学位論文要旨



No 115502
著者(漢字) 赤木,恵子
著者(英字)
著者(カナ) アカギ,ケイコ
標題(和) 透過性胃底腺を利用した胃酸分泌機構の解析
標題(洋)
報告番号 115502
報告番号 甲15502
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第918号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 新井,洋由
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 背景

 胃酸分泌はparietal cell中のcAMPの上昇によって引き起こされる。しかし、cAMPの上昇以後の細胞内での情報伝達についてはほとんど解析が進んでいない。その理由として、胃酸分泌機構の解析においては適切な透過性細胞系が存在しない事が挙げられる。これまでに、ウサギ胃底腺においては-toxin透過性胃底腺が報告されているが、このモデルではcAMPに反応して胃酸分泌を生じるものの、分子量1,000以上の分子を細胞内に導入する事ができないため、細胞内での情報伝達の解析を行うには限界があった。また、-toxinよりも大きな孔を生じ、自由にタンパクを透過することの出来るdigitonin透過性ウサギ胃底腺においては、細胞膜に透過性を与えた後ではcAMPに対する応答が消失する事が示されている。そこで、まず始めに、胃酸分泌における刺激分泌応答を保持したままで、より大きな分子(peptide fragment)を細胞内に導入できる透過性ウサギ胃底腺を作成する事を第一の目的とした。また、digitonin透過性胃底腺において刺激分泌応答が消失する理由として、細胞膜に生じた孔から胃酸分泌に重要なタンパクが漏洩することが考えられる。そこで、次にdigitonin透過性ウサギ胃底腺において消失した胃酸分泌応答を再構成することを第二の目的とした。

方法と結果1.-escin透過性胃底腺モデルの作成(1)

 ウサギ胃底腺の刺激分泌応答を保持したままで、細胞内により大きな分子を導入するために、-escin透過性胃底腺モデルを作成した。胃酸分泌の定量は弱塩基の化合物[14C]aminopyrineの酸性空間への取り込みを指標とした。この-escin透過性胃底腺においては、cAMPやアデニル酸シクラーゼを活性化するForskolinだけでなく、ヒスタミン受容体を介した刺激によっても胃酸分泌応答が生じた。このcAMPによる胃酸分泌応答はEGTAによってCa2+をキレートした条件下でも生じており、Ca2+濃度を上昇させても胃酸分泌は生じなかった。さらに、こうした応答はcAMP-dependent protein kinase(PKA)に対するinhibitory peptide(30M)によって抑制を受けた(Fig.1)。Ca2+に依存しないcAMP単独の胃酸分泌活性化経路の存在と、cAMPの作用がPKAを介したものであることを初めて明確に示すことができた。PKA以外の細胞内情報伝達因子の関与について調べてみたところ、Protein kinase Cやcalmodulin(CaM)およびCaM kinase IIに対するinhibitory peptideは作用を持たなかった。一方、Myosin Light Chain Kinase(MLCK)のinhibitory peptideは、cAMPによって生じた胃酸分泌応答を強く抑制した。また、この透過性胃底腺においてはGTPの非水解性のアナログであるGTPSは胃酸分泌を抑制した。そこで、種々の低分子量G-タンパク質のeffector domainおよびinhibitory peptideを与えたところ、parietal cell特異的な低分子量G-タンパク質であるRab11のpeptide fragmentは胃酸分泌に作用を持たず、ADP ribosylation factor 1のinhibitory peptideが胃酸分泌を抑制した。

Fig.1:-escin透過性胃底腺におけるPKA inhibitory peptide(PKI)の効果
2.digitonin透過性胃底腺での再構成系

 digitonin透過性胃底腺においてcAMP刺激による胃酸分泌応答が消失する原因は、細胞内からのタンパクの流出によるものと考えられる。そこで、cytosolによって胃酸分泌が再構成されるかどうかを調べた。その結果、brain cytosolによってcAMPに依存しない胃酸分泌応答が生じた。一方、胃粘膜のcytosolが胃酸分泌を惹起することはなく、かえってbrain cytosolによる胃酸分泌を抑制した(Fig.2)。胃粘膜cytosolをゲル濾過(Sepharose CL4B)を用いて分画化したところ、低分子量画分に胃酸分泌を刺激する活性[#18-21]が存在し(Fig.3)、高分子画分には胃酸分泌を抑制する活性[#12-14]が存在した。また、brain cytosolの胃酸分泌活性化成分もSepharose CL4B低分子分画に存在したため、胃酸分泌活性化因子の精製にはbrain cytosolを用いることにした。まず始めにbrain cytosolをより低分子の分画化に適したSuperdex 200カラムでゲル濾過したところ、少なくとも2つの活性成分(peak1[#10,11],peak2[#15,16])が存在する事が明らかとなった。peak1は見かけ上の分子量が20kDaのペプチドであり、peak2は熱耐性の非ペプチド性の低分子であった。これら2つの分画は互いに強い増強活性を持っていた(Fig.4)。peak1を精製するため、bovine brain cytosolをDEAE、Red agarose、Superdex 200,HPLCゲル濾過にかけた.最終的にHPLCゲル濾過(Diol-150)の分画18,19に強い胃酸分泌活性化作用が集中した(Fig.5A)。この分画をSDS-PAGE上で分離したところ、活性と一致する35kDaのタンパクを見出した(Fig.5B)。この35kDaのタンパクはペプチドシークエンスの結果、phosphatidylinositol transfer protein(PITP)であることが判明した。抗体を作成してWestern blotで確認したところ、PITPは胃粘膜cytosolの胃酸分泌活性化画分に存在しており、recombinant PITPをこのdigitonin透過性胃底腺に加えることで胃酸分泌の活性化が生じた。

Fig.2:cytosolによる胃酸分泌活性化作用図表Fig.3:gastric mucosa cytosolゲル濾過分画の胃酸分泌活性化作用 / Fig.4:brain cytosol superdexゲル濾過分画の胃酸分泌活性化作用図表Fig.5A:HPLC Diol-150によるpeak 1の精製 / Fig.5B:活性と相関するbandの同定
まとめ

 細胞内にpeptide fragmentを導入できる透過性胃底腺モデル(-escin透過性胃底腺)を作成することによって、PKAの下流にMLCK様のkinaseが存在するという全く新規な情報伝達経路を示唆した。さらに、digitonin透過性胃底腺においては、cytosolを補う事によって胃酸分泌の再構成に成功し、胃酸分泌活性化に関与するkey moleculeの1つとしてPITPを見出した。以上、本研究によって確立された2つの細胞膜透過性胃底腺モデルは、胃酸分泌活性化における細胞内情報伝達経路研究のbreak throughとなった。

参考文献(1)K.Akagi, T.Nagao, and T.Urushidani. Am.J.Physiol.277:G736-G744, 1999
審査要旨

 胃酸を分泌するプロトンポンプ(H+/K+-ATPase)は、休止状態においては小管小胞(tubulovesicle)に存在するが、cAMP上昇による胃酸分泌刺激を受けると小管小胞が分泌側膜に融合し、同時に分泌側膜がK+およびCl-透過性を獲得することによって間接的にプロトンポンプが活性化される。このプロトンポンプの活性化には酵素自体のリン酸化は関与しないため、cAMP-dependent protein kinase(PKA)の下流において未知のタンパクがリン酸化され、それが膜融合やイオン透過性に関与していると考えられる。しかし、いまだにcAMP上昇以降の細胞内情報伝達系の解析は進んでいない。本研究は、細胞膜透過性胃底腺モデルを用いることによって、胃酸分泌における細胞内情報伝達系の解析を行ったものである。以下に本研究によって得られた主要な知見をまとめる。

1)-escin透過性胃底腺モデル

 本研究の前半においては、-escinを用いることによって新規な細胞膜透過性胃底腺モデルを確立した。このモデルはcAMPに応答して胃酸を分泌する活性を保持したままで、細胞内にペプチドフラグメントを導入することが可能であり、胃酸分泌におけるcAMPの下流にある細胞内情報伝達系の解析に非常に有用であった。このモデルを用いることで、cAMPに依存した胃酸分泌がcAMP-dependent protein kinase(PKA)によって生じることを初めて確認し、他のkinaseや低分子量GTP結合タンパク質の関与の可能性を検討する途を拓いた。さらに、胃酸分泌応答においてmyosin light chain kinase(MLCK)様のkinaseが重要な役割を果たすことを明らかにした。

2)胃酸分泌の再構成系

 本研究の後半において、従来のジギトニン透過性胃底腺においてはcAMPによる胃酸分泌応答が消失することに注目し、cytosolを補うことで新たなin vitro再構成系を作成することに挑戦した。この系を用いることによって、brainから得られたcytosolがジギトニン透過性胃底腺における胃酸分泌応答を回復させることを見出した。種々の精製法を組合せることによって、brain cytosol中の胃酸分泌の活性化因子は少なくとも2つの成分からなっていることを明らかにし、そのうちの1つが-PITP(phosphatidylinositol transfer protein)であると同定することに成功した。興味深いことに、胃底腺から得られたcytosolはそれ自体では胃酸分泌を活性化することが出来なかったが、胃底腺cytosolをゲル濾過カラムをもちいて分画化したところ、胃底腺にはbrain cytosol中にも存在する胃酸分泌を刺激する活性とともに胃酸分泌を抑制する活性が存在することを見出した。胃底腺を刺激すると、cytosol中の刺激活性は変化しないが、cytosol中の抑制活性が増大するという現象が観察された。以上の結果は胃酸分泌の細胞内調節因子を分子レベルで理解する突破口を拓くものとなった。

 本研究は、以下に示す2つのことを初めて明らかにした。

 1)細胞内にペプチドを導入できる透過性胃底腺モデルを作成することで、PKAの下流にMLCK様のkinaseが存在するという新規な情報伝達経路の可能性を示した。

 2)ジギトニン透過性胃底腺にcytosolを補うことによって胃酸分泌の再構成に成功し、胃酸分泌の活性化に関与するkey moleculeの1つとしてPITPを見出した。

 故に、本研究は壁細胞の細胞生物学に多大な寄与をなすものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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