学位論文要旨



No 115545
著者(漢字) 内山,佳子
著者(英字)
著者(カナ) ウチヤマ,ヨシコ
標題(和) 準弾性レーザー散乱法による相間移動触媒反応における液液界面での分子挙動の解析
標題(洋)
報告番号 115545
報告番号 甲15545
学位授与日 2000.04.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4733号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 二瓶,好正
 東京大学 教授 尾張,真則
 東京大学 助教授 水野,哲孝
 東京大学 助教授 藤浪,眞紀
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

 液液界面は相間移動触媒、溶媒抽出、イオン選択性電極など様々な領域において重要な役割を担っている。特に相間移動触媒反応は、相間移動触媒が別の化学種の形で界面を何往復も通過することにより起こる。この時、効率の良い触媒や新しい合成反応を考案するためには、反応全体の機構を明らかにする必要がある。二相系ではバルク相と界面の二つの場がある。これまで、NMRや高速液体クロマトグラフなどバッチ法によるバルクの情報はあるが、液液界面の情報は得られていない。反応を促す相間移動触媒は両親媒性の界面活性物質であるため、界面に吸着することから相間移動触媒反応において液液界面は重要な場所であると考えられる。そこで私は、液液界面をダイナミクスにそのままの状態で計測する手法による相間移動触媒反応における液液界面の解析を着想し、相間移動における反応場など界面近傍の基礎的メカニズムを明らかにすることを本研究の目的とした。

 液液界面の計測手法としては、古くから界面電位の計測などの電気化学的手法が知られているが、この手法では界面に摂動を加えてしまうという欠点があった。一方、近年、非破壊、非接触の計測手法として、第二高調波発生法(SHG)、和周波発生法(SFG)などの分光学的手法が発展し、これらの手法では界面分子の配向の情報が得られる。また、我々研究室で独自に開発した準弾性レーザー散乱法(QELS)は、液液界面に摂動を与えず、秒毎に追跡することが可能であり、これまでに液液界面計測の有効な手段となることを示されてきた。そこで本研究では、ダイナミクスに界面を直接観測できるQELS法を相間移動触媒反応系に適用し、触媒と反応物質の(1)濃度、(2)経時時間依存性を測定することにより相間移動触媒反応における液液界面の役割について明らかにした。

[実験]

(QELS法の原理)図1に示すように、入射光は液液界面に自然発生する界面張力波によって周波数シフトを伴って散乱される。この周波数シフトを、回折格子で角度の定まった回折光とのビート(うなり)をとることによって求めた。

(実験装置)直径4cmの石英セル内に水(W)、ニトロベンゼン(NB)を10mlずつ入れて調製した液液界面にYAGレーザー(532nm,20mW)を入射し、界面張力波周波数をモニターする。求めた界面張力波周波数はLamb's式とGibb's式から液液界面の分子数密度と相関があり、その減少、増加が各々分子の吸着、脱離にあたることは確認済みである。

(本研究で用いた相間移動触媒反応系)一般的に知られている相間移動触媒の反応機構を図2に示す。相関移動触媒、テトラブチルアンモニウムブロマイド(TBAB)はナトリウムフェノキシド(C6H5ONa)とイオン対TBA+C6H50-を形成する。このイオン対が有機相へ移り、ジフェニルフォスフォリルクロライド(DPPC)と反応しトリフェニルフォスフェイトが生成する。また同時にできる副生成物TBA+Cl-は水相へ移り、再びC6H5ONaとイオン対を形成し有機相へ移る。このプロセスを1サイクルとして繰り返す。なお律速段階は、有機相中の反応である。

[結果と考察]

 QELS法の特徴でもある液液界面ダイナミクスの追跡は、この相間移動触媒反応で行われる測定温度20℃では、液液界面が不安定のため不可能であった。そのため、相間移動触媒反応を構成する各化学種の界面吸着量の濃度依存性を平衡状態で調べた。次にこの問題を解決するため、恒温水を循環させて温度を一定に保ち、低温にすることにより反応を遅くし、界面の安定性をはかることで界面ダイナミクスを測ることを可能とした。触媒と反応物の経時時間依存性からより鮮明に液液界面での分子挙動を追跡することができ、この結果は濃度依存性の結果を裏づけている。以下にこれらの結果を示す。

1 濃度依存性

1)TBA+C6H5O-のW/NB界面吸着挙動(測定温度20℃、イオン強度0.2)1-3

 反応系を簡単にするため、有機相にDPPCを加えずC6H5ONaと界面活性種であるTBABのみを加え、平衡状態でのC6H5ONaとTBABの濃度依存性によりイオン対TBA+C6H5O-のW/NB界面吸着挙動を調べた。その結果を図3に示す。C6H5ONaのみの水溶液で濃度を増加させても界面張力波周波数は変化せず、相間移動触媒TBABのみの水溶液で濃度を増加していくと界面張力波周波数は減少した。このことはC6H5ONa単独では界面に吸着せず、界面活性物質であるTBABは界面に吸着していることを示唆している。またTBAB一定濃度の水溶液中でC6H5ONa濃度を増加させたところ、C6H5ONa濃度増加に伴い界面張力波周波数は減少した。このことは、TBABとC6H50Naがイオン対TBA+C6H5O-を形成し、このイオン対が界面に吸着していることを示唆している。またこのイオン対の界面吸着量が一定値に達するTBABとC6H5ONaの濃度比に着目し、図4にその結果を示した。TBAB濃度50,60,80mMの時、イオン対の界面吸着量が一定値に達するTBABとC6H5ONa濃度比は1対1であった。一方、TBAB濃度1,25,40mMの時、イオン対の界面吸着量が一定値に達するTBABとC6H5ONa濃度比は1対1からずれていた。イオン対TBA+C6H50-は、TBAB1分子とC6H5ONa1分子が水相中で反応して生成する。このことは、バルク相の濃度の研究から実験的に推論できる。このようにもし反応が水相中で起こるなら、イオン対の界面吸着量が一定値に達するTBABとC6H5ONa濃度比は1対1のはずである。TBABが約50mM以上の時、TBABとC6H5ONa濃度比が1対1であることからTBAB1分子とC6H5ONa1分子が水相中で反応していると単純に説明できる。しかし、TBABが約50mM以下の時、1対1からずれていることから単純に水相中で反応していると説明できない。この結果は反応場所が水相中ではなく界面であることを示唆している。一般的に、界面での反応性は水相中と違うと考えられ、反応性が低下したと考察された。以上の様に、TBABが約50mM以下の時、液液界面は相間移動触媒反応において重要な反応場となることが示唆された。

 2)TBAB濃度によるTBA+C6H5O-の移動量(測定温度20℃、イオン強度0.2)5

 TBAB界面吸着量とイオン対の移動について検討した。有機相にDPPC 1mMを加えた全反応系におけるイオン対TBA+C6H5O-の移動量を吸光光度法により求め、TBAB濃度が1mMと25mMとで比較した。一般的に使用されるTBAB濃度1mM時のイオン対のニトロベンゼンへの移動量は、25mMの時の1.8倍であった。一般的に、有機相でTBA+C6H5O-はDPPCと反応して生成物ができるので、この場合TBAB1mMの時の生成物の収率は25mMの時と比べて約1.8倍良いことを示唆する。相間移動触媒の高濃度は常に生成物の高収率をもたらすとは限らないことが示唆された。このことは、反応場として液液界面の特異性が反映しているかもしれないので、液液界面の役割について詳細に調べるためQELS法を用いた。TBABのみの水溶液で界面張力波周波数は、1mMの時12.8kHz、25mMの時11kHzであった。この大きな差はTBAB濃度の違いにより単にTBABの界面吸着量が異なることを示唆している。これにC6H5ONaを加えてC6H5ONaの濃度を増加していくと形成したイオン対で界面張力波周波数が減少することは1)で述べた。この界面張力波周波数の減少量は、TBAB1mMの時0.8kHz、25mMの時1kHzを示した。このようにTBAB濃度依存によりTBABの吸着量が1.8kHzと大きな差はあっても、形成するイオン対TBA+C6H5O-の量にさほど差は見られなかった。つまり、TBAB濃度1mMと25mMでTBABの界面吸着量はイオン対TBA+C6H5O-の量にあまり影響しないことが示された。これらの結果と高濃度の触媒は常に生成物の収率を良くするとは限らないことを考慮すると、イオン対形成反応場である界面にTBABが多く存在した場合、生成したイオン対は有機相へ脱離し難いことが示唆された。つまり、界面にいるTBABはイオン対が有機相へ移動するのを妨げる役割を演じており、液液界面状態が物質移動に重要であると云える。

2 経時時間依存性

 R4+C6H5O-とR4+Cl-のW/NB界面の吸着挙動のモニタリング(測定温度10℃、イオン強度0.2)4,6-7

 液液界面での分子挙動をより鮮明にするため、低温にして反応を遅くする工夫をして、相間移動触媒反応における界面ダイナミクスを計測した。一般的に触媒のアルキル鎖を短くすると界面活性が低下すると云われているので、その傾向を確認するためテトラプロピルアンモニウムブロマイド(TPRAB)とテトラエチルアンモニウムブロマイド(TEAB)も同様に界面ダイナミクスを計測した。この内のTBABの結果を図6に示す。横軸はTBAB O.2mlを注入後の経過時間を示す。純粋にTBABを注入した場合10℃では、20℃の時と比べて界面吸着量が減り、モニタリングできるTBAB濃度限界である1mMでは界面吸着が起こらなかった。TPRABとTEABも同様であった。NBは温度を低くすると水を取り込み、NBが安定するため疎水基が集まり集合体をつくる性質があるため10℃以下にするとNBは白濁する。逆に10℃の時、20℃ではみられなかったC6H5ONaの界面吸着が起こる。これは、低温のNBがC6H5ONaを含む水を取り込むためと考えられる。10℃と20℃でC6H5ONaとR4Nの存在する場所が逆であるが、C6H5ONaとC6H5ONa+DPPCのみでは変化が見られなかったように、C6H5ONaとDPPCだけでは反応が起こらない。またC6H5ONaとDPPCに触媒を加えることにより10℃で変化が確認されたことは20℃でこの3つの化学種が存在することで反応が起きていることと同じであると考えた。このことから20℃と10℃での反応は変わらないとした。C6H5ONaへTBABを注入しても変化が観察されなかったのは、1)で述べたようにC6H5ONaとTBABは界面で反応し生成したイオン対の界面吸着がこの場合、界面張力波周波数に影響を与えないと示唆された。C6H5ONa+DPPCへ触媒を注人すると、界面張力波周波数は減少し、それから増加して一定になった。律速である有機相中の反応が進行すると副生成物ができて界面吸着し、これが界面張力波周波数の減少をもたらしていると考えている。また脱離は、アルキル鎖が短いと有機相よりも水相へ移動しやすく実際にアルキル鎖が短いほど脱離量が多いことから、R4+Cl-の界面から水相への脱離を示唆している。従って界面張力波周波数の減少、増加は図7の副生成物R4+Cl-の吸着、脱離であると結論づけた。また定常状態での吸着量は、炭素数が多いほど大きい結果となった。本結果と一般的にいわれている炭素数が多いほど反応生成率がよいことを考慮すると、定常状態での反応モデルは副生成物の界面吸着と界面で生成したR4+C6H5O-の脱離の平衡状態を示唆していると考えている。従って、定常状態での相間移動触媒反応は界面と有機相で1サイクルの反応経路をしていると考えられ、相間移動触媒全反応は界面を通して行われていることが示唆された。以上、界面が反応場として重要であることをさらに裏づけることができた。

[まとめ]

 本研究により恒温水を循環させて低温を一定に保ち、反応を遅くすることでQELS法により相間移動触媒反応における界面ダイナミクスを測定可能であることが示唆された。これにより、濃度依存性から得られた結果をさらに裏づけ、相間移動触媒反応における液液界面は、重要な反応場であることが見出された。

 今後、界面活性種を用いた反応機構の解析に応用していきたい。また界面の重要さをさらに追求するため、界面とバルクの存在比率を見積もる装置開発を手掛けていきたい。

[発表論分]

1 Y.Uchiyama,I.Tsuyumoto,T.Kitamori,T.Sawada,Proceedings of ITAS,1998,111-112.

2 Y.Uchiyama,I,Tsuyumoto,T.Kitamori,T.Sawada,Proceedings of ISPPA,1998,227-230.

3 Y.Uchiyama,I,Tsuyumoto,T.Kitamori,T.Sawada,Journal of Physical Chemistry B,1999,103,4663-4665.

4 Y.Uchiyama,I.Tsuyumoto,M.Fujinami,T.Sawada,Chemical Journal of Chinese Universities,1999,20(supplement),565.

5 Y.Uchiyama,I.Tsuyumoto,M.Fujinami,T.Sawada,Langmuir submitted.

6 Y.Uchiyama,I.Tsuyumoto,M.Fujinami,T.Sawada,Journal of American Chemical Society,to be submitted.

7 Y.Uchiyama,I.Tsuyumoto,M.Fujinami,T.Sawada,Analytical Sciences,to be submitted.

[補足]

1 Y.Uchiyama,K.Itou,H.Ling.Li,Y.Ujihira,Y.C.Jean,Journal of Radioanalytical and Nuclear Chemistry,1996,211,111-117.

2 Y.Uchiyama,K.Itou,H.Ling.Li,Y.Ujihira,Y.C.Jean,N.Kitabatake,Journal of Radioanalytical and Nuclear Chemistry,1996,211,103・109.

3 Y.Uchiyama,K.Itou,H.Ling.Li,Y.Ujihira,Radioisotpes,1998,47,19-28.

4 内山佳子,伊藤賢志,李洪玲,氏平祐輔,芦田彪,高分子論文,1998,55,710-714.

図1 原理図

図2 相間移動触媒反応系

図3 界面張力波周波数のTBABとC6H5ONaの濃度依存性

図4 界面吸着量が平衡になる[TBAB]と[C6H5ONa]の関係

図6 相間移動触媒TBAB注入後の界面張力波周波数の経時変化(TBAB1mM,C6H5ONa70mM,DPPC1mM)

図7 相間移動触媒反応系モデル

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,非標識・非接触で液液界面の吸着分子量の時間変化を測定可能な準弾性レーザー散乱法(Quasi elastic laser scattering,以下QELSと略す)を用いて相間移動触媒反応系の界面での触媒移動を観察することに成功し,反応系における界面の役割について研究したものである。

 まず第一章の緒言では,本研究の目的を述べている。相関移動触媒は,水相に分離して存在する反応物質を触媒とのイオン対の形で油相に移動させることにより油相に存在するもう一つの反応物質と反応させ,生成物を取り出し,再び触媒を水相側に移動させることによりサイクリックな反応系を形成している。界面は触媒の移動に深く関わることからその役割について,QELSにより測定・考察することを本論文の目的とした。

 第二章では,QELSの原理・実験装置に関しての詳細な解説を記述している。

 第三章では,本論文で用いた相間移動触媒反応系を解説している。具体的には,油相でのジフェニルフォスフォリルクロライド((C6H5)2POCl:DPPC)とテトラブチルアンモニウム(TBA+)とフェノキシド(C6H5O-)とのイオン対の反応によりトリフェニルフォスフェイト((C6H5O)3PO)を生成物として取り出す系である。TBA+は水相に存在するC6H5ONaとイオン対を形成し,油相に移動させる触媒である。本系において着眼した点は,まずイオン対の形成の場を明らかにすること,次に反応系においてTBA+吸着量とイオン対の移動量に関しての考察,そして触媒の炭素鎖を変化させた際の動的吸着挙動についてである。

 第四章ではイオン対の形成の反応場を明らかにした。TBA+とC6H5ONaを水相に添加し,界面吸着量の双方の添加濃度依存性を調べている。TBA+の添加量が少ない時には,イオン対形成にはより多くのC6H5ONaの添加量を必要とすることがわかった。またTBA+の界面吸着量はバルク相の存在量に比べて4桁ほど低いことが示された。それらの結果からTBA+はC6H5O-とのイオン対形成は,バルクではなく界面で起きていることが明らかとなり,界面が重要な役割を果たしていることを示した。

 第五章は,界面に存在するTBA+あるいはイオン対の量がイオン対の油相への移動量に及ぼす影響について考察した。TBA+濃度を増加しても,水相に残存するC6H5ONaの量は変化しないこと,界面での吸着分子濃度はTBA+濃度に比例して増加することから,油相へのイオン対移動がTBA+濃度が高くなると阻害されることを明らかにした。この結果は,触媒濃度に最適値が存在することを界面吸着量の観点から考察したものである点が評価できる。

 第六章では,触媒の炭素鎖の種類をプロピル基,エチル基,ブチル基と変化させ,その反応物・生成物のイオン対の移動の初期過程を動的に解析することを目的とした。測定温度を10℃にし,吸脱着挙動を精度よく観察できるように工夫している。その結果,反応初期のイオン対形成は非常に速く進行し,本実験の時間分解能(秒オーダー)では観察できなかった。一方,分子の吸着を示す界面張力波周波数の低下が数秒間測定されたことから反応生成物のイオン対の水相への移動過程を観察することに成功している。その後,それらは水相あるいは油相への移動を表す界面張力波周波数の増加を示し,添加後約10秒後に平衡状態に到達したことを示した。それらの結果からアルキル鎖の長い分子ほど吸着量が多いことが判明し,反応収率の結果とのよい一致をみた。先のイオン対の脱吸着が1回のみ観察されることから,生成したTBA+は水相に移動するよりも界面でC6H5O-とイオン対を形成していると考察される。従って,相間移動触媒反応において従来油相と水相間での触媒の移動が言われていたが,本結果より,触媒の移動は油相と水/油界面との間で起こっていることが明らかになった。

 第七章の総括では,本研究によって得られた成果を総括し,不均一触媒反応への応用について将来展望が述べられている。

 以上述べたように本論文はQELSにより反応系の平衡状態観察ばかりではなく動的挙動に関して適用可能であることを示し,相間移動触媒のイオン対形成反応挙動解明に大きく進歩をもたらすものであり,高く評価できる。よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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