学位論文要旨



No 115495
著者(漢字) 小堀,雅登
著者(英字)
著者(カナ) コボリ,マサト
標題(和) ヒト-ガラクトシダーゼの三次元構造とファブリー病因の構造生物学的研究
標題(洋)
報告番号 115495
報告番号 甲15495
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第911号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
 東京大学 講師 加藤,晃一
内容要旨

 ヒト-ガラクトシダーゼはアスパラギン結合型糖鎖を持つリソソーム糖蛋白質であり、398アミノ酸残基からなるサブユニットのホモダイマーとして存在する。本酵素は生体内ではおもに糖脂質の代謝に関与し、グロボトリアオシルセラミドなどの糖脂質の糖鎖の非還元末端に結合しているガラクトース残基を水解する働きを有する。

 -ガラクトシダーゼの遺伝子変異による酵素活性の低下は、スフィンゴ糖脂質代謝異常症であるファブリー病を引き起こす。本酵素の遺伝子はX染色体上に存在するため、ファブリー病はおもにヘミ接合体の男性に症状が現れ、その症状は臨床的に多様である。そしてファブリー病は、早期発症で-ガラクトシダーゼ活性がほとんど認められず、特に血管系の内皮細胞、腎臓、心筋や神経節細胞に糖脂質が蓄積し致命的な経過をとる古典型と、晩期発症で数パーセントの-ガラクトシダーゼ活性が認められ、とくに心臓に限局した症状があらわれる亜型とに大別される。それぞれの臨床表現型をもたらす遺伝子変異が多数報告されているが、それぞれの遺伝子変異によるアミノ酸置換が酵素活性の低下をもたらす原因や、異なる臨床表現型を示す原因は明らかになっていない。本研究では、まずメタノール資化酵母Pichia pastorisによるヒト-ガラクトシダーゼの発現系の構築を行った。さらに発現された組換え体ヒト-ガラクトシダーゼの三次元構造をX線結晶構造解析により明らかにし、構造と機能の関係、およびアミノ酸置換による活性変化の原因を考察した。

 【Pichia pastorisによる発現系の構築】シグナルペプチドを含む全アミノ酸配列をコードするヒト-ガラクトシダーゼのcDNAを発現ベクターpPIC9に挿入し、P.pastoris GS115細胞株に導入した。発現を誘導し、培地中に分泌されるヒト-ガラクトシダーゼを精製し、糖鎖をエンドグリコシダーゼHfにより短鎖化した。電気泳動およびマススペクトルの結果から、分泌されるヒト-ガラクトシダーゼは約6kDaの糖鎖が結合しているが、エンドグリコシダーゼHf処理により効率よく、活性を保持したまま短鎖化された。エンドグリコシダーゼHf処理後、精製したヒト-ガラクトシダーゼを結晶化用試料とした。

 【結晶化】蒸気平衡拡散法により、まず酒石酸ナトリウムカリウムを結晶化剤として、大きさが0.5×0.3×0.1mm3の直方体状のネイティブ体の結晶を得た。結晶の空間群は斜方晶系のC2221、格子定数はa=84.54Å、b=140.98Å、c=182.30Åであり、非対称単位にダイマー1分子が存在する。

 また硫酸アンモニウムを結晶化剤として、大きさが0.4×0.4×0.3mm3の立方体状のネイティブ体の結晶を得た。結晶の空間群は立方晶系のI213、格子定数はa=153.42Åであり、非対称単位にモノマー1分子が存在する。

 【X線結晶構造解析】斜方晶系ネイティブ体結晶について、回転銅対陰極型X線発生装置をX線源とし、イメージングプレートX線検出装置一体型の振動カメラにより回折強度データを2.6Å分解能まで収集した。また、本酵素の触媒メカニズムと基質特異性を詳細に検討する目的で、競合的基質類似阻害剤N-(N-ベンジルオキシカルポニル-6-アミノヘキシル)--D-ガラクトピラノシルアミン(BAG)を合成した。BAGを斜方晶系ネイティブ体結晶にソーキング法により導入し、複合体結晶を調製した。複合体結晶の回折強度データを2.5Å分解能まで収集した。立方晶系ネイティブ体結晶については、回折強度データを2.7Å分解能まで収集した。

 斜方晶系ネイティブ体結晶を用いて、5種類の重原子誘導体の結晶を調製し、多重重原子同型置換法により初期位相を求めた(表1)。溶媒領域の電子密度の平均化と、非結晶学的対称性に基づくダイマー分子の電子密度平均化を行い、構造の初期モデルを構築し、プログラムX-PLORを用いて構造を精密化した。複合体構造、および立方晶系結晶ネイティブ体構造は、斜方晶系結晶ネイティブ体構造を探索分子として初期モデルを得て、それぞれ分解能2.5Å、分解能2.7Åで精密化した(表2)。

表1.多重重原子同形置換法による位相決定表2.構造の結晶学的精密化

 【結果】斜方晶系結晶のヒト-ガラクトシダーゼの全体構造は、図1に示すように、長さが75Å、幅が70Å、高さが45Åの大きさのホモダイマーを成している。サブユニットは、N末端側のおよそ280アミノ酸残基かもなる(/)8バレル構造のドメインと、C末端側のおよそ90アミノ酸残基からなる8本鎖の逆平行シート構造のドメインから成る。サブユニット内には5つのジスルフィド結合が存在し、サブユニット分子の構造の安定化に寄与している。しかし、サブユニット間、およびドメイン間をつなぐジスルフィド結合は存在しない。また各サブユニットとも、N末端側のドメインにある3ヶ所の糖鎖結合可能部位それそれにN-アセチルグルコサミンの電子密度が認められた。これらの糖鎖結合部位はいずれも蛋白質表面に存在し、ダイマーのインターフェイスから離れている。

図1.ヒトa-ガラクトシダーゼと阻害剤BAGとの複合体の構造*で活性部位を、糖頗とBAGをball-and stick表示する

 阻害剤分子はバレルの鎖のC末端側に存在する。活性部位(図2)はエキソグリコシダーゼに特徴的なポケット構造を形成し、ポケット壁にはAsp92、Asp93、Lys168、Glu203およびAsp231などの親水性の側鎖をもつ残基が存在し、阻害剤の糖部位と水素結合している。またポケットの底にはTrp47、ポケット側壁にはTyr134などの芳香性残基が存在し、ポケット入口にはジスルフィド結合を形成しているCys142とCys172が存在する。これらのアミノ酸残基は他種由来の-ガラクトシダーゼでも保存されている。3ヶ所の糖鎖結合部位は活性部位から離れており、糖鎖は触媒反応に直接的には関与しないと考えられる。基質のO-グリコシド結合に相当する部位の近傍にはAsp231が存在し、阻害剤のアノメリック位の炭素を挟んで、Asp170がAsp231の反対側に存在する。

図2.ヒト-ガラクトシダーゼの活性部位(ステレオ図)水素結合を点線で示す

 斜方晶系結晶ネイティブ体構造と阻害剤複合体構造間の主鎖原子の根二乗平均差異は0.3Åであり、阻害剤の結合による蛋白質側の大きなコンホメーション変化は、活性部位を含めて、認められない。また、立方晶系結晶ネイティブ体構造と斜方晶系結晶ネイティブ体構造間の主鎖原子の根二乗平均差異は0.4Åと小さく、ほぼ同一のコンホメーションを成している。

 【考察】糖蛋白質の結晶化では、糖鎖部分の不均一性が良質な結晶を得ることの障害となる。修士課程においてバキュロウイルス系により昆虫細胞で組換え体ヒト-ガラクトシダーゼを発現し、糖鎖部分を-マンノシダーゼ処理で短鎖化した試料の結晶化を行った。得られた結晶は、酵母で発現してエンドグリコシダーゼHf処理した試料より得られた結晶と同型であったが、3Å分解能までのX線回折斑点しか与えず、回折能が良好ではなかった。酵母で発現し、エンドグリコシダーゼHf処理した試料より得られた結晶の構造では、Asn215に結合しているN-アセチルグルコサミンが、隣接分子とのパッキングに関与している。昆虫細胞で発現して-マンノシダーゼ処理した試料では、残存するやや長鎖の糖鎖が結晶の回折能を低下させていると考えられる。

 複合体の三次元構造に基づくと、本酵素の触媒機構は以下のように考えられる。まずAsp231が酸触媒として働き、基質のグリコシド結合を成す酸素原子にAsp231のカルポキシル基のプロトンが受け渡され、グリコシド結合の切断が起きる。この時生じるオキソカルベニウムイオン中間体はAsp170の負電荷によって安定化される。次に、塩基触媒となったAsp231が水分子を活性化し、活性化された水分子がアノメリック位の炭素を求核攻撃して末端のガラクトースの1位に付加する。

 非還元末端にN-アセチルガラクトサミンが結合している基質が本酵素に結合できないのは、Glu203およびLeu206が障害となるためである。また非還元末端がグルコースやマンノースなどの基質ではTrp47が、結合している基質ではCys142とCys172との間のジスルフィド結合が障害となって活性部位に結合できないと考えられる。

 古典型ファブリー病をもたらすアミノ酸変異は、二次構造を構成する残基、とくに活性部位のあるN末端側ドメインの鎖部およびその周辺に数多く認められ、変異したアミノ酸残基は周囲の残基と密なファンデルワールス接触をもたらす。一方、亜聖ファブリー病をもたらすアミノ酸変異は、ループ部分あるいはヘリックス部に集中しており、変異アミノ酸残基は、周囲の残基との間で、三次元構造の維持に必要な水素結合やファンデルワールス接触を失う。古典型で認められる密なファンデルワールス接触をもたらす変異体は、活性を有する三次元構造の形成が不可能で、また不安定であるため、細胞内で速やかに分解されると考えられる。一方、亜型で認められる変異体は、水素結合やファンデルワールス接触を失うため正常体酵素よりは不安定であるが、古典型の変異体よりは細胞内で安定に存在しうると考えられる。そのためそれぞれの変異体において、細胞内に残存する酵素量に差異が現れる。細胞内に残存する酵素量の多少が、古典型と亜型ファブリー病患者間での異なる残存酵素活性値を示す原因で、それぞれの臨床表現型を決定すると考えられる。しかし、古典型ファブリー病患者で同定されたC142Y変異体では活性部位入口をTyr側鎖が塞ぎ、基質の活性部位への結合を阻害するため、遺伝子発現産物は充分量存在するものの、活性が完全に失われると考えられる。

審査要旨

 リソソーム酵素ヒト-ガラクトシダーゼは,グロボトリアオシルセラミドなどの糖脂質の非還元末端糖鎖に結合しているガラクトース残基を水解遊離する。その遺伝子の変異に由来する酵素活性の低下は,スフィンゴ糖脂質代謝異常症のファブリー病を引き起こす。ファブリー病は,おもにヘミ接合体の男性に症状が現れ,早期発症で酵素活性がほとんど認められず,血管系の内皮細胞,腎臓,心筋や神経節細胞に糖脂質が蓄積して致命的な経過をとる古典型と,晩期発症で数パーセントの酵素活性が認められ,心臓肥大などに限局した症状を示す亜型に大別される。

 本論文の研究は,アスパラギン結台型(Asn結合型)糖蛋白質であるヒト-ガラクトシダーゼをメタノール資化酵母Pichia pastorisにより大量に発現させ,その三次元構造をX線結晶構造解析により明らかにし,構造と機能の関係,そして,遺伝子変異による酵素活性の変化要因を考察したものである。

 研究では,まず,シグナルペプチドを含む全アミノ酸配列をコードするヒト-ガラクトシダーゼの遺伝子をP.pastorris GS115細胞株に導入し,シグナルペプチドが除去された398アミノ酸残基のサブユニットから成るホモダイマー酵素を培地中に分泌発現させた。SDS電気泳動とマススペクトルにより,約6kDaのAsn結合型塘鎖がサブユニットに結合していること,エンドグリコシダーゼ処理によって酵素から糖鎖を切断して短糖鎖化しても酵素活性が保持されることを示した。

 短糖鎖化試料から,酒石酸ナトリウムカリウムを結晶化剤として,非対称単位にダイマー1分子が存在する斜方晶系C2221のネーティブ体結晶を蒸気平衡拡散法により得た。さらに,硫酸アンモニウムを結晶化剤として,非対称単位にサブユニット1分子が存在する立方晶系I213のネーティブ体結晶を析出させ,本酵素が二回対称を有することを示した。

 斜方晶系結晶について,多重重原子同型置換法によって初期位相を算出し,溶媒領域と非結晶学的対称性に基づく電子密度の平均化を経て、分解能2.6Åでの結晶学的な三次元構造の精密化を行った。酵素の触媒機構と基質特異性を検討するため,基質類似阻害剤N-(N-benzyloxycarbonyl-6-aminohexyl)--D-galactopyranosylamine,BAGを斜方晶系結晶にsoaking法により導入して複合体結晶を調製した。斜方晶系結晶の構造を探索分子とする分子置換法により立方晶系結晶と複合体結晶の構造モデルを得て,それぞれ分解能2.7Åと2.5Åで精密化した。得られた主な知見は以下のとおりである。

 ヒト-ガラクトシダーゼは,図に示すように,長さ75Å,幅70Å,高さ45Åのダイマー構造をとっている。サブユニットは,N末端側のおよそ280アミノ酸残基からなる(/)8バレル構造のドメインと,C末端側のおよそ90アミノ酸残基からなる8本鎖の逆平行シート構造のドメインに分けられる。サブユニット内には5つのジスルフィド結合が存在し,サブユニット分子の構造の安定化に寄与しているが,ドメイン間あるいはサブユニット間をつなぐジスルフィド結合は存在しない。N末端側のドメインに位置するAsn139,Asn192とAsn215にはN-アセチルグルコサミンの電子密度が各サブユニットに認められた。これらの糖鎖結合部位は,いずれもダイマー形成の接触部から離れた蛋白質分子の表面に存在し,活性部位からも遠く離れており,酵素の触媒反応への糖鎖の直接的な関与の可能性は少ないとしている。

 BAG分子はバレル鎖のC末端側に存在するポケット様部位(図中の*部位)に結合しており,このエキソグリコシダーゼに特徴的なポケット構造が活性部位となっている。ポケット壁にはAsp92,Asp93,Lys168,Glu203,Asp231などの極性側鎖のアミノ酸残基が存在し,BAGの糖部位と水素結合を形成している。ポケットの底にはTrp47,側壁にはTyr134などの芳香性残基が,入口にはCys142とCys172が存在する。これら残基は他種由来の-ガラクトシダーゼの配列上でも保存されている。

図表

 本酵素の触媒機構に関して次のように考察している。まず,Asp231の力ルボキシル側鎖が基質のO-グリコシド結合を成す酸素原子にプロトンを供与する酸触媒として働いて,O-グリコシド結合を切断させる。生じるオキソカルベニウムイオン中間体は,基質を挟んでAsp231の反対側に位置するAsp170の負電荷によって安定化される。次に,Asp231が塩基触媒となって水分子を活性化し,アノメリック位炭素を求核攻撃させ,末端のガラクトースの1位に水分子を付加させる。

 基質特異性に関しては,非還元末端にN-アセチルガラクトサミンが結合している基質が本酵素に結合できないのはGlu203とLeu206が障害となること,また,非還元末端がグルコースやマンノースなどの基質ではTrp47が,結合している基質ではCys142とCys172との間のジスルフィド結合が障害となることを指摘している。

 古典型ファブリー病でのアミノ酸残基の変異は,二次構造を構成する残基,とくに,活性部位のあるN末端側ドメインの鎖部とその周辺に多く存在する。そのため,変異残基の近傍には密なファンデルワールス接触が生じ,酵素活性を有する安定な三次元構造の形成が困難となって,変異体は細胞内で分解され易くなると考察している。Cys142Tyr変異体については,Tyr側鎖が活性部位入口を塞いで基質の結合を妨げるため,遺伝子発現産物は充分量存在しても活性が完全に失われるとしている。亜型ファブリー病でのアミノ酸残基の変異はループ部分あるいはヘリックス部に集中しており,変異残基と周囲の残基との間で三次元構造の維持に必要な水素結合やファンデルワールス接触が失われ,変異体は正常体よりは不安定となる。

 本論文は,リソソーム糖蛋白質のヒト-ガラクトシターゼの構造と機能の理解に必須となる三次元構造について詳細な知見を与え,また,本酵素の異常で発症するファブリー病の治療に向けた有用な構造情報をもたらしている。よって,本論文は,蛋白質の構造化学と構造生物学の面から薬学の進歩に貢献するところが大きく,博士(薬学)の学位の授与に価すると判定した。

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