学位論文要旨



No 115546
著者(漢字) 章,真輝
著者(英字)
著者(カナ) ショウ,シンキ
標題(和) 和訳:時間分解準弾性レーザー散乱法による液液界面における界面活性剤分子の動的挙動に関する研究
標題(洋) Studies of Dynamic and Collective Behavior of Surfactants at Liquid/Liquid Interfaces by a Time-Resolved Quasi-Elastic Laser-Scattering Method
報告番号 115546
報告番号 甲15546
学位授与日 2000.04.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4734号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 二瓶,好正
 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 尾張,真則
 東京大学 助教授 藤浪,眞紀
内容要旨 要旨を表示する

 液液界面における物質移動は、生体膜、液膜センサー、溶媒抽出過程、相間移動触媒などにおいて重要な役割を担っているが、実験的困難さのため、その基礎的なメカニズムは明らかになっていないのが現状である。液液界面での分子挙動に関しては、分子動力学法(MD)やモンテカルロ法(MC)によって主に理論的に研究されてきたが、近年、第二高調波発生法(SHG)、和周波発生法(SFG)などレーザー分光法の発展により界面の液体構造や動力学的な役割などを調べることが可能になってきた。

 我々の研究室ではこれまでに、液液界面の分子数密度の時間変化をモニターする方法として、準弾性レーザー散乱法(QELS法,Quasi-Elastic Laser-Scattering method)を新たに開発してきた。この手法は従来の界面張力測定法に比べると非接触、非破壊という利点がある。また、平衡状態だけではなく、分子の界面での動的挙動を秒オーダーで追跡することが可能という特徴を有している。

 界面活性剤分子は親水基と親油基をもつ両親媒性分子である。液液界面での特異な振舞いが期待される。本研究では、界面活性剤分子の液液界面での挙動に着目し、QELS法による分子挙動の観察を通じて、物質移動のメカニズムを考察することを目的とした。

 液液界面には熱揺ぎにより界面張力波が存在している。その周波数は近似的に復元力として働く界面張力の平方根に比例する。界面張力は界面における分子数密度に依存するので、界面張力波周波数を測定することにより、その変化をモニターすることが可能である。

 液液界面にレーザー光を入射し、入射光の一部回折光と、界面張力波によりドップラーシフトを伴って散乱された光とのビートを測定することにより、界面張力波周波数を求めた。光ビートはアパーチャを通過した後にレンズで集光され、フォトダイオードで電気信号に変換される。その後、信号の周波数解析にFFTアナライザーを用いることで、短時間(1s)かつ連続測定を可能にした。光路にかかわる試料セルなどにはオプティカルフラットなものを採用することにより、実験の再現性を向上させた。

 本研究では、広い分野で注目を集めている様々な界面活性剤分子の液液界面での吸着状態や集団的な挙動を解析し、物質移動のメカニズムについて検討を行っている。

 本論文の第一章では、本研究の背景、目的について述べている。また、液液界面の研究に関する他の方法に比較して、QELS法の特徴について説明している。QELS法の液液界面計測の沿革についてもまとめている。

 第二、三章では、水/ニトロベンゼン(W/NB)界面における電荷符号の異なる陽イオン性セチルトリメチルアンモニウム臭化物(CTAB,C16H33N+(CH3)3Br-)、陰イオン性ドデシル硫酸ナトリウム(SDS,C12H25OSO3-Na+)、および非イオン性トリトンX-100(t-C8H17-C6H4-(OCH2CH2)9.50H)界面活性剤分子の挙動を追跡し、初めて分子の油水二相間の移動をリアルタイムで計測することができた。さらに、これらの分子の界面での吸着状態や集団的な挙動の違いを見出し、液液界面における物質移動メカニズムのモデルを提案した。

 CTAB,SDS,W/NB界面系は人工液膜振動系のモデルとして研究されている。この系の物質移動のメカニズムを理解するため、分子の液液界面での挙動をそのままの状態で直接計測できる手法が強く求められる。本研究では、我々の研究室で独自に開発してきたQELS法をCTAB,SDSのW/NB界面での挙動のリアルタイム測定に適用し、分子の界面での挙動の観察を通じて、物質移動のメカニズムを考察することを目的とした。さらに、非イオン性のトリトンX-100を用い、三種の界面活性剤分子のW/NB界面での挙動を比較し、分子の挙動に吸着種の電荷符号による影響を検討した。

 本測定では、界面活性剤分子の臨界ミセル濃度(cmc)を境として、分子挙動の変化をモニターした。界面活性剤水溶液をそれぞれマイクロシリンジで界面の水相側に注入し、その後の界面張力波周波数の経時変化を測定した。水溶液を添加した後、周波数が一時的急減した後、極小値をとり、その後、徐々に増加するという現象が観察された。陽イオン性のCTABの場合は、添加濃度がcmc以上の場合のみ、周波数の一時的な急減が見られた。一方、陰イオン性のSDSの場合は、添加濃度がcmcを上回るか下回るによらず、周波数の一時的な急減が観察された。周波数の急減は界面活性剤分子数密度の増加、すなわち、界面活性剤分子の水相から界面への吸着に対応し、周波数の漸増は界面から油相への脱離に対応する。また、周波数の極小値は近似的に吸着平衡状態と考えられる。

 次に、周波数の極小値を用いて、分子の吸着状態や集団的な挙動について考察した。陽イオン性のCTABの場合は、cmc以下では配向せずに単純な拡散モデルに従って、物質移動が起きていると考えられる。添加濃度がcmc以上の時、実験値はラングミュア型の吸着等温式によく一致することがわかった。吸着等温線から吸着エネルギーを求めたところ-29.3kJ/molとなり、ミセルが崩壊し、メチレン基がすべて油相に入る時のエネルギーに等しくなった。これはミセルが界面近傍で崩壊し、単分子膜となって、配向、吸着していると示唆される。吸着は、疎水基がすべて油相側に入った状態となっていると考えられる。

 一方、陰イオン性のSDSの場合は、添加濃度がcmc以下の時、ラングミュア型の吸着等温式にほぼ一致することから界面に単分子膜を形成していると考えられる。吸着等温線から分子の界面への吸着エネルギーを求めたところ、-21.9kJ/molとなり、これより約60%のメチレン基が油相に入っていると考えられる。cmc以上の時、吸着量が見かけ上減少するという興味深い現象が観察され、界面での分子の集合状態が単分子ではなく、逆ミセルなどにかわることが示唆される。コンピューターシミュレーションやSFG法による研究でも、SDSが高濃度になると信号強度などが異常になることが報告されており、ここで述べたような集合状態の変化によるものと考えた。

 非イオン性のトリトンX-100の場合は、添加濃度がcmc以下の時、ラングミュア型の吸着等温式にほぼ一致することから界面に単分子膜を形成していると考えられる。cmc以上の時、吸着量は一時的減少した後再び減少することが見出された。吸着量の減少過程は界面の単分子がミセルに変化することと考えている。その後の増加過程はミセルが界面で増加することと考えている。

 以上の結果により、液液界面の分子計測にQELS法は有効であることを検証した。観察された界面活性剤分子の界面での吸着状態や集団的な挙動の違いは、液液界面における物質移動のメカニズムの解明に新たな知見を与えるものと考えられる。

 第四章では、有機溶媒の極性が分子の界面での挙動に与える影響について検討している。

 これまでに、界面活性剤分子のW/NB界面での集団的な挙動が異なることを見出してきた。特に陰イオン性のSDSの場合は添加濃度がcmc以上で、濃度が増えると吸着量が減少するという興味深い現象が観察された。分子の界面での挙動に影響を与えるファクターとして吸着種の電荷符号などの他有機相の性質も考えられる。そこで、本研究では理論先行のW/CCl4,W/CHCl3,W/CH2Cl2界面系を用い、SDS分子の界面での挙動に有機相の影響を調べることを目的とした。

 これまでに光源にはHe-Neレーザー(波長633nm,出力10mW)を用いてきたが、本測定では、シングル縦モードの半導体励起YAGレーザー(波長532nm,出力20mW)を採用することにより、S/N比を向上させた。測定周波数範囲内で周期的なノイズがなくなったため、W/NB界面だけではなく、水/様々な有機溶媒界面を調べることが可能になった。

 界面の水相にSDS水溶液を添加した後の経時変化の濃度依存性を調べたところ、すべての界面で一定濃度以上で周波数の一時的な急減(界面分子数密度の一時的な急増)が観察された。吸着量とSDS水溶液平均濃度の関係を調べたところ、添加濃度がcmc以下の時、同濃度のSDS水溶液の添加による吸着量はCH2Cl2,CHCl3,CCl4の順に増加した。有機相の比誘電率が小さいほど吸着量が大きいこととなった。これは比誘電率の小さい有機相の方がSDS分子を吸着しやすいことを示す。添加濃度がcmcを超えた時、すべての界面で濃度の増加とともに吸着量が減少するという現象が観察された。これはcmc以上では分子の集合状態が単分子からミセルなどに変わるためと考えた。SDS分子の集合状態の変化は吸着分子の静電的相互作用によるものと考えられる。

 以上の結果により、物質移動のメカニズムに有機相の比誘電率が影響を与えることを実験的示した。

 第五章では、本手法を液液界面におけるリン脂質分子挙動の追跡に適用し、リン脂質の炭化水素鎖長や有機溶媒の極性などが分子の界面での吸着挙動に与える影響を検討している。

 リン脂質は、生体膜の主な構成成分の一つで、親水基と2本の炭化水素鎖をもつバイオサファクタントである。液液界面でのリン脂質の挙動を解明することは、生体膜の機構さらに工業的な利用を検討する上で極めて重要である。本研究では、液液界面におけるリン脂質分子挙動の追跡を目的とし、リン脂質の炭化水素鎖長や有機溶媒の極性が界面の吸着挙動に与える影響を検討した。

 界面の有機相側からクロロホルムとメタノールの混合溶媒に溶かしたリン脂質(DLPC,DMPC,DPPC)の溶液をそれぞれマイクロシリンジで界面に注入し、その後の界面張力波周波数の経時変化を測定した。リン脂質濃度に依存した界面張力波周波数の変化に違いが見出された。界面におけるリン脂質膜挙動変化の様子を考察したところ、界面への吸着量はDPPC、DMPC、DLPCの順に増加した。これは、リン脂質分子の界面での配向によるものと考えられ、炭化水素鎖が短くなるにつれ分子の界面での配向が増加するというSFG法による研究報告と一致する。また、界面への吸着量はNB,1,2-DCE,CCl4の順に増加した。これは、極性が小さい有機相の方が脂質分子を吸着しやすいことを示す。吸着分子の溶媒和相互作用や吸着分子間の相互作用によるものと考えられる。本研究により、液液界面におけるリン脂質分子の挙動をリアルタイムで計測することができ、膜が介在する物質移動などを解明するための基礎的なデータを提供した。生体膜などの研究に時間分解QELS法も有望であることが示された。

 最後に、本研究が総括され、本手法により明らかになったことと今後の展開について述べている。

 時間分解QELS法を用いてさまざまな界面活性剤分子の液液界面での挙動をリアルタイムで追跡し、液液界面の分子計測にQELS法は有力な手段であることを検証した。分子の界面での吸着状態や集団的な挙動の違いを見出し、液液界面における物質移動のメカニズムの解明に新たな知見を与えた。今後、この手法の時間、空間分解能を高めることにより、膜が介在する物質移動や液液界面の基礎的な性質が解明できると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,液液界面に熱揺らぎによって発生する界面張力波を測定する準弾性レーザー散乱法(Quasi elastic laser scattering,以下QELSと略す)を用いて様々な界面活性剤分子の液液界面での水相から油相への物質移動の動的挙動をはじめて観察することに成功し,分子の液液界面での集合状態や吸着状態について研究したものである。

 まず第一章では,本研究の背景を説明している。QELSの原理説明および他の液液界面計測手法との比較を行い,QELSが分子の界面への吸着挙動をミリ秒から数秒の時間分解能で無標識・非接触で観察可能な唯一の手法と位置付けている。その特徴をいかして,QELSを界面活性分子の相間での物質移動の挙動解析に応用することに着眼し,以下の点を本研究の目的とした。

 (1)界面活性剤分子の電荷符号による相間物質移動挙動の研究

 (2)リン脂質分子の吸着挙動における炭素鎖数依存性の研究

 (3)界面活性剤分子の相間移動における有機溶媒依存性の研究

 第二章では,陽イオン性の界面活性剤セチルトリメチルアンモニウム臭化物(CTAB)を水/ニトロベンゼン界面に添加し,水相から油相へ移動し平衡状態になるまでの物質移動過程をQELSの時間依存の測定結果から論じている。その結果,QELSが分子の移動過程を十分に追跡可能であること,および注入初期の界面での吸着挙動に濃度依存性があることをはじめて見出している。すなわち,単分子状態で水相に注入された分子は,単純な拡散メカニズムにより界面に吸着し油相側に移動するが,ミセル状態で注入された分子は,界面で一旦単分子状態で吸着し,その後油相側に移動することを明らかにした。

 第三章では,陰イオンの界面活性剤ドデシル硫酸ナトリウム(SDS),非イオン性のトリトンXを用いて第二章と同様の実験を行っている。その結果,CTABとは異なる物質移動のメカニズムが存在することを明らかにしている。SDSではミセルで水相に注入した場合,液液界面で単分子とミセルが混在した状態を形成するのに対して,トリトンXではすべてミセル状態で吸着しているという結果が得られた。これらの挙動の違いは,イオンの電荷符号の違いによるものと考えられるが,その際に水分子の溶媒和の状態,油相の有機溶媒の物性などさまざまな影響を考慮する必要がある。特に有機溶媒の比誘電率の違いに着眼し,第五章では誘電率の差による吸着状態について検討している。

 第四章では細胞膜を形成するリン脂質分子(DLPC,DMPC,DPPC)の液液(水/ニトロベンゼン)界面での吸着挙動を検討している。特にその炭化水素鎖の長さでその挙動が異なることを見出した。平衡状態では,炭素鎖の長いDPPCが最も多く吸着しているのに対し,吸着過渡期には炭素鎖の短いDLPCが最も多く吸着しているという結果を得ている。炭素鎖の長さにより吸着時の配向状態が異なることが他の手法(SHG)から示唆されており,配向状態からその違いを考察している。また,このようにリン脂質分子を界面に形成し,その挙動をQELSにより観察できたことから,本手法を生体膜反応挙動に応用可能であることも示唆した。

 第五章は,上記界面活性分子の物質移動時の集合状態に関しての有機溶媒依存性を検討している。集合状態には溶媒との静電相互作用が重要と着眼し,比誘電率の違い(四塩化炭素,クロロホルム・ジクロロエタン)による変化を観察した。SDSにおいては,その吸着挙動(ミセルが単分子状態に解離して,液液界面に吸着する)に有機溶媒依存性はほとんど認められず,SDS分子特性がその吸着挙動を支配していると考察した。また,リン脂質分子では,その吸着量に有機溶媒依存性が観察され,有機溶媒の極性が大きくなるほど吸着分子数が減少することを示した。なお,本章の研究では,励起レーザーをHe-NeからYAGレーザーに変更し,界面張力波数のパワースペクトルからノイズを大幅に低減させることに成功したことにより,達成可能となったものである。

 結語では,本研究によって得られた成果を総括し,本法が従来観測不可能であった界面活性分子の相間の移動時の界面集合状態を議論するための有用な方法であり,その解析から非常にユニークな描像が得られたことを述べている。また,本手法の時間分解能や空間分解能を向上することにより,さらにそれらの考察が進むと期待している。

 以上述べたように本論文はQELSの界面分子挙動観察の有用性を示すばかりではなく界面活性分子の二相間分子移動の挙動解明に大きく進歩をもたらすものであり,高く評価できる。よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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