学位論文要旨



No 115510
著者(漢字) 深井,義久
著者(英字)
著者(カナ) フカイ,ヨシヒサ
標題(和) トリパノソーマシアン耐性酸化酵素の大腸菌における発現と組み換え酵素の性質
標題(洋)
報告番号 115510
報告番号 甲15510
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第926号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 助教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 原田,繁春
内容要旨 序論

 アフリカ型トリパノソーマ(Trypanosoma brucei)は、ツェツェバエによって媒介されるアフリカ睡眠病の病原体となる原虫である。またT.bruceiは、ヒトの寄生虫感染症としてばかりでなく、動物、特に家畜の感染がアフリカの食糧問題におけるタンパク源の中心的な問題となっており、その対策が急がれている。

 これまでの研究でT.bruceiのミトコンドリアはその生活環において機能を大きく変化させることが明らかになっている。ベクターであるツェツェバエ中のプロサイクリック型ではATP合成は酸化的リン酸化によって行われているが、宿主である哺乳類の血液中に生息する血流型でのATP合成はグリコソーム中で行われる解糖系の反応に依存している。血流型のミトコンドリアはグリコソームで生じる還元力を解消するグリセロール-3-リン酸(G-3-P)酸化系を形成しており、シトクロム電子伝達系は存在しない。このG-3-P酸化系の末端酸化酵素であるTrypanosome alternative oxidase(TAO)はシアン耐性で、哺乳類に存在するシアン感受性のいわゆるシトクロムc酸化酵素とは全く異なった構造を持っている。TAOは宿主に存在しない点から、化学療法の格好の標的として考えられる。最近の遺伝子レベルの研究から、TAOと植物に存在するシアン耐性末端酸化酵素との共通性が明らかになってきたが、生化学的解析は進んでいない。これは酵素が不安定で単離精製が困難であることに起因している。最近、皆川らはTAOを標的とする新規抗トリパノソーマ剤アスコフラノンを見出した。アスコフラノンはT.bruceiから精製したミトコンドリアのG-3-P依存の酸素消費およびユビキノール依存の酸素消費をnMオーダーで阻害した。さらに、トリパノソーマ感染マウスにおいて、グリセロールとの併用投与によって投与後120分以内にトリパノソーマを血液中から完全に消滅させた。このようにTAOを標的とした薬剤は有効な抗トリパノソーマ剤と考えられる。そこで私は、(1)組み換えTAOの大腸菌における大量発現系を確立し、試料の大量調製を可能にすること、(2)TAOを標的とした新しい薬剤のスクリーニング系を構築し、アフリカトリパノソーマ症の克服に寄与すること、を目的として研究を行った。

結果と考察1.組み替えTAO発現系の構築

 アフリカ型トリパノソーマ原虫から精製したmRNAより、RT-PCRにて増幅したTAO遺伝子を発現ベクターpET15bに挿入して、TAO発現ベクター(pTAO)を作成した。pTAOを導入した大腸菌BL21(DE3)pLysSにはCBB染色にて分子量約37kDaの新たなペプチドのバンドが認められた(Fig.1)。菌体を細胞質画分および膜画分に分離し、植物シアン耐性末端酸化酵素に対するモノクローナル抗体でウエスタンブロット解析を行ったところ、分子量約37kDaのバンドは、このモノクローナル抗体と交差反応し、局在は膜画分であることが明らかになった(Fig.1)。そこで、膜画分についてキノール酸化活性を調べたところ、pTAOを導入した大腸菌ではシアン存在下でも全く阻害されなかった(TableI)。またpTAOを導入した大腸菌の増殖はシアンに耐性で、TAOの性質を獲得していた。これにより、大腸菌において活性のある状態での組み替えTAOの発現が可能となった。

Fig.1.SDS-gel Electrophoresis and Westem Blotting Analysis of Recombinant TAO.Table I.Quinol oxidase activity of membranes from E.coli carrying plasmids with or without TAO.
2.ヘム生合成系欠損株を用いた組み替えTAO発現系の構築

 BL21(DE3)pLysSを発現宿主として用いた系では、呼吸鎖中にTAOと同じキノール酸化活性を触媒する大腸菌由来の二つの末端酸化酵素、シトクロムboおよびbd複合体が存在するため、活性を指標とした精製が困難であった。そこで、大腸菌末端酸化酵素の構成成分であるヘムを合成できないhemA欠損株を用いた発現系の確立を試みた。hemA欠損株は呼吸鎖中の末端酸化酵素および複合体IIの活性が失われることが知られている。また、培養液中にアミノレブリン酸(ALA)を加えることにより、ヘムを合成させることが可能で、人為的にヘムの合成を制御することができる。

 BL21(DE3)にP1形質導入によりhemA欠損を導入しヘム欠損株FN102を作成した。培地中にALAを添加し、ヘムを合成させたコントロールベクター導入株FN102/pET15bの膜画分の活性はシアンに感受性でアスコフラノンに耐性であった。一方、培地中にALAを添加せず、ヘムを合成させないFN102/pET15bの膜画分のキノール酸化活性は検出限度以下であり、pTAO導入株FN102/pTAOではシアンに耐性でアスコフラノンに感受性のキノール酸化活性が認められた(Table II)。これにより、組み替えTAOを唯一の末端酸化酵素として持つ発現系が確立された。

Table II.Quinol oxidase octivity of membranes from hemA deficient E.coli carrying plasmids with or without TAO.
3.組み替えTAOの酵素学的性質の検討

 発現条件を検討した結果、トリパノソーマ原虫から調製したミトコンドリアの少なくとも10倍の比活性を持つ膜画分を再現性よく得られるようになった。そこで、大腸菌で発現させた組み換えTAOが、トリパノソーマ原虫が本来持っているTAOと同等の性質を保持しているかを確かめるため、トリパノソーマ原虫から調製したミトコンドリアとFN102/pTAO膜画分のキノール酸化活性の酵素学的解析を行ったところ、電子供与体であるユビキノールに対するKm値、阻害剤であるアスコフラノンに対するKi値ともに同程度の値を示した(table III)。以上により、原虫TAOと同様の性質を保持した組み替えタンパク質の発現系が確立された。

Table III.Kinetic Property of Trypanosome Altermative Oxidase.
4.FN102/pTAOのTAO阻害剤のスクリーニング系としての応用

 FN102/pET15bとFN102/pTAOのLB培地中での好気的増殖を調べたところ、FN102/pET15bの倍加時間約4時間に対してFN102/pTAOの倍加時間約1時間となり、組み換えTAOにより増殖が早くなることが分かった。また、FN102/pTAOの増殖はシアンに耐性であり、TAOの性質を保持しており、ヘム欠損株の液体培地中での好気的増殖は組み換えTAOによって相補されていることが明らかになった(Fig.2)。したがってFN102/pTAOは、TAOの阻害を好気的増殖の阻害として検出できる可能性を強く示唆していた。そこで、FN102/pTAOをTAO阻害剤であるアスコフラノンおよびサリチルヒドロキサム酸を添加したLB培地中で好気的に培養したところ、アスコフラノン3nM〜10M、サリチルヒドロキサム酸0.3M〜1mMにおいて濃度依存的に増殖が阻害された(Fig.3)。これによりFN102/pTAOは液体培地中でもTAOの阻害の程度を増殖の阻害として検出できることが明らかになり、抗トリパノソーマ剤の新しいスクリーニング系が確立された。

Fig.2.Complementation test for hemA deficient E.coli with pTAO.Fig.3.Effect of TAO inhibitors on aerobic growth of hemA deficient E.coli carrying pTAO.
まとめ

 以上本研究において私は、

 1.ヘム欠損株FN102を発現宿主とした組み換えTAOの大量発現系を構築し、原虫TAOと同様の性質を保持した組み換えTAOのみに由来するキノール酸化活性を持つ大腸菌膜画分試料を、大量に得る条件を確立することに成功した。

 2.ヘム欠損株FN102を発現宿主とした組み換えTAOの発現系を用いて、組み換えTAOの阻害の程度を増殖の阻害として検出する、抗トリパノソーマ剤の新しいスクリーニング系を構築した。

 この成果によって、今まで生化学的な性質の判っていなかったTAOの詳細を解析することが可能になり、また、TAOを標的とした抗トリパノソーマ剤のスクリーニングが簡便に行うことができるようになった。

審査要旨

 アフリカ型トリパノソーマ(Trypanosoma brucei)は、ツェツェバエによって媒介されるアフリカ睡眠病の病原体となる原虫であり、またT.bruceiは、ヒトの寄生虫感染症としてばかりでなく、動物、特に家畜の感染がアフリカの食糧問題におけるタンパク源欠乏の中心的な問題となっている。アフリカ型トリパノソーマはその表面抗原を変異させ、宿主の免疫システムから回避する事がよく知られているが、そのため有効なワクチンの開発は困難をきわめている。この様な状況において、抗トリパノソーマ薬による化学療法は非常に重要な位置を占めており、宿主であるヒトと大きく異なった性質を持つミトコンドリアのエネルギー代謝系は極めて有望な標的と考えられる。

 これまでの研究でT.bruceiのミトコンドリアはその生活環において機能を大きく変化させることが明らかになっている。すなわち、ベクターであるツェツェバエ中のプロサイクリック型ではATP合成は酸化的リン酸化によって行われているが、宿主である哺乳類の血液中に生息する血流型でのATP合成はトリパノソーマに特有なオルガネラであるグリコソーム中で行われる解糖系の反応に依存している。この中で血流型のミトコンドリアはグリコソームで生じる還元力を解消するグリセロール-3-リン酸(G-3-P)酸化系を形成しており、シトクロム電子伝達系は存在しない。このG-3-P酸化系の末端酸化酵素であるTrypanosome alternative oxidase(TAO)はシアン耐性で、哺乳類に存在するシアン感受性のいわゆるシトクロムc酸化酵素とは全く異なった構造を持っている。このTAOは宿主であるヒトなど哺乳類には存在しない点から、化学療法の格好の標的と考えられる。実際にTAOを標的とする研究が欧米を中心に精力的に進められており、我が国でも原虫ミトコンドリアのG-3-P依存の酸素消費およびユビキノール依存の酸素消費をnMオーダーで阻害する新規抗トリパノソーマ剤アスコフラノンが見い出されている。この薬剤は感染マウスにおいて、グリセロールとの併用投与によって投与後120分以内にトリパノソーマを血液中から完全に消滅させ、その有効性はin vivoでも確かめられている。最近の遺伝子レベルの研究から、TAOと植物に存在するシアン耐性末端酸化酵素との共通性が明らかになってきたが、酵素が不安定で単離精製が困難である事から生化学的解析は進んでいない。そのため、これら薬剤の作用機構をはじめとして多くの問題が未解決の状況にある。本研究はこの問題を解決する目的で大腸菌における組み替えTAO発現系の構築を試み、さらにTAOを標的とした新しい薬剤のスクリーニング系の確立をめざして行われたものである。

 まず、第一段階としてアフリカ型トリパノソーマ原虫から精製したmRNAより、RT-PCRにて増幅したTAO遺伝子(CDNA)を発現ベクターpET15bに挿入しで、TAO発現ベクター(pTAO)を作成した。pTAOを導入した大腸菌BL21(DE3)pLysSにはCBB染色にて分子量約37kDaの新たなペプチドのバンドを認め、このペプチドは植物シアン耐性末端酸化酵素に対するモノクローナル抗体によって認識された。また、その局在は膜画分であったが、キノール酸化活性を調べたところ、pTAOを導入した大腸菌ではシアン存在下でも全く阻害されなかった。さらにpTAOを導入した大腸菌の増殖はシアンに耐性で、TAOの性質を獲得しており、大腸菌において活性のある組み替えTAOの発現系が確立された。

 次に、大腸菌のヘム合成系欠損変異株を宿主とした発現系の構築を行った。その理由は通常、大腸菌は呼吸鎖中にTAOと同じキノール酸化活性を触媒する大腸菌由来の二つの末端酸化酵素、シトクロムboおよびbd複合体を持っており、以後の種々の解析を不明瞭なものにするからである。そこで、大腸菌末端酸化酵素の構成成分であるヘムの合成能を欠損したhemA欠損株を用いた発現系の確立を試みた。hemA欠損株は呼吸鎖中の末端酸化酵素および複合体IIの活性が失われることが知られているが、培養液中へのアミノレブリン酸(ALA)の添加により人為的にヘムの合成を制御することができる。BL21(DE3)にP1形質導入を行い作成したヘム欠損株FN102にコントロールベクターを導入したFN102/pET15bの膜画分の活性はシアンに感受性でアスコフラノンに耐性であった。またこの株をNAを添加せず、培養した膜画分のキノール酸化活性は検出限度以下であった。一方、pTAOを導入した株FN102/pTAOではその膜画分はアミノレブリン酸無添加の条件下でもキノール酸化活性を示し、その活性はシアン耐性でアスコフラノンに感受性であった。この様に組み換えTAOを唯一の末端酸化酵素として持つ大腸菌の発現系が確立された。さらに、この組み換えTAOとトリパノソーマ原虫から調製したミトコンドリアのキノール酸化活性の酵素学的な性質について比較したところ、電子供与体であるユビキノールに対するKm値、阻害剤であるアスコフラノンに対するKi値ともに同程度の値を示し、本来の性質を保持した組み換えタンパク質の発現系である事が確認された。

 また、FN102/pET15bとFN102/pTAOのLB培地中での好気的増殖を比較検討したところFN102/pET15bの倍加時間約4時間に対してFN102/pTAOの倍加時間約1時間となり、組み換えTAOの存在により増殖が早くなることが分かった。このFN102/pTAOの増殖はシアンに耐性であり、これはヘム欠損株の液体培地中での好気的増殖は組み換えTAOによって相補されていることを示していた。したがってFN102/pTAOは、TAOの阻害を好気的増殖の阻害として検出できることを意味しており、実際にFN102/pTAOをTAO阻害剤であるアスコフラノンおよびサリチルヒドロキサム酸を添加したLB培地中で好気的に培養したところ、アスコフラノン3nM〜10M、サリチルヒドロキサム酸0.3M〜1mMにおいて濃度依存的に増殖が阻害された。つまりFN102/pTAOはTAOの阻害の程度を増殖の阻害として検出できることが明確になり、抗トリパノソーマ剤の新しいスクリーニング系が確立された。

 以上、本研究ではヘム欠損株FN102を発現宿主とした組み換えTAOの大量発現系を構築し、原虫TAOと同様の性質を保持した組み換えTAOのみに由来するキノール酸化活性を持つ大腸菌膜画分を大量に調製する条件を確立することに成功した。さらにこの系を用いて、組み換えTAOの阻害の程度を増殖の阻害として検出する、抗トリパノソーマ剤の新しいスクリーニング系を確立した。この成果は、今まで生化学的、タンパク質化学的な性質が全く判っていなかったTAOの解析に極めて大きな進展を与えるとともに、TAOを標的とした抗トリパノソーマ剤のスクリーニング系の確立は新規抗トリパノソーマ薬の開発に大いに貢献すると考えられる。よって、博士(薬学)の学位に値すると判定した。

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