学位論文要旨



No 115564
著者(漢字) 市川,智光
著者(英字)
著者(カナ) イチカワ,トモミツ
標題(和) リポタンパク質を含んエンドソーム輸送の実時間可視化解析
標題(洋)
報告番号 115564
報告番号 甲15564
学位授与日 2000.05.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第271号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川戸,佳
 生理学研究所 教授 永山,国昭
 東京大学 教授 林,利彦
 東京大学 助教授 小倉,尚志
 東京大学 助教授 上村,慎治
内容要旨 要旨を表示する

 リポタンパク質とは、トリアシルグリセロールやコレステロールエステルなどの中性脂質をコア(芯)とした小粒子であり、その表面は、固有のタンパク質(アポリポタンパク質)とリン脂質、およびコレステロールから構成される被膜で包まれている。リポタンパク質は、その粒子に含まれるタンパク質と脂質の比率によって規定される水和密度により、数種類に分類される。その中で低密度リポタンパク質(LDL)と呼ばれるリポタンパク質は、肝臓で合成されたコレステロールの回収を行うとともに、そのコレステロールは胆汁酸やステロイドホルモン、細胞膜成分として利用されることが知られている。LDLは、脳を含むほぼすべての器官で発現しているLDL受容体を介したエンドサイトーシスによって細胞内へ取り込まれた後、エンドソームによってリソソームヘ運搬され、そこで分解される。しかし、エンドサイトーシス後初期段階で形成されるエンドソームから、リソソームヘのエンドソームの輸送動態は不明な点が残されており、詳細な実時間追跡が必要とされていた。

 本研究では、蛍光標識したLDLを使用し、エンドサイトーシス後のLDLを含むエンドソームを実時間で追跡することにより、エンドソームがどのように輸送されるのか、何によって輸送されるのか、を調べた。この結果、脂質の細胞内輸送に関する新しい知見を得ることができたので、ここに報告する。

 本論文の第1章では、LDLを含むエンドソームを追跡する細胞として、ウシ副腎皮質細胞を選択した。副腎皮質細胞は、LDL受容体を豊富に発現していること、LDLに含まれるコレステロールをステロイドホルモン産生に用いていること、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)により刺激され、ステロイドホルモン産生が促進されること、といった細胞の性質に関する基礎的知見が蓄積されており、観察結果の解釈が容易である。

 LDLを含むエンドソームは、蛍光色素DiIで標識したDiI-LDLを取りこませることによって可視化し、蛍光ビデオ顕微鏡を用いて観察した。エンドソームの運動解析は、VTRに記録された画像を、デジタル変換した後、単一エンドソーム解析法を用いて行った。

 副腎皮質細胞内のエンドソームは、エンドサイトーシス終了後30分経過した時点から蛍光ビデオ顕微鏡上で直径0.7μm程度の粒状に観察された。1時間経過すると、細胞内のエンドソームは活発に運動しており、取り込み後3時間で細胞の核周辺部に集合した。アクリジンオレンジによってリソソームの分布を可視化し、このLDLを含むエンドソームの分布を比較したところ、この集合状態はリソソームに相当することが分かった。単一エンドソーム解析を行ったところ、エンドソームは、主に0.05〜0.25μm毎秒の速度を持ち、前進/後退/停止という3種の運動モードを頻繁に繰り返しながら微小管レール上を滑走していた。微小管レールの関与は微小管重合阻害剤ノコダゾールを加えると核周辺部への集合が観測されず、その後ノコダゾールを除去した培地中で保温すると再び集合が観察されることから判明した。

 微小管上でのLDLを含むエンドソームを輸送する機構を調べるため、サポニンによって細胞膜に小さな穴を開け、モータータンパク質の選択的阻害剤として知られるバナジン酸、AMP-PNPや運動阻害用抗体を細胞内に導入した。低濃度でダイニンを阻害するバナジン酸は、10μMでおよそ26%の細胞に効果を示し、エンドソームは細胞周辺部へ集合する現象が観察された。一方、キネシン阻害剤として知られるAMP-PNPの場合、1mMの濃度で細胞内エンドソームは核方向へも、細胞周辺部へも移動しないものと、核中心部へ集合するものが混在するという結果を得た。これらの阻害効果をさらに確認するため、モーターたんぱく質の運動阻害抗体(ダイニン抗体:クローンno.70.1、キネシン抗体:SUK-4)を用いたところ、ダイニン抗体では、細胞周辺部への集合が、またキネシン抗体では細胞核周辺部への集合が観察された。これらの結果より、エンドソームが前進/後退を繰り返すのは核中心方向、細胞周辺方向への運動を担う2種のモータータンパク質、細胞質ダイニン、キネシンが同一のエンドソームに結合していることによって、進行方向が切り替わるためであることがわかった。

 次に、ステロイド産性を促進させるホルモンであるACTHで細胞を刺激し、細胞内エンドソーム輸送に対する影響を調べたところ、濃度100pMのACTH刺激により、LDLエンドソームの輸送は促進され、通常3時間必要とされる核周辺部への集合が、刺激を伴った細胞では1時間で完了することを発見した。1時間の時点で、細胞内全エンドソームに対する細胞核周辺部のエンドソームの集合比率は、コントロールでは26%、ACTH刺激後の細胞では65%であった。また、核方向への運動成分が、逆方向の運動成分を上回る比率が、コントロールでは2%であったのに対し、ACTH刺激後の細胞では8%と増加していた。ACTHが細胞膜表面のACTHレセプターに結合すると、Ca2+信号が発生することが見つかっている。これらの関与を調べるために、細胞外液のCa2+濃度を大幅に低下させた状態でACTH刺激を行ったところ、LDLエンドソームの集合を促進しなという結果を得た。また、膜透過性細胞内Ca2+イオン選択的キレート剤であるBAPTA/AMにより細胞内Ca2+濃度を下げた状態においても、ACTHはエンドソーム輸送を促進しなかった。細胞内cAM Pを上昇させる条件のみではこのACTH効果が見られないことを考慮すると、ACTH刺激が発生させるCa2+信号を介して、互いに反対方向に運動する2種のモータータンパク質による運動が調整され、それがLDLを含むエンドソームの輸送を促進させていると推測することができる。

 本論文の第2章では、LDLを含むエンドソームを追跡する細胞として、ラット脳星状膠細胞(アストロサイト)を選択した。これまで、グリア細胞はニューロンが働くための環境を維侍する静的な役割のみを持つと考えられていた。しかし近年、グリア細胞でLDL受容体や多種類の神経伝達物質受容体、イオンチャネルが発現していること、及びステロイドホルモン様の作用を持つニューロステロイドが産性されていることが報告されるに至り、従来のグリア細胞像は訂正を余儀なくされている。このような状況にあるため、脳グリア細胞における脂質の細胞内輸送を調べることは、グリア細胞の役割に対する新たな視点を提供する可能性を持ち、同時に軸索輸送以外の脳細胞内オルガネラ輸送に関する理解を深めることができる。

 第1章で用いた方法と同様に、LDLを含むエンドソームは、DiI-LDLを取りこませることによって可視化し、蛍光ビデオ顕微鏡を用いて観察した。エンドソームの運動解析は、VTRに記録された画像を、デジタル変換した後、単一エンドソーム解析法を用いて行った。

 アストロサイト内のエンドソームは、LDLの取り込み後、1時間〜1時間30分経過した時点から蛍光ビデオ顕微鏡上で観察され始め、約86%のものが直径0.5〜1.0μm程度の粒状に観察された。3時間経過した時点では、細胞内のエンドソームは活発に運動しており、取り込み後6時間で細胞の核周辺部に集合した。アクリジンオレンジによってリソソームの分布を可視化し、このLDLを含むエンドソームの分布を比較したところ、この集合状態はリソソームに相当することが分かった。

 エンドソームの運動を詳細に解析するために単一エンドソーム解析を行ったところ、約36%のエンドソームは、0.04μm毎秒以上の速度を持ち、微小管レール上を、前進/後退、あるいは停止するという3種の運動モードを頻繁に繰り返しながら滑走していた。微小管レールの関与は第1章で述べた方法と同様にノコダゾールを用いて行い、ノコダゾール中では核周辺部への集合が観測されず、その後ノコダゾールを除去した培地中で保温すると再び集合が観察されることから判断した。

 次に、サポニンによってアストロサイトの細胞膜に小さな穴を開け、ダイニンモータータンパク質の選択的阻害剤として知られるバナジン酸と、第1章で用いたダイニン抗体を細胞内に導入した。10μM、および50μMのバナジン酸によって、エンドソームが細胞周辺部へ集合する現象が観察された。ダイニン抗体によっても同様な細胞周辺部への集合が観察された。これらの結果より、アストロサイト内のエンドソームはダイニンにより核周辺部へ輸送されていることが分かった。第1章で得られた結果から類推するならば、エンドソームが前進/後退を繰り返すのは、核中心方向、細胞周辺方向への運動を担う2種のモータータンパク質、細胞質ダイニン、キネシンが同一のエンドソームに結合していることによって、進行方向が切り替わるためであると推測される。

審査要旨 要旨を表示する

 副腎皮質細胞や脳アストロサイトはステロイドホルモンを合成しているが、材料となるコレステロールを細胞内に取り込んでリソソームまで輸送するLDLを含むエンドソームのダイナミックな輸送過程には多くの不明な点が残されており、詳細な研究が必要とされていた。

 本論文「Real time digital fluorescence imaging analysis of trafficking of endosomes containing lipoproteins:リポタンパク質を含んだエンドソーム輸送の実時間可視化解析」は、蛍光標識した低密度リポタンパク質(LDL)を含む多数のエンドソームを高感度蛍光ビデオ顕微解析システムにより実時間で追跡し、単一エンドソーム追跡法を用いて細胞内コレステロール輸送の過程を定量的に解析した。その結果、副腎皮質細胞、及びアストロサイトに於いて微小管上を滑走するコレステロールの細胞内での輸送動態を詳細に明らかにした。

 本論文の第1章では、副腎ステロイドホルモンを合成するウシ副腎皮質初代培養細胞を用い、単一エンドソーム追跡法によってエンドソームの細胞内運動を定量的に解析した。その結果、細胞核方向、細胞周辺方向への運動を担う2種のモータータンパク質、細胞質ダイニン、キネシン様タンパク質が同一のエンドソームに結合していることによりエンドソームが頻繁に前進/後退/停止を繰り返しながら運動すること、そして全体としては3時間で細胞核周辺部へ集合していく輸送形態を初めて明らかにした。次に、濃度100pMのACTH刺激により、LDLエンドソームの輸送は促進され、通常3時間必要とされる核周辺部への集含が、1時間で完了することを初めて発見した。さらにACTH刺激によって発生する細胞内Ca2+信号がエンドソームの集合促進に必要であることも初めて示した。ホルモン刺激によって生じる細胞内情報伝達物質がエンドソームの輸送過程を調節することを示唆する報告はこれまでになく、本論文によって初めて示されたものである。

 本論文の第2章では、神経ステロイドを合成するラット脳星状グリア細胞(アストロサイト)の初代培養系を用い、単一エンドソーム追跡法によってエンドソームの細胞内運動を定量的に解析した。その結果、エンドソームが微小管上を頻繁に前進/後退/停止を繰り返しながら運動すること、全体としては6時間で細胞核周辺部へ集合していく輸送形態を初めて明らかにした。また、前進/後退運動によって生じるエンドソームの細胞核方向、細胞周辺方向への運動は2種のモータータンパク質、細胞質ダイニン、キネシン様タンパク質が同一のエンドソームに結合していることにより担われていることを示唆する結果を得た。脳グリア細胞のコレステロール輸送の研究は世界的に見てこれまで無く、脳細胞の細胞生物学に新しい知見を与えた。

 以上を要約すると、本研究は論文提出者によって確立された、LDLを含む多数のエンドソームを実時間で追跡し、精密に解析するシステムを用い、副腎皮質細胞とアストロサイト内のコレステロール輸送を担うエンドソームの輸送動態を詳細に明らかにした。この結果、副腎皮質細胞においてはACTHがエンドソームの輸送を促進するという効果を発見し、アストロサイトにおいては脳グリア細胞での細胞内コレステロール輸送の過程を初めて示した。これらの結果は細胞生物物理学上、非常に有意義な貢献をしたものと認められる。

 よって審査委員一同、論文提出者市川智光は東京大学博士(学術)の学位を受けるに十分な資格があるものと認めた。なお、本論文の内容は2000年にBiochemical and Biophysical Research Communications誌に公表済みである。これは共著論文であるが、論文提出者はそのすべてにおいて研究の主要部分に寄与したものであることを確認した。

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