学位論文要旨



No 115491
著者(漢字) 志波,智生
著者(英字)
著者(カナ) シバ,トモオ
標題(和) Streptomyces globisporusが産生するN-アセチルムラミダーゼのX線結晶構造解析
標題(洋)
報告番号 115491
報告番号 甲15491
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第907号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 原田,繁春
 東京大学 講師 加藤,晃一
内容要旨 序論

 N-アセチルムラミダーゼは、グラム陽性菌の細胞壁多糖を形成しているN-アセチルムラミン酸(NAM)とN-アセチルグルコサミン(NAG)間の(1→4)グリコシド結合を加水分解する酵素である(図1)。生体が細菌の感染から身を守るという非常に重要な役割を果たしているため、このN-アセチルムラミダーゼは、多くの生体系において広く分布している。本研究で取り上げたStreptomyces globisporusが産出するN-アセチルムラミダーゼ(アミノ酸残基数:217,分子量:23,600)は、ニワトリ卵白リゾチームが作用しない虫歯の原因菌Streptococcus mutansに作用するが、ニワトリ卵白リゾチームが加水分解するキチン(ポリ-1,4-N-アセチルグルコサミン)は加水分解しない。本酵素の菌体に対する活性は、pH6.5、50℃で最大となる。本研究は、S.globisporusのN-アセチルムラミダーゼの三次元構造をX線結晶構造解析で明らかにし、構造と機能の関係を解明することを目的としている。

図1.N-アセチルムラミダーゼの反応
N-アセチルムラミダーゼのネーティブ体の構造解析

 本酵素のネーティブ体の結晶化条件の探索を行った結果、16%ポリエチレングリコール8000を含む0.1M Tris-HCl緩衝液(pH8.6)を結晶化剤とするハンギングドロップ蒸気拡散法で、正方晶系の単結晶を再現性良く得ることができた(空間群:P41212,a=63.5,c=121.4)。ネーティブ体の結晶からは、分解能2.05までの191,462個の反射を測定し、独立な反射15,417個を得た。同価な反射の強度の一致度を示すRmerge(I)は0.069で、理論上観測可能な反射の95.8%を測定した。ネーティブ体の構造解析は、本酵素とアミノ酸配列に約50%の相同性をもつStreptomyces erythraeusが産生するN-アセチルムラミダーゼをモデル分子として用いる分子置換法によった。三次元構造の精密化を行なった結果、結晶学的信頼度因子Rは0.186となった。ネーティブ体の全体構造を図2示す。

図2.N-アセチルムラミダーゼのネーティブ体の全体構造

 本酵素は、8本の鎖が集まってバレル構造を作り、これが分子の中心にあってコアを形成し、その周りを6本の-ヘリックスが取り囲むような構造をとっている。8本の鎖のうちC末端側の鎖のみが逆平行に配置し、C末端に存在する-ヘリックスはバレルの下側(最初の鎖のN末端側)に蓋をするように配置している。

反応生成物との複合体の構造解析

 本酵素の酵素反応機構を解明するため、反応生成物である2-acetamido-2-deoxy-D-glucosc-(1→4)-2-acetamido-2-deoxy-D-muramic acid(NAG-NAM)との複合体結晶をソーキングによって調製した。

 NAG-NAM複合体結晶のX線回折強度データは、液体窒素気流下100Kで、分解能1.8までの89,597個の反射を測定し、独立な反射18,794個を得た。Rmerge(I)は0.049で、理論上観測可能な反射の86.5%を測定した。ネーティブ体を初期モデルとして三次元構造の精密化を行なった結果、結晶学的信頼度因子Rは0.194となった。また、NAG-NAM分子はシートで構成されているバレルの上部にあるクレフトに結合している。

 図3に、NAG-NAM分子と水素結合またはvan der Waals接触をしているアミノ酸残基を示す。点線は水素結合を示し、数値は原子間距離()を示している。NAG-NAG分子は、本酵素の酸性アミノ酸残基の側鎖とは水素結合で、芳香族アミノ酸残基の側鎖とはvan der Waals接触で相互作用している。

図3.NAG-NAM分子との相互作用
酵素反応の機構

 NAG-NAM分子の結合様式から判断すると、NAMのO1酸素原子の部分で基質が加水分解されると考えられる。このO1原子には、Asp9とAsp98の側鎖のカルボキシル基の酸素原子がそれぞれ3.45、3.29の距離にある。さらに、Asp98およびAsp9は、芳香性の側鎖に囲まれており、疎水的な環境にある。また、NAMのO1原子とAsp98の両方に水素結合している水分子(W430)が存在し、Asp198の側鎖のカルボキシル基の酸素原子は、NAMのO5酸素原子と水素結合している。

 本酵素の反応機構は、次のように考えられる。まず、Asp98が酸触媒となり、基質のNAMとNAGの間の(1→4)グリコシド結合中の酸素原子にプロトンを引き渡す(図5:STEP1)。次に、グリコシド結合の切断が起こり反応中間体であるオキソカルベニウムイオンが生じる(STEP2)。この正電荷は、Asp198の負電荷で安定化される。最後に,今度はAsp98が塩基触媒となり水分子を活性化し、その結果生じたOH-がC1炭素原子を求核攻撃し(STEP3)、反応が終了する。

図4.Streptomyces globisporusの産出するN-アセチルムラミダーゼの反応機構
基質類似物との複合体の構造解析

 本酵素は、N-アセチルグルコサミンとN-アセチルムラミン酸から成る細菌の細胞壁多糖は、加水分解するが、N-アセチルグルコサミンの多量体であるキチンやグルコサミンの多量体であるキトサンは、加水分解しない。本酵素の基質特異性に関する知見を得るため、基質類似物である2-amino-2-deoxy-D-glucose-(1→4)-2-amino-2-deoxy-D-glucose((GlcN)2)との複合体のX線結晶構造解析を行った。(GlcN)2複合体結晶のX線回折強度データは、液体窒素気流下100Kで、分解能1.8までの134,907個の反射を測定し、独立な反射20,1194個を得た。Rmerge(I)は0.040で、理論上観測可能を反射の89.6%を測定した。ネーティブ体を初期モデルとして三次元構造の精密化を行なった結果、結晶学的信頼度因子Rは0.204となった。図5に、(GlcN)2分子と水素結合またはvan der Waals接触をしているアミノ酸残基を示す。点線は水素結合を示し、数値は原子間距離()を示している。基質で加水分解が起こるO1酸素原子は、(GlcN)2複合体では、触媒基であるAsp98の側鎖の酸素原子とは離れており(3.67)、Tyr62のO原子と水素結合している(2.68)。また、反応中間体のオキソカルベニウムイオンで正電荷をもつO5酸素原子は、NAG-NAM複合体では、Asp198のO原子が水素結合しているのに対して(2.92)、(GlcN)2複合体では、Asp198のO原子とは5.83とかなり離れている。以上のことから、グルコサミンの多量体であるキトサンでは、本来の基質とは結合様式が異なり、酵素反応が進行しないものと考えられる。

図5.(GlcN)2分子との相互作用
総括

 Streptomyces globisporusが産生するN-アセチルムラミダーゼのネーティブ体、反応生成物との複合体及び基質類似物との複合体の三次元構造をX線結晶構造解析により明らかにし、以下の知見を得た。

 ・Streptomyces globisporusが産生するN-アセチルムラミダーゼの構造は、8本の鎖がバレルを形成し、その周りに6本の-ヘリックスが配置している。

 ・反応生成物との複合体の結晶構造から、Asp98が酸・塩基触媒として働き、Asp198が反応中間体の正電荷を安定化することで酵素反応が進行すると考えられる。

 ・(GlcN)2との複合体の結晶構造から、キトサンでは結合様式が本来の基質とは異なり、加水分解されないと考えられる。

審査要旨

 N-アセテルムラミダーゼは、グラム陽性菌の細胞壁多糖を形成しているN-アセチルムラミン酸(NAM)とN-アセチルグルコサミン(NAG)間の-1,4グリコシド結合を加水分解する酵素である。生体が細菌の感染から身を守るという重要な役割を果たしているため、このN-アセチルムラミダーゼは、多くの生物種に広く分布している。Streptomyces globisporusが産出するN-アセチルムラミダーゼは、ニワトリ卵白リゾチームが溶菌できない虫歯の原因菌Streptococcus mutansに作用するのに対して、ニワトリ卵白リゾチームが加水分解するキチン(ポリ-1,4-N-アセチルグルコサミン)は加水分解しない。論文での研究は、S.globisporusのN-アセチルムラミダーゼの三次元構造をX線結晶構造解析で明らかにし、酵素反応のメカニズムや基質認識機構を解明している。

 N-アセチルムラミダーゼは、16%ポリエチレングリコール8000を含む0.1M Tris-HCl緩衝液(pH8.6)を結晶化剤とするハンギングドロップ蒸気拡散法で、良質な結晶を再現性良く得られている。X線構造解析は本酵素とアミノ酸配列に約50%の相同性をもつStreptomyces erythraeusが産生するN-アセチルムラミダーゼを探索モデル分子とする分子置換法で行われている。2.05分解能で三次元構造の精密化を行なった結果、結晶学的信頼度因子Rが0.186で三次元構造が決定された。アミノ酸残基数217から成る三次元構造は、図に示すように、8本の鎖が集まってバレル構造を作り、これが分子の中心にあってコアを形成し、その周りを6本の-ヘリックスが取り囲んでいる。また、8本の鎖のうちC末端側の鎖のみが逆平行に配置し、C末端に存在する-ヘリックスはバレルの下側(最初の鎖のN末端側)に蓋をするように配置している。全体としての分子の大きさは、約50×40×40である。

図.S.globisporusN-アセチルムラミダーゼのネーティブ体の全体構造

 次に、本酵素の酵素反応の機構を解明するために、反応生成物の2-acetamido-2-deoxy-D-glucose--1,4-2-acetamido-2-deoxy-D-muramic acid(NAG-NAM)との複合体結晶を、基質特異性に関する知見を得るために、基質類似物2-amino-2-deoxy-D-glucose--1,4-2-amino-2-deoxy-D-glucose((GlcN)2)との複合体結晶を、それぞれソーキング法で調製した。X線回折強度データは120Kにおいて分解能1.8まで収集し、結晶学的な三次元構造の精密化を行った。得られた主な知見は以下の通りである。

 NAG-NAM分子はシートで構成されているバレルのC末端側にあるクレフトに結合し、クレフト周辺に存在している酸性アミノ酸残基の側鎖とは水素結合で、芳香性アミノ酸残基の側鎖とはvan der Waals接触で相互作用していることを示した。NAG-NAM分子の結合様式から、NAMのO1酸素原子の部分で基質が加水分解されると考えた。このO1酸素原子には、芳香性のアミノ酸残基の側鎖に囲まれて疎水的な環境にあるAsp98の側鎖のカルボキシル基の酸素原子が、3.29の距離にある。また、O1酸素原子とAsp98の両方に水素結合している水分子が存在する。したがって、本酵素の酵素反応の機構として次のように考察した。まず、Asp98が酸触媒となり、基質のNAMとNAGの間の-1,4グリコシド結合中の酸素原子にプロトンを引き渡し、グリコシド結合の切断が起る。この時、反応中間体として生じるオキソカルベニウムイオンはAsp198の負電荷で安定化される。最後に,今度はAsp98が塩基触媒となり水分子を活性化し、その結果生じたOH-がO1酸素原子と隣接する炭素原子を求核攻撃し反応が終了する。この機構は、Streptomyces erythraeusが産生するN-アセチルムラミダーゼでも、これらのアミノ酸残基が一次配列と三次元構造上、保存されているという知見と合致する。さらに、触媒基と考えているAsp98が疎水的な環境にあることは、本酵素の至適pHが6.5であるという知見を説明する。

 (GlcN)2との複合体でも、(GlcN)2分子はNAG-NAM分子と同様、本酵素のシートで構成されているバレルのC末端側にあるクレフトに結合していた。しかし、O1酸素原子が、(GlcN)2複合体では、触媒基のAsp98ではなく、Tyr62のO原子と2.68の距離で水素結合している。また、反応中間体のオキソカルベニウムイオンで正電荷をもつO5酸素原子は、NAG-NAM複合体では、Asp198のO原子が水素結合しているのに対して、(GlcN)2複合体では、Asp198のO原子とは5.83とかなり離れている。以上のことから、グルコサミンの多量体であるキトサンでは、本来の基質とは結合様式が異なり、酵素反応が進行しないものと考えられる。

 このように、本論文は、これまでに見い出されているリゾチーム群とは基質特異性を異にするバクテリア由来のN-アセチルムラミダーゼの三次元構造を解明し、その構造と機能の相関を詳細に明らかにしている。よって、蛋白質の構造化学の進歩に寄与するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに十分な内容を有すると認める。

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