昆虫の卵形成は、1つの始原生殖細胞が細胞分裂し、成長期には哺育細胞と卵母細胞に分化する。そして、卵母細胞は哺育細胞から母性由来の因子を受け取り、成長し、成熟期になると減数分裂をへて成熟卵となる。その後、受精がおこり胚発生が始まる。 卵母細胞は、これら母性由来の因子の多くを卵形成後期の成熟期から胚発生初期にかけて機能させることが知られている。 さて、新規卵由来チロシンフォスファターゼEDTPは、このような母性由来の因子の一つであり、もともとは、私が、修士課程において、プロテアーゼセンチニクバエカテプシンLの初期胚発生での生体内基質蛋白の1つとして未受精卵中から精製、構造決定した蛋白である。 EDTPは、構造上新規であり、細胞内チロシンフォスファターゼの活性部位が保存されており、実際、フォスファターゼ活性を有すること、さらに、発現時期の解析によりセンチニクバエ卵形成成長期から胚発生期にかけて発現することを私は明らかにしてきた。一般に、プロテインチロシンホスファターゼはそのチロシン脱リン酸化活性により蛋白の機能を制御することが知られているが、卵形成、胚発生における生体内機能については、未だ不明な点が多く残されている。よって、EDTPの機能を解析することにより、卵形成、胚発生での脱リン酸化による制御の重要性が明らかにできると考えられる。私は、そのために、ショウジョウバエを用い、遺伝学的にEDTPの機能を解析することが必要であると考えた。 私は、ショウジョウバエのEDTPホモローグのcDNAを遺伝子を単離し、その遺伝子欠損変異体を作成し、胚発生、および、卵形成におけるその形質を解析した。その結果、EDTP遺伝子は胚発生、卵形成ともに必須な遺伝子であることを明らかにした。卵形成では、特に、その成長期の発生に関与することを明らかにした。 1.ショウジョウバエのEDTPホモローグcDNAのクローニングとその発現解析 ショウジョウバエEDTPのホモローグcDNAの単離を行った。方法は、センチニクバエEDTPをコードする核酸配列を用いデータベースに対してホモロジーサーチを行ったところ、65%の相同性を有する約600bpの配列が検出された。そこで、この配列がショウジョウバエホモローグの部分核酸配列であると考え、この配列をショウジョウバエ胚由来cDNA libraryを鋳型に、PCRにより単離し、さらにこれをプローブに、プラークハイブリダイゼイションを行い完全長のcDNAを単離した。 その結果、センチニクバエEDTPと全長に渡って約60%の相同性を示す蛋白をコードするcDNAが得られた。チロシンフォスファターゼ活性部位のアミノ酸配列は両者で完全に一致していた。これらの結果から、EDTPショウジョウバエホモローグのcDNAが得られたと判断した。 次に、ショウジョウバエEDTPがライフサイクルのどの時期に発現しているかを検討するためにノザンブロット解析を行った。その結果、胚発生の初期から後期にかけて選択的にEDTP遺伝子が発現していることがわかった。このことからショウジョウバエEDTP遺伝子はセンチニクバエにおける場合と同様に胚発生の過程で機能していることが考えられる。 次に、卵形成過程におけるEDTPの遺伝子発現とその発現細胞を特定する目的でショウジョウバエ卵巣に対してin situ hybridizationを行った。その結果、EDTPmRNAは卵形成初期の成長期から発現しており、その後、発生が進むと、哺育細胞に強く発現していることがわかった。また、卵母細胞にも弱く検出された。この卵母細胞のmRNAは、哺育細胞から供給されたmRNAであると考えられる。これらのことから、EDTP遺伝子は卵形成初期の成長期から機能していると考えられる。また、卵形成後期の卵母細胞ではmRNAから蛋白への翻訳が抑制されていることから、この時期のmRNAはこの後、卵形成後期から胚発生初期に翻訳され、機能すると考えられる。 そこでEDTP遺伝子の機能解析を、卵形成と胚発生の2つの時期について行った。 2.EDTP遺伝子欠損変異体の作成とその卵形成、胚発生での解析 遺伝学的解析を行うために、唾液腺染色体上でchromosome mappingを行ったところ、EDTP遺伝子座は、第2染色体右腕、54Bであることが明らかとなった。この情報を基に、データベースを検索したところ、EDTP遺伝子中にpエレメントの挿入された系統が存在することがわかった。しかし、この系統ではRT-PCR解析によりEDTP mRNAが発現していることがわかった。そこで、EDTP遺伝子欠損変異体を作成することを目的に、この系統をトランスポゼースを持つ系統と交配し、近傍遺伝子配列と共にpエレメントを切り出し新しい系統を樹立した。 まず、EDTP遺伝子欠損変異体を用いて胚発生における解析を行った。 方法は、EDTP遺伝子欠損と野生型EDTP遺伝子をヘテロにもつヘテロ欠損体同士を交配し、生まれた胚の致死率を測定した。その結果、野性型EDTPをもつ親同士を交配すると、受精後48時間後には、94%の胚が胚発生を完了していた。このとき、ヘテロ欠損体の親同士を交配すると約1/4にあたる24%の胚が胚致死となった。この結果は、EDTP遺伝子がホモで欠損すると胚致死になることを示唆している。そこでこのことを確認するために胚致死となる前の胚発生初期の胚1つずつから独立にmRNAを調製して、RT-PCRを行い、EDTP遺伝子発現の有無を検討した。その結果、EDTP遺伝子の発現は6個体中、4個体でのみ発現が検出され、2個体では検出されなかった。このことから、EDTP遺伝子がホモに欠損すると胚発生の過程で致死となることがこの結果からも示唆された。現在、胚発生におけるこの変異体の表現型の詳細を解析中である。 次に、EDTP遺伝子は胚発生期のみならず、卵形成期にも発現が見られることから、EDTP遺伝子欠損体を用いて卵形成における解析を行った。EDTP遺伝子をホモに欠損すると、前節で述べたように、胚致死となり、成虫メスの卵巣を解析することができない。そこで、卵形成の過程でEDTP遺伝子がホモに欠損したgermline cloneを作成し、解析した。 EDTP遺伝子がホモに欠損した成虫メスの卵巣を解剖し観察したところこのように13個体中1個体も卵形成が正常に起こっていないことが分かった。このことから、卵形成にEDTPは必須な遺伝子であることが分かった。さらに、このホモ欠損体の卵巣を解剖し、観察したところ、野性型とくらべ小さく、更に拡大して観察すると、野性型で見られる成熟した卵母細胞が、ホモ欠損体では見られないことがわかった。このことは、卵母細胞が形成される前の成長期で、発生が止まっていることを示しており、EDTP遺伝子は、卵形成成長期以前の発生段階で重要な機能を担っていると考えられる。 これまでに報告のあるチロシンフォスファターゼは、この後、さらに発生が進んだ卵形成後期で減数分裂などに機能するものがほとんどであるが、EDTPは卵形成成長期以前で機能する。このことは、脱リン酸化による制御が卵形成の成長期から既に重要であることを示していると考えられる。 3.脊椎動物でのEDTPホモローグの解析 さて、最後に、卵形成は、生物一般によく保存されていることから、EDTP遺伝子は動物種をこえ、脊椎動物にも存在する可能性を考え、データベースに対してホモロジーサーチを行った。その結果、よく似ている蛋白がヒト、ゼブラフィッシュといった脊椎動物にも存在することが分かった。これら2つの蛋白も既知のEDTPと同様に卵形成や、胚発生に関与するチロシンフォスファターゼである可能性が考えられる。 4.まとめと考察 私は、ショウジョウバエEDTPホモローグcDNAを単離し、その遺伝子欠損変異体を作成し、胚発生と卵形成の過程で解析した。その結果、EDTP遺伝子は卵形成、胚発生の両方の過程で必須な遺伝子であることを明らかにした。 これまでに報告のあるチロシンフォスファターゼは、卵形成過程では、減数分裂などの卵形成後期の成熟期で機能するものがほとんどであるが、EDTPは卵形成成長期から機能する。このことは、脱リン酸化による制御が卵形成の成長期から重要であることを示す初めての知見である。またEDTP遺伝子は、胚発生にも必須であることから、EDTPは卵形成と胚発生の2つの時期に制御的な機能を果たしていると考えられる。今後は、EDTPの基質蛋白を同定することによって、EDTPの具体的な機能を明らかにしていこうと考えている。 |