学位論文要旨



No 115485
著者(漢字) 小島,宏建
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,ヒロタツ
標題(和) 一酸化窒素感受性蛍光色素の開発と応用
標題(洋)
報告番号 115485
報告番号 甲15485
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第901号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
内容要旨

 一酸化窒素(NO)が血管内皮細胞由来血管弛緩因子(EDRF)であることが1987年に報告されて以来,NOは循環系だけでなく,免疫系,神経系でも機能し,様々な疾患にも関与すると報じられてきた。しかし,その真の作用機序の多くは未だ明らかではなく,特に中枢神経系においては,シナプスの可塑性や虚血傷害への関与が示唆されているものの,全く混沌とした状態にある。その原因の一つとして,生成するNOが生理的条件下で短寿命のラジカル種で,なおかつ低濃度であるために,実際に機能しているNOを直接測定できず,そのため,確かな根拠に基づいた議論が難しいことが挙げられる。

 本研究は,NOの機能解析のための汎用的な分析手法の確立を目的としており,その目標は細胞や組織中でのNOの動的挙動を明らかにするために,NOのバイオイメージング法を開発し,それを応用することである。私はNOを高感度に捉え,画像化できるプローブとして,NO感受性蛍光色素を数多くデザイン・合成し,それらを評価した結果,優れたプローブであるジアミノフルオレセイン(DAF)類及びジアミノローダミン(DAR)類の開発に成功した。その開発の経緯と薬理実験への応用について以下に説明する。

1.NO感受性蛍光色素のデザイン

 バイオイメージングに用いるNO感受性蛍光色素の要件であるaからcのすべてを満たすプローブ開発のため,次の検討を行った。

(1)NOを捉える反応部位の確立(NOとプローブとの反応の精査)

 a.反応が生理的条件下(37℃,1atm,中性のバッファー中)すなわち,加熱や加圧なしに単に混ぜるだけで進行すること

 b.反応が効率良く進行し,生理的条件下でNO特異的であること

 c.プローブ自身,生成物が共に安定であること

(2)反応部位の最適な蛍光団への導入

 a.反応後にダイナミックな蛍光強度変化(色素の退色や漏出等に起因する蛍光強度の減少と区別するため,増加する方が望ましい)や波長シフトが起きること

 b.細胞自身の自家蛍光やフォトダメージを軽減するため,可視光励起であること

 c.細胞へプローブを非侵襲的に負荷できる仕組みを有すること

 NOの反応性を精査したところ,意外にもNOラジカル自身は反応性に乏しく,ラジカル的な酸素種や遷移金属イオン等と反応するのみである。その上,ニトロシル化された化合物は一般に蛍光を消失してしまうため,NOラジカル自身を捕捉する反応を特異的な蛍光検出に用いることは困難と判断した。ところが生理的条件下ではO2が反応系内に存在するため,NOの反応性は変化し,芳香族隣接ジアミンと反応して対応するトリアゾール化合物を瞬時に生成することを見出した(Scheme 1)。その反応種はNOの酸化体のN2O3であると推定され,この反応種は生理的条件においてはNOが存在しない限り生成しないと考えられたため,この反応は特異的なNO検出の原理となりうると推測した。市販の芳香族ジアミンには上記要件を満たすものがなかったので,新規に化合物をデザイン・合成しつつ検討した。

Scheme 1
2.ジアミノフルオレセイン(DAF)の創製

 可視光励起かつ高い蛍光量子収率で知られるフルオレセインの骨格にジアミンを導入した化合物(DAF)をデザイン・合成した。量子収率が低いDAFは酸素存在下NOと瞬時に反応し,高い量子収率をもつトリアゾール体(Ex.495nm-Em.515nm)を生成することを見出し,これを用いた高感度(検出限界:5nM)で,特異性の高いNO測定法の開発を行った。DAFを細胞の培養液を加えてインキユベーションすることにより,マイクロプレートリーダーを検出装置とした簡便で迅速な大量サンプルアッセイ法を確立した。

 さらに,DAFが細胞内に非侵襲的に局在化するようデザインされたエステル誘導体DAF-2DAを合成した(Scheme 2)。

Scheme 2

 これを用い,生きているラットの脳表でのin vivoイメージング,サイトカインとリポ多糖で刺激したラット大動脈平滑筋細胞やNMDA刺激によりラット海馬から生成するNOのバイオイメージングに成功した。

3.DAFのpH特性に関する改良

 血管内皮細胞など構成型のNO合成酵素(NOS)を有する細胞においては,細胞内Ca2+濃度が上昇するとNOが生成されることが知られているが,同時に細胞内のイオン組成が変わるため,細胞内pHが変化することがある。DAF-2トリアゾール体(DAF-2T)はpH低下により蛍光強度が減少するため(Fig.1),DAF-2DAはそういった細胞に適用しにくい。

 そこで,DAF-2のフェノール性水酸基の隣接位にCl原子を導入したが,却ってpH7付近の蛍光強度が不安定になった(DAF-5T,Fig.1)。これはトリアゾール環上のプロトンのpK2が8付近にあることに起因するため,Cl原子を導入したDAFにN-メチル化を施すことにした。しかし,NOとの反応性に影響する可能性もあるため,アミノ基,メチル基の置換位置が異なる4つの異性体をそれぞれ合成し,NOに対する感度を比較した。その結果,最も感度の良いものはDAF-4 M2であり,メチル化していないDAF-4よりもわずかながら高感度であった。

Fig.1

 さらに,Clの代わりにFを導入したものを合成した(DAF-FM)。Fに置換することにより励起光による退色を軽減でき,Clを導入したものよりも量子収率が高く,ハロゲン導入による励起波長の長波長シフトが小さいために共焦点顕微鏡で用いるArレーザー(488nm)により効率良く励起できる。結局,DAF-FMが総合的に最良のプローブであり,感度もDAF-2より約1.4倍高まった。

 

4.改良型プローブ(DAF-FM)の薬理実験への応用

 細胞内負荷が可能なDAF-FMのジアセチル体(DAF-FM DA)に誘導化してNOイメージングを行い,DAF-FM DAがNOの動的挙動解明に有力なツールであることを明らかにした。

(1)血管内皮細胞への応用

 ウシ大動脈内皮細胞に用いると細胞内Ca2+濃度を上昇させる刺激により生成するNOを細胞内pH変化の影響をほとんど受けることなく測定することに成功し,細胞内の蛍光強度がNOSの存在する細胞質から上昇し始めることを観測した(Fig.2)。

Fig.2

 また,蛍光波長の異なるCa2+感受性蛍光色素(Fura-Red AM)との同時負荷によるNOとCa2+の同時イメージング法も開発し(Fig.3),NOS活性化のための細胞内Ca2+濃度の閾値の存在を示唆するデータを得た。

Fig.3
(2)脳虚血モデルへの応用

 脳虚血再灌流後には海馬のCA1領域が傷害を受けやすいことが報告されている。脳虚血時には,興奮性アミノ酸が放出され,細胞内Ca2+濃度が上昇してNOが生成するとされ,NOや活性酸素がその傷害の原因だとする仮説がある。しかし,真の分子メカニズムは未だ解明されていない。そこで,急性虚血時にNOが生成する様子を調べるために,ラット海馬スライスを用い,虚血モデル時におけるNO生成の様子を可視化することを試みた。Fig.4は灌流液中のglucoseを2-deoxyglucoseに置換したものを10分間灌流して虚血状態とし,再度glucoseを含む灌流液に戻してから約8分後の画像である。(虚血前の蛍光強度との蛍光強度比を濃淡で示している。)この結果,CA1領域のNO生成が顕著であることが明らかとなった。また,灌流液に窒素ガス通気を行う虚血条件時にはNOがほとんど生成せず,再灌流に相当する虚血条件解除直後にNOが急激に生成することも分かり,灌流液の酸素濃度の違いにより,NO生成のパターンが異なることが明らかとなった。

Fig.4
4.ジアミノローダミン(DAR)の創製

 ローダミンはフルオレセインに比べ,長波長励起が可能であるため細胞の自家蛍光の影響が小さく,退色しにくく,フェノール性水酸基がないために生理的な範囲でのpH変化の影響を受けない蛍光色素骨格である。ジアミンをローダミン骨格にフルオレセインと同様に導入することにより,S/N良くNO測定できると予想し,DARの創製を行った結果,DAR-4Mが最も優れた特性を有していた。これはDAF-FMに比較すれば感度は半分ではあったが,pH特性,光安定性や波長の点からユニークな特性を有しており,有用な色素である。

 膜透過型誘導体DAR-4M AMをウシ大動脈内皮細胞に適用したところ,bradykinin刺激によって生成するNOをイメージングすることに成功した。

 

審査要旨

 本研究は生理活性種一酸化窒素(NO)の生体機能解析、特に細胞や組織中でのNOの動的挙動を明らかにするために、NO可視化プローブを開発することを目的としている。小島はNOを高感度に捉え、画像化できるプローブとして、NO感受性蛍光色素を数多くデザイン・合成し、それらを評価した結果、実用可能な優れたプローブであるジアミノフルオレセイン(DAF)類及びジアミノローダミン(DAR)類の開発に成功した。その開発の経緯と薬理実験系への応用について以下に説明する。

1.NO感受性蛍光色素のデザイン

 NOの反応性を精査した結果、NOラジカル自身の反応性は乏しく、ラジカル的な酸素種や遷移金属イオン等と反応するのみである。しかしながら小島は生理的条件下で存在する濃度のO2により容易にNOは他の窒素酸化種(N2O3)に変換され、その反応種N2O3は芳香族隣接ジアミンと反応して対応するトリアゾール化合物を瞬時に生成することを見出した。この反応は特異的なNO検出の原理となりうると考え、これに基づいて新規蛍光性化合物のデザイン・合成を行った。

2.ジアミノフルオレセイン(DAF)の創製

 可視光励起かつ高い蛍光量子収率で知られるフルオレセインの骨格にジアミンを導入した化合物(DAF)を合成した。量子収率が低いDAFは酸素存在下NOと瞬時に反応し、高い量子収率をもつトリアゾール体(Ex.495nm-Em.515nm)を生成することを見出した。DAFが高感度(検出限界:5nM)かつ特異性の高いNO蛍光プローブであることを示した。

 さらに、DAFを細胞内に非侵襲的に局在化できるDAF-2 DAを合成した。これを用いてラットの脳表でのin vivoイメージング、サイトカインとリポ多糖で刺激したラット大動脈平滑筋細胞やNMDA刺激によりラット海馬から生成するNOのバイオイメージングに成功した。

3.DAFのpH特性に関する改良

 血管内皮細胞など構成型NO合成酵素(NOS)を有する細胞においては、細胞内Ca2+濃度が上昇するとNOが生成されることが知られているが、同時に細胞内のイオン組成が変わるため、細胞内pHが変化することがある。DAF-2トリアゾール体はpH低下により蛍光強度が減少するため、この点の改良を行った。まず、DAF-2のフェノール性水酸基の隣接位にCl原子を導入したが、却ってpH7付近の蛍光強度が不安定になった。これはトリアゾール環上のプロトンのpK2が8付近にあることに起因するためであると考えられ、Cl原子を導入したDAFをN-メチル化する事によりこの問題を解決した。

 さらに、Clの代わりにFを導入した。Fに置換することにより励起光による退色を軽減でき、Clを導入したものよりも量子収率が高く、ハロゲン導入による励起波長の長波長シフトが小さいために共焦点顕微鏡で用いるArレーザー(488nm)により効率良く励起できる。これらの改良の結果、実用可能なDAF-FMを創製することに成功した。

4.改良型プローブ(DAF-FM)の薬理系への応用

 細胞内負荷が可能なDAF-FMのジアセチル体(DAF-FM DA)に誘導化してNOイメージングを行い、DAF-FM DAがNOの動的挙動解明に有力なツールであることを明らかにした。

 ・血管内皮細胞への応用

 ウシ大動脈内皮細胞に用いると細胞内Ca2+濃度を上昇させる刺激により生成するNOを細胞内pH変化の影響をほとんど受けることなく測定することに成功し、細胞内の蛍光強度がNOSの存在する細胞質から上昇し始めることを観測した。また、蛍光波長の異なるCa2+感受性蛍光色素(Fura-Red AM)との同時負荷によるNOとCa2+の同時イメージング法も開発し、NOS活性化のための細胞内Ca2+濃度の閾値の存在を示すデータを得た。

 ・脳虚血モデルへの応用

 脳虚血再灌流により海馬のCA1領域が傷害を受けやすいことが報告されている。脳虚血時には興奮性アミノ酸が放出され、細胞内Ca2+濃度が上昇してNOが生成するとされ、NOや活性酸素がその傷害の原因だとする仮説がある。しかし、真の分子メカニズムは未だ解明されていない。急性虚血時にNOが生成する様子を調べるために、ラット海馬スライスを用い、虚血モデル時におけるNO生成の可視化を検討した。その結果、CA1領域のNO生成が顕著であることが明らかとなった。また、灌流液に窒素ガス通気を行う虚血条件時にはNOがほとんど生成せず、再灌流に相当する虚血条件解除直後にNOが急激に生成することが明らかとなり、灌流液の酸素濃度の違いによりNOの生成様式に違いがあることを明らかにした。

5.ジアミノローダミン(DAR)の創製

 ローダミンはフルオレセインに比べ、長波長励起が可能であるため細胞の自家蛍光の影響が小さく、退色しにくく、またフェノール性水酸基がないことにより生理的な範囲でのpH変化の影響を受けない蛍光色素骨格である。ジアミンをローダミン骨格にフルオレセインと同様に導入することにより、S/N良くNO測定できると考えられる。DARの創製を行った結果、DAR-4Mが最も優れた特性を有している事がわかった。pH特性、光安定性や波長の点からユニークな特性を有しており、DAFとともに有用なNO蛍光プローブであった。このDAR-4M AM(膜透過型誘導体)をウシ大動脈内皮細胞に適用したところ、bradykinin刺激によって生成するNOをイメージングすることに成功した。

 以上の数多くの成果は、薬学、特に創薬化学、分析学、薬理学の各分野において重要な価値ある業績であり、博士(薬学)の学位に十分に値するものである。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54126