学位論文要旨



No 115552
著者(漢字) 栗山,可奈
著者(英字)
著者(カナ) クリヤマ,カナ
標題(和) 下肢陰圧負荷によって導かれる失神前兆における脳血管系応答について
標題(洋) Cerebrovascular Responses During Lower Body Negative Pressure-Induced Presyncope
報告番号 115552
報告番号 甲15552
学位授与日 2000.04.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1670号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 菅田,勝也
 東京大学 助教授 山崎,力
内容要旨 要旨を表示する

[背景] 起立耐性の低下はしばしば宇宙飛行後や長期の無為臥床後に報告され、結果的に起立性低血圧を生じ、ついには脳血流量が低くなることによる失神を引き起こすと考えられている。本研究は、このメカニズムを解明するために、起立性低血圧を誘導することのできる下肢陰圧負荷試験(Lower Body Negative Pressure : LBNP)を用いて、失神前兆中の脳血行動態に注目し、検討を試みた。脳血流量の直接的非侵襲的測定は困難なため、その代用として、中大脳動脈の血流速度と前額部の脳組織のoxygenationを測定し、検討した。LBNPにより脳血流量は減少するが、失神前兆中では血圧は急激に低下するのに対し脳血流は維持され、脳血管系より心血管系要因のほうが大きく寄与しているという仮説を考察した。

[方法] 対象は8名の健常男性(年齢38±9歳、身長181±5cm、体重88±8kg)で、十分な説明後参加に同意した者であった。被験者は水平な台の上に仰臥し、腸骨稜以下の下肢を圧カチャンバーの中に密閉された。安静を保ち、安静時の各測定終了の後、圧力チャンバー内の減圧を開始した。チャンバー内の圧力は3分毎に10mmHgずつ減少し、失神前兆が現れて試験が中止されるまで、もしくは陰圧が100mmHgに達し、プロトコールが完了するまで続けられた。失神前兆は以下の基準に従い、研究に無関係の医師によって判定された。1)心拍数の急激な低下(15拍/分もしくはそれ以上)、2)収縮期血圧の低下(25mmHg以上)、3)拡張期血圧の低下(15mmHg以下)、又は4)突然のめまい、悪心、発汗、顔面蒼白。基準項目の一つ又はそれ以上が認められるとすぐ、下肢陰圧負荷を中止した。

 血圧は非侵襲的な動脈トノメトリーを用い、手首の橈骨動脈において連続的に測定した。中大脳動脈の脳血流速度を測定するため、transcranial Doppler sonography(TCD)を用いた。前額部の脳組織oxygenationを測定するために、near infrared spectroscopy(NIRS)を用いた。脳血流速度とoxygenationの測定は連続的に行われた。

[結果と考察] 8名の被験者のうち2名は失神前兆が認められず、プロトコールを完了したため、本研究の目的に鑑みて、失神前兆の見られた6名について検討した。

 血圧、心拍数、脳血流速度、脳組織oxygenationそれぞれの%時間時の値をFig.1に示した。下肢陰圧負荷初期では、収縮期血圧、平均血圧は比較的一定に保たれたが、心拍数は徐々に増加した。100%時間時では、安静時と比べて、収縮期血圧と平均血圧は有意な減少を示し、80%時間時と比較するとそれぞれ平均で21.8%、17.2%減少した。負荷中止時での大きな減少は、cardiac insufficiencyを示唆している。脳血流速度とoxygenationは陰圧負荷中通して徐々に有意に減少し、陰圧負荷によって脳血流量が低下したことを示唆した。血圧が比較的一定なのに対して脳血流量が減少したことは、脳の自己調節が損なわれたことを示唆しており、何らかの理由で、自己調節曲線の右方または下方への移動が生じた可能性があると考えられた。

 失神前兆中の各測定項目を検討するために、陰圧負荷中止直前2分間に注目した(Fig.2)。収縮期血圧は2分前から10秒前まで徐々に減少し、最後の10秒間で大きく減少した。平均血圧と拡張期血圧も同様に2分前から15秒前まで徐々に減少し、最後の15秒間で急激な減少を示した。心拍数はこの2分間に有意な変化は見られなかった。脳血流速度は2分間に有意な変化はなかった。oxygenationは、少し遅れて負荷中止の10秒後に最も低下した。LBNP負荷終了直前に、血圧は急激な低下を生じた。それに対し、脳血流量を示唆する脳血流速度は低下せず、中大脳動脈の血流量は、安静時より約44%も減少しているものの、辛うじて保たれ、急激な血圧変化による脳組織へのダメージを防いでいるといえるだろう。oxygenationは減少したが、脳血流速度との相違は、測定部位の相違に起因してい

[結論] LBNP負荷により、脳血流量は減少するが、LBNPによって誘導された失神前兆は、心臓血管系の不全がより大きく起因しており、血圧の急激な減少に対して脳循環は比較的一定に保持されている。

Fig.1

Fig.2

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、起立不耐性の結果生じる失神前兆メカニズムの解明のため、失神前兆において重要な役割をもっと考えられる脳血管系応答の解析を試みたものであり、下肢陰圧負荷試験によって導かれる失神前兆における脳血流速度、脳組織oxygenationを、血圧、心拍数の動態と併せて検討し、以下の結果を得ている。

1.下肢陰圧負荷初期では、心拍数が上昇することによって血圧は比較的一定に保たれるが、それに対して脳血流速度、脳組織oxygenationは共に陰圧負荷のレベル毎に徐々に減少し、脳血流量が減少することが示された。従来の仮説によると、脳の自己調節機能によって、該当レベルの血圧の範囲では脳血流量は血圧の変化に影響されず一定に保たれるとされていたが、下肢陰圧負荷中は、脳血流量のセットポイントが移動することが示唆された。

2.失神前兆においては、血圧が急激に低下したのに対し、脳血流速度は安静時の約54%で比較的一定に保たれており、よって中大脳動脈においては脳血流量が保たれていることが示された。脳血流量は、失神前兆において低いレベルながら中大脳動脈では、自己調節機能によって保たれていると考えられた。それに対し、脳組織oxygenationは、減少傾向を示すことが示された。

3.これらの結果より、下肢陰圧負荷といった擬似起立性負荷において、下肢への血液の貯留により循環血液量が減少した状態では、下方への脳の自己調節機能曲線の移動に伴い陰圧負荷のレベルに応じて脳血流量は低下するが、それぞれの負荷レベルでは調節機能が働いており、結果、失神前兆には心血管系の破綻の方がより大きく関与していることが示唆された。

 以上、本論文は、起立性負荷中の脳血流量の動態を検討したもので、失神前兆に特に着目した数少ない研究の一つであり、従来の脳自己調節機能の概念に重要な情報を追加するものである。本論文は、宇宙航空医学の分野における大きな課題である微小重力や過大重力への曝露による起立不耐性への対応策を確立するのに重要と考えられる情報を提供するものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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