学位論文要旨



No 115505
著者(漢字) 柿元,周一郎
著者(英字)
著者(カナ) カキモト,シュウイチロウ
標題(和) 抑制性シナプス伝達効率の可塑性的変化における多様性
標題(洋)
報告番号 115505
報告番号 甲15505
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第921号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 西山,信好
内容要旨 序論

 複雑な神経回路網の構成単位である神経細胞は、シナプスを介して入力してくる信号を統合・伝達することで情報処理を行っている。神経細胞の活動性は、それ自体に投射している興奮性シナプスと抑制性シナプスの相対的な数と強度によって決定され、さらにシナプス伝達効率が神経活動依存的に変化すること、つまりシナプス可塑性により高度な情報処理が可能となる。特に興奮性シナプスにおける可塑性は、記憶・学習の基礎過程として知られ精力的に研究が進められている。一方、抑制性シナプスに関しては、癲癇などの神経細胞の異常興奮を伴う疾患において伝達効率が変化していることが知られているが、抑制性シナプス入力の可塑性については未だ明らかになっていない。そこで本研究では、ラット海馬CA1野の抑制性シナプスにおいて神経活動に依存して可塑的変化が誘導されることを明らかにし、その誘導機構について検討した。

結果・考察1.興奮性及び抑制性シナプス伝達の電気生理学的・薬理学的特性

 海馬の主要な興奮性シナプスと抑制性シナプスでは、それぞれグルタミン酸(Glu)と-アミノ酪酸(GABA)を神経伝達物質として含むことが知られている。興奮性及び抑制性シナプス伝達における可塑性について検討するためには、両シナプス応答を分離することが必要になる。そこで、スライスパッチクランプ法を用いて単一細胞からシナプス後電流(postsynaptic currents:PSCs)を記録し、その電気生理学的・薬理学的特性について検討した。12-18日齢のWistar系ラットより厚さ300mの海馬切片を作製し、CA1野錐体細胞においてvoltage-clamp条件下でwhole cell patch clamp記録した(Fig.1A)。刺激電極はCA1野錐体細胞層に刺入し、記録細胞の近傍に存在するシナプス入力線維を刺激した。細胞内液の組成(mM)は、CsMeSO3:120,CsCl:20,MgCl2・6H2O:1.0,CaCl2・2H2O:0.1,HEPES:10,EGTA:1.0,MgATP:4.0,Na2GTP:0.4とした。通常使用するK+の代わりにCs+を用いることでK+チャネルを抑制し、脱分極側でも膜電位を正確に保持し、シナプス応答記録を行えるようにした。

Fig.1 (A)Placement of recording and stimulation electrodes for whole cell patch clamp recording in the hippocampal slice preparation.(B)I-V relationship of excitatory synaptic transmission.Postsynaptic currents were recorded in the presence of bicuculline(50 M). Excitatory postsynaptic currents(EPSCs)were completely blocked by CNQX(20 M)and DL-APV(100 M).(C)I-V relationship of inhibitory synaptic transmission.Postsynaptic currents were recorded in the presence of CNQX(20 M)and DL-APV(100 M).Application of bicuculline(50 M)abolished inhibitory postsynaptic currents(IPSCs)completely.

 まず、興奮性シナプス後電流(excitatory postsynaptic currents:EPSCs)について電流-電圧相関を作成した(Fig.1B)。灌流する人工脳脊髄液(artificial cerebrospinal fluid:ACSF)にはGABAA受容体を抑制する目的でbicuculline50Mを添加した。また、GABAB受容体成分は細胞内液中のCs+によってK+チャネルが抑制されるため無視できる。以上のようにして薬理学的に単離したEPSCsの振幅と細胞の膜電位の間にはほぼ直線関係が得られ、その極性は0mV付近の膜電位で逆転した。これは一価カチオンチャネルの開口を想定したときの理論値とほぼ一致する。AMPA受容体拮抗薬CNQX20M存在下ではEPSCsは過分極側で強く抑制された。この残存する応答はNMDA受容体拮抗薬APV100Mによって完全に消失したことからNMDA受容体成分であると考えられた。一方、ACSFにCNQX20MとAPV100Mを加えた条件でPSCsを記録すると抑制性シナプス後電流(inhibitory postsynaptic currents:IPSCs)が薬理学的に単離された(Fig.1C)。電流-電圧相関は、膜電位が-40mV付近で極性が逆転する直線関係となった。さらに、この応答はbicuculline50M添加によって完全に抑制された。このことから、この応答はGABAA受容体と共役しているCl-チャネルが開口した結果と考えられた。

 以上の結果より、VH=-70mV以下で記録されるPSCsはEPSCsのAMPA受容体成分とIPSCsのGABAA受容体成分によってのみ構成されることが明らかになった。さらに、AMPA受容体拮抗薬とGABAA受容体拮抗薬を使い分けることで興奮性及び抑制性シナプス応答の分離が可能であることが示された。

2.抑制性シナプスにおける短期・長期抑圧(STDGABA-A、LTDGABA-A)

 上記のようにして単離した抑制性シナプス応答に対し、細胞の脱分極を妨げないようにcurrent-clamp条件下でシータ波様刺激(theta burst stimulation:TBS)[100Hz4pulses×10,200ms]を与えた。TBS直後、IPSC振幅は一過性に減弱(STDGABA-A)した。一方、10秒間隔で3回シータ波様刺激(TBS×3)を与えるとSTDGABA-Aの後に持続的なIPSC振幅の減弱(LTDGABA-A)が観察された(Fig.2A)。TBS×3後20分のIPSCの振幅平均値は65.5±5.7%であった。また、対照群では顕著な変化は見られなかったことから、今回観察された現象はrun downによるものではないと考えられた。以上の結果より、海馬CA1野錐体細胞に入力する抑制性シナプスでは入力刺激の頻度に依存して可塑的変化が誘導されることが明らかになった。

 次に、抑制性シナプス可塑性の誘導機構について検討した(Fig.2B)。海馬CA1野錐体細胞に入力する興奮性シナプスの可塑性の誘導にはシナプス後細胞でのCa2+レベルの上昇が重要な役割を果たしていることが様々な知見から示唆されている。そこで、細胞内Ca2+を十分にキレートすることを目的として細胞内液のEGTA1.0mMをBAPTA-10mMに置換し、その影響を検討した。BAPTA10mMの細胞内負荷によりTBS×3直後の一過性の減弱を除いてLTDGABA-A誘導は完全に抑制された。このことから、LTDGABA-Aの誘導にはシナプス後細胞でのCa2+濃度の上昇が必要であることが示唆された。また、STDGABA-Aはシナプス後細胞のCa2+度に依存しない成分であることが明らかになった。

Fig.2 (A)Application of theta burst stimuli (TBS)produced a long-lasting depression of inhibitory synaptic transmission(LTDGABA-A).GABAA receptor-mediated postsynaptic currents were recorded at the holding potential of -70 mV in the continual presence of CNQX(20 M).TBS was given at the time 0,indicated by arrowhead.(B)Changes in response amplitude at 20 min after the application of TBS(n=5).LTDGABA-A is induced by the Ca2+ influx through NMDA receptor channels.

 次に、抑制性シナプス可塑性の誘導にシナプス後細胞膜の脱分極が関与するか検討した。TBS×3によって起こる細胞膜の脱分極を阻害するため、voltage-clamp条件下(VH=-70mV)でTBS×3を与えた。この条件ではSTDGABA-Aは影響を受けなかったがLTDGABA-Aは完全に消失し、むしろわずかに持続的なIPSC振幅の増強が観察された。一方、対照群や細胞膜を脱分極させた状態(VH=-10mV)で条件刺激を与えた群ではLTDGABA-Aが誘導された。これらの結果は、LTDGABA-Aの誘導にはシナプス後細胞の脱分極が必要であることを示唆している。

 LTDGABA-Aを誘導するCa2+供給源としては1)NMDA受容体、2)電位依存性Ca2+チャネル(voltage-dependent calcium channel:VDCC)、3)細胞内Ca2+ストアの三つの経路が考えられる。そこで、どの経路がLTDGABA-A誘導に関与しているか検討した。NMDA受容体拮抗薬であるAPV100M存在下では、LTDGABA-Aは完全に消失し、むしろ顕著に持続的なIPSC振幅の増強が観察された。しかし、L-type VDCC阻害薬nicardipine(5M)や細胞内Ca2+ストア涸渇薬thapsigargin(5M)は何ら影響を与えなかった。これらの結果から、LTDGABA-Aの誘導にはNMDA受容体からのCa2+流入が必要であることが示唆された。

3.抑制性シナプスにおける長期増強(LTPGABA-A)

 前章からNMDA受容体を抑制した状態ではTBS×3によって一過性のIPSC振輻の減弱(STDGABA-A)の後、持続的なIPSC振幅の増強(LTPGABA-A)が誘導されることが示された(Fig.3A)。TBS×3後30分のIPSCの振幅平均値は153.4±8.0%であった。このことから、海馬CA1野錐体細胞に入力する抑制性シナプスでは入力刺激の頻度に依存して複数の可塑的変化(STDGABA-A、LTDGABA-A、LTPGABA-A)が誘導されることが明らかになった。そこで、LTPGABA-Aの誘導機構について検討した(Fig.3B)。まず、シナプス後細胞でのCa2+の関与を調べるためにBAPTA10mMを細胞内に負荷した。このような条件ではTBS×3直後の一過性の減弱を除いてLTPGABA-A誘導は完全に抑制された。このことから、LTPGABA-Aの誘導にもLTDGABA-Aと同様にシナプス後細胞でのCa2+濃度の上昇が必要であることが示唆された。

Fig.3 (A)In the presence of CNQX(20 M)and DL-APV(100 M),application of TBS(arrowhead)induced a short-term depression and a subsequent long-term potentiation of IPSC(LTPGABA-A).(B)Changes in response amplitude at 30 min after TBS(n=5).LTPGABA-A requires IP3-mediated Ca2+ release from the intracellular stores.

 次に、LTPGABA-A誘導にシナプス後細胞膜の脱分極が必要か検討した。前章と同様に、細胞膜の脱分極を阻害するためvoltage-clamp条件下でTBS×3を与えた。しかし、この条件ではLTPGABA-Aの誘導に何ら影響はなかった。これより、LTPGABA-A誘導にはシナプス後細胞の膜電位変化が必要ではないことが示唆された。

 以上の結果から、LTPGABA-A誘導をもたらすCa2+供給源として細胞内Ca2+ストアが考えられた。そこで、thapsigargin5Mの適用により細胞内Ca2+ストアを涸渇させ、この条件でLTPGABA-Aが誘導されるか検討した。thapsigarginによりLTPGABA-A誘導は完全に抑制された。このことから、LTDGABA-Aの誘導には細胞内Ca2+ストアからCa2+が放出されることが必要であると考えられる。このCa2+動員系を駆動する経路の一つとしてIP3産生カスケードの活性化が考えられた。そこで、IP3産生カスケードを阻害することを目的としてPLC阻害剤U73122(5M)あるいはGTPアナログGTPS(0.4mM)のLTPGABA-A誘導に対する影響について検討した。U73122存在下では、LTPGABA-Aは完全に抑制された。また、GTPSの細胞内負荷によりLTPGABA-Aの誘導は抑制された。これらの結果から、LTPGABA-Aの誘導にはG蛋白質共役型受容体の活性化とそれに伴うIP3産生カスケードの活性化が必要であることが示唆された。

まとめ

 本研究ではGABA性シナプス伝達における可塑的変化について検討し、次のことを明らかにした。

 1)海馬CA1野錐体細胞に入力する抑制性シナプスでは、シータ波様刺激によってシナプス伝達効率が変化する。

 2)抑制性シナプスは入力刺激頻度に依存して短期的・長期的に多様な可塑的変化(STDGABA-A、LTDGABA-A、LTPGABA-A)を生じる。

 3)STDGABA-Aの誘導はシナプス後細胞の脱分極や細胞内Ca2+濃度の上昇に依存しない。

 4)抑制性シナプス入力の長期可塑性ではNMDA受容体の活性化に依存して可塑性の方向が決定される。

 5)LTDGABA-A及びLTPGABA-A誘導にはいずれもシナプス後細胞での濃度の上昇が必要である。前者は、NMDA受容体を介したCa2+流入を介し、後者はIP3産生カスケードを介した細胞内Ca2+ストアからのCa2+放出によってもたらされる。(Fig.4)

Fig.4 Possible mechanisms underlying bidirectional long-term plasticity at GABAergic synapse in the hippocampal CA1 region.

 今回はじめて明らかにした抑制性シナプスの特性は、従来の興奮性シナプス可塑性だけでは説明ができない発達期のシナプス形成や癲癇といった現象に対し新たな突破口を提供すると考えられる。

審査要旨

 神経細胞はシナプスを介して入力してくる信号を統合・伝達することで情報処理を行っている。神経細胞の活動性は、それ自体に投射している興奮性シナプスと抑制性シナプスの相対的な数と強度によって決定され、さらにシナプス伝達効率が神経活動依存的に変化すること、つまりシナプス可塑性により高度な情報処理が可能となる。興奮性シナプスにおける可塑性は、記憶・学習の基礎過程として知られ精力的に研究が進められている。一方、抑制性シナプスに関しては、癲癇などの神経細胞の異常興奮を伴う疾患において伝達効率が変化していることが知られているが、可塑性については未だ明らかになっていない。そこで本研究では、ラット海馬CA1野の抑制性シナプスにおいて神経活動に依存した可塑的変化が誘導されることを明らかにし、その誘導機構について検討した。

 ラット海馬スライスのCA1野錐体細胞をwhole cell patch clampし、シナプス後電流を記録した。電極内液組成と保持電位などの条件を工夫し、選択的グルタミン酸(AMPA型)または-アミノ酪酸(GABAA型)受容体拮抗薬を添加することにより、興奮性と抑制性シナプス伝達を分離して解析できるようにした。

 細胞の脱分極を妨げないようにcurrent-clamp下にシータ波様刺激(TBS)を与えると抑制性シナプス応答が一過性に減弱(STDGABA-A)した。TBSを繰り返すとシナプス伝達の抑制が持続(LTDGABA-A)した。従って、海馬CA1野錐体細胞に入力する抑制性シナプスにおいても入力刺激の頻度に依存して可塑的変化が誘導されることが明らかになった。

 次に、抑制性シナプス可塑性の誘導機構について検討した。細胞内にBAPTAを導入するとLTDGABA-Aのみが完全に抑制された。また、TBS中に膜電位を固定するとSTDGABA-Aは影響を受けなかったがLTDGABA-Aは完全に消失し、むしろわずかに増強した。これらのことから、LTDGABA-Aの誘導には脱分極に伴うシナプス後細胞でのCa2+濃度の上昇が必要であることが示唆された。また、STDGABA-Aは異なる機構で誘導されることも明らかになった。

 LTDGABA-Aを誘導するCa2+供給源としては1)NMDA受容体、2)電位依存性Ca2+チャネル(voltage-dependent calcium channel:VDCC)、3)細胞内Ca2+ストアの三つの経路が考えられる。そこで、どの経路がLTDGABA-A誘導に関与しているか検討した。NMDA受容体拮抗薬存在下ではLTDGABA-Aは完全に消失し、むしろ顕著に持続的な増強(LTPGABA-A)が観察された。しかし、L型Caチャネル阻害薬や細胞内Ca2+ストア涸渇薬は何ら影響を与えなかった。これらの結果から、LTDGABA-Aの誘導にはNMDA受容体からのCa2+流入が必要であることが示された。

 次に、LTPGABA-Aの誘導機構について検討した。細胞内にBAPTAを導入するとLTPGABA-Aも完全に抑制され、LTDGABA-Aと同様にシナプス後細胞でのCa2+濃度の上昇が必要であることが示された。しかし、シナプス後細胞の脱分極はLTPGABA-A誘導に必須ではなかった。細胞内Ca2+ストア涸渇薬によりLTPGABA-A誘導は完全に抑制された。このことから、LTDGABA-Aの誘導には細胞内Ca2+ストアからCa2+が放出されることが必要であることが示唆された。さらにIP3産生カスケードを阻害するPLC阻害薬あるいはGTPアナログによりLTPGABA-Aの誘導は抑制された。これらの結果から、LTPGABA-Aの誘導にはG蛋白質共役型受容体の活性化とそれに伴うIP3産生カスケードの活性化が必要であることが示唆された。

 本研究では海馬CA1野錐体細胞での抑制性シナプス伝達における可塑的変化について検討し、(1)抑制性シナプスにおいてもシナプス伝達効率が変化し、入力刺激頻度に依存してSTDGABA-A、LTDGABA-A、LTPGABA-Aが誘導されること、(2)STDGABA-Aの誘導はシナプス後細胞の脱分極や細胞内Ca2+濃度の上昇に依存しないが、LTDGABA-AではNMDA受容体の活性化に依存して可塑性の方向が決定されること、(3)LTDGABA-AおよびLTPGABA-A誘導にはいずれもシナプス後細胞での濃度の上昇が必要であるが、前者はNMDA受容体を介したCa2+流入、後者にはIP3産生カスケードを介した細胞内Ca2+ストアからのCa2+放出が必要であること、を明らかにした。

 本研究により初めて明らかにされた抑制性シナプスの特性は、従来の興奮性シナプス可塑性だけでは説明ができなかった発達期のシナプス形成や癲癇といった現象解明に新たな突破口を提供するものである。従って、博士(薬学)の授与に値する内容であると判断した。

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