学位論文要旨



No 115554
著者(漢字) 森上,修
著者(英字)
著者(カナ) モリウエ,オサム
標題(和) 多成分燃料液滴の自発点火過程に関する研究
標題(洋) A Study of Spontaneous Ignition Process of a Multicomponent Fuel Droplet
報告番号 115554
報告番号 甲15554
学位授与日 2000.05.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4735号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 助教授 小紫,公也
 東京大学 助教授 津江,光洋
 東京大学 助教授 土橋,律
内容要旨 要旨を表示する

 多くの燃焼機関において燃焼は噴霧燃焼の形態を取っており,単一燃料液滴に関する研究はその基礎的なモデルとして有用である.特に点火遅れの制御,逆火の阻止には点火に関する研究が必要である.原油の主成分であるアルカン燃料については,比較的火炎温度の低い冷炎の発生の後,ある程度の遅れをおいて熱炎が発生するという二段点火現象が観測される.これは冷炎を発生する低温反応がある温度を超えると抑制されるためである.この現象は過度に簡略化された反応モデルでは再現されず,点火過程の的確な記述には燃料の反応特性に留意する必要がある.また,原油から蒸留される実用燃料は多成分からなる燃料であり,その点火特性の把握には燃料中の反応性および揮発性の違いに着目する必要がある.特に,多成分燃料の特性を把握するため二成分燃料液滴に関する研究が多く行われているが,それらは燃料の揮発性の違いにのみ着目した研究がほとんどであり,反応性の違いに着目した研究は少ない.

 以上のような背景から本論文では様々な燃料液滴の二段点火特性を実験的に調べ,冷炎および熱炎の点火遅れという観点から評価・検討する.まず,一成分燃料液滴について,燃料の揮発性および反応性の点火に及ぼす影響を調べる.正デカン,正ドデカン,正テトラデカン,正ヘキサデカンという4つの正アルカン,および1-メチルナフタレン,1,2,4-トリメチルベンゼンという2つの芳香族について調べられる.次に,反応性の大きく異なる成分からなる二成分燃料液滴について各成分の揮発性,および混合割合が点火に及ぼす影響を調べる.正デカン/1-メチルナフタレン,および正デカン/1,2,4一トリメチルベンゼンが二成分燃料として用いられる.最後に,実用燃料として多成分燃料のケロシンJE TA-1液滴の点火を調べ,実用的な観点から,成分の簡略なモデル燃料でその点火特性を再現する可能性を検討する.また,実験で見られる現象の把握,およびモデル燃料の将来的な数値計算への利用のために,二成分燃料液滴の自発点火を模擬する数値計算を行っている.

 液滴の点火は高圧容器の中で行われる.室温に保たれた高圧容器下部にて,水平に保持された懸垂線の先端に液滴は形成される.この液滴は高圧容器上部の電気炉内に挿入され,自発点火する.点火の様子は観測窓を通してマイケルソン干渉計にて観測される.この観測により,熱炎の発生はもとより発光をほとんど伴わない冷炎の発生の検知が可能となり,予混合気点火における定義に倣って,冷炎の点火遅れとして第一誘導期間,熱炎の点火遅れとして総誘導期間,それらの差として第二誘導期間が計測される.液滴径は約0.7mmに固定される.雰囲気は空気である.雰囲気温度が500Kより1000Kまで,雰囲気圧力が0.1MPaより2.0MPaまで,さらに燃料性状が変化される.これらの条件への各誘導期間の依存性が検討される.

 数値計算モデルは,一次元,非定常モデルである.液滴蒸発モデルは田辺の一成分燃料液滴の蒸発モデルを元に,液相を二成分に拡張し,気液界面では2種類の燃料および空気の3成分について平衡が計算される.化学種保存,エネルギー保存式を元に各成分の質量分率および温度分布の時間履歴が求められる.基礎方程式の時間微分項は陰解法により,空間微分項は差分法により展開される.液相,気相の物性値(拡散係数,熱伝導率,熱容量,エンタルピー)は温度,圧力依存とされる.反応モデルは,二段点火を的確に再現するものとしてBikasとPetersの正デカンの反応モデルが用いられる.

 まず正アルカンの代表として,正デカン液滴の点火の形態(点火なし,冷炎のみ,二段点火,熱炎のみ),各誘導期間の雰囲気温度,圧力依存性が検討される.冷炎と熱炎には発生下限温度が存在し,冷炎には発生上限温度が存在する.冷炎の発生下限温度の雰囲気圧力依存性は低く,これは低温反応の圧力依存性は低い,という特性によると思われる.冷炎の発生上限温度は雰囲気圧力の上昇とともに増加し,これは低温反応が抑制される温度の圧力依存性による.熱炎の発生下限温度は雰囲気圧力の上昇とともに減少し,やがて冷炎の発生下限温度と一致する.

 第一誘導期間は液滴の初期加熱期間および冷炎を発生する低温反応が活性化されるのに要する時間である.よって,燃料の揮発性および低温反応の特性に依存する.第二誘導期間はある程度燃料蒸気層の発達し冷炎の発生した後熱炎の発生に要する時間であり,燃料の化学的特性に主に依存する.すなわち,熱炎を発生する高温反応の特性および第二誘導期間計測開始時の雰囲気条件(冷炎の達成する温度)に依存する.雰囲気温度が比較的高く熱炎のみの発生の場合,総誘導期間は初期加熱期間および熱炎を発生する高温反応が活性化されるのに要する時間である.よって,燃料の揮発性および高温反応の特性に依存する.液滴において第一誘導期間は雰囲気温度の増加とともに単調に減少する.第二誘導期間は増加して極値を取った後減少する.総誘導期間は単調に減少する.数値計算モデルは正デカンの各誘導期間を定量的に再現できていない.また,計算では,雰囲気温度の増加に伴う第二誘導期間の増加が急激なことと第一誘導期間の減少が緩やかなことから,総誘導期間の増加する極狭い雰囲気温度領域が存在する,これは実験結果と定性的に一致しない.反応モデルは無次元での計算では予混合気の自発点火実験と定性,定量的に良い一致を示しているが,液滴蒸発モデルとの組み合わせの際にはさらなる吟味を必要とされると思われる.

 4つの正アルカン液滴の点火は0.3,0.5,1.0MPaにおいて比較される.これらについては第一誘導期間と総誘導期間に大きな違いが見られる.すなわち,揮発性の低いものほどこれらの誘導期間が長い.これは,揮発性の低下に伴い液滴の初期加熱期間が増加することによる.(沸点:正デカン447.3K,正ドデカン489.5K,正テトラデカン526.7K,正ヘキサデカン560K)一方,第二誘導期間は4つの正アルカンでほぼ一致する.このことから,正アルカンは非常に似た反応特性を持ち,その点火特性の違いは主に揮発性の違いによることが分かる.また,これら正アルカンの冷炎および熱炎の発生下限温度は非常に近い値となる.数値計算は,冷炎の発生下限温度は燃料の物理的性質よりも主に化学的性質に依存することを示し,このことからも正アルカンの反応特性が似ていることが分かる.2つの芳香族液滴は二段点火特性を示さず,また,その総誘導期間は正アルカンに比べて非常に長い.数値計算モデルに一段総括反応を適用して反応速度定数を見積もると,芳香族のそれは正デカンのそれの約100分の1であり,芳香族の反応性が正アルカンに比べ非常に低いことが分かる.

 正デカン/1-メチルナフタレン液滴および正デカン/1,2,4-トリメチルベンゼン液滴は反応性の非常に異なる燃料の組み合わせであり,点火は主に正デカンによって導かれると思わる.1-メチルナフタレンの揮発性は正デカンよりも低く,1,2,4-トリメチルベンゼンのそれは正デカンとほぼ等しい.(沸点:1-メチルナフタレン517.9K,1,2,4-トリメチルベンゼン442.5K)0.3,1.0MPaにおいて,いくつかの混合割合について両二成分燃料の誘導期間が計測される.両二成分燃料において,芳香族の添加量が多いほど各誘導期間は単調に増加するが,その影響は1-メチルナフタレンの方が小さい.これは両二成分燃料における正デカンの蒸発速度の違いによる.両二成分燃料を比較して,正デカンの初期モル分率が等しい場合でも,正デカン/1-メチルナフタレン液滴の方が蒸発の初期段階において正デカンの蒸発速度が速いことが数値計算により示される.これは,1-メチルナフタレンの揮発性が低いために液滴からは主に正デカンが蒸発し,その結果液滴表面温度が速く上昇することによる.また,正デカン/1,2,4-トリメチルベンゼン液滴においては点火にほとんど貢献しないと思われる芳香族がより多く蒸発し,その結果,より大きなステファン流および反応域での熱容量のため点火により不利になる.また,正デカン一成分燃料について冷炎の発生下限温度が熱炎の発生下限温度より低い0.3MPaでは,二段点火が見られる雰囲気温度領域において,冷炎の発生下限正デカン分率が熱炎の発生下限正デカン分率より低い.これは正アルカンの予混合気の点火において見られている,燃料濃度の第一誘導期間への影響は小さい,という特性によると思われる.

 二成分燃料液滴の点火において,各成分の蒸発速度は液滴表面におけるその成分の液相での濃度に依存するため,液滴内部の対流による物質移動の促進は,各誘導期間を左右する要因となると考えられる.この液滴内部の物質移動を実験において観測するのは非常に困難であるため,数値計算によりその影響が確認された.数値計算モデルは一次元であるため,対流を表現できない.よって,拡散係数に適当な乗数を掛けることによって,対流により物質移動が促進された状態を模擬した.通常の拡散のモデルと拡散がほぼ無限大の速さで行われるモデルを比較したところ,正デカン/1-メチルナフタレン液滴では液滴内の物質移動の促進は各誘導期間を短くすることが分かった.これは,通常の拡散のモデルでは,点火を担う成分である正デカンの蒸発に伴い液相中液滴表面近傍での正デカンの濃度が減少するが,その減少に液滴内部からの正デカンの供給が間に合わないためである.実験結果と計算結果を定性的に比較したところ,液滴内の物質移動はある程度促進されていることが推測されるが,どの程度であるかの見積もりは出来ない.一方,正デカン/1,2,4-トリメチルベンゼン液滴では液滴内の物質移動の促進は誘導期間に影響をほぼ及ぼさない.これは,両成分の揮発性がほぼ等しく,よって液滴内の成分比はほぼ一定に保たれるからである.

 ケロシンJET A-1液滴の点火特性について,冷炎の発生下限温度の雰囲気圧力依存性が低い,冷炎の発生上限温度が雰囲気圧力の上昇に伴い増加する,という点は正アルカンと定性的に一致している.しかしながら,冷炎,熱炎の発生下限温度は正アルカンに比べ高い.また,第二誘導期間は正アルカンに比べ長い.これらのことから,ケロシンJET A-1の二段点火挙動は正アルカンー成分燃料では的確に再現できないことが分かる.冷炎,熱炎の発生下限温度の上昇,第二誘導期間の増加は正デカンヘの芳香族の添加において見られた現象であり,適当な燃料の組み合わせおよび混合割合の正アルカン/芳香族二成分燃料を選択することにより,ケロシンJET A-1の各誘導期間を再現することが試みられた.この結果,60%正デカン/40%1,2,4-トリメチルベンゼンがそれ満たすことが分かり,複雑な組成の実用燃料の点火挙動が二成分燃料で再現される可能性が示された.

 以上,本論文では,基礎的観点から,単一燃料液滴の二段点火に及ぼす燃料性状の影響について調べている.また,実用的観点から,実用多成分燃料の点火挙動を点火遅れの観点から再現する二成分モデル燃料の選定方法を提案している.これらにより,様々な燃料液滴の点火挙動が広範囲な雰囲気温度,圧力下において把握され,また,実用液体燃料を数値計算に用いる場合簡略な燃料で置き換えられる可能性が示される.

審査要旨 要旨を表示する

 修士(工学)森上修提出の論文は,「A Study of Spontaneous Ignition Process of a Multicomponent Fuel Droplet(多成分燃料液滴の自発点火過程に関する研究)」と題し8章から成っている.

 多くの燃焼機関において燃焼は噴霧燃焼の形態を取っており,単一燃料液滴に関する研究はその基礎的なモデルとして有用である.特に点火遅れの制御と逆火の阻止には点火に関する研究が必要である.原油の主成分であるアルカン燃料については,比較的火炎温度の低い冷炎の発生の後,ある程度の遅れをおいて熱炎が発生するという二段点火現象が観察される.この現象は過度に簡略化された反応モデルでは再現されず,点火過程の的確な記述には反応性に留意する必要がある.また,原油から蒸留される実用燃料は多成分からなる燃料であり,その点火特性の把握には各成分の反応性および揮発性の違いに着目する必要がある.特に,二成分燃料液滴に関する研究では,燃料の揮発性の違いにのみ着目した研究がほとんどであり,反応性の違いに着目した研究は少ない. 以上のような背景から本論文では様々な燃料液滴の二段点火特性を実験的に調べ,冷炎および熱炎の点火遅れという観点から考察している.まず,一成分燃料液滴については燃料の揮発性および反応性の点火に及ぼす影響を調べている.次に,反応性の異なる成分からなる二成分燃料液滴について各成分の揮発性が点火に及ぼす影響を調べている.最後に,実用燃料として多成分燃料のケロシンJET A-1液滴の点火を調べ,実用的な観点から,成分の簡略なモデル燃料でその点火特性を再現する可能性を検討している.また,実験で得られる現象の把握,およびモデル燃料の将来的な数値計算への利用のために,二成分燃料液滴の自発点火を模擬する数値計算モデルを開発している.

 第1章は序論であり,本研究の背景を述べ,関連する研究の成果を紹介し,本論文全体を概観することで研究の目的と意義を明確にしている.

 第2章では,実験装置について述べている.高圧容器,電気炉,液滴生成装置,液滴移動装置について説明している.また,発光をほとんど伴わない冷炎の発生を検知するための干渉計による観測法について説明している.

 第3章では,数値計算モデルについて説明している.このモデルを用いて,基礎方程式,物性値の算出方法,計算方法について説明している.

 第4章では,本論文で用いられる化学反応モデルを用いて,正デカンにおいて二段点火を生じる反応機構を説明し,その温度,圧力,燃料濃度依存性についてまとめている.

 第5章では,まず揮発性の異なる正アルカン一成分燃料液滴の自発点火について調べている.初期加熱期間の影響をあまり受けない冷炎が発生してから熱炎が発生するまでの期間がほぼ等しいことから,反応性の差が点火に及ぼす影響は揮発性の差が及ぼす影響に比べて非常に小さいことを明らかにしている.つぎに,芳香族一成分燃料液滴の自発点火について調べている.この場合,二段点火現象は観察されず,また正アルカンに比べ非常に反応性が低いことを示している.

 第6章では,正デカンおよび揮発性の異なる二種類の芳香族からなる二成分燃料液滴について調べている.揮発性の高い芳香族は冷炎および熱炎の発生をともに遅らせることが示され,これが,数値計算モデルを利用して各成分の蒸発速度の違いから生じるとしている.また,液滴内部の燃料の混合が点火遅れに大きな影響を及ぼすことを明らかにしている.

 第7章では,ケロシンJET A-1液滴について調べており,その二段点火挙動が正アルカン一成分燃料では再現できないが,適当に選択された正アルカン/芳香族二成分燃料で再現できることを示している.

 第8章は結論であり,本研究において得られた結果を要約している.

 以上要するに,本論文では,単一燃料液滴の二段点火に及ぼす燃料性状の影響を明らかにすることによって,実用多成分燃料の点火挙動を点火遅れの観点から再現する二成分モデル燃料の選定方法を提案している.これにより,様々な燃料液滴の点火挙動が広範囲な雰囲気温度,圧力下において把握され,燃焼学,内燃機関工学上貢献するところが大きい.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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