学位論文要旨



No 115549
著者(漢字) 山田,桂子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,ケイコ
標題(和) 英領インド・アーンドラ地方における地域思想と民族運動
標題(洋)
報告番号 115549
報告番号 甲15549
学位授与日 2000.04.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第282号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桜井,由躬雄
 東京大学 教授 水島,司
 東京大学 教授 中里,成章
 東京大学 教授 柳澤,悠
 東海大学 教授 臼田,雅之
内容要旨 要旨を表示する

 英領インドのアーンドラ地方では、19世紀末からデルタ地域を中心に社会経済的に地位上昇をしつつあった知的エリートや農民エリートたちが育ちつつあり、彼らの間で母語のテルグ語による教育の必要性が叫ばれると同時に、地域史を学び、また新しく通史を叙述しようと言う気運が高まった。ヴィーレーサリンガムは社会改革と言語改革を結びつける一方、ラクシュマナ・ラオは母語による歴史教育の重要性を説き、当時のエリートたちに大きな影響を与えた。ラクシュマナ・ラオの『概説インド史』やヴィーラバドラ・ラオの『アーンドラ人の歴史』は、アーンドラ人の過去をはじめて人々に広く知らせ、最も影響力を持った書物である。新しい地域史が明らかにしようとしたことは、古典文献による古代史の史実性や民族の雑種性、平等社会の理想像、生まれではなく「行い」によってきまるヴァルナ制度観、英雄重視の志向などである。

 アーンドラ人の民族意識の高まりは政治的にはアーンドラ人の統一とマドラス管区からの分難を求めるアーンドラ運動となって結実したが、より深い意識的な変化は、新しい地域史理解は非バラモン運動へも継承されていった。それは、「行い」重視による伝統的ヴァルナ秩序の批判や平等社会の実現など改革主義的側面を持っていたが、同時により厳密に真のヒンドゥー教社会へ回帰しようという復古主義的な側面があった。また、ここではコミュナルなカースト運動は意味を持たず、より一般的な原則の中で地域全体の改革を目指そうという傾向があり、それにはアーンドラ人意識が重要な役割を果たした。しかし、アーンドラ人意識とはエリート層が社会経済的地位上昇の過程でそれを歴史叙述の中で合理化する役割をもっていたから、地域的差異やカーストによる亀裂などの矛盾を抱える、近代的な架空の概念に過ぎなかった。

 農民カーストの「クシャトリヤ」化は、アーンドラ地域史の中で彼らを英雄の子孫「アーンドラ・クシャトリヤ」という特別の位置づけを行うことによって合理化された。ここでは通常のクシャトリヤとは違うが、やはりヴァルナ秩序の枠組みを維持されている。バーヴァイヤ・チョウドリの『カンマの歴史』では、民族運動を背景に「アーリヤ・アーンドラ・クシャトリヤ」という言葉が用いられた、この様な農民エリートは1920年代末より農民運動の盛り上がりの中で政治的ヘゲモニーを握りつつあったことと関係がある。この様に、アーンドラの地域史理解はエリートたちの地位上昇と新しいアイデンティティの模索の中で不可欠なものとして、大きな役割を果たしたのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、19世紀末から20世紀初頭におけるインドのアーンドラプラデシュ州アーンドラ地域におけるアーンドラ地域主義の形成をディスコース分析と、現実の地域運動の展開の両面から考察したものである。英領インドにおける地域主義の展開は第一に英領期の管区、第二に言語州の形成として問題にされる。本論は言語州自身が地域を形成するのではなく、そのなかの一地域が自らをその属する民族集団の中核として認識することから始まるとする。テルグ語圏はデルタ地域と割譲地とよばれる乾燥地域、それ以外からなるが、本来はマドラス管区に編入され、民族主義においても地域主義においてもタミル語圏の一辺境としてしか認識されなかったが、オリエンタリストが古代アーンドラを発見し、その始原、もしくは中心を沿岸デルタ地域に求めたことからアーンドラ地域概念が成立した。オリエンタリストのアーンドラ人概念はニヨーギ・バラモン及びそのパトロンであるザミーンダールらのアイデンティティ形成に理論的基礎を与えた。第一に地域語としてのテルグ語の口語化・近代化が、ヴィーレーサリンガムによってなされた。第二にラクシュマナ・ラオがインド古典とオリエンタリストの業績を折衷した『インド史概説』を記して、インド人のインド史の概念を形成するとともに、その中にアーンドラ人を位置づけた。第三にこれらの知的営為の上に、ヴィーラバドラ・ラオの『アーンドラ人の歴史』が執筆される。これはアーンドラ人を人種的にはアーリヤ人の混血種であり、ヴァルナの面ではバラモンとクシャトリアの混血であり、宗教的には仏教徒がヒンドゥーに改宗したものとしてアーンドラ人の雑種性が強調され、その雑種性ゆえに優越した存在であるとする。ここに地域形成の正統性を示す書としての最初のアーンドラ地域史が形成された。

 20世紀はじめに、アーンドラ運動が始まる。アーンドラ運動は基本的にはテルグ言語州の形成を目的とするものであり、デルタ地域の地域エリートに担われていた。アーンドラ人の存在を示威し、その現実の後進性をイギリス植民地主義に帰した点において、それはアーンドラ地域主義とインド民族主義を結びつける意味をもった。しかし、同時にそれはタミル人との対立、同じテルグ語圏である割譲地など非デルタの経済的後進地域とデルタ地域の対立、デルタ内部における階層対立を惹起する。1920年代以降ではカンマなど、アニカット(堰)建設により新たに経済実力を獲得したデルタ部の非バラモン農民エリートがアーンドラ地域主義を継承していく。ハーヴァイヤ・チョウドリの『カンマの歴史』は、カンマをテルグ人の中心とし、テルグ人をインド人の起源であるとまでしている。その論理の基軸は『アーンドラ人の歴史』の著者が指摘したアーンドラ人のハイブリッド性であった。

 本論はテルグ語の直接資料の丹念な読解、分析を基礎としており、これまでインド史においてほとんど注目されていなかったアーンドラ地域の地域形成を論じた、世界レベルでパイオニア的な論文とみることができる。その分析、叙述においてインド、アーンドラ、カンマとして地域がしだいにそのアイデンティティを獲得形成する形を、思想表現と運動表現という多重的に論証したことは高く評価できる。その結論である従来の言語州とナショナリズムを対抗軸におくインド民族主義研究の批判、歴史的アイデンティを基礎とする地域の形成の主張、またアーンドラ運動をめぐる多重的な対立点を、タミルとの対立、テルグ語圏内部の地域的対立、デルタ地域内部の階層的対立などきめこまかく叙述分析をくわえた点は、すぐれて創見にみちている。以上の論述は同時に90年代以降、インド史研究史上展開されている周辺地域のナショナリズム運動研究の傾向に正しく位置づけることができる。

 しかしながら、本論は地域形成の主導層であったアーンドラカンマの主張と運動を主軸として論じたために、テルグ地域全域の社会的経済的分析に欠け、カンマ層などの擡頭、その主張の形成、その運動過程のダイナミズムを十分に説明できているとは思われない。またそれぞれのテキストのディスコース分析においては、きわめて精緻であるが、その頒布、購読者層の分析については論じられていないために、影響力についての疑義が否定できないなど今後の課題としての問題点を残している。

 以上の問題点にもかかわらず、本審査委員会はその創見性をとくに評価し、本論文は博士(文学)の学位にふさわしいものと判断した。

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