学位論文要旨



No 115472
著者(漢字) 綿貫,恵美子
著者(英字)
著者(カナ) ワタヌキ,エミコ
標題(和) 看護職の法的責任認識およびその関連要因の分析
標題(洋)
報告番号 115472
報告番号 甲15472
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1658号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 助教授 菅田,勝也
 東京大学 助教授 村嶋,幸代
 東京大学 講師 福原,俊一
内容要旨 I.緒言

 看護職が専門職として、また人命に携わる医療職としてその専門性を追究していくには、看護職個々が自己の責任を認識し、法的責任を回避せずに主体的に受け止めていくことが不可欠である。にもかかわらず、看護職者が自らの法的責任をどのように認識しているのかを扱った研究はみられない。そこで本研究は、国内の病院施設に勤務する看護職者の法的責任の認識について、その実態および関連要因を明らかにすることを目的とした。本研究における『看護職の法的責任』とは、「現状の看護水準に見合う専門的能力を持っていれば可能な業務上の事故発生に対して、予測とその回避が行なえなかった結果、患者に不利益(損害)をきたしたと想定した場合に問われる過失および法的制裁」と定義した。

II.方法

 先行研究に基づき、看護職の法的責任認識は「専門職としての自らの判断・行為の結果に対してどの程度法的責任を負いたい、果たしたいと思っているのかという責任意識」と「法的責任がある状況下で看護職にどの程度の重さで帰属すると考えているのかという具体的・実際的な判断」とを総合することによりとらえられると考えた。そして前者を「引責志向性」、後者を「実際的な法的責任判断」と命名した。この法的責任認識は「専門職的自律性」から影響を受け、さらに「個人特性-性差、Locus of Control(LOC)「教育背景・法的知識-専門学歴、関係法規・責任に関する学習経験、法的知識」「職業背景・雇用状況-臨床経験年数、資格、役職、専門領域、勤務先の変更回数、配属先希望の採択の可否」「職場環境-看護提供システム、所属先の事故発生頻度、事故に関する勉強会の頻度、医師との指示関係」という要因と、直接または専門職的自律性を介して間接に関連すると想定した。また法的責任認識は「個人の事故発生」とも関連すると推定した。

 調査は1999年5〜7月に、首都圏に位置する許可病床数約300〜500床の4総合病院に勤務する有資格の看護職者(准看護婦・士、看護婦・士、保健婦・士、助産婦)1,361名を対象に、自記式質問紙を用いた郵送法にて実施した。うち1施設で、質問紙の信頼性検証を目的に1ヵ月の間隔をおき再調査を実施した。質問紙は、「8つの医療過誤事例に対して、(1)看護職の包括的責任、(2)過失の認定、(3)刑罰の受け入れ、(4)実際の判決の妥当性を尋ねた実際的な法的責任判断」「引責志向性の高さを測定する開発尺度」を中心に、看護職の主体性を研究主題とする看護職者、医事法専門の法学者らと表面、内容妥当性を検討の上、作成した。この他にLOC尺度、専門職的自律性の測定尺度でおるPankratz Nursing Questionnaire(PNQ)の日本語版、関連が想定される要因に関する項目を内容とした。

 分析は、引責志向性尺度に関して因子分析および信頼性の検証を行なった。次に対象の背景や法的責任認識、関連が想定される要因について記述統計と、実際的な法的責任判断の回答について因子分析を行なった。施設間差の影響を確認した上で、法的責任認識と諸要因との関連を明らかにするために、実際的な法的責任判断得点、引責志向性尺度得点、PNQ得点を基準変数とした重回帰分析を繰り返した。准看護婦資格の対象、個人の事故発生頻度についてはそれぞれ単独で法的責任認識との関連を検討した。

III.結果

 質問紙の回収状況は、回収数893通(回収率65.6%)、うち有効回答数860通であった。分析結果の概略を以下に示した。

 1.引責志向性尺度は、第1因子が主体的に専門職としての責任を引き受けようとする前向きな意思に関わる6項目からなる「看護の職責自覚因子」、第2因子が最終的な責任を医師に依存しようとする意識に関わる3項目からなる「医師への帰責否定因子」という因子構造を示した。クロンバックの係数は0.73、0.76、再検査法に基づく級内相関係数は0.65、0.61と一定の信頼性を有していた。

 2.対象は、平均年齢29.9±8.9歳、女性が98.0%を占めていた。

 3.看護職の法的責任の判断基準を明らかにするために、実際的な法的責任判断の回答を用いて行なった因子分析では、第1因子に「看護職者の結果発生予見は明らかに可能な」4事例が、第2因子に「看護職者の結果発生予見はやや困難な」2事例が、第3因子に[看護職者の結果発生予見の可能性に、先行する医師の結果発生予見義務が関わっている」2事例が、高い負荷を示した。これらの責任判断の回答を詳細にみると、刑罰の受け入れの得点が全体に低く、包括的責任と過失の認定と比べ得点が下がる傾向にあった。

 4.准看護婦資格の対象は、雇用資格の相違による一元配置分散分析の結果、医師への帰責否定因子において、看護婦資格の対象よりも5%水準で有意に得点が低かった。

 5.施設をダミー変数として加えて行なった解析では有意な関連がなかったことから、施設間差は考慮せずに当初のモデルで法的責任認識と諸要因との重回帰分析を行なった。その結果、性差、臨床経験年数、雇用資格、勤務先変更回数、配属先希望の採択の可否、所属専門領域の6変数は5%水準でどの基準変数とも関連を示さなかった。これらを削除し再度行なった重回帰分析から標準偏回帰係数の有意確率が5%未満の要因で作成したものが図1である。医療過誤事例に対する実際的な法的責任は、引責志向性を現わす看護の職責自覚、医師への帰責否定が高いほど重く判断されていた。また部署内の勉強会頻度、学歴等が寄与していた。看護の職責自覚はLOCが高いほど、専門職的自律性のうち患者の権利を認める意識が高いほど高くなる関連を、医師への帰責否定は関係法規・責任の学習経験がある人ほど、部署内の勉強会の頻度が高いほど高くなる関連を示した。専門職的自律性の伝統的役割の拒絶因子は看護職の法的責任認識を示す3つの要因全てに寄与していた。

 6.法的責任認識に関する得点の第1、第3四分位数を基準に分けた3群間で、個人の事故発生頻度についてKruskal-Wallis検定を行なった。その結果、看護の職責自覚因子において、得点低群は個人が事故を起こす割合が1%水準で有意に高かった。

図1看護職の法的責任認識の要因関連図
IV.考察

 看護職の引責志向性は「看護の職責自覚因子」と「医師への帰責否定因子」からなり、実際的な法的責任判断に対して大きな寄与を示した。この実際的な状況において看護職者が下す法的責任判断には、「自分が看護職者一般に必要と考えている水準のアセスメント能力を用いた場合、発生の予見が可能か」「先行する医師の予見義務やその内容にかかわらず、看護職者が主体的に事故発生を予見し、回避すべき状況であったか」という2つの基準があることが示された。前者から看護職個々がどのレベルのアセスメント能力を看護の一般水準と考えているかによって法的責任の判断が変わることが、後者から看護職と医師との関係性、看護職の判断や注意義務の独立性に対する個人の意識が法的責任判断に深く関与することが推察される。また実際的な法的責任判断についての個々の回答から、看護職者が医療過誤を現実問題としてとらえた場合、倫理・社会的責任を含めた責任は感じるものの、自己防衛的欲求から主体的に法的制裁を受け入れる意識には達していないことが推測される。

 看護職の法的責任認識と諸要因との関連において、専門職的自律性の伝統的役割の拒絶因子が高い寄与を示す一方、現在の医師との指示関係の関連は弱いものであったことから、現実の状況よりも看護職者の意識の中で医師との関係をどう位置づけているかが重要であると考えられる。所属先での事故に関する勉強会の頻度が、関係法規や責任の学習経験とともに実際的な法的責任判断や医師への帰責否定に寄与したことからは、身近で具体的な内容を一定間隔で学習することで法的責任の自覚が高められることが示唆される。反対に、高学歴なほど実際的な法的責任を軽く判断するという関連は、主体的に意思決定し行動しようとする自律性が高まっても業務に法的権限が伴わず、医師の指示を必要とする状況が多いという臨床での葛藤によると推測される。今回作成した解析モデルについては、重回帰分析において寄与率、標準偏回帰係数があまり高くなかった点はやや弱いものの、専門職的自律性が法的責任認識と直接あるいは他の介在要因として関連を示したこと、引責志向性とその開発尺度が責任認識向上への介入の簡便な評価指標になり得ることから見て、妥当であったと判断できる。

 准看護婦が看護婦に比べて法的責任を医師に帰する意識が高いという結果は、業務に関する法規定とそれに基づく教育・職場経験から、准看護婦は看護全般に対して法的責任は医師にあるとする意識が強く現われたためと考えられる。さらに、法的な職責の自覚が低い看護職者は日常業務の中で事故を起こす頻度が高いという関連から、医療事故防止にはシステムの改善のみでなく、看護職の法的責任認識を見直すべきであることも示唆される。

 以上、国内の看護職が有する法的責任の認識について扱った先行研究がほとんどない現状で、初めてその実態や関連要因を明らかにした本知見の有用性は極めて高い。これらに基づき、今後看護職者の法的責任認識の向上を図るために、関係法規や法的責任、医療過誤に関する教育内容・学習環境の充実、医師との協働者としての関係や自らの権限と責任について明確な意識を持てるような啓蒙教育とその裏づけとなる専門的能力の向上などに努めることが重要である。今後は、本調査の対象および施設のバイアスを考慮し、地方都市を含めた大規模調査や看護教育介入による縦断調査を通して、看護職の法的責任認識をより詳細に把握し、関連要因との関係性を一層明らかにしていく必要があると考える。

審査要旨

 本研究は、国内の病院施設に勤務する看護職者の法的責任認識について、その実態を明らかにすること、測定した法的責任認識とその認識に関連する要因およびその関連の強さを明らかにすることを目的とした。首都圏にある4総合病院に勤務する看護職者1,361名を対象に、郵送法による自記式質問紙調査を実施し、看護職の法的責任認識をあらわす実際的な法的責任判断および引責志向性と、専門職的自律性などその他の要因との関連について、重層的な重回帰分析を用いて検証し、下記の結果を得ている。

 1.看護職の引責志向性は、主体的に専門職としての責任を引き受けようとする前向きな意思に関わる「看護の職責自覚因子」と、最終的な責任を医師に依存しようとする意識に関わる「医師への帰責否定因子」からなることが示された。また、看護職者が具体的・実際的な状況で法的責任判断を下す基準には、その状況が「自分が看護職一般に必要と考える水準のアセスメント能力を用いた場合、発生予見は可能か」「先行する医師の予見義務・内容にかかわらず、看護職者が事故発生予見・回避をすべきであったか」という2つがあることが示された。

 2.医療過誤事例に対する実際的な法的責任判断には、看護の職責自覚、医師への帰責否定という引責志向性が共に高い寄与を示し、同時に部署内の勉強会頻度が高いほど、専門職的自律性の伝統的役割拒絶の意識が高いほど、看護職への責任が重く判断されることが示された。また、内的統制志向、関係法規や責任などの学習経験、部署内の勉強会の頻度が高まるほど引責志向性は高く、これを介して実際的な看護職への法的責任判断は重くなるという関連を有することが示された。

 3.准看護婦は看護婦に比べ医師への帰責否定因子の得点が有意に低く、看護業務全般に対して法的責任は医師にあるとする意識を強く有していること、法的な職責の自覚が低い看護職者は日常業務の中で事故を起こす頻度が高いという関連が示された。

 4.今後、看護職の法的責任認識の向上を図るために、関係法規や法的責任、医療過誤に関する教育内容・学習環境の充実、医師との協働者としての関係や自らの権限と責任について明確な意識を持てるような啓蒙教育とその裏づけとなる専門的能力の向上などに努めることが重要な課題であることが示唆された。

 以上、本論文は国内における看護職の法的責任認識の実態と、その認識に関連する要因について明らかにした。本研究は、看護職が有する法的責任の認識について扱った先行研究がほとんどみられない現状で、初めてその実状を明らかにした点で独創性があり、今後の看護教育への具体的な示唆を提示したという意味から臨床的な有用性をも兼ね備えていると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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