学位論文要旨



No 115565
著者(漢字) 向井,秀夫
著者(英字)
著者(カナ) ムカイ,ヒデオ
標題(和) 神経ステロイドによるNMDA受容体を介するCa2+信号の制御の解析
標題(洋)
報告番号 115565
報告番号 甲15565
学位授与日 2000.05.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第272号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 助教授 陶山,明
 東京大学 教授 里見,大作
 東京大学 助教授 小倉,尚志
 東京大学 客員教授 高橋,正身
内容要旨 要旨を表示する

 脳神経系におけるシナプス伝達では、前シナプスから放出されたグルタミン酸を受けて、まずAMPA型グルタミン酸受容体が開く→後シナプス膜が脱分極する→NMDA(N-methyl-D-aspartate)型グルタミン酸受容体が開いて細胞内にカルシウムイオンが大量に流入する、という順序でLTP(長期増強)の成立に必要なカルシウム信号が発生する。この点でNMDA受容体は、記憶・学習を司る海馬のLTPに本質的に不可欠である。

 神経ステロイドは、脳神経系で合成され、情動の関与する記憶・学習を増強すると思われる。神経ステロイドは、核内受容体を通しての遺伝子転写ではなく、急性的にその効果を発揮するという作用が最近明らかになりつつある。例えば、脳内に最も多く存在する神経ステロイドの1つである硫酸プレグネノロンは、老齢ラットの記憶を改善することが知られている。しかし機構の詳細は未だ知られていない。

 本研究では、神経ステロイドが直接NMDA受容体、中でも出生前の胎児期から発現しているε2サブユニットを持つε2/ζ1型の受容体に作用してカルシウム流入を制御している可能性を検討した。また、NMDA受容体からのカルシウム信号によって神経細胞で起こる重要な細胞機能として、シナプス間の逆行性伝達物質の候補である一酸化窒素(NO)の産生を取り上げ、そのイメージングによる解析を行った。

 神経ステロイドのNMDA受容体に対する直接の効果を検出するために、熱ショックにより、NMDA受容体サブユニットの特定の組み合わせを発現するCHO細胞を作成し用いた。NMDA受容体のサブユニットの分布は脳の発達の時期及び部位特異的にダイナミックに変化するため、どのサブユニットの組み合わせに神経ステロイドが効果をもつかは重要である。培養ニューロンでは、一般にNMDA受容体のサブユニットを複数種類発現しているため、このような検討はできない。このCHO細胞は、5%CO2下で43℃、2時間の熱ショックをかけると、9〜15時間後にNMDA受容体を発現する。

 NMDA受容体に対する神経ステロイドの効果は、カルシウム感受性蛍光色素のFura-2を細胞に負荷し、蛍光顕微イメージングすることで測定した。

 神経ステロイドのうち、硫酸プレグネノロン(Pregnenolone Sulfate, PREGS)がε1とζ1サブユニットから成るNMDA受容体だけではなく、ε2とζ1サブユニットから成る受容体にも作用してNMDA受容体からのカルシウム流入を増強しうることを初めて見出した。まずはじめにNMDA(100μM)を灌流してカルシウム信号を観察した後、灌流液を流してNMDAを除き、信号が完全に消失してから、PREGSを含んだ灌流液を流した。10分間おいた後、PREGSと100μMNMDAを含んだ灌流液を流して、増強の効果を観察した。増強の効果は濃度依存的(1μM〜100μM)に現れた。はじめのNMDAのみによるカルシウム信号を100%としたとき、1μM、10μM、50μM、100μMのPREGSによってそれぞれ信号は、101%、118%、132%、141%に増強された。この結果は、PREGSが、ε2/ζ1型受容体にも作用し得ることを示している。

 次に、他の硫酸基をもつステロイドがNMDA受容体への硫酸プレグネノロンの作用にどのような影響を及ぼすかをカルシウム信号で検討した。倍濃度(100μM)の硫酸デヒドロエピアンドロステロンを硫酸プレグネノロン(50μM)と同時に加えた結果、硫酸プレグネノロンの増強効果を抑える(132%→105%)ことがわかった。また同様に、倍濃度(100μM)の硫酸エストラジオールも硫酸プレグネノロンに対し抑制的な効果(94%)をもつことが判明した。これらの結果から、硫酸プレグネノロンの硫酸基は受容体との相互作用において重要であることがわかった。また、3α-ol-5β-pregnan-20-one(3α5βS)は、濃度100μMで硫酸プレグネノロンのみならず、NMDAの効果も抑える(52%)ことが明らかになった。このことは、3α5βSは他の硫酸化ステロイドと違う様式でNMDA受容体と作用していることを示している。

 最近、当研究室でラット海馬神経細胞に、チトクロムP450sccをはじめとする、ステロイド産生機構が局在していることが発見された。このことにより、神経細胞が自ら神経ステロイドを合成している可能性が強く示唆されている。また、胎児期の硫酸プレグネノロン濃度は、生後よりも10倍程度高いことが知られている。本研究で対象としたε2/ζ1受容体の一方をなすε2サブユニットは、生後数日で初めてε1サブユニットと異なり、胎児期から発現しているため、本研究で、神経細胞によって合成されている硫酸プレグネノロンが脳の発生時期にも働いている可能性が示唆された。

 NOのイメージングは、NOが活性分子種であることから、今まで非常に困難であった。本研究では、神経型一酸化窒素合成酵素(nNOS)を上記のCHO細胞に発現し、最近新たに作成されたNO感受性蛍光色素であるDAF-2DAを用い、NMDA受容体からのカルシウム信号が単一細胞レベルでNOの産生に変換される様子を可視化した。NMDA受容体からのカルシウム流入によるNO産生は、NMDA(100μM)のみの時よりも硫酸プレグネノロンを加えた時の場合が産生が大きいことが見出された。これはNMDA受容体チャネルからのカルシウム流入の大きさがNO産生の違いとして現れてくることを意味しており、神経ステロイドの効果の一端がNO産生にあることを示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、神経ステロイドの脳の神経情報伝達に対する効果を明らかにすることを目的として、N-メチル-D-アスパラギン酸(NMDA)型グルタミン酸受容体(NMDA受容体)、中でも出生以前の胎児期から発現しているGluRε2サブユニットを持つGluRε2/ζ1型の受容体に作用してカルシウム流入を制御している可能性をカルシウムイメージングで解析した。さらに、NMDA受容体からのカルシウム信号に依存する神経細胞の重要な機能として、近年注目を集めている新しい伝達物質一酸化窒素(NO)の産生が如何に制御されるかをイメージングによる解析で明らかにした。

 本研究では、神経ステロイドのNMDA受容体に対する直接の効果を検出するために、熱ショックにより、NMDA受容体サブユニットの特定の組み合わせを発現するCHO細胞を作成し用いた。神経ステロイドは、核内受容体を通しての遺伝子転写ではなく、急性的にその効果を発揮するという作用が最近明らかになりつつある。例えば、脳内に最も多く存在する神経ステロイドの1つである硫酸プレグネノロンは、老齢ラットの記憶を改善することが知られている。しかし機構の詳細は未だ知られておらず、NMDA受容体はその作用部位の最も重要な候補の一つである。NMDA受容体のサブユニット分布は脳の発達の時期及び部位特異的にダイナミックに変化するため、どのサブユニットの組み合わせに神経ステロイドが効果をもつかは重要である。培養神経細胞では、一般にNMDA受容体のサブユニットを複数種類発現しているため、このような検討はできない。このCHO細胞は、5%CO2下で43℃、2時間の熱ショックをかけると、9〜15時間後にNMDA受容体を発現する。

 NMDA受容体に対する神経ステロイドの効果は、カルシウム感受性蛍光色素のFura-2を細胞に負荷し、個々の細胞を蛍光顕微イメージングすることで測定した。

 神経ステロイドのうち、硫酸プレグネノロン(Pregnenolone Sulfate, PREGS)がGluRε1とGluRζ1サブユニットから成るNMDA受容体だけではなく、GluRε2とGluRζ1サブユニットから成る受容体にも作用してNMDA受容体からのカルシウム流入を増強しうることを初めて見出した。増強の効果は濃度依存的(1μM〜100μM)に現れた。はじめのNMDAのみによるカルシウム信号を100%としたとき、1μM、10μM、50μM、100μMのPREGSによってそれぞれ信号は、101%・118%、132%、141%に増強された。この結果は、PREGSが、GluRε2/ζ1型受容体にも作用し得ることを示している。

 次に、他の硫酸基をもつステロイドがNMDA受容体への硫酸プレグネノロンの作用にどのような影響を及ぼすかをカルシウム信号で検討した。倍濃度(100μM)の硫酸デヒドロエピアンドロステロンを硫酸プレグネノロン(50μM)と同時に加えた結果、硫酸プレグネノロンの増強効果を抑える(132%→105%)ことがわかった。また同様に、倍濃度(100μM)の硫酸エストラジオールも硫酸プレグネノロンに対し抑制的な効果(94%)をもつことが判明した。これらの結果から、硫酸プレグネノロンの硫酸基は受容体との相互作用に関与している可能性が示唆された。また、3α-ol-5β-pregnan-20-one sulfate(3α5βS)は、濃度100μMで硫酸プレグネノロンのみならず、NMDAの効果も抑える(52%)ことが明らかになった。このことは、3α5βSは他の硫酸化ステロイドと違う様式でNMDA受容体と作用していることを示している。

 最近、川戸研究室でラット海馬神経細胞に、チトクロムP450sccをはじめとする、ステロイド産生機構が局在していることが発見された。このことにより、神経細胞が自ら神経ステロイドを合成している可能性が強く示唆されている。また、胎児期の硫酸プレグネノロン濃度は、生後よりも10倍程度高いことが知られている。本研究で対象としたGluRε2/ζ1受容体の一方をなすGluRε2サブユニットは、生後数日で初めてGluRε1サブユニットと異なり、胎児期から発現しているため、本研究で、神経細胞によって合成されている硫酸プレグネノロンが脳の発生時期にも働いている可能性が示唆された。

 NOの二次元イメージングはこNOが活性分子種であり、適当な蛍光指示薬がなかったため、今まで非常に困難であった。本研究では、神経型一酸化窒素合成酵素(nNOS)を上記のCHO細胞に発現し、最近新たに作成されたNO感受性蛍光色素であるDAF-2DAを用い、NMDA受容体からのカルシウム信号が単一細胞レベルでNOの産生に変換される様子を可視化した。NMDA受容体からのカルシウム流入によるNO産生は、NMDA(100μM)のみの時よりも硫酸プレグネノロンを加えた時の場合が産生が大きいことが見出された。これはNMDA受容体チャネルからのカルシウム流入の大きさがNO産生の違いとして現れてくることを意味しており、神経ステロイドの効果の一端がNO産生にあることを示唆している。

 以上を要約すると、本研究では、神経ステロイドである硫酸プレグネノロンがGluRε2/ζ1型のNMDA受容体を介するCa2+信号を増強することを初めて明らかにした。また、NO信号が硫酸プレグネノロンによる増強を受けることをNOのイメージングで初めて観測した。これらの発見により、生物物理学的手法を用いて神経科学上有意義な貢献をしたものと認められる。

 よって審査委員一同、論文提出者向井秀夫は東京大学博士(学術)の学位を受けるに十分な資格があるものと認めた。なお、本論文の内容はNeuroscience Letters誌にて公刊されている。これは共著論文であるが、論文提出者はその全てにおいて研究の主要部分に寄与したものであることを確認した。

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