学位論文要旨



No 115566
著者(漢字) 金,容澈
著者(英字) kim,Yong-Cheol
著者(カナ) キム,ヨンチョル
標題(和) 菱田春草の作品世界に関する研究
標題(洋)
報告番号 115566
報告番号 甲15566
学位授与日 2000.06.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第284号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,裕充
 東京大学 教授 河野,元昭
 東京大学 教授 佐藤,康宏
 東京大学 助教授 木下直之
 東京芸術大学 助教授 佐藤道信
内容要旨 要旨を表示する

 明治時代を代表する日本画家である菱田春草の作品世界は、新しい美術を造りだそうとした岡倉天心の理念から大きな影響を受けた。題材や造形的表現から大きくみて二つの時期に分けることができる。その第一の時期は明治42年に描かれた「落葉」以前の時期、つまり、「寡婦と孤児」や「枯華微笑」、「王昭君」などが描かれた時期で、ジャンルからいえば歴史画が主流をなしている。東京美術学校の卒業作品である「寡婦と孤児」は、その画題で特定の歴史人物を取り上げていないにしても、春草の歴史画では代表的な作品である。画面の中の二人は寡婦と孤児である常盤御前と牛若丸、つまり、後の源義経だと推定される。線描を中心とした画法は、西洋画法との違いを明確にする日本画法の正体性の根拠であったことを示している。同じ態度は、明治30年の「拈華微笑」にも窺える。釈迦と弟子たちが登場するこの絵は、仏教復興の背景に釈迦の生涯を絵画化しようとする動きの中で制作された。絵の内容が禅宗の教えを端的に表わしている点や当時キリスト教に対する仏教の動きを考えると、ダ・ビンチの「最後の晩餐」を意識し、キリスト教より禅宗仏教の優位を認める春草の宗教的発言が込められていたと思われる。

 いわゆる朦朧体で描かれた「王昭君」は、東洋歴史画題募集や歴史画論争など歴史画に関する論議が盛んであった時期の作品である。その優雅な女性群像は、大観の「屈原」に対して為された怪奇な人物という批判や、歴史画は歴史人物の高潔美を表現すべきだとする歴史画論争を踏まえた作品と思われる。この作品では朦朧体画法を人物描写に適用しているが、同じ時期、風景描写で見る朦朧体画法は当時の洋画に刺激され、風景描写のリアリテイー追求した結果であり、西洋画法を意識しながらも伝統画法をもって対応しようとした態度をそのまま表わしている。その意味で、「絵画に就いて」において朦朧体が日本と中国の伝統画法を参考にしたとする内容は、そのまま真実と受け止めてもいい。

 一方、第二期といえる時期に描いた明治42年の「落葉」は、まず題材が歴史や宗教から風景へと変ったことを物語っている。現存している一群の「落葉」の制作順番は二曲一隻、文展作、福井県立美術館所蔵の六曲一双、茨城県近代美術館所蔵の二曲一双とみるのが妥当なように思われる。そこには退行現象が見られ、文展受賞以後の注文に応じた春草の制作態度の変化が窺われる。同じ画題の注文作に取り組むに当っては最初の緊張が解れ、単純化した画面構成や、個々のモチーフ描写にみるマンネリ化などが見られる。この絵に目立っている絵画表現は琳派の絵画表現と類似したもので、その始まりは明治31年の「武蔵野」に見られるが、次第に強化していった。だが、それは西洋人による琳派の評価を背景にしたものであった。つまり、春草の作品にみる琳派への評価は西洋という他者の目を通しての自己規定の結果とみえ、それを積極的に取り入れたこと自体が画法における西洋への対応の一つの方法であったと言える。そのような態度は「黒き猫」にも示されており、春草は作品世界の最後の段階で、当時の日本美術の特徴として語られていた‘装飾性’へ傾斜したことは彼が日本の美へと回帰したとも言える。

 美術学校で訓練を受け、東西の美術史に関する知識を備えた上で、いつも美術の動きの先頭に立って実験的態度を維持した春草の作品世界にみるこのような特徴は、押し寄せてきた西洋文明によって大きな変化を経験した日本の近代美術の性格、つまり、近代性が西洋への対応を中心に語られるべきであることを示す典型的例といえる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、菱田春草の代表作五点、「寡婦と孤児」(東京藝術大学大学美術館)「拈華微笑」(東京国立博物館)「王昭君」(善宝寺)「落葉」(永青文庫)「黒き猫」(永青文庫)を取り上げ、造形的・文献的分析を加えたうえで、春草の史的位置について考察し、日本近代美術を研究する第一歩としようとするものである。

 全五章は、各作品の造形的・文献的考察に当てられる。第一章「寡婦と孤児について」では、その主題が常盤御前と牛若という特定の歴史的入物を想定したものではないかという新知見を示し、第二章「拈華微笑について」では、釈迦と十大弟子の姿勢が、中国元代の(伝)蔡山「十六羅漢図」などを援用していることを論証する。また、第三章「王昭君について」では、彩色没骨の朦朧体がヨーロッパ絵画ではなく、日本絵画の着色画法と中国絵画の水墨画法に則ったものであると指摘しており、明治時代、春草の師の岡倉天心らによって、全く新たに唱道された歴史画を代表する、前三章で扱う作品三点は、旧来の伝統をも巧みに踏まえるものであることを明らかにする。

 春草の代表作であるのみならず、日本近代美術史を代表する名品である「落葉」「黒き猫」に関しては、第四章「落葉について」で、その先行作例と考えられてきた「落葉」(滋賀県立美術館)「落葉」(個入蔵)「落葉」(福井県立美術館)「落葉」(茨城県立近代美術館)の諸作が、永青文庫本の高い評価により生じた注文作、すなわち後行作例ではないかとの新説を提唱する。そのうえで、第五章「黒き猫について」で、春草がその最も高い完成度に到達したのは、一貢して画き続けた猫を主題とすることによってであり、ヨーロッパ絵画の理念を性急に取り入れた歴史画の分野においてではない。琳派や中国絵画で永く追求されてきた、花鳥画・畜獣画の分野においてであったことを示す。

 以上の考察は、個々の論証については、なお一考の余地があるとはいえ、相応の説得力を有する。ただ、必ずしも歴史画・花鳥画・畜獣画に一貫する春草の伝統主義者としての特質に視点を定めて、議論が進められてはいないのは、惜しまれる。また、各章とも、概説的な記述に相当な紙数を費やしているのも、問題であり、博士論文として、あまり適切ではない。造形的・文献的考察を包含した、より一層の総合的な考察が必要とされよう。

 後者の問題点は、しかしながら、これまで困難であった日本統治時代からの韓国近現代美術研究に積極的に取り組もうとする韓国人研究者として、必要かつ不可欠な手続きであろう。また、前者のそれは、日本近代美術の日本人研究者にも認められる問題点でもあるとすれば、日本と韓国の近代美術を一つの視野に収めて、今後の研究を進めてゆこうとする一個の東アジア近代美術研究者にとって、今後の課題として、さらなる考察を展開してゆく可能性と称すべきものであり、一概に本論文の欠陥と看做すのは妥当ではない。以上の点から、本論文は博士(文学)の学位を授与するにふさわしい業績であると認められる。

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