学位論文要旨



No 115483
著者(漢字) 荒井,緑
著者(英字)
著者(カナ) アライ,ミドリ
標題(和) 新規スピロ型ビスイソオキサゾリン配位子の開発
標題(洋)
報告番号 115483
報告番号 甲15483
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第899号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
 東京大学 助教授 樋口,恒彦
 東京大学 助教授 袖岡,幹子
内容要旨

 【はじめに】光学活性化合物は生命科学や医学、物質科学の観点から重要であり、少量の不斉源から大量に光学活性化合物を得ることのできる触媒的不斉合成は、魅力的な方法である。それゆえ、光学活性な反応場を提供できる金属配位子は、触媒的不斉合成の鍵を握ると言うことができる。筆者は、新規な不斉配位子を開発することを目的とし研究を行った。

 【ビスイソオキサゾリン配位子のデザイン】イソオキサゾリン化合物は、還元的処理によりアミノアルコールやヒドロキシケトンなどの誘導体に変換できる、重要な合成中間体である。しかしながら イソオキサゾリン環の窒素の配位力に注目し、不斉配位子として触媒反応に用いた例はない。イソオキサゾリン環のab initio計算を行ったところ、next HOMOの窒素上の孤立電子対は、種々の金属に対する配位子として広く用いられるオキサゾリン環と同等の広がりを有していた(Figure 1)。この結果からイソオキサゾリン環を持つ不斉配位子の開発に着手した。

Figure1.The Next HOMO Orbitals of Isoxazoline and Oxazoline

 また、新規な不斉空間を構築することを目指し、リジッドな不斉スピロ骨格に着目した。不斉スピロ骨格は、天然物にも度々見られるものの、不斉配位子としての研究はまだ十分に行われていない。そこで、不斉配位子の骨格として、二つの[3.3.0]のビシクロ環から構成される不斉スピロ化合物を利用することにした。このような考えのもとイソオキサゾリン環を持つ新規な配位子、スピロ型ビスイソオキサゾリン配位子(Spiro Bis(isoxazoline)Ligands(SPRIXs))をデザインした(Figure2)。

Figure2.Design of Spiro Bis(isoxazoline)Ligands(SPRIXs)

 【SPRIXsの合成】SPRIXsの[3.3.0]のビシクロ環からなるスピロ骨格は、オレフィンとオキシムを分子内にもつ化合物から、分子内ダブルニトリルオキシド環化付加反応により一工程で構築できると考えた(Figure3)。この鍵反応の原料となるジオキシム体はScheme1に示すように合成した。マロン酸ジエチル(1)のアルキル化により2を得、続くLiAlH4還元によりジオール体3とした。3をSwern酸化によりジアルデヒド体とし、引き続きオキシム体4へと導いた。続いて分子内ダブルニトリルオキシド環化付加により、二つのイソオキサゾリン部を有する四環性化合物(SPRIXs)を一挙に合成することに成功した。すなわちSPRIXsはマロン酸ジエチル(1)から5工程(overall yield 56%)にて効率良く合成することが可能である。三種のジアステレオマー混合物として得られたSPRIXs 5-7をシリカゲルカラムクロマトグラフィーにて分離し、それぞれの構造をX線結晶構造解析により、(M*,S*,S*)体5,(M*,R*,R*)体6,(M*,S*,R*)体7のように決定した(Figure4)。分子内の2つの窒素原子間の距離は、(M*,S*,S*)体5が最も短く、二座配位子としての性質が期待された。SPRIXsは、空気中、室温にて長期に保存できる白色固体であり、取り扱いが容易である。また、酸性、塩基性、酸化条件のいずれにも安定である。SPRIXsは光学異性体分離カラムによる分取で大量に光学活性体として得ることができた。

Figure3.Synthetic Plan of SPRIXsScheme1.Synthesis of the Spiro Bis(isoxazoline)Ligands(SPRIXs)Figure4.X-ray structures and N-N distances in SPRIXs

 【配位子としての能力】SPRIXsとCu(OTf)2,CuOTf,CoCl2,NiCl2,Pd(OAc)2など種々の金属塩を有機溶媒中にて混合したところ溶液の着色やSPRIXsと金属の錯体の沈殿生成が観測でき、SPRIXsが金属と相互作用を持ち得ることがわかった。なかでも光学活性な(M.S.S)-SPRIX(5)とCu(OTf)2により構成された錯体を単結晶で得ることに成功しX線結晶構造解析の結果、三分子の(M.S.S)-SPRIX(5)がそれぞれ二つの窒素で配位した六配位の銅(II)錯体であることを明らかとした(Figure 5)。また、(M.S.S)-SPRIX(5)の絶対配置についてもこの銅錯体のX線結晶構造解析により決定した。X線結晶構造解析によりイソオキサゾリンの配位能力を明らかとした例はこれまで報告されていない。

Figure 5.A Hexacoordinated Cu Complex of(M,S,S)-SPRIX

 【触媒的不斉合成への応用】SPRIXsの不斉配位子としての能力を評価するべく、触媒的不斉合成への応用を試みた。光学的に純粋な(M,S,S)-SPRIX(5)とCu(acac)2との錯体は触媒量にてシクロヘキセノン(8)とジイソプロピル亜鉛(9)の不斉マイケル反応を著しく加速し、生成物10を79%収率49%eeにて与えることがわかった。これは、イソオキサゾリン誘導体を不斉配位子として触媒反応に用いた初めての例である(Scheme 2)。

Scheme2.Catalytic Asymmetric Michael Reaction of Diisopropylzinc Using Cu-(M,S.S)-SPRIX(5)Complex.

 【Pd-SPRIX錯体を用いた触媒的不斉Wacker反応と触媒的タンデム環化反応の開発】SPRIXsのPdとの親和性と酸化的条件下での安定性に着目し、Pdが触媒する不斉Wacker反応に適用したところ、(M,S,S)-SPRIX(5)-Pd錯体は触媒的不斉Wacker反応を加速することを見いだした。また、分子内にヒドロキシ基と二つのオレフィンを有する基質11を用いると、(M,S,S)-SPRIX(5)-Pd錯体は不斉Wacker反応の生成物である三種のエーテル化合物12-14を与えた(Scheme3)。化合物12は不斉Wacker反応に引き続くPdによるタンデム環化反応による生成物であり、反応温度が0℃の条件では71%不斉収率にて得られた。本反応は既存の不斉配位子BINAP、ビスオキサゾリン配位子、不斉Wacker反応の触媒として報告されている-アリルPd錯体では進行せず、SPRIXの不斉配位子としての特異な能力を見いだすことができた。保護基としてBzでなく、TBDPSを用いた場合や、保護基を導入しないジオールの基質でも同様に触媒的不斉Wacker反応が進行し、タンデム環化体を与えた。

Scheme3.Asymmetric Tandem Pd-Catalyzed Cyclization via Wacker Process

 推定メカニズムをScheme4に示した。本反応はPd触媒による連続する二つの分子内環化反応により構成されていると考えられる。すなわち、Pd(II)によりオレフィンを活性化し、このオレフィンにヒドロキシ基が攻撃するWackerプロセスと、それに引き続くアルキルPdと分子内オレフィンとの環化である。一つ目のWacker反応の後に生成したアルキルパラジウム中間体15から-ヒドリド脱離により生じたのが化合物14であり、15からパラダサイクル16を形成し、16から-ヒドリド脱離を起こしたものが化合物13であり、還元的脱離を起こしたものが化合物12である。なお、Wacker生成物14を同反応条件に再び付しても12、13は生成しないことを確認している。

Scheme4.Plausible Mechanism for Asymmetric Tandem Pd-Catalyzed Cyclization via Wacker Processまとめ

 以上のように本論文では、これまで不斉配位子として研究されたことのないイソオキサゾリンに着目し、不斉スピロ骨格を有するビスイソオキサゾリン配位子の開発を行った。短工程にて大量に合成できる新規配位子Spiro Bis(isoxazoline)Ligands(SPRIXs)は、化学的に酸性、塩基性、酸化的条件下安定に存在し、光学異性体分離カラムにより容易に光学活性体を得ることができた。SPRIXsが種々金属への配位力を有することを明らかとし、また、SPRIXsと銅(II)錯体のX-線結晶構造解析に成功し、イソオキサゾリンの配位子としての能力を初めて明らかとした。

 SPRIXsが、アルキル亜鉛を求核剤として用いる触媒的不斉マイケル反応において、不斉配位子として働くことを見いだし、イソオキサゾリン部を有する不斉配位子の開発が可能なことを初めて示した。

 SPRIXの酸化的条件下での安定性に注目し、Pd触媒を用いる触媒的不斉Wackerプロセスの開発に成功した。本反応において不斉Wacker反応に引き続くタンデム環化反応が進行した生成物が最高71%不斉収率で得られ、SPRIXの不斉配位子としての特異な能力を見いだした。

Reference(1)Midori A,Arai,Takayoshi Arai,and Hiroaki Sasai,Organic Letters,1999,l,1795-1797.
審査要旨

 試験担当者全員は荒井緑に対し、論文の内容およびその関連事項に関し、種々試問を行った結果、合格と判定した。

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