学位論文要旨



No 115553
著者(漢字) 李,美香
著者(英字)
著者(カナ) リ,ミヒャン
標題(和) 新古今集の詞書に関する研究
標題(洋)
報告番号 115553
報告番号 甲15553
学位授与日 2000.04.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第269号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三角,洋一
 東京大学 教授 川本,皓嗣
 東京大学 教授 義江,彰史
 東京大学 教授 黒住,真
 東京大学 教授 並木,頼寿
内容要旨 要旨を表示する

 本書では、「新古今集の詞書に関する研究」と題し、第一部「新古今集の作者別詞書をめぐって」と第二部「新古今集の部立て別詞書をめぐって」とに分けて、それぞれの角度から新古今集撰者たちが撰歌資料の本文をどのような内容で採り入れているかについて、主に詞書の叙述をもとに考察してみた。その結果、新古今集は、歌を撰び入れる際に歌詞本文は勿論のこと、詞書の一句一句についても、新古今集自らの撰歌方針や内部の配列、構成上の問題にかかわるこまかな配慮と工夫をこらしていることが看取された。

 公的記録性をもっ勅撰集の詞書には、撰者たちによる享受の方向が示唆されており、撰者間の撰歌態度や傾向も示されているとともに、その勅撰集の撰歌方針を如実にあらわすものとして貴重な資料となる。

 本書は、こうした観点からそれぞれの詞書が撰歌に際してどのように採り用いられ、どのように扱われているのかを吟味することで、新古今集撰者による享受の指示を仰ぎ、その自らの撰歌方針と各撰者の撰歌観についての詳細な論考を試みたわけである。

 第一部の第一章では、「三十六歌仙の作における詞書について」と題し、新古今集に入る万葉、古今、後撰時代を代表する三十六歌仙九名の作について触れ、新古今集撰者たちが古歌を採り入れる際に意図していたものは何であったかについて詳しく検討している。

 まず、万葉時代を代表する人麿、赤人、家持の新古今集所収歌の多くは、万葉集巻十、巻十一などの作者不詳歌群に見られるものであり、具体的な詠作事情を持たない場合がしばしばある。ところが、万葉集、家集などにどのような状況で詠まれた歌なのかが明記されている場合、そして、そこから直接採ったと思われる場合でも新古今集はそのような詠作事情を詞書にしるしていないことから、本章では、新古今集がこの代表的な万葉作者三名の人口に膾炙していた古い歌々を採り入れる際に心がけていたものは、こうした古歌に草された現実的な詠作事情を切り捨てることで歌詞本文のみの撰歌とし、古歌に普遍性を与えることで、まったく独立した一首として新古今集に収めるということであったと結論づけた。

 つまり、新古今集に収まる古歌は、「題しらず」として普遍化された歌々として配されることで伝誦的古歌群の一翼を担う存在となり、新古今集の中の「古」の部分を構成しているのである。そして、これら一首々々はもやはどのような事情によって、あるいはどのような題のもとに詠まれたかが問われることなく、新古今集独自の解釈が与えられ、あらたな新古今集の世界を構成する一首として生まれかわったものとみてよい。定家の『近代秀歌』に、「詞は旧きを慕ひ、心は新しきを求め、及ばぬ高き姿をねがひて」とあるように、歌は古いものを志向するが、心はそこに留まるのではなく常に新しいものを求める。これがまさしく定家の主張する本歌取りの方法でもあり、新古今集の古歌摂取に対する姿勢でもあり得たことを確認するわけである。

 さて、本章ではひきつづき、古今集を代表する歌人五名と後撰集の梨壺の一人である能宣の新古今集入集歌をもそれぞれ掲げて論じている。小町は、古今集初出歌人ではあるが、その活躍の基盤は仁明朝(八三三〜八五〇)の頃であり、万葉集と古今集の過渡期に活動していたとみてよい。新古今集において万葉歌人と同等の扱いを受けているのはそれゆえであると考えて誤りなかろう。そして、業平〜貫之は古今集歌人として明らかに万葉歌人とは区別されている。まず、業平の場合は、伊勢物語を背景とする普遍化された一首々々と異なり、物語の章段から切り離された業平集からの撰歌の場合はその詞書を忠実に移している。なお、躬恒と貫之の場合は、具体的な人名や事柄に普遍性を与える改訂の施された歌もあるが、代表的な屏風歌歌人として高く評価され、その旨を詞書に綴った歌が多く撰ばれている。そして、伊勢の場合は、家集の詠作事情を忠実に移した詞書が雅経によって綴られていることを看過することはできない。さらに、能宣に至ると、家集の歌に添えられた詞書がかなり尊重され、撰歌されている。ちなみに、能宣は、梨壼の五人の一人として後撰集の撰進事業に加わってはいるが、拾遺集初出歌人である。つまり後撰集、拾遺集の間にその活躍時期を据えることができる。

このように概観すると、新古今集が古歌を撰ぶ際には二つの撰歌態度、すなわち万葉歌人の歌に見られるような普遍化された歌として採択する態度と歌詞本文と合体させ併せて詞書をも採る態度とが存したと言えよう。そして、古今、後撰時代を経て、少しずっ前者から後者へと漸次移行していったものと見受けられる。

 さらに、次章に挙げた拾遺集時代を代表する紫式部と和泉式部の新古今集入集作においては、このような前者の態度は払拭され、資料にしるされた個人的な現実にもとづく事情を省くことなく、普遍化することなく歌詞本文と合体した一つの作品として受けとめる後者の流れがいよいよ顕著にあらわれてくるのである。

 以上の諸点をあわせ考えると、新古今集は資料として採り用いた古今時代、後撰時代の歌と拾遺時代の歌との間に一つの区切りを認めていたことが確認される。古歌を尊重する態度、そして古歌の範囲を寛平以往の歌に置くという態度に根ざした新古今集の古歌受容の実態はこのよケな角度からも解明されうるのではなかろうか。

 付言すれば、第二章「紫式部の作における詞書について」と第三章「和泉式部の作における詞書について」において、新古今集に入る紫式部作(一四首)、和泉式部作(二五)とともに千載集、後拾遺集所収作をも掲げて照合している。千載集は両女流歌人の歌を多く採ってはいるが、俊成自らの方針によって施された詞書における改訂や添削が著しく、このような傾向はその子定家にも若干ではあるが受け継がれている。しかしながらこれらの改訂は、古い歌を撰び、それを一定の位置に配列させて、新古今集の歌として生彩を発揮させるには、ぜひとも要求された過程であったと言わざるをえない。そして、後拾遺集は、紫式部歌三首のうち紫式部日記からの撰歌が二首もあり、それらの詳細な詞書を簡略に整理して入集させている観がある。さらに、詞書における改訂は主に後拾遺集の配列上の問題とかかわることが多く、このような意味では千載集の撰歌態度に通ずると見てよかろう。ちなみに、和泉式部の作は、どこまでが撰歌資料として用いられたか判然としない制約もあるが、通俊は最小限の改訂を以て撰歌しており、おおむね資料の詞書を忠実にとり用いているとみられる。

 さて、第二部の第一章では、「新古今集哀傷部における詞書について」と題し、季を介する哀傷歌群(七五七〜八〇四)を挙げて、撰歌資料との比較をもとに、順当な配列のために施されたであろう詞書における改訂について考えた。

 新古今集哀傷部(計一〇一首)のうち、四八首に及ぶ季を介する哀傷詠は、追悼歌であるという性質に加え、時季の進行に従って配列されていることから、とりわけ季による配列の上に乱れの生じぬよう詞書や歌詞本文における一々の叙述にもこまかな配慮がなされており、それぞれの歌を各時季に据えるために行われた詞書における改訂の跡が著しい。しかし、誤った改訂や配列の施された部分をも存し、本章ではそれについても論じている。

 続く、第二章においては、「新古今集四季部における詞書について」と題し、先行の諸研究を引き合わせつつ、新古今集四季部の主題による配列について、主に詞書に綴られた題をもとに考察してみた。とりわけ、新古今集四季部の主題分類において再考の余地のあると思われる幾つかの詠を採りあげて分類を試みたが、先学の分類に若干の修正を加える結果となった。

 さしあたって注意されることは、朧月夜(五五〜五八)や春曙(三七・三八)歌群などで見られるように、他の主題による歌群の中では、撰歌資料にその題が付けられていても、それをことごとく省き配列を助けていることである。これは、新古今集撰者たちが主題による配列を常に念頭に入れて詞書を草していたことをあらわすものであり、このように採用された歌の主題を考えるにおいても、それぞれの歌に明示されている詞書の内容は撰者たちの意図を見いだすことのできる格好の資料となることが確認されよう。ついでにいえば、新古今集竟宴後の切り継ぎ段階において補入された歌や編纂間近に催された晴歌から採歌された詠には、右記のような当時の新しい趣向による題が多く添えられており、古今集以来の伝統的な歌題は勿論、こうした新しい題との触れあいにより、新古今独白の美意識による世界を創り出そうと試みていたことがうかがわれる。

 以上、博士論文「新古今集の詞書に関する研究」の要旨を各章ごとにまとめてみた。新古今集に入る歌々に綴られている詞書をもとに、第一部においては古歌摂取の実態について触れ、第二部では季を介する哀傷部や四季部の主題による配列の上に見られる撰者たちの意図について検討してみた。なお、本研究で採り上げていない作者や部立てにおいても、同じ角度からの接近が十分可能と考えられるが、稿を改めることとしたい。

 さて、新古今集の詞書研究は、その詞書自体の性格を見据えようとする精緻な分析がすでになされており、今後は、さらに、新古今集内部の構造にまで踏み込んだ体系的な研究が待たれるところである。

 本書における研究成果がこうした後考において一つの資料として活用されることを願ってやまない。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、日本古典文学の中心に位置する和歌文学のうち、和歌史上もっとも注目すべき勅撰集の中でも精粋といって過言でない、八代集の第八番目にあたる新古今集を対象とし、歌の前書きである詞書に焦点を絞って、撰者たちの撰歌態度や配列意識を明らかにしようとした研究である。

 従来、新古今集の研究においては、後鳥羽院や藤原定家の関与の仕方をにらんで編纂過程を追求したり、どの家集や歌合などから撰歌したのかをさぐったり、どのような配列構成になっているのかを検討したり、入集歌数の多寡にもとづき特徴的な歌人に注目するとか、近代歌人や前代歌人の歌の分布を調査するとか、万葉歌を取り出して新古今的な特色を考察するとか、さまざまな試みがなされているが、五人の撰者たちの撰集活動の内面にまで踏み込んで考察しようとした業績はきわめて手薄であった。その点で、本論文の着眼は斬新で、学界最先端の成果である佐藤恒雄論文「新古今集定家進覧本の形態と方法」とも接点をもち、宝の山を掘り当てたと評してよさそうである。

 さて本論文は、「第一部 新古今集の作者別詞書をめぐって」と「第二部 新古今集の部立て別詞書をめぐって」からなり、前後に「序章」「まとめ」を置き、附表として「新古今集中四季部にみえる詞書一覧」「八代集に入る晴れ歌対照表」を付ける。第一部では、撰歌の原資料となった作者個人の家集の詞書と新古今集の詞書との間の異同を手がかりとして、だれがその歌を撰んだかということを伝える撰者名注記をも考慮しつつ、詞書を「題しらず」にしたり改変したりした理由をさぐり、おもに歌人別の傾向と時代別の変遷を考察したうえ、撰者のねらいを明らかにしようとする。第二部では、哀傷部の前半の四季の移り変わりの順に配列された哀傷歌についてと、四季の部の問題を抱える箇所について、原資料との異同や歌題の史的変遷にからめて詞書の指示するところを再把握しようと試みる。新古今集という新しい歌集のコンテクストの中で、詞書の機能と詞書に託した撰者の思いをつかまえるためには、作者別に原資料との関係から詞書を検討し、部立てごとの内部配列において詞書を吟味するという両方向からのアプローチは欠かせないものであった。

 内容に踏み込むと、第一部は三章からなり、具体的には三十六歌仙の家集と紫式部集と和泉式部集を扱う。歌仙としては万葉集歌人の柿本人麿、山部赤人、大伴家持、六歌仙の小野小町、在原業平、古今集歌人の凡河内躬恒、伊勢、紀貫之、拾遺集初出の大中臣能宣の家集を取り上げ、古代の歌人のうち小町までの歌については、家集に詠作事情を伝える詞書があっても、新古今集では「題しらず」として扱い、古歌に普遍性を与えて鑑賞させようとしているといい、原資料が業平集である場合以後、その詞書を生かす例があらわれ、特に能宣以降、紫式部や和泉式部の歌になると原資料の詞書をよく保存するようになるという。当然な指摘のようであるが、確認しておいてよいことがらであった。細かいことであるが、業平集と伊勢物語に資料を仰ぐ業平や、屏風歌を得意とした躬恒・貫之の場合の詞書の傾向についての指摘、また伊勢の歌で家集の詞書を生かしたのは藤原雅経で、撰者によって詞書の草し方が異なるとしていることには説得性がある。

 紫式部の入集歌については、世にいう紫式部日記歌を重視する傾向のあることと、家集の詞書を生かそうとしていることをいい、和泉式部のそれでは藤原家隆が家集の詞書を生かすのに比べて、藤原定家は改訂すること著しい場合のあることを指摘する。

 第二部に移って、哀傷部の季節順の配列の箇所については、有家が連続して撰んでいるところに原資料尊重の姿勢と季節の乱れのあること、定家の撰んだ箇所に無季の歌があり詞書の加筆創作も見られることがいわれる。四季部の諸説分かれる問題箇所の分析では院政期以降、結題など歌題が発達したことを承け、詞書の機能を生かして、一つの歌材から次の歌材へと移行する際のつなぎ役をする新しい主題を積極的に認めている。たとえば春上の10番歌の残雪、67番歌の雨中苗代、春下の151〜2番歌の曲水宴、夏の276番歌の夕顔は久保田淳氏の分類を追認したものであるが、説得性があり、提出者は久保田分類の細分化し過ぎには同調しない。

 本論文の価値は国文学研究、なかんずく和歌文学研究におけるオーソドックスな手法を用いて、従来の研究を一歩前進させたところにあるが、審査委員から、いくつか難点も指摘された。新古今集の統一性と多様性を問題にすることと、完成された集の中の乱れをつくこととの間に、より深めた解釈をしていく余地がありはしないかとか、のちに後鳥羽院が精撰した隠岐本で歌を除棄した理由の一つとして詞書の不備をいうのは簡単にいかないのではないかとか、個別的な分析・判断においてまれに揺れが感じられ、全体的な展望のうえに立った見直しに行き届かないところがありはしないかとか、「題しらず」として古歌に普遍性を与えるということと、詞書にしたがって一首を鑑賞しなさいということをめぐっては、もっと新古今集に即して理解していく必要もあれば、撰者の意図に縛られない読みもあってよく、柔軟な読み取りを望みたいとかいう意見があった。いずれも本論文の長所のちょうど裏側の欠点を言い当てているが、提出者もじゅうぶん自覚しているところであるし、本論文の根幹を損なうほどのものではない。

 よって、当論文審査委員会は、本論文を全員一致で博士(学術)にふさわしいと判断し、その旨をここに報告する。

UTokyo Repositoryリンク