学位論文要旨



No 115499
著者(漢字) 根本,洋子
著者(英字)
著者(カナ) ネモト,ヨウコ
標題(和) 細胞表面糖鎖の転移性への関与 : マウス大腸癌肝転移モデルにおける解析
標題(洋)
報告番号 115499
報告番号 甲15499
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第915号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 武藤,誠
 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 助教授 久保,健雄
内容要旨 序論

 悪性腫瘍組織の病理標本において、糖鎖認識抗体やレクチンが結合する部位の分布を解析した結果から、種々の糖鎖の発現が癌の進行に伴って変化することが明らかである。糖鎖は糖タンパク質の機能を制御したり、糖認識タンパク質であるレクチンと結合することにより、細胞の活性化や交通を制御すると考えられる(1)。癌細胞表面の糖鎖が癌細胞の悪性度を規定するメカニズムの解明を目指して、ヒト癌細胞をヌードマウスに移植するモデルが用いられ研究が進んだ。しかし、腫瘍形成や転移に免疫系が関与することを考えると、同種移植モデルや発癌転移モデルの使用が必須と考えられた。そこで本研究は、マウス大腸癌細胞株colon38を用いて肝転移形成過程に糖鎖が決定的な役割を持つことを示し、そのメカニズムを分子レベル細胞レベルで明らかにすることを目的にした。

結果と考察I.colon38細胞と高転移性バリアント細胞の細胞表面糖鎖

 colon38細胞を同系マウスの脾臓内に投与し、肝転移巣から癌細胞を取得するin vivoでの選別を4回繰り返すことにより樹立された肝高転移株colon38-SL4(SL4)(2)と親株の細胞表面糖鎖を17種類のレクチンと抗体を用いてフローサイトメトリーにより解析した。

 両細胞で相違が見られたのはPNA、SNA、UEA-I、抗LeX、LeY、Leb抗体の結合性で、いずれもcolon38細胞が陽性であるのに対し、SL4細胞は陰性であった(表1)。この結果から、マウスin vivoで選別した細胞において、転移性の上昇に伴って複数の糖鎖の発現が変化していることが分かった。この変化は複数の機構によっている可能性もあるが、糖鎖を提示するコアタンパク質の減少、あるいは後述するようにT抗原のシアリル化による伸長型糖鎖の生合成の低下(図1)によるとすれば、複数の糖鎖の発現が共通の機構で低下していることも考えられた。

表1 colon38細胞で陽性、SL4細胞、38-N4細胞で陰性の糖鎖図1 O-結合盟糖鎮の生合成
II.in vitroにおけるPNA非結合性細胞の取得

 PNAはその結合がヒト大腸癌の進行に伴って変化することが最も多く報告されているレクチンの一つである。しかしながらPNAが結合する糖鎖、すなわちT抗原が腫瘍形成や転移形成に果たす役割は不明であった。T抗原は図1に示すようにO-結合型糖鎖の根幹構造であり、Galの3位またはGalNACの6位がシアリル化されるとPNA結合性が消失すると同時にコア2-N-アセチルグルコサミン転移酵素(C2GlcNAcT)による糖鎖の伸長が阻害される。本研究ではcolon38細胞とSL4細胞で相違が見られた糖鎖のうち、T抗原に着目した。

 in vitroで糖鎖の発現の違いにより選別した細胞の性質を解析するため、colon38細胞からマグネティックセルソーターによりPNA非結合性画分を取得することを4回繰り返し、38-N4細胞を樹立した。38-N4細胞の細胞表面糖鎖をフローサイトメトリーにより解析すると、PNA陰性であるのみならず、SNA、UEA-I、抗LeX、LeY、Leb抗体でも陰性であり、colon38細胞とは異なりSL4細胞と類似していた(表1)。そこで、38-N4細胞もSL4細胞と同様にin vivoで高転移性を示すのか、また糖鎖の発現の変化の機構が同じであるのかを解析した。

III.38-N4細胞のマウス脾臓内投与における腫瘍形成、肝転移形成

 colon38細胞および38-N4細胞を同系のC57BL/6マウスの脾臓内に1匹あたり1.2x106細胞投与し、24日後に脾臓(移植部位)および肝臓(転移巣)の重量を測定し、腫瘍形成の指標とした(表2)。colon38細胞は脾臓に腫瘍を形成したが、38-N4細胞は肉眼的に観察できる腫瘍を形成せず、脾臓重量はcolon38細胞投与群が38-N4細胞投与群より有意に高かった(p<0.0001)。一方肝転移性はcolon38細胞に比べ38-N4細胞の方が有意に高かった(p=0.0009)。すなわち糖鎖の発現をもとにin vitroで選別した細胞が、in vivoにおいて高転移性を獲得したことが示された。

表2 colon38細胞、38-N4細胞を1.2x106細胞脾臓内投与したマウスの24日後の腫瘍形成

 SL4細胞は脾臓における腫瘍形成と肝転移性がともにcolon38細胞よりも高い。SL4細胞はin vivoで高転移性のものを選別して得られた細胞株であり、これらの性質を変化させる原因は複数存在すると考えられるが、38-N4細胞では糖鎖発現の変化がより直接的に影響していると考えられる。

IV.SL4細胞、38-N4細胞のPNA結合性消失の機構

 PNAはシアリル化されたT抗原には結合しない。PNA結合性が消失する原因としては、O-結合型糖鎖の付加しうるコアタンパク質の発現減少、糖鎖構造の変化(Tn抗原からT抗原への生合成の低下、Tn抗原のシアリル化、T抗原のGalの3位またはGalNAcの6位へのシアリル化)などが考えられる(図1)。このうち、T抗原へのシアリル化の増加の可能性に着目し、以下の解析を行った。colon38細胞、SL4細胞、38-N4細胞を0.1U/mlシアリダーゼ(Clostridium perfringens由来、2,3Siaに基質特異性が高い)含有血清不含培地(pH7.2)に1x106細胞/mlに懸濁し、37℃で1時間処理した後にPNAでフローサイトメトリーを行った。この結果、SL4細胞、38-N4細胞ともにシアリダーゼ処理によりPNA陽性となることから、親株のcolon38細胞に比べ、T抗原のシアリル化が増加していることが示された。

 T抗原をシアリル化するシアル酸転移酵素には複数の分子種が存在する。マウスではST3Gal I、ST3Gal II、ST6GalNAc I、ST6GalNAcIIが報告されている(図1)。これらのうちのいずれがSL4細胞、38-N4細胞においてT抗原のシアリル化の増加に寄与しているかを検討するため、これらの糖転移酵素の発現をRT-PCR法により比較した(図2)。その結果、38-N4細胞ではcolon38細胞に比べST3GalIIおよびST6GalNAcIIのmRNAの発現が高く、SL4細胞ではST3GalIIの発現が高いことがT抗原のシアリル化が増加している一因であることが示唆された。

V.SL4細胞、38-N4細胞の伸長型糖鎖発現の変化の機構

 SL4細胞、38-N4細胞においてcolon38細胞に比べて伸長型糖鎖の発現が低下していることが観察されたが(表1)、その原因はT抗原のシアリル化の増加だけでなく、C2GlcNAcTの発現減少である可能性があった。そこでRT-PCR法により検討した結果、SL4細胞、38-N4細胞のC2GlcNAcTの発現はcolon38細胞よりもむしろ高い傾向があった(図2)。

図2 colon38細胞、SL4細胞、38-N4細胞のRT-PCR法によるシアル酸転移酵素およびコア2-N-アセチルグルコサミン転移酵素mRNAの発現の比較

 SL4細胞と38-N4細胞では、糖鎖の発現パターンは類似しているが、その生合成の制御機構には相違点があることが示唆された。これらの細胞では脾臓における造腫瘍性も異なっており、なんらかの関係があるのかも知れない。

まとめ

 本研究により、マウス大腸癌細胞株colon38と、colon38細胞がらin vivoで肝臓へ高転移性の細胞を選別して得られたSL4細胞の細胞表面糖鎖の発現が異なることが明らかになった。さらにcolon38細胞からin vitroでPNAに結合しない細胞を選別して樹立された38-N4細胞は、細胞表面糖鎖の発現パターンがSL4細胞と類似し、マウス脾臓内投与肝転移モデルにおいて高い肝転移性を示した。

 またSL4細胞、および38-N4細胞では、colon38細胞に比べてシアル酸転移酵素mRNAの発現が上昇していることにより、T抗原のシアリル化が亢進していることが示唆された。

 これまでT抗原の発現が異なることによってin vivoにおける挙動の異なる大腸癌細胞のモデルは存在しなかった。糖鎖抗原のGal、GalNACを認識するレクチンであるmMGLを発現するマクロファージが、SL4細胞や38-N4細胞に比較してcolon38細胞とmMGLを介して相互作用しやすい可能性や、SL4細胞や38-N4細胞ではシアル酸の付加によってNK細胞抵杭性を獲得している可能性が考えられる。今後は本研究に用いた細胞の系で、宿主の免疫細胞との相互作用に着目し、腫瘍形成、転移形成におけるT抗原、sialylT抗原の役割を解析する予定である。

参考文献(1)Y.Nemoto,Y.Izumi,K.Tezuka,T.Tamatani,and T.Irimura;Comparison of 16 human colon carcinoma ceu lines for their expression of sialyl LeX antigens and their E-selectin-dependent adhesion,Clin.Exp.Metastasis,16,569-576(1998)(2)M.Morimoto,M.Tsuiji,and T.Irimura;Differential gene expression of highly metastatic variants and clones of mouse colon adenocarcinoma colon 38 cells,in preparation
審査要旨

 細胞表面糖鎖の転移性への関与-マウス大腸癌肝転移モデルにおける解析、との題目を持つ本論文は、マウス大腸癌細胞株colon38細胞のバイアントを用いて新たに開発された肝転移実験モデルにおいて、O-結合型糖鎖(T抗原:Gal1-3GalNAc)へのシアル酸の付加が転移決定因子の一つであることを示したものである。悪性腫瘍組織の病理標本において、糖鎖詔識抗体やレクチンによって検出される種々の糖鎖の発現が、癌の進行に伴って変化することが見い出されている。特にT抗原は、このような糖鎖性腫瘍抗原の一つであり、前駆体型のO-結合型糖鎮であることからも注目される。癌細胞表面の個々の糖鎖の生合成の制御や機能と、転移性の高い癌細胞が生じてくる機構との関係を解明することは、これまで困難であった。本研究は、in vivoで選別した高転移性バリアント細胞株及び細胞表面糖鎖の差異によって選別した糖鎖バリアント細胞株を用いて、同種移植モデルで実験的な転移性を確かめた上で、糖鎖のパターンとそれらの生合成機構を分子レベルで解析した結果を示したもので、重要かつユニークな成果を得ている。

 本論文は序章と終章のほかに五つの部分から成るが、全体が一つの目標のもとに行われた関連性の深い研究成果としてまとまっている。第1部では、親株であるcolon38細胞と新たに設立された高転移性バリアント細胞SL4の細胞表面糖鎖が、レクチンや抗体を用いてフローサイトメーターによりで解析された。両細胞で相違が見られたのはピーナッアグルチニン(PNA:T抗原特異的)、ニワトコレクチン(SNA)、ハリエニシダレクチン-I(UEA-I)の3種のレクチンと、抗LeX、LeY、Leb抗体の結合性で、いずれもcolon38細胞が陽性であるのに対し、SL4細胞は陰性であった。この結果から、in vivoで選別した細胞において、転移性の上昇に伴って複数の糖鎖の発現が変化していることがわかった。

 次に第2部では高転移性バリアント細胞でPNA結合性が低いことに着目し、colon38細胞からマグネテイックセルソーターによりPNA非結合性画分を取得することを4回繰り返し、38-N4細胞を樹立した。38-N4細胞の細胞表面糖鎖をフローサイトメトリーにより解析すると、PNA陰性であるのみならず、SNA、UEA-1、抗LeX、LeY、Leb抗体でも陰性であり、colon38細胞とは異なりSL4細胞と類似していた。これらの結果から、colon38細胞の親株には、PNA結合部位をSNA、UEA-I、LeX、LeY、Leb等の糖鎖構造とともに産生しないと言う性質を持つ亜集団が含まれていた、と考えられた。この亜集団は、in vivoにおける選別だけでなく、PNA非結合性によってもin vitroで選別されたと仮定できる。

 そこで第3部では、38-N4細胞もSL4細胞と同様にin vivoで高転移性を示すのかを検定した。colon38細胞は脾臓に腫瘍を形成したが、38-N4細胞は肉眼的に観察できる腫瘍を形成せず、脾臓重量を測定して腫癌形成の指標とするとcolon38細胞移植群が38-N4細胞移植群より有意に高かった。一方肝転移性はcolon38細胞に比べ38-N4細胞の方が有意に高かった。従って、38-N4細胞は、in vivo選別されたSL4細胞と全く同一の亜集団ではないが、PNA結合性が低いことと、肝臓への転移性が高いこととの、二つの性質を兼ね備えている点では類似の細胞集団であることが判明した。ヒト大腸癌の臨床検体では、癌の進行と転移性の獲得に伴ってPNAの結合性が増大するとの報告と、低下すると言う報告とがこれまでになされていたが、本研究によって、マウス大腸癌細胞株colon38においては、転移性の獲得に伴ってPNAの結合性は低下することが実験的に確かめられた。

 第4部では、PNA結合部位(T抗原)の産生量が転移性の高い細胞株で低下している原因を明らかにしている。先ず、これらの細胞ではT抗原へのシアル酸の付加が起こっていることを明らかにし、これが2種類のシアル酸転移酵素(ST)のmRNAレベルでの増加による可能性が大きいことを示した。38-N4細胞ではcolon38細胞に比べST3GalII及びST6GalNAcIIのmRNAの発現が高く、SL4細胞ではST3GalIIの発現が高かった。下の図に示すように、これらのシアル酸転移酵素の活性レベルの上昇によってT抗原が修飾される経路が変化し、T抗原の減少と伸長型糖鎖の先端に存在するエピトーブの発現レベルの減少が同時に起こっていると考えられた。

図表

 SL4細胞と38-N4細胞においてcolon38細胞に比べて伸長型糖鎖の発現が低下していることが観察されたので、その原因はT抗原のシアル酸の付加の増加だけでなく、Core2-GlcNAc転移酵素の発現減少である可能性があった。そこで第5部ではRT-PCR法によりこの酵濃の発現レベルを検討した結果、SL4細胞、38-N4細胞のCore2-GlcNAcTの発現はcolon38細胞よりもむしろ高いことを明らかにした。

 本研究により、in vivoで肝臓へ高転移性の細胞を選別して得られたSLA細胞と、in vitroでPNAに結合しない細胞を選別して得られた38-N4細胞とが、ともに高い肝転移性を示し、ともにT抗原にシアル酸を転移するシアル酸転移酵素mRNAの発現が上昇していることが示された。本研究から、癌細胞表面糖鎖がマウス大腸癌細胞の実験的な転移性を直接左右していることが示された。同じ構造がヒトの同じタイプの癌の悪性度の指標となることがらヒト消化器癌特に大腸癌の自然史の理解に貢献するはずである。このように腫瘍生物学と糖鎖生物学に強いインパクトを持つ本研究を行った根本洋子は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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