学位論文要旨



No 115560
著者(漢字) 渡辺,哲司
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,テツジ
標題(和) 日本人思春期男女の走パフォーマンスにみられる時代変化に関する縦断的研究
標題(洋) Secular change in running Performance of Japanese adolescents : a longitudinal study
報告番号 115560
報告番号 甲15560
学位授与日 2000.05.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第69号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 藤田,英典
 東京大学 教授 衛藤,隆
 東京大学 助教授 下山,晴彦
 東京大学 助教授 山本,義春
内容要旨 要旨を表示する

青少年の運動パフォーマンスの低下は、現在、日本だけでなく他の経済・工業先進諸国においても大きな社会的関心事となっている。原因としては一般に、経済的発展に伴う都市化や機械化の進行による身体活動の不足などの環境要因が挙げられている。しかし、それを検証することには明らかに多くの方法論的問題が伴い、実証することの極めて難しい課題といえる。

 そのような状況の下、東京大学教育学部附属中・高等学校で過去約30年間継続されてきた観察データは貴重である。単一学校における観察記録で、標本の規模や地理的広がりに制限がある一方、縦断的観察、双生児を多く含む、データの比較的高い信頼性といった特長を持つ。思春期における縦断的手法の意義は極めて大きく、また双生児は、ヒトの形質に対する遺伝と環境の相互作用を探求する最も有力な材料となる。従来測定された多くの項目から、データの保存状態が良い短距離(50m)走と持久(男子1,500m、女子1,000m)走が選ばれ、縦断的分析に基づく研究がなされた。

 第1章では、短距離走・持久走の思春期発達パターンの時代変化が検討された。これ以後「発達」という語は、加齢に伴うパフォーマンスの変化を意味する。同じく「発育」とは、身体サイズの加齢変化を意味する。文部省の横断的手法による全国調査の結果では、思春期女子の走パフォーマンス平均値の時代変化トレンドには年齢による違いがあり、発達パターンの変化が示唆される。しかし「発達パターン」は縦断的手法でのみ捉え得るものである。

 対象は1968〜92年の入学者、持久走で男子788名、女子761名、短距離走で男子1,134名、女子1,167名であった。各個人の年1回計6点の縦断的データに、年齢を独立変数とした二次多項式回帰モデルを当てはめ、モデルの妥当性を確認の上、曲線の特徴を表す複数のパラメータが算出された。それらパラメータは入学年ごとにまとめられ、入学年の効果が時代変化として評価された。

 その結果、第一に、男子の時代変化は小さい一方、女子のそれは著しいという性差が観察された。また第二に、そうした女子の変化は、1)殊に1980年代に全体的にパフォーマンスが低下する中、2)高校後期のパフォーマンスの低下が著しく、また3)在学中のピーク・パフォーマンス達成年齢に低下がみられるというものであった。

1)、2)は文部省の全国調査の結果と概ね一致するものであるが、3)は本研究で初めて観察されたものである。縦断的分析に基づき、運動パフォーマンスの発達「パターン」の時代変化を報告したのは、本研究が初めてであった。

 女子のパフォーマンス低下が著しい高校後期は、大学受験や就職の準備をする時期である。もし受験競争の激化に伴う身体的不活動が主原因ならば、同様の変化が男子にみられないことを説明できない。また、ピーク・パフォーマンス達成年齢の低下については、生物学的成熟のテンポとの関わりが考えられたが、同じ被検者群について、学年別身長の時代変化トレンドを検討したところ、中学期の身長の増大が高校期より顕著であるような、身体的な早熟化を示す現象が女子ではみられず、身体成熟のテンポとは関係ないことが示唆された。さらに、肥満が走パフォーマンスを低下させ得るという前提のもと、身長あたり体重の指標であるボディ・マス・インデックス(BMI)の時代変化トレンドを調べたところ、女子では、中学前期で増加がみられる一方、高校後期では停滞がみられた。これは、肥満と高校後期のパフォーマンス低下とは関連がないことを示唆する。むしろ反対に、BMIの停滞を筋の発達の悪さと捉え、背景に過度の痩身願望など現代女性の心理を想定することも可能かもしれない。

 第2章では、走パフォーマンス発達パターンの決定に関し、主に遺伝の影響という観点から、加えて一環境要因としての身体活動の影響という観点から分析がなされた。対象は一卵性双生児男子14対、女子25対(以下MZ)、二卵性双生児男子19対、女子15対(以下DZ)、及びその他であった。MZには、併せて成長期の日常身体活動歴に関する回顧的質問紙調査が実施された。

 遺伝の効果の推定は、1)MZと同数の遺伝的無縁児対(control pair,以下CP)、2)MZとDZの比較によってなされた。CPは、男子70名女子100名の被検者プールから無作為にではなく、MZの各々に初期値が最も近い個人を選んだものであり、MZの各々との初期値の差は極めて小さく抑えられた。また、走パフォーマンスの比較対象として、発育パターンに遺伝が強く関与するとされる身長と体重にも同じ分析が加えられた。発達/発育パターンの類似度は、Romesburg(1984)*によるaverage Euclidean distance coefficient(djk)およびcoeffcient of shape difference(zjk)を基礎に、両変数の合成指標その他によって総合的に評価された。

 その結果、MZ対の短距離走、持久走発達パターンの類似の程度は、これまで遺伝の関与が立証されてきた身長や体重に比べ、1)CPとの比較において同程度であり、2)DZとの比較においてやや低い傾向ながら明らかであった。これにより、思春期の走パフォーマンス発達パターンに対する遺伝的要因の影響が示唆された。従来、成長期の一時点における運動パフォーマンスに遺伝的支配が及ぶことを示す研究は存在したが、発達「パターン」についてそれを示したのは本研究が初めてであった。

 一方、一卵性双生児対内の差異に着目すると、それは何らかの環境要因の効果の表れと考えられる。本研究では、そうした環境要因の一つに日常身体活動を取り上げ、発達・発育パターンの類似性の指標と、身体活動歴の類似の程度との関係が検討された。その結果、身体活動歴の類似度と女子の短距離走および体重の加齢変化パターンとの間に若干の関係が認められたが、その他の組み合わせでは有意な関係がみられなかった。この結果は、発育期の身体活動が走パフォーマンスの発達パターンに及ぼす効果はほとんど無いか、あるとしても、単独では大きな効果を持たないことを意味し、日常身体活動の他にも多くの環境要因や環境に関連した要因が関与することを示唆している。

 第3章は、第1章と第2章を統合した分析である。対象は、第2章のそれを含む一卵性双生児の男子llO対、女子145対であり、彼ら(MZ)の走パフォーマンス発達パターンおよび走パフォーマンス発達パターンの対内類似度の時代変化が、大部分が非双生児からなる附属学校生徒の全体(all students、以後AS)との比較を交えて検討された。

 まず、パフォーマンスの発達パターンの時代変化が第1章の方法にならって検討され、MZとASの時代変化が互いに酷似することが分かった。これはまず、MZが一卵性双生児であることに伴う特殊な遺伝的・環境的条件にも関わらず、非双生児と同じような時代変化を示したということであり、ASや、延いては母集団の走パフォーマンスに時代変化を起こした何らかの条件に対し、一卵性双生児であるとないとに関わらず、同じように反応したということを示唆する。

 さらに興味深い結果は、MZの走パフォーマンス発達パターンの類似度が低い時期には、MZおよびASの平均パフォーマンスに低下がみられることであった。そのような現象は、1980年以降の入学者にのみ観察されたものであり、時代変化として捉えることも出来る。

 そのように平均パフォーマンスが低い時期のASについて、パフォーマンスの分布を調べたところ、より低いレベルヘと個人差が拡大する傾向がみられた。これは、文部省による全国調査の結果で、年々進む平均値の低下が標準偏差の増大を伴っている現象と、同じであると考えられる。

 第1章の結果から考えて、本研究のASはある程度の母集団代表性を有している。母集団の時代変化については、遺伝子のプールが数世代のうちには変わらないという前提を立て、個人差の拡大を環境の効果の表れと考えることが可能である。一方MZの対内差は、理論的にただちに何らかの環境による変動に帰することができる。ここにおいて、「環境の多様化」という概念が、走パフォーマンス発達パターンの時代変化の背景として重要ではないかという推測が成り立つ。

 MZの対差拡大と、ASや母集団の個人差の拡大が、共通の環境要因によるのか、それぞれに固有の環境要因があるのかは分からないが、それらが同時に起こったことは興味深い。やや冒険的な推論であるが、実際の教育の場で以前よりも個性が尊重されるような現代の社会的風潮が関係しているのではないだろうか。

 身体パフォーマンスの低下は、性や年齢にも依存した複雑な現象である。また、この問題は単にからだの問題とは思われない。原因を探り対策を講じるに当たっては、思春期の若者に対する社会の期待、若者自身がその性や年齢に応じて持つ志向などの社会的・心理的な要因を含め、思春期男女を取り巻く環境を、包括的に考慮する必要があることは間違いないであろう。

*Romesburg, H.C.(1984) Cluster Analysis for Researchers. Belmont, CA:Lifetime Learhing Publications,a Division of Wadsworth Inc.:pp.93-100.

審査要旨 要旨を表示する

 青少年の体力・運動能力の低下現象は、現代社会の抱える大きな課題のひとつであり、その原因として、文明の発達と身体活動の不足等に伴う時代変化が挙げられている。しかし、従来、その検討のために必要な方法論的問題のために、それらを実証することが困難であった。

 本論文は、分析対象に東京大学教育学部附属中・高等学校の相当数の双生児を含む生徒の過去30年間に蓄積された縦断的データを用い、青少年の運動パフォーマンス(測定された「できばえ」)の発達と時代変化との関係及び遺伝的関与について検討したものである。

 第1章では、1968〜92年の入学者の短距離走(男子1,134名、女子1,167名)、持久走(男子788名、女子761名)の思春期における発達パターンについて、入学年の効果が時代変化として反映される複数のパラメーターを用いて検討された。その結果、男子の時代変化は小さい一方、女子のそれは著しいという性差があること、また、在学中のピーク運動パフォーマンス達成年齢に低下がみられること等が示された。

 第2章では、双生児対(一卵性双生児39対、二卵性双生児34対)及び対照群を対象に、走パフォーマンスの発達パターンに及ぼす遺伝的影響についても検討された。その結果、一卵性双生児対のパフォーマンス発達パターンの類似性が、初期値をコントロールした遺伝的無縁児対や二卵性双生児対の場合より高いことが示された。つまり、思春期の運動パフォーマンスの発達に、遺伝的要因が関与することが明らかにされた。

 第3章では、第1章と第2章を統合した分析が行われた。一卵性双生児の走パフォーマンスの発達は、非双生児と同様の時代変化を示すこと及び平均パフォーマンスが低い時期(主に1980年代後半以降)には、対内差及び集団の個人差が拡大する傾向がみられ、環境による変動の影響が示唆された。

 このように、本論文は、単一校で地域限定の母集団を対象としていることからくる限界はあるが、相当数の双生児対を有するという東京大学教育学部附属中・高等学校の特性を活用した貴重な縦断的データを手がたい統計手法により分析し、思春期の身体発達パターンに関わる新たな知見と理論を提示しており、当該分野の今後の研究に寄与するところが大きいと評価され、博士(教育学)の学位論文として十分に優れたものであると判断された。

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