学位論文要旨



No 115556
著者(漢字) 王,保国
著者(英字)
著者(カナ) オウ,バンクン
標題(和) 有機溶媒分離膜の設計
標題(洋) Membrane design for organic mixtures separation
報告番号 115556
報告番号 甲15556
学位授与日 2000.05.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4737号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中尾,真一
 東京大学 教授 幸田,清一
 東京大学 教授 田村,昌三
 東京大学 教授 堀江,一之
 東京大学 講師 山口,猛央
内容要旨 要旨を表示する

 省エネルギー的な膜による溶液分離は、化学プロセスに於ける溶媒精製や排水処理などの分野で期待されている技術である。溶媒混合物および排水中の環境汚染物質にも様々な種類のものがあり、それぞれの溶媒系に対して最適な分離膜の設計が必要である。

 分離系に対し高選択性を発現する素材の探索および構造制御は、分離膜を開発する際に重要となる。実験パラメーターを用いず、多くの高分子膜素材に関する透過性能を計算から予測し、分離系に適した素材を選択し構造を最適化することが設計法の基本である。浸透気化および蒸気透過膜の透過性能は素材の溶解性および拡散性により決まる。このとき問題となるのが膜の膨潤に伴う選択性の低下であるが、本研究室では多孔性基材の細孔中に別のポリマーを充填した構造を持つフィリング重合膜を提案し、その制御を行っている。図1に示す細孔フィリング膜は、多孔基材細孔の表面から直鎖状のグラフト鎖を成長させ、細孔をほぼ完全に充填した構造を有する。このフィリング重合膜はプラズマグラフトフィリング重合法により作成され、膨潤抑制によって、溶媒分離に於いて高い選択透過性を示すことが確認されている。透過選択性は細孔を充填したポリマーにより、膨潤抑制効果は多孔基材の骨格により別々に発現する。細孔中のグラフトポリマーの溶解性、溶媒の拡散性は、単純な直鎖状アモルファスポリマーの理論で表現できると仮定した。基材の骨格による膨潤抑制効果と組み合わせて、実験パラメーター無しに膜透過性を予測することができる。

 本研究の目的は、有機溶媒分離膜の設計法の確立を目標としている。具体的にはより高い推算精度を得ること、ガラス転移点の影響を評価する、水素結合の影響を考慮し膜物性推算に導入し、全ての溶媒・ポリマーを対象とした溶媒分離膜設計法を確立することである。既往の研究に於ける透過性推算誤差は、溶解性の評価に起因していると考えられるため、本研究ではUNFAC-FV理論だけでなく、より精度の高い格子モデルも検討する。また、ガラス状ポリマー膜での溶媒透過にはガラス転移点以上・以下に於ける拡散性の変化を評価することが必要であり、拡散係数の予測モデルを新たに提案する。溶解性、拡散性の推算に水素結合の影響を考慮し、総合的に膜物性の推算を行う。

有機溶媒の膜溶解性推算

 第二章では有機溶媒の膜溶解性推算精度を向上する為に、状態方程式を用いるGCLF-EOS(原子団寄与-状態方程式)モデルを膜設計に適応し、既往の研究で用いたUnifac-FV法と比べ、膜溶解性の推算を見直す。自由体積理論を用いた拡散性、基材による膜膨潤抑制力を表すモデルとあわせ、膜透過性を推算した結果についてまとめた。

 Unifac-FVモデル1)では溶媒とポリマーの混合を理想過程と仮定し過剰体積を無視しているため、自由体積項の計算に誤差が生じる。これに対して、GCLF-EOSモデル2)は、系の状態方程式を基にしているため、体積変化をより正確に反映している。図2に示すように、用いたすべての溶媒に於いて、ポリメチルアクリレートとの混合物は過剰体積が大きく、Unifac-FV式の推算精度が低かったが、GCLF-EOSモデルを用いた場合には推算値と実験値は良好に一致した。

 算出した溶解性を利用し、自由体積理論による溶媒の相互拡散係数と膜基材の膨潤抑制力を推算できる。これらを合わせ、フィティングパラメーターなしに膜透過性を推算した。実験値と推算値を比べた結果を図3に示す。GCLF-EOSモデルを用いた推算法は、Unifac-FV法に比べ高い精度で膜透過性を予測できた。

ガラス状ポリマー膜での溶媒透過性

 第3章ではガラス状ポリマー膜における溶媒透過性の検討を行った。現在までゴム状ポリマー膜における溶媒透過性の予測に成功してきたが、ガラス状ポリマー膜での透過性予測は不十分であった。この原因はガラス状アモルファスポリマー中での溶媒拡散性の予測が現状の物性推算法では十分でないためであり、この推算が可能となれば膜設計に限らず高分子材料設計やプロセスの解析等にも応用できる。Duda及びVrentasは自由体積理論に基づき、ゴム状ポリマー中での溶媒拡散係数の推算式を導出した上で3)、ガラス状ポリマーにも拡張した4)。しかし、ガラス状ポリマーでの拡散に有効なhole free volumeの推算精度が低いため、拡散係数の推算値は実験値と一致しなかった。本章ではガラス状ポリマーにおける溶媒可塑化効果に着目し、その影響によるポリマーのガラス転移温度降下をを推算した。それを基にポリマー分子のガラス転移点近傍での体積挙動の検討を行い、新たな拡散係数推算モテルを提案した。このモデルでは、ガラス状ポリマー膜での溶媒透過性を正確に予測できる。

 自由体積理論では、ポリマーの体積は絶対零度における分子体積core volume、非調和振動の振幅の変化によるinterstitial volume及び物質の非連続性による分子隙間であるhole free volumeとに分けて考えることができる。低分子の拡散は系のhole free volumeにより決まる。溶媒のfree volumeおよびポリマーのfree volumeはそれぞれ純物質の物性値より推算され、混合系からのパラメーターは必要としない。従って、フィッティングパラメーター無しに溶媒拡散性の予測が可能である。

 ガラス状ポリマーは溶媒の収着により、系の自由体積が増加すると共に微視的な局所運動をしやすくなる。その結果、系のガラス転移温度は純粋なポリマーより低下し、ある温度において、ポリマー構造がガラス状態からゴム状態に転換する。この現象は溶媒の可塑化効果により起こり、等温ガラス転移と呼ばれる。溶媒を含むポリマー溶液のガラス転移温度Tgmは次の式で表せられる。

 ポリマーのHole free volumeは図4に示すように温度依存性があり、Tgm以上の温度ではゴム状のため、Dudaの自由体積理論が有効だと考えられる。定温では、(2)式においてTgmと操作温度が一致する溶媒濃度以上ではゴム状態となる。

 自由体積理論はガラス状アモルファスポリマー中に適用されるため、Vrentasらは溶媒可塑化効果によるガラス転移温度の低下を考慮し、次の仮定をhole free volume計算に導入した4)。

 しかしながら、推算値は測定値との一致は不十分であった。式(1)は元々ゴム状ポリマー系を対象として導出されたが、ポリマーがガラス状態になるとポリマー鎖のダイナミックな運動は急激に弱まり、拡散に対する有効な自由体積が減少する。拡散に寄与するhole free volumeはポリマー鎖の運動により変化するが、本研究ではTgm以下のガラス領域では主鎖のダイナミックな運動が弱いため、図4に示すようにhole free volumeは温度によらず一定であると仮定する。Tgm以下では温度によるfree volumeの減少はinterstitial free volumeだけとなる。

 このモデルでは高分子溶液のガラス転移点Tgmを考慮した点、ガラス状ポリマーのhole free volumeが一定であると仮定した点以外は自由体積理論と同等であり、同じパラメーターを用いることができる。これらのパラメーターの中で原子団寄与法により推算できないのはポリマーの自由体積パラメータ、K12/γ[cm3/g・K]、K22[K]だけであるが、それぞれ純ポリマーの動的粘弾性測定より得られる。すでに30種類以上のポリマーについて求められており、これらのポリマーについては多くの溶媒の拡散性を推算できる。

 フィリング重合膜では充填されたポリマーを直鎖状アモルファスポリマーと仮定しているので、溶媒拡散性が自由体積理論より計算できる。膜の溶解性モデルから推算した溶解度とあわせ、溶媒透過性を予測できる。

 ベンゼンとトルエンを溶媒とし、Polystyrene(PS)及びPoly(methyl methacrylate)(PMMA)系での溶媒拡散係数の濃度依存性を検討した。ベンゼン・PS系の溶媒拡散係数の推算値と実験値を比較した結果を図5に示す。溶媒の可塑化効果により、ポリマーのガラス転移点は降下し、25℃におけるポリスチレンの等温ガラス転移が溶媒重量分率0.13で起こる。それぞれのモデルを用い、溶媒拡散係数の濃度依存性を推算した。その結果、溶媒濃度が大きいゴム状領域では、いずれのモデルの推算値も同じだがガラス領域では大きく異なった。ガラス状態でのhole free volumeの仮定が異なるためである。ガラス転移する濃度を境に拡散係数の濃度依存性は変化し、他のモデルより本研究の予測精度が高いことが分かる。ベンゼン、トルエン、エチルベンゼンなどの溶媒とPS,PMMAポリマー系においても本モデルの予測精度が高いことが確認された。

 図6にベンゼンを溶媒としたガラス状充填ポリマーを用いたフィリング重合膜の透過性の予測結果を示す。透過側の溶媒活量を一定にし、供給側の溶媒活量を変化させた。透過側では膜はガラス状であるが、供給側では供給側溶媒活量によりゴム状からガラス状に変化する。供給側でのポリマーがゴム状からガラス状に転移すると、透過流束が顕著に変化することが分かった。今回提案したモデルは溶媒可塑化効果による影響とガラス状ポリマーの体積挙動を正確に反映するため、ガラス状ポリマー膜でも膜透過性の予測値が実験値と一致した。膜設計法をガラス状ポリマーにも拡張することに成功した。

極性溶媒の膜透過性予測

 第4章ではVOC成分として問題となっている塩素系溶剤を対象として、VOCの膜透過性予測を行った。この場合には膜素材と溶媒間で水素結合を形成するため、その影響の考察が必要となる。今回の溶媒系では溶媒と高分子間の水素結合がFT-IRスペクトルより確認された。LFHB-EOS「5」モデルでは、分子間の相互作用を物理的なvan der waals力と化学的な水素結合項に分けて扱われる。水素結合を考慮していないUNIFAC-FV,GCLF-EOSモデルとの比較も行った。その結果、水素結合により、溶媒の溶解性が上がり、実験値はLFHB-BOSモデルにより最も正確に予測できることが分かった。

 ポリマー系における溶媒拡散係数は自由体積理論により予測できるが、水素結合の影響は考慮されていない。拡散係数の実験値と水素結合を考慮しないモデルでの推算結果とを比較し、LFHB-EOSモデルより求めたドナー・アクセプター結合割合との関係を検討した。溶媒・ポリマー間に水素結合が生じるとモデルから実際の拡散係数が低下し、その度合いはLFHB-EOSモデルから算出した会合分子の結合割合で表せられた。この関係より推算した溶解性、拡散性および膜基材の膨潤抑制力をあわせ、Fickの式より膜透過性を推算できる。このとき拡散係数への水素結合の影響を考慮するので、塩素系溶媒の透過性に関しても実験値を計算から予測できることが分かった。

まとめ

本研究では有機溶媒分離膜設計法の確立を目的とし、以下の成果を得た。

● 非極性溶媒のポリマーへの溶解性推算にはGCLF-EOSモデルによる推算精度を向上するため、膜透過性の予測精度を高めた。

● 溶媒可塑化効果によるポリマーのガラス転移温度降下を検討し、自由体積理論をガラス状態ポリマーに拡張する新たな予測式を提案した。

● 水素結合を有する極性溶媒を対象とし、分子間の相互作用に着目し、溶解性・拡散性への水素結合の影響を明らかにした。

● 有機溶媒系に対して、フィッティングパラメーターを用いず、全ての物性を計算機シミュレーションにより予測し、物性推算による膜設計法を確立した。

引用文献

(1) T.Oishi;J.M,Prausnitz,Ind.Eng.Chem.Process Des.Dev.,1978,17,333.

(2) B.C.Lee;R.P.Danner,AIChE J.,1996,42,837.

(3) J.M.Zielinski;J.L.Duda,AIChEJ.,1992,38,405.

(4) J.S.Vrentas;C.M.Vrentas,Macromolecule,1994,27,5570.

(5) C.Panayiotou,; I.C.Sanchez,J Phys Chem 1991,95,10090.

(6) Odani,H.;Kida,S.; Tamura,M.Bull Chem Soc Japan 1966,39,2378.

図1 重合膜の概念

図2 GCLF-EOSとUNIFAC-FVモデルより、溶媒・ポリマー系での溶解性推算精度比較

図3 溶解性推算精度より溶媒透過性計算への影響

図4 ポリマーのHole free volumeの温度依存性

図5 ポリスチレンにおけるベンゼン拡散係数の予測

図6 ガラス状膜透過性の予測

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「Membrane design for organic mixture separation(和訳 有機溶液分離膜の設計)」と題し、多孔性基材の細孔中に別のポリマーを充填した構造を持つフィリング重合膜を対象に、膜透過性に関わる溶媒溶解性、拡散性の予測に着目し、現存の推算モデルを基に分離系に最適な膜を設計する方法の確立を目指したもので、溶媒としては非極性溶媒から水素結合を有する極性溶媒までを、充填ポリマーとしてはゴム状及びガラス状ポリマーを対象とし、理論と実験の両面から検討を行ったもので、6章からなっている。

 第1章は序章であり、有機溶液分離膜の現状、膜透過流束推算に関する既往の研究、および本研究の目的が述べられている。

 第2章では有機溶媒の膜溶解性推算精度の向上を目的とし、状態方程式を用いるGCLF-EOSモデルを膜設計に適応し、既往の研究で用いたUNIFAC-FV法と比べ、膜溶解性の推算を見直している。系としては非極性溶媒・ゴム状高分子を対象とし、自由体積理論を用いた拡散性、基材による膜膨潤抑制モデルとあわせ、膜透過性を推算した結果についてまとめている。算出した溶解性を用いてフィッティングパラメータなしに膜透過性を推算した結果、GCLF-EOSモデルを用いる推算法は、UNIFAC-FV法を用いる推算法に比べ高い精度で膜透過性を予測できることを明らかにしている。またこの原因は、UNIFAC-FV法では溶媒とポリマーの混合を理想過程と仮定し過剰体積を無視しているため、自由体積項の計算に誤差が生じるが、GCLF-EOSモデルは系の状態方程式を基にしているため、体積変化をより正確に反映できるからであるとしている。

 第3章ではガラス状ポリマー膜における溶媒透過性の検討を行っている。既往の研究によりゴム状ポリマー膜における溶媒透過性の予測は可能となっているが、ガラス状ポリマー膜での透過性予測は不十分であった。この原因はガラス状アモルファスポリマー中での溶媒拡散性の予測が現状の自由体積理論では不可能であるためで、拡散係数の推算値は実験値と一致しない。本章ではガラス状ポリマーにおける溶媒可塑化効果に着目し、その影響によるポリマーのガラス転移温度降下を推算している。それを基にポリマー分子のガラス転移点近傍での体積挙動を検討し、ある程度膨潤した領域に限られるが、ガラス状ポリマー膜での溶媒透過性を正確に予測できる新たな拡散係数推算モデルを提案している。このモデルでは、高分子溶液のガラス転移点を考慮した点、ガラス状ポリマーのhole free volumeが温度によらず一定であると仮定した点以外は自由体積理論と同等であり、同じパラメータを用いることができるので、膜設計上はきわめて有用である。

 一方で本章では、ガラス状ポリマーを充填したフィリング重合膜を作製し、非極性溶媒の拡散挙動および透過挙動を実験的に検討している。透過側では膜はガラス状であるが、供給側では供給側溶媒活量によりゴム状からガラス状に変化する。供給側でのポリマーがゴム状からガラス状に転移すると、透過流束が顕著に変化するが、今回提案したモデルを用いることによりガラス状ポリマー膜でも拡散性、膜透過性の予測値が実験値と一致し、膜設計法をガラス状ポリマーにも拡張することに成功している。

 第4章ではVOC成分として問題となっている塩素系溶媒を対象とし、VOCの膜透過性予測を行っている。この場合には膜素材と溶媒間で水素結合を形成すると予想されるが、実際にNMRのピークシフトよりこの水素結合を確認している。また、その影響の考慮には、分子間の相互作用を物理的なvan der Waals力と化学的な水素結合力に分けて扱うLFHB-EOSモデルを使うことを提案し、NMRピークシフトより水素結合量を求め、LFHB-EOSモデルより溶解性を推算し、その値が実験値とほぼ一致することを示している。更にこのモデルを用いて水素結合の影響を考慮することにより、溶媒・ポリマー間に水素結合が生じると溶解性は上がり、拡散性は下がることを定量的に明らかにしている。ただしこの現象を実験からのフィッティングパラメータ無しに完全に予測するためには、さらなる理論の確立が必要であるとしている。

 第5章では、ゴム状ポリマー・非極性溶媒系、ガラス状ポリマー・非極性溶媒系、ゴム状ポリマー・極性溶媒系に適用できる物性推算法をまとめ、膜材料設計法を総括している。

 第6章は終章で、上記全ての章の結論がまとめられている。

 以上要するに、本論文は様々な分離系に適する膜材料の設計法を提案し、理論、実験の両面からの検討を詳細に行ったもので、ゴム状・ガラス状ポリマー、非極性溶媒系において、実験からのフィッティングパラメータ無しに膜性能を予測することに成功し、コンピュータ上でのスクリーニング試験の可能性を示している。さらに極性溶媒系においても、物性推算法からのアプローチの可能性を示し、現象を定量的に把握することに成功している。ここで提案されている材料設計法は、分離膜の設計だけに限られるものではなく、多くのポリマー機能材料の設計へと発展するものであり、膜分離工学、材料設計工学および化学システムエ学の発展に大きく寄与するものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク