審査要旨 | | 長期記憶の形成には遺伝子発現と蛋白質合成が必要であることは広く認められている.学習により,転写因子をコードする最初期遺伝子群の発現が誘導され,ついで,それらにより長期記憶関連遺伝子の発現が誘導されるものと考えられている.しかしながら,実際にどのような遺伝子が長期記憶の形成に関与しているのか,同定された例はほとんどないのが現状である.本研究は,高い連合学習能力と単純な中枢神経系を有する陸棲軟体動物ナメクジ(Limax marginatus)を用いて,長期記憶形成に伴い発現する遺伝子を同定し,その遺伝子産物の機能を解析したものである. 匂い忌避連合学習から3時間後において,嗅覚-味覚連合学習させた個体群とさせなかった個体群の間で発現が異なる遺伝子をmRNA differential display法により3種同定した.これらの遺伝子の部分cDNA配列を用いて,Northern blot hybridizationを行った結果,両群の間で発現に明確な差が認められた1クローンについてさらに研究を進めた.得られた部分cDNA配列から,5’-RACE法により全長cDNA配列を得た.そのサイズは578bp(121アミノ酸をコード)であった.蛋白質はSDS-PAGE上で18kDaの分子量を示すことから,Learning Associated Protein of Slug with molecular weight of 18kDa(LAPS18)と命名した.Liamx組織に対するNorthern blot hybridizationおよびWestern blot解折から,LAPS18のmRNAおよび蛋白質ともに,感覚中枢であり,かつ記憶の場と考えられている脳神経節に主に発現していた. Limax脳神経節におけるLAPS18蛋白質の発現量の学習後の経時変化を調べたところ,学習から12時間後に発現量が増大し,48時間後にも保たれていた.さらに免疫組織化学的解析から,学習後12時間において,学習させていない個体の脳神経節ではLAPS18は細胞体に留まっていたのに対し,学習させた個体の脳神経節では,細胞体及び神経突起に多く認められた.すなわち,記憶の獲得によりLAPS18の局在が変化することが示された。 LAPS18遺伝子をCOS7細胞で発現させた実験から,LAPS18は分泌タンパク質であることが示された.そこで,Limax PCの初代培養細胞においてLAPS18の細胞内局在を免疫組織化学的に調べた.Triton X-100処理を行った細胞では,神経突起が染色された.Triton X-100処理を行わなかった場合には,細胞同士が相互に接触している部分,及び神経突起の末端のみが染色された.従って,LAPS18は細胞体で生合成された後,神経突起を経由して末端で分泌され,神経末端および細胞接着面に分布するものと考えられた.また細胞同士が接着する部位で分泌される可能性も考えられる.初代培養細胞の培地中にLAPS18は見出せなかったが,これは分泌されたLAPS18が膜上などにある蛋白質などに直ちに結合するためと考えられる. LAPS18は分泌型であり,細胞外から細胞に作用している可能性が示されたことから,Limax脳神経節前葉初代培養細胞にLAPS18を作用させた時の効果を調べた.初代培養細胞は通常培養条件下で,細胞が移動し凝集体を作る性質を持っているが,1Mのrecombinant LAPS18を培養液に加えると,有意に細胞の移動凝集を促進した.また1Mのanti-LAPS18IgGを加えると細胞の移動は完全に抑制された.さらに,LAPS18をコートしたbeadsを初代培養細胞に添加すると,細胞はbeadsに集まり,beads上を動くのが観測された.以上より,少なくとも培養細胞においてはLAPS18が細胞の移動,接着を促進する機能がある事が明らかにされた. 以上,本研究は,新規学習関連蛋白質LAPS18を発見し,その一次構造,局在,性状を解析したもので,神経科学,細胞生物学に寄与するところが大であり,博士(薬学)の学位を授与するに値するものと判断した. |