学位論文要旨



No 115542
著者(漢字) 廣中,克典
著者(英字)
著者(カナ) ヒロナカ,カツノリ
標題(和) グルタミン酸受容体δ2のシグナル伝達系の解析
標題(洋)
報告番号 115542
報告番号 甲15542
学位授与日 2000.04.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3845号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 山本,雅
内容要旨 要旨を表示する

グルタミン酸は哺乳類において主要な興奮性の神経伝達物質として機能しており、神経系の発生や学習、記憶といった高次機能において重要な役割を果たしている。その受容体であるグルタミン酸受容体は大きくチャネル型グルタミン酸受容体とG蛋白質と共役した代謝型グルタミン酸受容体に分類される。このうちチャネル型グルタミン酸受容体は、その薬理特性や一次配列上の類似性より更に7つのサブファミリーに分類される(表1)。αサブユニットはAMPAを選択的にアゴストとするAMPA受容体を形成し、β,γサブユニットはカイニン酸(KA)受容体を、ζ,ε,XサブユニットはNMDA受容体を構成する。しかしGluRδ1及びGluRδ2からなるδファミリーは、その一次構造上の類似性からクローニングされたが、その薬理特性やチャネル活性について全く明らかになっていない。本研究の対象となるGluRδ2は、小脳プルキンエ細胞に限局して発現している。三品らにより作製されたGluRδ2ノックアウトマウスが、運動失調、プルキンエ細胞のLTDの消失、登上線維によるプルキンエ細胞多重支配などの表現型を示すことから、GluRδ2は小脳における正常な神経回路形成や運動学習に必須であることが明らかとなっている。従ってGluRδ2のシグナル伝達系について明らかにすることは、GluRδ2を介した小脳依存性の運動学習システムの分子メカニズムを明らかにする上で非常に重要な意味を持つと考えられた。

これまで他のサブファミリーに属するグルタミン酸受容体サブユニットについては、相互作用する分子が多数クローニングされてきた。代表的な例として、GluRαサブファミリーに結合するGRIP、GluRζサブファミリーに結合するカルモジュリン、GluRεサブファミリーに結合するPSD-95等が挙げられる。これら相互作用分子の同定は、それぞれのグルタミン酸受容体複合体による脳機能制御の分子メカニズムの理解に多大な貢献を果たしてきた。そこで私は、GluRδ2相互作用分子を同定し、その分子がGluRδ2の生理学的機能にどのように関わっているかを研究することにした。ヒト脳cDNAライブラリーを用いてGluRδ2に相互作用する分子をyeast two-hybird systemによりスクリーニングした結果、band4.1ドメイン、PDZドメインを持つ細胞質型チロシンフォスファターゼファミリーの一員であるPTPMEGを同定した(図1)。

グルタミン酸受容体を介するシグナル伝達系にはタンパク質リン酸化/脱リン酸化反応がシナプス可塑性、学習、記憶といった神経高次機能を調節する上で非常に重要なメカニズムを担っている。例えば、NMDA受容体依存型の海馬CA1領域における長期増強(LTP)及び長期抑圧(LTD)はセリン/スレオニンキナーゼであるカルモジュリンキナーゼIIとセリン/スレオニンフォスファターゼであるカルシニューリンの活性によって制御されている。更に近年Fynノックアウトマウスのシナプス可塑性異常やNMDA受容体のSrcによる増強が報告され、Src型キナーゼによるチロシンリン酸化反応の重要性が認識されるようになってきた。しかしグルタミン酸受容体シグナル伝達系へのチロシンフォスファターゼの関与については全く解析がなされていなかった。従って私は、今回得られたPTPMEGに着目し、グルタミン酸受容体との物理的及び機能的相互作用について検討することにした。

先ずマウスPTPMEGcDNA断片をクローニングし、in situ hybridizationにより脳におけるPTPMEG mRNAの発現部位を検討した。その結果PTPMEG mRNAは視床及びGluRδ2の発現しているプルキンエ細胞において強く発現していることを見出した(図2)。免疫沈降法により293T細胞を用いた再構成系及び脳内においてPTPMEGがGluRδ2と相互作用することを示した(図3)。またこれまで唯一同定されているGluRδ2相互作用分子PSD-93がGluRεサブファミリー相互作用分子でもあることやPTPMEGが強く発現している視床で全てのGluRεサブファミリーが発現していることから、PTPMEGがGluRεサブファミリーと相互作用するかを検討した。その結果、293T細胞を用いた再構成系及び脳内においてPTPMEGがGluRε1と相互作用することを示した(図3)。更にPTPMEG、GluRδ2及びGluRε1の欠失変異体を作製して、PTPMEGとこれら受容体の相互作用が、PTPMEGのPDZドメインと受容体のカルボキシ末端との相互作用によることを明らかにした。またGluRεサブファミリーのカルボキシ末端はサブユニット間で良く保存されていることから、PTPMEGがGluRε1以外にもGluRε2-4とも相互作用することが示唆された。GluRδ2及びNMDA受容体に相互作用する分子として、これまでPSD-93、PSD-95、S-SCAMなどの分子が同定されているが、これらはPDZドメインを複数持っておりscaffold proteinとして機能している。しかしPTPMEGは、PDZドメインを1個しか持たないこと、またチロシンフォスファターゼ活性を持っていることなどから、scaffold proteinとしてではなくグルタミン酸受容体シグナルを担う伝達分子もしくは受容体の機能制御分子として機能していると考えた。そこでPTPMEGのグルタミン酸受容体シグナル伝達における機能を検討するため、NMDA受容体のチャネル活性を増強することが報告されているSrc型キナーゼFynによるGluRε1のチロシンリン酸化にPTPMEGがどのように寄与するかを調べた。293T細胞を用いた再構成系で、予想に反して野生型PTPMEGあるいは活性化型と考えられるPTPMEG欠失変異体によりFynによるGluRε1のチロシンリン酸化は上昇し、不活性型PTPMEGでは、そのような上昇は見られなかった(図4)。このことからPTPMEGは、チロシンフォスファターゼ活性依存的にFynによるGluRε1のチロシンリン酸化を正に制御することが判明した。この分子メカニズムについては現在更に検討を加えている。一方GluRδ2のチロシンリン酸化は見られないことから、GluRδ2と相互作用しているPTPMEGはGluRδ2以外のタンパク質のチロシンリン酸化を制御していると考えられる。

NMDA受容体は、リガンド及び電位に依存して細胞内にカルシウムイオンを流入させることで、可塑性などにおいて重要な働きをしている。NMDA受容体活性化に伴うカルシウムイオン濃度上昇よってカルシウム依存性プロテアーゼであるカルパインが活性化される。一方PTPMEGは、血小板においてカルシウムイオノフォアやトロンビンによって活性化されたカルパインにより分解・活性化されることが知られている。これらのことからPTPMEGがNMDA受容体刺激に伴いカルパインにより分解・活性化されることでNMDA受容体活性制御などを行うというモデルが建てられる。現在私は、このモデルを培養細胞を用いた再構成系や神経細胞初代培養系で検証したいと考えている。

本研究で私はGluRδ2及びGluRε1に相互作用する分子としてPTPMEGを同定し解析を進めた。チロシンフォスファターゼによるチャネル型グルタミン酸受容体シグナル伝達の制御という新しい視点からの研究により、シナプス可塑性などの脳高次機能に寄与するグルタミン酸受容体シグナルの理解が更に深まることを期待している。

表1 チャネル型グルタミン酸受容体サブファミリーとそれらの薬理特性

図1 PTPMEGの構造式及びtwo-hybrid screeningにより得られたクローンの構造

図2 PTPMEGmRNAのマウス脳内における発現分布のin situ hybridization法による解析

A)全脳における発現分布B)小脳における発現分布

図3 PTPMEGのマウス脳におけるA)細胞内分布、B)GluRδ2との相互作用及びC)GluRε1との相互作用。Cb:小脳,Tel:終脳,Sb:可溶性画分,Sm:シナプトソーム及びミトコンドリア画分,Sy:シナプトソーム画分,PSD:シナプス後膜画分

図4 PTPMEGのSrc型キナーゼFynによるGluRε1のチロシンリン酸化への影響

FynF:活性型Fyn,wt:野生型PTPMEG,DA:不活性型PTPMEG(PTPMEG D840A),f:活性化型PTPMEG(PTPMEG 517-926),α-PY:抗リン酸化チロシン抗体,TCL:細胞可溶性画分

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、グルタミン酸受容体δ2の会合分子PTPMEGを同定し、そのグルタミン酸受容体シグナル伝達系に及ぼす機能について述べられている。

チャネル型グルタミン酸受容体は、その薬理特性や一次配列上の類似性より更にサブファミリーに分類される。このうちδファミリーは、その一次構造上の類似性から同定されたが、薬理特性やチャネル活性について全く不明である。廣中克典君の研究の対象となるGluRδ2は、小脳プルキンエ細胞に限局発現しており、GluRδ2ノックアウトマウスの解析から、小脳における正常な神経回路形成や運動学習に必須であることが示されている。グルタミン酸受容体の会合分子が多数同定されており、それぞれのグルタミン酸受容体複合体による脳機能制御の分子メカニズムの理解に多大な貢献を果たしてきた。本研究ではGluRδ2の機能解析をするために、GluRδ2会合分子をyeast two-hybrid systemにより探索し、band4.1ドメイン、PDZドメインを持つ細胞質型チロシンフォスファターゼフアミリーの一員であるPTPMEGを同定した。

In situ hybridization法により脳のPTPMEG発現部位を調べ、視床及びGluRδ2の発現しているプルキンエ細胞で強い発現を見出した。免疫沈降法により再構成系及び脳内においてPTPMEGがGluRδ2と会合することを示した。またGluRδ2会合分子PSD-93がNMDA受容体GluRεサブファミリー会合分子でもあることやPTPMEGが強く発現する視床で全てのGluRεサブファミリーが発現することから、PTPMEGとGluRεサブファミリーとの相互作用を検討した。その結果、再構成系及び脳内においてPTPMEGがGluRε1と会合することを明らかにした。PSD-95をはじめとするグルタミン酸受容体会合分子の多くがPDZドメインを介してグルタミン酸受容体のカルボキシ末端と相互作用する。

そこでPTPMEG、GluRδ2及びGluRε1の欠失変異体を用いて、PTPMEGとこれら受容体の会合が、PTPMEGのPDZドメインと受容体のカルボキシ末端との相互作用によることを明らかにした。GluRεサブファミリーのカルボキシ末端はサブユニット間で良く保存されており、PTPMEGがGluRε1以外にもGluRε2-4とも会合する可能性を指摘している。GluRδ2及びNMDA受容体の会合分子には、PDZドメインを複数個持つ分子が数多く同定されているが、これらはscaffold proteinとして機能している。しかしPTPMEGは、PDZドメインを1個しか持たないこと、またチロシンフォスファターゼ活性を持っていることから、scaffold proteinとしてではなくグルタミン酸受容体シグナルを担う伝達分子もしくは受容体の機能制御分子であると考えられた。PTPMEGのグルタミン酸受容体シグナル伝達における機能を調べる為、NMDA受容体チャネル活性を増強するSrc型キナーゼFynによるGluRε1のチロシンリン酸化へのPTPMEGの寄与について調べ、PTPMEGが、そのチロシンフォスファターゼ活性依存的にFynによるGluRε1のチロシンリン酸化を正に制御することを示唆する知見を得た。

NMDA受容体は、細胞内にカルシウムイオンを流入させることで、可塑性などにおいて重要な働きをしている。NMDA受容体活性化に伴うカルシウムイオン濃度上昇よってカルシウム依存性プロテアーゼであるカルパインが活性化される。一方PTPMEGは、血小板において活性化されたカルパインにより分解・活性化されることが知られている。本論文で、グルタミン酸受容体の下流でPTPMEGがNMDA受容体刺激に伴いカルパインにより分解・活性化され、NMDA受容体活性制御などを行うというモデルを建てている。

本論文で廣中君は、GluRδ2及びGluRε1に会合する分子としてPTPMEGを同定し解析を進めた。これまでグルタミン酸受容体シグナル伝達系へのチロシンフォスファターゼの関与については全く解析がなされていなかったが、これによりチロシンフォスファターゼによるチャネル型グルタミン酸受容体シグナル伝達の制御という新しい研究分野が拓かれ、シナプス可塑性などの脳高次機能に寄与するグルタミン酸受容体シグナルの理解が異なる側面から更に深まることが考えられる。従って本学位論文は、生物化学の分野において博士(理学)の学位に値する内容であると審査した。

なお、本論文は、梅森久視、手塚徹、三品昌美及び山本雅らによる共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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