学位論文要旨



No 115536
著者(漢字) 渡辺,知規
著者(英字) WATANABE,Tomonori
著者(カナ) ワタナベ,トモノリ
標題(和) レオロジーにおける粘弾性変形の非線形動力学に対する数理的解析
標題(洋) A Mathematical Analysis for the Nonlinear Dynamics of Viscoclastic Deformations in Rheology
報告番号 115536
報告番号 甲15536
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第156号
研究科 数理科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 時弘,哲治
 東京大学 教授 薩摩,順吉
 東京大学 教授 山田,道夫
 東京大学 助教授 稲葉,寿
 東京大学 助教授 山本,昌宏
 龍谷大学 助教授 西成,活裕
内容要旨 1緒言

 現在,材料の粘弾性変形に関する研究が数多くなされ,様々な実験データの蓄積がなされている.多くの場合,粘弾性の解析には,Voigt modelやMaxwell modelなどの経験的に得られたマクロなモデルが用いられている.これらのモデルは,それぞれ,弾性定数と粘性定数といった二つの材料定数を含んでおり,これらの材料定数は,本来,ミクロな立場からの記述がなされてもよいパラメーターであると考えられる.しかしながら,マクロなモデルに含まれる材料定数がミクロな立場から一体どのような物理的描像で捉えられ,表現されるのかは明かにはされていない.そして,ミクロな観点から,材料内部での変形のメカニズムに関する知見を得ることは,ミクロスケールからのより精密な強度予測や材料設計といった工学的応用の立場からも重要であると考えられる.また,Voigt modelやMaxwell modelについて,材料の細かな内部構造や材料の種類によらずに現象解析に適用することができるといった特長が存在する理由は,それらのモデルが,現象がもつ何らかの安定な普遍的構造をうまく捉えているからであると考えられる.そして,複雑な材料の変形現象に対して,そのような現象のなかに横たわる普遍的構造の抽出といった観点から現象を数理的に解析することは,現象の物理的理解や現象の制御においても大変重要であると考えられる.そこで,本研究では,材料の粘弾性変形に対し転位の運動に着目した原子鎖モデルを考え,確率論的非線形可積分方程式のひとつであるThermal overdamped sine-Gordon方程式(TOSG方程式)を用いて転位の運動を記述し,ミクロな観点からの粘弾性変形の数理的解析を行った.

2Thermal overdamped sine-Gordon方程式

 本研究では,ミクロとは,量子力学的性質は無視できるが,熱的ゆらぎが現象に影響を及ぼすスケールを指すとする.そして,材料は,そのようなミクロな世界において,近似的に,線形ばねでつながれた原子の鎖からなる層が幾重にもつらなって出来ていると考える.このような場合において,転位の運動をモデル化した原子鎖モデルを,連続極限をとった場の方程式を用いて表すと,Thermal overdamped sine-Gordon方程式:

 

 が得られる.ここで,u(x,t)は,時刻tに位置xにある原子の変位を表し,,,,p(≡),b,F,,BおよびT0はそれぞれ,摩擦係数,ばね定数,Peierls力,規格化定数,原子間隔,外力,熱瑤動力,Boltzmann定数および基準温度であり,熱瑤動力は,<・>avをensemble averageとした場合に(2)で表される性質を持つ白色雑音とした.

 

 この方程式を,外力Fと熱瑤動力が十分小さいとみなして摂動展開することによって解くと,第ゼロオーダーでKink型の進行波を持つ解が得られる.その解を用いてひずみを定義すると,温度Tおよび外力Fに依存するクリープ曲線を原子鎖モデルから得ることができる.そして,その曲線は,実際の現象から得られる結果と定性的に一致することが分かった.また,TOSG方程式(1)を特殊化することによって,Voigt modelおよびMaxwell modelを得ることができ,従来,おもにCreep現象の解析に用いられて来たGenerlized Voigt Modelと,おもにRelaxation現象の解析に用いられて来たGeneralized Maxwell ModelがTOSG方程式といったひとつの式から導出できることを示した.そして,マクロなモデルが含む材料定数に対しミクロな物理量と温度をパラメータに用いた表現を得た.これらのことから,(1)式で表される原子鎖モデルは,従来のモデルを内包し,CreepとRelaxationを統一的に扱え,新たに温度を含んだ広いクラスのモデルである事が示された.

 つぎに,Stochastic Energetics1を用いた熱力学的考察によって,材料内部のエネルギーの移動を,ミクロな立場から記述した.そして,実際に,その記述を用いて,塑性変形時のエネルギーの移動について具体的計算法を示し,考察を行なった.

3原子鎖モデルの高分子材料への応用-時間温度換算測の導出-

 材料の粘弾性は,観測する時間スケールと観測する温度に大きく依存し,特に,高分子材料については,両者の間には,時間温度換算則と呼ばれる関係が成立することが経験的に知られている.そして,時間温度換算則は物質の種類によらない普遍定数を含むWLF(Williams-Landel-Ferry)equationとよばれる式によって表されることが実験的に示されている.本章では.時間温度換算測が原子鎖モデルから自然に導き出されることを示し,WLF equationと比較することによって,普遍定数と原子鎖モデルに含まれるミクロな物理量との関係を示した.

4拡張したTOSG方程式による動的環境下の解析

 TOSG方程式(1)を拡張して,加工硬化や内部摩擦の影響を取りいれ,外力が時間とともに変動する場合などの動的な環境下の解析をおこなった,これにより,Stress-Strain Responseについて,従来のものに比べ,実際の現象がもつ性質を定性的にうまく再現した応力ひずみHysteresis Loopを得た.

5結言

 本研究では,原子鎖モデルをもちいて,材料の粘弾性変形を,従来の結果に定性的に矛盾なくミクロな立場から解析を行なう手法を示した.そして,原子鎖モデルが,これまで多くの場合に用いられてきたマクロなモデルを内包し,新たに温度をパラメータに含んだ広いクラスのモデルであることを示した.同時に,マクロなモデルがもつ材料定数について,ミクロな物理量と温度をパラメータに用いた表現をえた.一方,Stochastic Energeticsによって,ミクロレベルでの材料内部のエネルギー移動の記述を行った.これにより,塑性変形の場合について,外から加えた仕事が材料内部で時間とともにどのようなエネルギー形態をとるのかといったエネルギー移動の過程を具体的に示した.また,時間温度換算則などのいくつかの経験則との比較のなかからモデルの妥当性を検討し,傍証を得た.

 以上の結果は,材料の粘弾性変形現象に対して,ひろく複雑な現象の中に横たわる普遍性を転位ダイナミクスによって抽出するといった観点から,TOSG方程式といった,ひとつの確率論的非線形可積分方程式に物理的意味を付加し,現象を数理的に解析することの有効性と可能性を示していると期待できる.

 1Sekimoto,K.,"Kinetic characterization of heat bath and the energetics of thermal ratchet models",J.Pgys.Soc.Jpn.,Vol.66,pp.1234-1237(1997)

審査要旨

 論文提出者は,機械工学において重要な問題である粘弾性変形,特にcreep現象およびrelaxation現象に対し,転位の運動に着目した原子鎖モデルを提案した.そして,確率論的非線形可積分方程式のひとつであるThermal overdamped sine-Gordon方程式(TOSG方程式)を用いて転位の運動を記述し,微視的な観点からの粘弾性変形の数理的解析を行った.

 従来の粘弾性変形に対するモデルとしては, Voigt model,Maxwell modelおよびその混合モデルが知られているが,いずれも経験的に導入された一階の微分方程式によって表現されるモデルであり,その成立根拠などは不明であった.また,実用上重要であるシステムの温度依存性も実験結果により決定される経験的なパラメータとして扱われていた.

 これに対して,論文提出者は,粘弾性変形を媒質におけるdislocationの運動に起因するものと仮定し,微視的なHamiltonianから媒質の不可逆な変位(=粘弾性変形)を従属変数とするTOSG方程式を導いた.この方程式によって表現される粘弾性変形モデルを原子鎖モデルと名付けている.外力および熱による擾乱の項を小さいものとして微小パラメータを導入し,そのパラメータに対する摂動展開によってこの方程式の解を求め,温度および外力に対する依存性をもつクリープ曲線を得た.そして,その曲線は,実際の現象から得られる結果と定性的に一致することを示した.また,このモデルの特別な場合として,Voigt modelおよびMaxwell modelを導出し,同時に,マクロなモデルが含む材料定数に対しミクロな物理量と温度をパラメータに用いた表現を得た.また,経験的に導入されていたMaxwell modelおよびVoigt modelの係数分布函数がdislocationの分布函数に等しく,したがって,経験的に知られていたMaxwell modelとVoigt modelの係数間の関係式が自然に従う事を示した.したがって,論文提出者の提案した原子鎖モデルは,従来のモデルを内包し,新たに温度を自然な形で含んだ広いクラスのモデルであると言える.

 また,論文提出者は,近年研究の進んできたStochastic Energetics(微視的に得られるLangevin方程式から巨視的な熱力学的諸量を求める手法)を用いた考察によって,材料内部のエネルギーの移動を微視的な立場から記述した.そして,塑性変形時のエネルギーの移動について具体的計算法を示し,考察をおこなっている.

 ところで,材料の粘弾性は,観測する時間スケールと観測する温度に大きく依存し,特に,高分子材料については,両者の間に時間温度換算則という関係が存在することが経験的に知られている.そして,時間温度換算則は物質の種類によらない普遍定数を含むWLF(Williams-Landel-Ferry)equationによって表されることが実験的に知られている.論文提出者は,原子鎖モデルのキンク解が時間と温度のあるスケール変換に対して不変である事を用いてWLF equationを導くことに成功した.そして,普遍定数と微視的な物理量との関係を与えた.

 さらにTOSG方程式を化硬効果を考慮した連立方程式系に拡張し,外力が時間とともに変動する場合など動的な環境下の解析をおこなった.これにより,Stress-Strain Responseについて,従来のモデルに比べ,実際の現象がもつ時間変化及びHysterisis loopの1次転位的な性質を定性的に再現する結果を得た.また,この拡張したモデルによる結果と,時間温度換算則などのいくつかの経験則との比較のなかからモデルの妥当性を検討し,拡張モデルの正当性をうかがわせる傍証を得ている.

 以上の結果は,従来数理科学的なアプローチがほとんど行われなかった「材料の粘弾性変形現象」に対して,確率論的非線形可積分方程式によるひとつの数理科学的なアプローチを行い,成功をおさめたものであり,数理科学的な意義は大きい.

 よって本論文提出者渡辺知規は博士(数理科学)の学位を授与されるに十分な資格があるものと認める.

UTokyo Repositoryリンク