学位論文要旨



No 115517
著者(漢字) 中石,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) ナカイシ,ケンタロウ
標題(和) 中立不動点をもつ一次元力学系のマルチフラクタル解析
標題(洋) Multifractal analysis for one-dimensional maps with a neutral fixed point
報告番号 115517
報告番号 甲15517
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第137号
研究科 数理科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 坪井,俊
 東京大学 教授 松本,幸夫
 東京大学 教授 森田,茂之
 東京大学 教授 野口,潤次郎
 東京大学 教授 河野,俊丈
 広島大学 教授 宍倉,光広
 東京工業大学 助教授 盛田,健彦
内容要旨

 「フラクタル」は現象論的-物理学的概念であって数学の定義用語ではない.むしろ,数学として厳密に定義できたときにはこの分野は完成する.Mandelbrotによってフラクタルが造語されて以来,この不可思議な幾何学模様の特質を抽出する努力がなされてきた.

 Hausdorff次元は集合の大きさを測る古典的な概念であるが万能ではない.非整数値のHausdorff次元は確かにフラクタルの特質の一面を表すが,整数値のHausdorff次元をもつCantor集合も存在する.

 「フラクタルらしさ」の一つはフラクタル上に台をもつ測度の特異性に現れる.フラクタルを生成する力学系がつかまれば,それを使って不変測度が構成できることがよくある.測度の点xにおける特異性とは

 

 が存在するときに定義される.ここでB(x,r)はx中心の半径rの球を表す.フラクタルが認識される以前の物理学においては,物理量は滑らかな函数として現れ,滑らかでない点はあったとしても高々有限個であった.従って測度の特異性もほとんどの点で同一の値をもつ自明な場合に限られていた.他方,フラクタルは連続無限個の測度の特異性をもつことが多い.そこで物理学者達は集合

 

 のHausdorff次元をの函数として考察することを提案した.これを()で記し「次元スペクトル」,あるいは「特異性スペクトル」と呼ぶ.驚くべきことに彼らはに関して滑らかな(解析的)曲線を多くのフラクタルの例で見出した.また各ごとのX()自身がフラクタル集合になることが多いため,この手法を「マルチフラクタル解析」と呼ぶ.

 コンピューターで次元スペクトルを計算するにしても定義から直接行うのは困難である.一方でフラクタルを特徴づける様々な計算可能な次元概念も導入されてきた.RenyiスペクトルRq(),相関次元C(x),情報次元I()等である.HentschelとProcacciaは計算機に乗りやすい形で連続パラメタをもつ次元の族(HPq()スペクトルと呼ばれる)を定義し,多くの例で次元スペクトル()が彼らのHPq()スペクトルから計算できることを発見した.これ以降の解析は数学者の手に委ねられることになる.

 これまでに知られている最も一般的な結果を挙げる.

 定理1(Y.Pesin,H.Weiss 1997)Nを滑らかなコンパクト多様体,fをN上の双曲型等角微分同相写像,Jをfのリペラーとする.またをJ上のヘルダー連続な函数,の平衡状態とする.このときRで定義された上に凸な実解析的函数T(q)が存在して以下の性質を持つ.

 (a)=Rq()=HPq().

 (b)次元スペクトル()はT(q)のLegendre変換としてかける.すなわち

 

 ここで(q)=-DT(q)(図1参照).

 (c)C(x)=((2)).e.x.

 (d)

 (e)HD(J)=((0)).

図1:典型的なスペクトルの概形

 上の定理のリペラーJの例として双曲型有理函数のJulia集合,一次元の拡大的マルコフ写像の不変集合などが含まれる.また(c),(d),(e)からも分かるように次元スペクトルは古典的な次元概念をすべて内包する.これが「一般化された次元」と呼ばれる所以であり,さらには力学系をマルチフラクタルの立場から分類するという野心的な目標の根拠となっている.

 マルチフラクタル解析は力学系に影響を与えつつあるが,まだ双曲型力学系の理論の枠を超えていない.本論文では双曲型でない力学系のマルチフラクタル解析を取り扱う.部分的には双曲型の場合と同じ定式化が現われるが,新たな現象も目にすることになるであろう.

 以下の条件を満たす一次元力学系f:[0,1]→[0,1]を考える.

 (A1)全区間[0,1]を分割する点cが存在して,f|(0,c)及びf|(c,1)は同相で境界を込めてC1函数に拡張可能.(それらをf1,f2と記す.)

 (A2)(マルコフ性)f1([0,c])=f2([c,1])=[0,1].

 (A3)f1は原点を不動点とし原点を除いてC2.

 (A4p)f2はC2で向きを保つ,または

 (A4r)f2はC2で向きを逆にする.

 (A5)Df1(0)=1であり,それ以外ではDf1(z)>1.

 (A6)z∈([c,1])では|Df2(z)|>1であり,それ以外では|Df2(z)|1.

 (A7)D2f1は原点近傍で次の形の漸近形をもつ;

 

 例2(Farey map)f1(z)=z/(1-z),f2(z)=(1-z)/z,c=1/2.

 例3(Manneville-Pomeau map)任意の>0に対して

 

 このクラスの力学系では意味のある不変測度の構成自体が研究対象になる.既に知られている不変測度として,その測度論的エントロピーが位相的エントロピーと一致する極大エントロピー測度とルベーグ測度に関して絶対連続な測度がある.

 定義1 >0に対して測度uの次元スペクトルを

 

 で定義する.同様にfのLyapunovスペクトルを

 

 で定義する.ここでHDはHausdorff次元を意味する.

 主定理 fは条件(A1)から(A7)をみたす写像,uをfの極大エントロピー測度とする.このとき半区間[0,∞)上の連続函数T(q)で次の性質を満たすものが存在する.

 (a)T(0)=1,T(1)=0でありT(q)は(0,∞)上実解析的でD2T(q)>0,

 (b)fu()の定義域は非有界でありfu()はT(q)のLegendre変換でかける.つまり

 

 (c)もし(0+)が有限ならば,すべての(0+)に対してfu()=1,

 (d)l()=fu(log2/).

 上の(c)はスペクトルに定理1のケースでは現れない「相転移」が起こりうることを示唆している.次の系では「相転移」が起こる必要十分条件を与える.

 系 以下は同値(図2参照)

 (a)(0+)=∞.

 (b)次元スペクトルfu()及びLyapunovスペクトルl()は実解析的.

 (c)ルベーグ測度に関して絶対連続な測度は無限測度.

 (d)絶対連続な測度に関するLyapunov指数は0.

図2:典型的なスペクトルの概形
審査要旨

 論文提出者,中石健太郎は,非双曲的な力学系の不変測度のマルチフラクタル的スケーリング則を記述する次元スペクトルに関する研究を行った.

 フラクタルの研究においては,ハウスドルフ次元がその最も基本的な不変量であった.ハウスドルフ次元の決定のためには,多くの場合,そのフラクタルに即して適当な測度で,(B(x,r))〜(r0)(ここでB(x,r)はx中心,半径rの球)をみたすものを構成し,次元ハウスドルフ測度を比較することによって,そのハウスドルフ次元がであることを結論することが多い.この場合は,小さな球の測度(B(x,r))が,単一のスケール則をもっていると考えられる.ところが一般には,フラクタルを考える際にその上の「自然な測度」が最初から与えられている場合も多い.特にフラクタル集合が,力学系の不変集合として定義される場合,その上に様々な不変測度が与えられる.例えば,測度論的エントロピーを最大にする最大エントロピー測度や,他の量を最大化するGibbs測度などである.このように測度が最初から与えられている場合には,上記のような単一のスケール則をみたすことはほとんどの場合期待できない.仮にスケール則をもったにしても,その指数は点ごとに異なることが想定される.そこで登場するのが,「マルチフラクタル」の考え方である.ここでは,集合Xとその上の確率測度が与えられたとして,正数に対して,115517f11.gifを定義し(集合の定義内の条件は上記のスケール則をさらに弱めたものである),K()がとともにどのように変化するかを調べるために,そのハウスドルフ次元()=HD(K())を考える.この関数()を測度の次元スペクトルと呼ぶ.次元スペクトルは,のもつ多様なスケール則に関する情報を含んでいると考えられ,重要な研究の対象となっている.最初は多くの物理学者が,様々なフラクタルについて,数値実験や発見的議論により,次元スペクトル()の性質について調べた.数学的に厳密な結果は,1997年になって,PesinとWeissによって,等角かつ双曲型の力学系について初めて与えられた.彼らによれば,この仮定の下で,f()は実解析的,上に凸な曲線になり,力学系の軌道が分離されて「速度」に関連した「リャプノフスペクトル」とも関係がつき,さらに「自由エネルギー」と呼ばれる量のルジャンドル変換になっていることもわかった,彼らの方法は.エルゴード理論の熱力学形式あるいは変分原理と呼ばれるものに基づいている.

 論文提出者,中石健太郎は,PesinとWeissの方法論を推し進め,双曲型でない力学系への拡張を行ったものである.一般に,力学系理論では双曲型という条件の下では多くの方法論が確立されており,かなり精密な結果まで得られているが,その枠組みから一歩でると,種々の困難があり,統一的な結果が得られていない状況である.その中でも,中立的不動点(特に固有値の一つが1になるもの)をもつ場合は最も扱いやすいものと考えられている.論文提出者は,中立的不動点をもつ一次元力学系のあるクラスについて考察し,その不変測度の次元スペクトルに関する研究を行った.考えるクラスとしては,区分的になめらかなで2対1の一次元力学系で,微分(固有値)が1の不動点をもちそこでの展開が,(微分も含めて),115517f12.gifの形になり,それ以外では拡大的になるものをとる.このクラスはこのような力学系は最大エントロピー測度uとルベーグ測度に関し絶対連続な不変測度mをもつ.ただし前者は確率測度になるが,後者はrの値によって確率測度としてとれることも,-有限な無限測度になることもある.論文提出者は,最大エントロピー測度uの次元スペクトルfu()について考察し,それが広義単調増大で,上に凸な関数になり,高々1点をのぞいて実解析的関数になること,リャプノフスペクトル115517f13.gifとの間にfu()=l(log2/)なる関係があることを示した.そして狭義単調増大な区間においてはfu()はある解析的で上に凸な関数T(自由エネルギーと呼ばれる量)のルジャンドル変換になっていることを示した.また,fu()自身は狭義単調増大になるか,ある1点まで狭義単調増大でその後一定で1になるかどちらかで,そのどちらがおこるかは,ルベーグ測度に関し絶対連続な不変測度mが有限測度になるがどうかで特徴づけられることを示した.

 これはある種の相転移現象と考えられる.実際何人かの物理学者は数値実験結果から,このクラスの力学系においては次元スペクトルが上記のような相転移現象を起こすことを主張していたが,論文提出者の結果はそれを裏付けるだけではなく,このクラスの中で相転移現象が起きるための必要十分条件を与えている.また,彼の結果は今後中立的不動点をもつ力学系のエルゴード理論的研究において,新しい手法を与えており,さらに一般的なマルチフラクタルの研究に導くと思われる.また,この結果または方法が,解析的整数論における無理数の有理数近似などの精度に関する非常に精密な結果を与えることが期待されている.

 よって論文提出者、中石健太郎は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

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