学位論文要旨



No 115492
著者(漢字) 青笹,尚彦
著者(英字)
著者(カナ) アオザサ,ナオヒコ
標題(和) 遺伝子のプロモーターに見出されるアデニン又はチミンの繰り返し配列に結合する(A+T)-strech結合蛋白(ATBP)の研究
標題(洋)
報告番号 115492
報告番号 甲15492
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第908号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 鈴木,利治
 東京大学 助教授 堀越,正美
内容要旨

 真核細胞の遺伝子発現制御機構の解明は、生命現象を分子レベルで理解する上で重要である。その中でも、転写の開始段階はある遺伝子が読まれるか否かを決定する、特に重要なステップである。

 当教室では、これまでに昆虫の生体防御蛋白の一つである、センチニクバエレクチン遺伝子の転写制御機構について解析を進めてきた。この遺伝子は、体表傷害や異物の注入によって、細菌感染の危険が高まったときに、脂肪体において、一過的に誘導される。また、胚や蛹といった形態形成時にも遺伝子発現する。このレクチン遺伝子のプロモーター上にはTATA boxやNF-B motifといった配列が検出されるが、他にも顕著な特徴を見出すことができる。それは、(A+T)-stretchとよばれるアデニン又はチミンの繰り返し配列が、プロモーター上流域にまで広範囲に見出されることである。そして、当教室では、これまでにこのレクチン遺伝子の(A+T)-stretchを多く含む領域に特異的に結合する新規な核蛋白、ATBPを見出し、その単離と構造決定を進めてきた。

 ATBPは、8量体を成し、長い(A+T)-stretchに、より強く結合するという、他の核蛋白には見られないユニークな特徴を有する。さらに、cDNAの解析から、ATBPは3つのZn-fingerドメインの他に、転写因子間の相互作用に必要と考えられる構造上のドメインを有すること、また、細胞種や発生段階によらず、普遍的に遺伝子発現することを報告してきた。

 そこで、私は、センチニクバエレクチン遺伝子において、この長い(A+T)-stretchがそれ自身転写調節配列、シスエレメントとして働き、ATBPがそのtransacting factorとして働く可能性を考えた。もしこの仮説が正しければ、センチニクバエレクチン遺伝子において、広範な領域に渡る(A+T)-stretchに依存する新しい転写機構が存在することになる。そこで、本研究において私は、培養細胞を用いてATBPのセンチニクバエレクチン遺伝子の転写に対する影響を調べた。そして、その構造活性相関を行った。また、ATBPの機能を遺伝学的に解析するために、ショウジョウバエからATBPと相同性の高い遺伝子を単離したので、以下に報告する。

1.培養細胞を用いたATBPの機能解析

 まず私は、ATBPが実際にセンチニクバエレクチン遺伝子の転写に影響を及ぼすかどうかを調べるために、ショウジョウバエ胚由来培養細胞Schneider line II cellを用いたLuciferase assayを行った。レポーターベクターとしては、センチニクバエレクチン遺伝子のプロモーターの下流にluciferase cDNAを挿入したものを用い、同時にATBPを強制発現させ、レボーター遺伝子の転写への影響を調べた。その結果、ATBPの発現量に依存して、センチニクバエレクチン遺伝子プロモーターの活性が上昇した。この結果は、培養細胞レベルではATBPがセンチニクバエレクチン遺伝子の転写を活性化することを示唆する。そこで次に、ATBPによる転写活性化に(A+T)-stretchが必要かどうかを調べた。具体的には、(A+T)-stretchがプロモーター領域の全体に渡って存在することを利用して、(A+T)-stretchの存在量が減るように、プロモーターを5’側から順に短くしたレボーターベクターを作成し、luciferase assayを行った。その結果、センチニクバエレクチン遺伝子のプロモーターの長さを短くするに従い、ATBPによる転写活性化の効率が減少した。従って、ATBPの転写活性化には、プロモーターの特定の領域が必要なのではなく、プロモーターが長いほど、転写活性化の効率が良いことが分かった。このプロモーターの領域には全体に渡って(A+T)-stretchが存在すること、また、ATBPが長い(A+T)-stretchにより強く結合することを考え合わせると、このことは、ATBPが(A+T)-stretchに結合することにより、センチニクバエレクチン遺伝子の活性化に働くことを示唆するものと考えられた。

 さて、もしATBPが、本当に、(A+T)-stretchをシスエレメントとして機能するtransacting factorであるなら、ATBPによる転写活性化にはそのDNA結合ドメインとともに、transactivationに必要なドメインがあると予想される。また、ATBPには構造上特徴的な幾つかのモチーフが存在する。そこで、ATBPによる転写活性化に必要な構造上のドメインを同定する目的で、これらのドメインを欠失したATBPの変異体を作成し、転写に対する影響を解析した。その結果、内部ドメインを欠失させた際には、Zn-fingerドメイン、酸性ドメイン、疎水性ドメイン3を欠失することにより、転写活性は消失したが、グルタミンラン、Ser/Thr richドメイン、疎水性ドメイン2を欠失した場合には、転写活性は消失しなかった。従って、ATBPの転写活性化には、DNA結合ドメイン(Zn-fingerドメイン)の他に、幾つかの内部ドメインが必要であると考えられた。一方、N末端側から欠失させた場合には、N末端の25アミノ酸残基を欠失するだけで、転写活性はほとんど消失した。この領域は、既知の転写因子のドメインの配列とは相同性を持たず、ATBPの転写活性化に必須な新しいドメインである可能性がある。

 さて、センチニクバエレクチン遺伝子のプロモーター上には(A+T)-stretchの他に、昆虫の生体防御遺伝子の転写活性化因子である、Relファミリーの転写活性化因子(Dif)の結合配列(NF-B motif)が含まれている。そこで私は、センチニクバエレクチン遺伝子の活性化において、ATBPとDifが協調的に働く可能性を考え、この可能性を検証する目的で、培養細胞にATBPとDifを同時に強制発現させた際のセンチニクバエレクチン遺伝子プロモーターの活性を調べた。その結果、何も転写因子を発現していない場合に比べて、ATBP単独を発現させた場合には7.7倍、Dif単独を発現させた場合には4.5倍、転写活性が上昇したが、両者を同時に強制発現させた場合には転写活性が51倍上昇した。以上の結果から、ATBPとDifは培養細胞を用いたセンチニクバエレクチン遺伝子プロモーターの活性化において、相乗的に働き得ることが明らかになった。

2.ショウジョウバエからのATBPのクローニングとその機能解析、遺伝学的解析

 さて、将来、ATBPの機能解析を個体レベルで行うためには、ショウジョウバエの遺伝学を用いた解析が有効である。そこで私は、ショウジョウバエゲノムDNAを鋳型として用いたPCRとRACE法により、ショウジョウバエATBPのcDNAを単離した。単離された遺伝子(DATBPと記す)とセンチニクバエATBPは、全体で42%の相同性を有する。また、Zn-fingerドメイン間において極めて高い相同性を示し、これは単離した遺伝子が(A+T)-stretchに結合しうることを示唆する。また、DATBPもセンチニクバエレクチン遺伝子プロモーターを活性化することを示し、機能的に両者が非常に相関していることを示した。

 さて、遺伝学的解析を行うためには、遺伝子が単一であるかどうか調べ、その遺伝子座を同定する必要がある。そこで、ショウジョウバエのゲノムDNAを用いて、サザンブロット解析を行った。

 その結果、5つの制限酵素で消化した際に、いずれのレーンでも単一なバンドが検出されたことから、DATBP遺伝子は、ショウジョウバエのゲノム中に単一コビーで存在すると考えられた。また、データベースサーチの結果、DATBPの遺伝子座は、X染色体の20E領城であることが分かった。今後、この領域に変異をもつショウジョウバエの形質を解析することで、DATBPの個体レベルでの機能解析が可能だと考えられる。

3.まとめと考察

 本研究において私は、培養細胞を用いた解析から、ATBPがセンチニグバエレクチン遺伝子プロモーターを活性化し、その活性化にはプロモーターの(A+T)-stretchを含む長い領域が必要であることを明らかにした。またATBPによる転写活性化に必要なドメインを決定した。そして、ATBPはDifと協調的に転写を活性化することを見出した。また、ショウジョウバエからATBPと相同性の高い遺伝子を同定し、機能的にATBPと関連が深いことを示した。そして、その遺伝子座を決定した。

 以上の知見は、センチニクバエレクチン遺伝子が(A+T)-stretchをcis-elementとして働くことを示す。また、ATBPは(A+T)-stretchをcis-elementとするtransacting factorであることが明らかになった。ATBPとDifが相乗的に転写活性化をすることから、ATBPはDifと協調的に働くことで、センチニクバエレクチン遺伝子の緊急応答時の急激な発現に寄与するものと考えている。

 また、ショウジョウバエから、ATBPと相同性の高い遺伝子を単離したことで、今後は個体レベルの機能解析も可能になると考える。

 本研究は多細胞生物において(A+T)-stretchのcis-elementとしての機能と、そのtransacting factorであるATBPの機能を示した初めての例である。多くの真核細胞の遺伝子のプロモーター領域が(A+T)-stretchに富むこと、またATBPがセンチニクバエの細胞種や発生段階によらず普遍的に発現していることを考えると、ATBPはセンチニクバエレクチン遺伝子ばかりでなく、(A+T)-stretchに富む幾つかの遺伝子に共通な転写活性化因子として働く可能性も考えられ、真核細胞の遺伝子発現の調節機構を考える上で、重要な知見であると思われる。

審査要旨

 本研究は、(A+T)-stretchに特異的に結合する蛋白ATBPの転写系における機能を解析したものである。

 センチニクバエレクチン遺伝子プロモーター上の(A+T)-stretchを多く含む領域に特異的に結合する、転写因子様の構造を有する蛋白ATBP((A+T)-stretch-binding protein)が当教室で単離されていた。筆者は、培養細胞を用いた解析から、ATBPにはセンチニクバエレクチン遺伝子プロモーターを活性化する機能があることを見出した。また、その転写活性化にはレクチン遺伝子プロモーター上の長い領域が必要であることを示し、この転写活性化が確かにプロモーター上の(A+T)-stretchに依存して起きていることを明らかにした。

 そして、ATBPは、昆虫の生体防御蛋白遺伝子群の転写活性化因子であるDif(dorsal related immunity factor)と相乗的にレクチン遺伝子を転写活性化したことから、ATBPはDifと協調的に働くことで、レクチン遺伝子の緊急時の発現の上昇に関与する可能性を示した。

 さらに、ATBPのドメインマッピングを行い、転写活性化に必要な領域を同定し、確かにDNAに結合することが、転写活性化に必要であることを示した。また、転写活性化を直接担うドメインと考えられる領域を複数同定した。その中には、構造的に新規な領域も含まれており、新規な転写活性化機構が見出される可能性もある。

 ATBPは、センチニクバエの生体防御蛋白である、ザルコトキシンII unit 1遺伝子の転写活性化も引き起こすことを示した。この知見は、ATBPのターゲットはレクチン遺伝子にとどまらないことを意味し、生体防御蛋白遺伝子群に共通な転写活性化因子である可能性も考えられた。

 最後に、ショウジョウバエからATBPと相同性の高い遺伝子を同定し、その転写活性化能を検出した。従って、センチニクバエATBPの機能的ホモログと考えられ、今後の遺伝学的な研究を可能にした。

 以上、本研究は(A+T)-stretchに着目し、そこに特異的に結合するATBPの機能を解析し、(A+T)-stretchがシスエレメントとして働き、ATBPがそのtransacting factorであることを示し、その機能解析を行ったものである。このような視点からの研究はユニークで、遺伝子発現制御機構の発展に貢献することがあり、博士(薬学)に値すると判断した。

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