、可溶性FasL(sFasL)がある。いくつかのグループによりsFasLがmFasLと比べ、細胞傷害活性が非常に低いことが示され、sFasLはアポトーシス誘導以外の新たな機能を有する可能性が考えられた。また最近、前房水中にsFasLが存在することが報告されたが、その生理学的機能はまだ明らかになっていない。

 これらの背景から本研究は、HTLV-1感染T細胞のサイトカイン産生を抑制する前房水中の因子の同定と、その因子の作用機構を明らかにすることを目的として実施した。

結果1.前房水中のサイトカイン発現抑制因子の解析

 前房水を、種々のサイトカインを構成的に発現するHTLV-1感染T細胞(V-230-81,Sez細胞)の培養系に添加すると、培養上清中のIFN-およびIL-6の産生は用量依存的に抑制された。以上により、前房水中にはHTLV-1感染T細胞のサイトカインの産生を抑制する因子が存在することが示された。HU患者の前房浸出細胞においてIL-6以外の炎症性サイトカインの発現が認められなかったのは、前房水によってそれらの発現が抑制されているためと考えられ、IL-6の発現が検出されたのは前房水による抑制が相対的に弱いことによると推測される。

 前房水中に存在する抑制由子の解析を目的として、前房水をゲル濾過カラムにより分離精製した。ゲル濾過フラクションは、IFN-産生に対して4つの抑制のピークを示し、分子量サイズにおいて約25-100、10-25、10kDa以下に相当した。4つの抑制活性の分画は、既存の前房水中の免疫抑制因子である、transforming growth factor-(TGF-)、macrophage migration inhibitory factor(MIF)、vasoactive intestinal peptide (VIP)、-melanocyte stimulating hormone(-MSH)とおおよそ一致した。これらの結果より、IFN-の抑制は前房水中の複数の因子によると考えられた。

 TGF-は哺乳類の前房水において主要な免疫抑制因子であるため、前房水のIFN-産生に対する抑制作用がTGF-に起因するかについて検討した。TGF-は前房水における濃度ではIFN-産生に対して抑制活性を示さず、前房水による抑制は抗TGF-抗体により中和されなかった。以上により、TGF-はHTLV-1感染T細胞のIFN-産生を抑制する前房水中の主要な因子ではないことが示された。

 三量体として存在するsFasLの分子量(約78kDa)が、前房水の分画の中で一番分子量の大きい抑制のピークと一致することから、sFasLのIFN-に対する作用を検討した。前房水による抑制効果は抗FasL抗体により有意に中和され、精製sFasLはIFN-の産生を用量依存的に抑制し、数百pg/mlという前房水におけるsFasLの生理的濃度においても有意な抑制を示した。さらに、リコンビナントsFasLを含む培養上清をゲル濾過カラムで分画化した実験系において、sFasLが前房水のIFN-抑制活性を示す最も大きい分画と、同一の分画に含まれることが示された。以上により、SFastはHTLV-1感染T細胞のIFN-の産生を抑制する前房水中の主要な因子であり、最も分子量サイズが大きい前房水の抑制活性は、sFasLに起因することが明らかになった。sFasLは前房水中における濃度において、HTLV-1感染T細胞のIFN-産生を抑制するという、アポトーシス誘導以外の生理活性をもつ可能性が示唆された。

2.HTLV-1感染T細胞の解析

 FasによるHTLV-1感染T細胞のIFN-産生の抑制が、細胞のアポトーシスを介した抑制であるか、あるいはアポトーシス誘導以外のメカニズムによるものであるかについて検討した。今回実験に用いたHTLV-1感染T細胞は、Fasによるアポトーシス誘導に抵尊性であることが示され、FasによるIFN-産生の抑制はアポトーシス誘導以外のメカニズムによるものであると考えられた。

3.FasシグナルによるIFN-発現抑制の制御

 FasによるIFN-産生の抑制がどのレベルでおきているかについてまず、ノーザンブロット法で検討した。Fasのクロスリンメにより、特異的にIFN-のmRNAレベルが抑制されたのに対し、HTL-1やc-mycのmRNAレベルには有意な変化は認められなかった。

 IFN-のmRNAレベルの低下が転写の抑制によるものであるかについて、IF--ルシフエラーゼをレポーターとするtransientなトランスフェクションの系で検討した。精製sFasLにより、IFN-のプロモーター活性は用量依存的に抑制され、この抑制は100pg/mlという非常に低濃度においても認められた。次に、IFN-プロモーターのどの領域が抑制に関与するかを同定するために、種々のIFN-プロモーターの変異体を作成し解析した。FasのクロスリンクによるIFN-プロモーター活性の抑制は、プロモーターの中で-221から-198の領域に依存していることが示された。この24塩基の領域には、2つのYY1の結合配列と、1つのUSFやMyc/Max\Madの結合配列であるE-boxがあり、個々の配列に塩基置換を導入し解析した。YY1(1)mut、E-box-mut、YY1(2)-mutいずれの変異体においても、Fasによるプロモーター活性の抑制が解除された。

 FasによるIFN-抑制のシグナル伝達経路の解析を目的として、Fasのアダプター蛋白質であるDaxxまたはFADDのドミナントネガティブ体をIFN--ルシフェラーゼとともにHTLV-1感染T細胞にコトランスフェクションし、IFN-抑制に対する影響を検討した。FasによるIFN-プロモーター活性の抑制は、FADDのドミナントネガティブ体では変化しなかったが、Daxxのドミナントネガティブ体により抑制は解除された。さらに、Daxxの下流に位置し、Daxxと結合してJNKの活性化およびアポトーシスを誘導するapoptosis signal-regulating kinase 1(ASK1)を用いて、シグナル伝達経路の解析を行った。ドミナントネガティブ効果を持つASK1-KMは、FasによるIFN-プロモーター活性の抑制を用量依存的に解除した。一方、ASK1のキナーゼ活性が構成的に活性化しているASK1-Nは、抗Fas抗体のクロスリンクなしに用量依存的にIFN-プロモーター活性を抑制した。これらの結果より、FasシグナルによるIFN-の抑制は、Daxx-ASK1を介したMAPキナーゼのシグナル伝達経路により制御されている可能性が示唆された。したがって、mFasLでは主にFADD-caspaseを介したアポトーシスに至る伝達経路が、sFasLでは主にDaxx-ASK-1の伝達経路が活性化し、リガンドの種類や濃度によってFasのシグナル伝達経路の使い分けが行われている可能性が考えられた。

考察

 本研究において示された、可溶性FasLが非常に低濃度においてIFN-の発現を抑制するという現象は、HTLV-1ぶとう膜炎患者の眼の病態解析から明らかになった。HTLV-1ぶとう膜炎において眼内に炎症性細胞が浸潤してきた場合、膜型FasLはアポトーシス感受性のHTL-1感染(-)T細胞のアポトーシスを誘導することにより炎症を抑制し、一方、可溶性FasLはアポトーシス抵抗性のHTLV-1感染(+)T細胞の炎症性サイトカインの発現を抑制することにより、炎症に伴う組織障害を最小限に抑えていると考えられた。HTLV-1ぶとう膜炎患者の前房浸出細胞において、IL-6以外の炎症性サイトカインの発現がほとんど認められないのは、このようなFasLの抑制作用によると考えられた。さらに、FasLによる抑制機構の存在は、HTLV-1ぶとう膜炎の特徴である炎症消退後の組織障害が軽く視力予後が良好であるという臨床像に、深く関与している可能性が考えられた。

審査要旨

 HTLV-1ぶどう膜炎(HU)の分子病態の解析結果から、HU患者の前房浸出細胞ではIL-6以外の炎症性サイトカインの発現が認められないことが明らかになっている。本研究は、眼内におけるHTLV-1感染T細胞のサイトカイン発現を抑制する機構を明らかにするため、サイトカイン産生を抑制する前房水中の因子の同定と、その因子の作用機構の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.前房水を、種々のサイトカインを構成的に発現するHTLV-1感染T細胞の培養系に添加すると、培養上清中のIFN-およびIL-6の産生は用量依存的に抑制された。以上により、前房水中にはHTLV-1感染T細胞のサイトカイン産生を抑制する因子が存在することが示された。

 前房水のゲル濾過フラクションは、HTLV-1感染T細胞のIFN-産生に対して4つの抑制のピークを示し、分子量サイズにおいて約25-100、10-25、10kDa以下に相当した。以上により、IFN-産生の抑制は、前房水中の複数の因子によると考えられた。

 前房水のIFN-産生に対する抑制作用が、前房水の主要な免疫抑制因子であるTGF-に起因するかについて解析したが、TGF-は前房水における濃度ではIFN-産生に対して抑制活性をほとんど示さず、前房水による抑制は抗TGF-体により中和されなかった。以上により、TGF-はHTLV-1感染T細胞のIFN-産生を抑制する前房水中の主要な因子ではないことが示された。

 三量体として存在する可溶性Fas ligand(sFasL)の分子量(約78kDa)が、前房水の分画の中で一番分子量の大きい抑制のピークと一致することから、sFasLのIFN-に対する作用を検討した。前房水による抑制作用は抗FasL抗体により有意に中和され、精製sFasLはIFN-の産生を用量依存的に抑制し、数百Pg/mlという前房水におけるsFasLの生理的濃度においても有意な抑制を示した。さらに、リコンビナントsFasLを含む培養上清をゲル濾過カラムで分画化した実験系において、sFasLが前房水のIFN-抑制活性を示す最も大きい分画と、同一の分画に含まれることが示された。以上により、sFasLはHTLV-1感染T細胞のIFN-の産生を抑制する前房水中の主要な因子であり、最も分子量サイズが大きい前房水の抑制活性は、sFasLに起因することが示された。

 2.HTLV-1感染T細胞の解析から、今回実験に用いたHTLV-1感染T細胞は、Fasによるアポトーシス誘導に抵抗性であることが示され、FasによるIFN-産生の抑制はアポトーシス誘導以外のメカニズムによるものであると考えられた。

 3.IFN-のmRNAレベルの変化についてノーザンプロット法で解析したところ、Fasのクロスリンクにより特異的にIFN-のmRNAレベルが抑制された。

 IFN--ルシフェラーゼをレポーターとするtransientなトランスフェクションの系で転写レベルの解析したところ、精製sFasLにより、IFN-のプロモーター活性は用量依存的に抑制され、この抑制は100pg/mlという非常に低濃度においても認められた。種々のIFN-プロモーターの変異体の解析から、FasによるIFN-プロモーター活性の抑制は、プロモーターの中で-221から-198の領域に依存していることが示された。さらに、この24塩基の領域に含まれる、2つのYY1の結合配列と、1つのUSFやMyc/Max/Madの結合配列であるE-boxに塩基置換を導入し解析した結果、YY1(1)mut、E-box-mut、YY1(2)-mutいずれの変異体においても、Fasによるプロモーター活性の抑制が解除された。

 4.Fasのアダプター蛋白質であるDaxxまたはFADDのドミナントネガティブ体をIFN--ルシフェラーゼとともにHTLV-1感染T細胞にコトランスフェクションしたところ、FasによるIFN-プロモーター活性の抑制は、FADDのドミナントネガティブ体ではほとんど変化しなかったが、Daxxのドミナントネガティブ体により抑制は解除された。さらに、Daxxの下流に位置するapoptosis signal-regulating kinase 1(ASK1)のドミナントネガティブ体であるASK1-KMは、FasによるIFN-プロモーター活性の抑制を用量依存的に解除した。一方、ASK1のキナーゼ活性が構成的に活性化しているASK1-Nは、抗Fas抗体のクロスリンクなしに用量依存的にIFN-プロモーター活性を抑制した。これらの結果より、FasシグナルによるIFN-の抑制は、Daxx-ASK1を介したMAPキナーゼのシグナル伝達経路により制御されている可能性が示唆された。

 以上、本論文はHTLV-1感染T細胞のサイトカイン発現を抑制する前房水中の因子の解析から、可溶性FasLがIFN-の発現を抑制する作用を有すること、およびそのシグナル伝達機構を明らかにした。本研究は、眼の免疫寛容の維持機構に新たな視点を提供するとともに、HTLV-1ぶどう膜炎の分子病態の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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