学位論文要旨



No 115479
著者(漢字) 黒木,陽子
著者(英字)
著者(カナ) クロキ,ヨウコ
標題(和) 生殖細胞形成におけるY染色体の役割
標題(洋)
報告番号 115479
報告番号 甲15479
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1665号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 柳澤,正義
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 堤,治
 東京大学 助教授 渡辺,知保
内容要旨 緒言

 Y染色体は,ヒト染色体の中で最も小さなグループに属し,その大きさは約60Mbである。Y染色体には性決定遺伝子SRYが存在し,ヒトの性はY染色体の有無により決定されている。進化の過程において,Y染色体は男性分化機能をもつ染色体としてその役割を特殊化させ,多くの遺伝子は次第に機能を失う一方で,男性に有利に働く遺伝子,例えば精子形成に関与する遺伝子や,身長を高くすることに関わる遺伝子が選択的にY染色体に集積されたと考えられている。

 我々は,従来より,原因不明の無精子症,乏精子症患者のY染色体ゲノム構造解析を行ってきた。この過程で,これらの患者の10%で無精子症候補領域の1つであるAZFc領域に微小欠失が認められること,また,欠失をもつ患者の父親にも同様な欠失が存在する場合があることを報告した。このような親子例に注目し,親子間の欠失の切断点の微小な相違が,健常と無精子症の違いを決定しているという仮説を立てた。本研究では,この仮説を検証することを目的にAZFc領域における微小欠失の切断点の同定,無精子症原因遺伝子の単離を目指した。本研究の過程で,Y染色体の構造に個人差(多様性)があることが明らかになってきた。Y染色体上に精子形成に関与する遺伝子が存在し,またそれらに多様性があるなら,それぞれの個体の精子形成能力が異なるという可能性を考えた。多様性に基づくこのような表現型の違いを明らかにするために,日本人男性をY染色体多型によって分類し,Y染色体の由来と精子濃度との関連研究を行った。

方法と結果AZFc領域における微小欠失の切断点の構造解析

 無精子症原因遺伝子単離への試みとして,精巣組織由来のcDNAライブラリーを作製し,切断点近傍の100Kbの領域から得たDNA断片を用いて,スクリーニングを行った。得られたcDNAクローンについて,実際にY染色体上にマップされるかどうかを確認したが,残念ながら該当するクローンはなかった。患者のゲノムサザンブロット解析の結果,コスミドcH12内のEB3.9で欠失をもつ親子のゲノムDNAにおいて異なるバンドパターンを検出した。cH12の全塩基配列を決定し,ホモロジー検索を行った結果,cH12と相同性が高い複数のクローンが存在することが判明した。cH12と高い相同性を示したNH0270H04については,両者に特異的なSTSを用いたPCR解析を行った。その結果,これらのクローンはY染色体長腕の異なる領域に由来することがわかった。NH0270H04以外にも80〜90%の相同性を示す複数のクローンの存在が明らかとなり,このような複雑な構造が,切断点同定を含めた,この領域の解析を困難なものにしていると思われた。欠失をもつ患者のゲノムDNAを用いたLAPCR解析を行ったが,この領域はY染色体短腕との相同性が高く,本研究では切断点を同定することはできなかった。

Yハプロタイプと精子濃度・無精子症との関連研究

 生殖能力のある日本人男性198人の血液と精液を採取し,Y染色体上の3つのDNA多型マーカー(SRY,47z/Stu I,YAP insertion)によりY染色体ハプロタイプを決め,精子濃度との関連解析を行った。男性をY染色体のタイプにより3つのグループ(A〜C)に分類し,統計学的な解析を行ったところ,グループBではグループCに比べて平均精子濃度が低かった(p=0.008)。30歳で区切ると,グループBに属す30歳以上の男性は,より低値を示した(p=0.001)。また,無精子症患者106人と患者と生殖能力をもつ男性156人についてYハプロタイプを決めたところ,タイプ毎の分布に差が見られた。2検定を行ったところ有意な差が認められ(p=0.03),Cを1としたときのBのOdds(無精子症に罹るリスク)は2.05であった(95%信頼区間は0.996-4.235)。

考察

 研究の過程で,切断点を含む領域と相同性が高い領域が複数存在することが明らかになった。相同性の程度は80〜100%に至るまで様々であり,相同な部分が断片的に入り乱れており,Y染色体の進化の過程を反映しているものと思われた。本研究で解析したY染色体領域の近傍にも,数十Kbにわたり100%近い相同性をもつ領域が存在することが示唆された。このような相同性がAZFc領域の微小欠失の発生に関与していることも考えられる。

 一方,Y染色体DNA多型を用いた関連研究では,男性の由来によって精子数が異なることが明らかになった。この事実は個体間でY染色体の構造が違うことの傍証となる。

 Y染色体内で繰り返される相同性と,個体間の多様性が当初の目的である切断点の同定,遺伝子の単離をより困難にしたと考えている。しかし,それが実際に表現型に影響を及ぼしている可能性を示唆することができた。Y染色体による表現形の違いは,精子数だけでなく他の形質にも見られるであろう。このような形質の違いによる男性の進化と淘汰は,実地に検証可能である。ヒトゲノム多様性に関する研究に向けて,Y染色体は一つの分かりやすいモデルを提供すると思われる。

審査要旨

 本研究においては、Y染色体と生殖細胞(精子)形成の関わりを明らかにするために、1)無精子症患者で認められるY染色体長腕の欠失領域のゲノム構造、2)Y染色体ハプロタイプと精子濃度、無精子症の発生率の関連研究を行い、以下の結果を得ている。

 1.切断点を含む整列化コスミドクローンをプローブとして用いた、患者のゲノムサザンブロット解析により,欠失の切断点を含むと考えられるコスミドクローンcH12を同定し、さらにcH12内のEB3.9というプローブを用いた結果、欠失をもつ無精子症患者とその父親のゲノムDNAに違いを検出した。

 2.切断点を含むと考えられるcH12の全塩基配列を明らかにし、得られた塩基配列をもとにホモロジー検索を行った結果、この領域と非常に高い相同性を示す領域,BACクローンNH0270H04領域が,Y染色体長腕に位置することが明らかとなった。欠失が生じる機序の一つとして,相同な領域,構造上似た領域で欠失がおこることが示唆されているが,これらの結果は切断点同定や欠失がおこる機序を考えるうえで有用な情報になると考えられた。

 3.切断点を含む約130Kbの領域はY染色体特異的な繰り返し配列が混在し,ゲノム構造上複雑であることがわかった。この領域の解析は従来とは異なる解析法、SNPs(Single nucleotide polymorphisms)を用いた方法やDNA fiber-FISH法による解析が必要であると考えられた。

 4.Y染色体ハプロタイプと正常男性における精子数に関連があるかどうか検討したところ、特定のハプロタイプ(ハプロタイプII)をもつグループの平均精子濃度は、他のグループ(ハプロタイプI,III,IV)に比べ、統計学的有意に低い値を示した。このことから、ヒトの精子数はY染色体のハプロタイプによって異なることが示唆された。無精子症患者と生殖能力をもつ男性のY染色体ハプロタイプ解析を行い、その割合を比較したところ、無精子症患者では、ハプロタイプIIをもつひとの割合が高かった。無精子症の起こり易さはY染色体の特定のハプロタイプ(ハプロタイプII)と関連があることが明らかになった。これらのことから,Y染色体のゲノム構造の違いにより,男性の生殖能力が異なることが示唆された。

 本論文は、Y染色体無精子症候補領域のゲノム構造解析から、欠失の切断点を含む領域の構造上の特徴を明らかにした。このことは、欠失の切断点を同定することおいて重要な知見であると考えられる。また、Y染色体ハプロタイプと精子濃度、無精子症発生率の関連研究では、Y染色体のゲノム構造の違いにより男性の生殖能力(精子形成能力)が異なることを明らかにした。これらの研究結果は、Y染色体上の精子形成に関与する因子を考察する上で、新たな考え方を提唱するものである。以上、本論文の研究内容は、学位の授与に値するものと考えられる。

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