胃酸を分泌するプロトンポンプ(H+/K+-ATPase)は、休止状態においては小管小胞(tubulovesicle)に存在するが、cAMP上昇による胃酸分泌刺激を受けると小管小胞が分泌側膜に融合し、同時に分泌側膜がK+およびCl-透過性を獲得することによって間接的にプロトンポンプが活性化される。このプロトンポンプの活性化には酵素自体のリン酸化は関与しないため、cAMP-dependent protein kinase(PKA)の下流において未知のタンパクがリン酸化され、それが膜融合やイオン透過性に関与していると考えられる。しかし、いまだにcAMP上昇以降の細胞内情報伝達系の解析は進んでいない。本研究は、細胞膜透過性胃底腺モデルを用いることによって、胃酸分泌における細胞内情報伝達系の解析を行ったものである。以下に本研究によって得られた主要な知見をまとめる。 1)-escin透過性胃底腺モデル 本研究の前半においては、-escinを用いることによって新規な細胞膜透過性胃底腺モデルを確立した。このモデルはcAMPに応答して胃酸を分泌する活性を保持したままで、細胞内にペプチドフラグメントを導入することが可能であり、胃酸分泌におけるcAMPの下流にある細胞内情報伝達系の解析に非常に有用であった。このモデルを用いることで、cAMPに依存した胃酸分泌がcAMP-dependent protein kinase(PKA)によって生じることを初めて確認し、他のkinaseや低分子量GTP結合タンパク質の関与の可能性を検討する途を拓いた。さらに、胃酸分泌応答においてmyosin light chain kinase(MLCK)様のkinaseが重要な役割を果たすことを明らかにした。 2)胃酸分泌の再構成系 本研究の後半において、従来のジギトニン透過性胃底腺においてはcAMPによる胃酸分泌応答が消失することに注目し、cytosolを補うことで新たなin vitro再構成系を作成することに挑戦した。この系を用いることによって、brainから得られたcytosolがジギトニン透過性胃底腺における胃酸分泌応答を回復させることを見出した。種々の精製法を組合せることによって、brain cytosol中の胃酸分泌の活性化因子は少なくとも2つの成分からなっていることを明らかにし、そのうちの1つが-PITP(phosphatidylinositol transfer protein)であると同定することに成功した。興味深いことに、胃底腺から得られたcytosolはそれ自体では胃酸分泌を活性化することが出来なかったが、胃底腺cytosolをゲル濾過カラムをもちいて分画化したところ、胃底腺にはbrain cytosol中にも存在する胃酸分泌を刺激する活性とともに胃酸分泌を抑制する活性が存在することを見出した。胃底腺を刺激すると、cytosol中の刺激活性は変化しないが、cytosol中の抑制活性が増大するという現象が観察された。以上の結果は胃酸分泌の細胞内調節因子を分子レベルで理解する突破口を拓くものとなった。 本研究は、以下に示す2つのことを初めて明らかにした。 1)細胞内にペプチドを導入できる透過性胃底腺モデルを作成することで、PKAの下流にMLCK様のkinaseが存在するという新規な情報伝達経路の可能性を示した。 2)ジギトニン透過性胃底腺にcytosolを補うことによって胃酸分泌の再構成に成功し、胃酸分泌の活性化に関与するkey moleculeの1つとしてPITPを見出した。 故に、本研究は壁細胞の細胞生物学に多大な寄与をなすものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。 |