細胞表面糖鎖の転移性への関与-マウス大腸癌肝転移モデルにおける解析、との題目を持つ本論文は、マウス大腸癌細胞株colon38細胞のバイアントを用いて新たに開発された肝転移実験モデルにおいて、O-結合型糖鎖(T抗原:Gal1-3GalNAc)へのシアル酸の付加が転移決定因子の一つであることを示したものである。悪性腫瘍組織の病理標本において、糖鎖詔識抗体やレクチンによって検出される種々の糖鎖の発現が、癌の進行に伴って変化することが見い出されている。特にT抗原は、このような糖鎖性腫瘍抗原の一つであり、前駆体型のO-結合型糖鎮であることからも注目される。癌細胞表面の個々の糖鎖の生合成の制御や機能と、転移性の高い癌細胞が生じてくる機構との関係を解明することは、これまで困難であった。本研究は、in vivoで選別した高転移性バリアント細胞株及び細胞表面糖鎖の差異によって選別した糖鎖バリアント細胞株を用いて、同種移植モデルで実験的な転移性を確かめた上で、糖鎖のパターンとそれらの生合成機構を分子レベルで解析した結果を示したもので、重要かつユニークな成果を得ている。 本論文は序章と終章のほかに五つの部分から成るが、全体が一つの目標のもとに行われた関連性の深い研究成果としてまとまっている。第1部では、親株であるcolon38細胞と新たに設立された高転移性バリアント細胞SL4の細胞表面糖鎖が、レクチンや抗体を用いてフローサイトメーターによりで解析された。両細胞で相違が見られたのはピーナッアグルチニン(PNA:T抗原特異的)、ニワトコレクチン(SNA)、ハリエニシダレクチン-I(UEA-I)の3種のレクチンと、抗LeX、LeY、Leb抗体の結合性で、いずれもcolon38細胞が陽性であるのに対し、SL4細胞は陰性であった。この結果から、in vivoで選別した細胞において、転移性の上昇に伴って複数の糖鎖の発現が変化していることがわかった。 次に第2部では高転移性バリアント細胞でPNA結合性が低いことに着目し、colon38細胞からマグネテイックセルソーターによりPNA非結合性画分を取得することを4回繰り返し、38-N4細胞を樹立した。38-N4細胞の細胞表面糖鎖をフローサイトメトリーにより解析すると、PNA陰性であるのみならず、SNA、UEA-1、抗LeX、LeY、Leb抗体でも陰性であり、colon38細胞とは異なりSL4細胞と類似していた。これらの結果から、colon38細胞の親株には、PNA結合部位をSNA、UEA-I、LeX、LeY、Leb等の糖鎖構造とともに産生しないと言う性質を持つ亜集団が含まれていた、と考えられた。この亜集団は、in vivoにおける選別だけでなく、PNA非結合性によってもin vitroで選別されたと仮定できる。 そこで第3部では、38-N4細胞もSL4細胞と同様にin vivoで高転移性を示すのかを検定した。colon38細胞は脾臓に腫瘍を形成したが、38-N4細胞は肉眼的に観察できる腫瘍を形成せず、脾臓重量を測定して腫癌形成の指標とするとcolon38細胞移植群が38-N4細胞移植群より有意に高かった。一方肝転移性はcolon38細胞に比べ38-N4細胞の方が有意に高かった。従って、38-N4細胞は、in vivo選別されたSL4細胞と全く同一の亜集団ではないが、PNA結合性が低いことと、肝臓への転移性が高いこととの、二つの性質を兼ね備えている点では類似の細胞集団であることが判明した。ヒト大腸癌の臨床検体では、癌の進行と転移性の獲得に伴ってPNAの結合性が増大するとの報告と、低下すると言う報告とがこれまでになされていたが、本研究によって、マウス大腸癌細胞株colon38においては、転移性の獲得に伴ってPNAの結合性は低下することが実験的に確かめられた。 第4部では、PNA結合部位(T抗原)の産生量が転移性の高い細胞株で低下している原因を明らかにしている。先ず、これらの細胞ではT抗原へのシアル酸の付加が起こっていることを明らかにし、これが2種類のシアル酸転移酵素(ST)のmRNAレベルでの増加による可能性が大きいことを示した。38-N4細胞ではcolon38細胞に比べST3GalII及びST6GalNAcIIのmRNAの発現が高く、SL4細胞ではST3GalIIの発現が高かった。下の図に示すように、これらのシアル酸転移酵素の活性レベルの上昇によってT抗原が修飾される経路が変化し、T抗原の減少と伸長型糖鎖の先端に存在するエピトーブの発現レベルの減少が同時に起こっていると考えられた。 図表 SL4細胞と38-N4細胞においてcolon38細胞に比べて伸長型糖鎖の発現が低下していることが観察されたので、その原因はT抗原のシアル酸の付加の増加だけでなく、Core2-GlcNAc転移酵素の発現減少である可能性があった。そこで第5部ではRT-PCR法によりこの酵濃の発現レベルを検討した結果、SL4細胞、38-N4細胞のCore2-GlcNAcTの発現はcolon38細胞よりもむしろ高いことを明らかにした。 本研究により、in vivoで肝臓へ高転移性の細胞を選別して得られたSLA細胞と、in vitroでPNAに結合しない細胞を選別して得られた38-N4細胞とが、ともに高い肝転移性を示し、ともにT抗原にシアル酸を転移するシアル酸転移酵素mRNAの発現が上昇していることが示された。本研究から、癌細胞表面糖鎖がマウス大腸癌細胞の実験的な転移性を直接左右していることが示された。同じ構造がヒトの同じタイプの癌の悪性度の指標となることがらヒト消化器癌特に大腸癌の自然史の理解に貢献するはずである。このように腫瘍生物学と糖鎖生物学に強いインパクトを持つ本研究を行った根本洋子は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。 |