学位論文要旨



No 115570
著者(漢字) 王,翠玲
著者(英字) Wang,Tsui-Ling
著者(カナ) ワン,ツィリン
標題(和) 永明延寿の研究 : 『宗鏡録』を中心として
標題(洋)
報告番号 115570
報告番号 甲15570
学位授与日 2000.06.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第288号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,清孝
 東京大学 教授 末木,文美士
 東京大学 助教授 下田,正弘
 東京大学 助教授 小島,毅
 東京大学 助教授 池澤,優
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の内容を、以下、その構成に従って述べていきたい。

 第一篇第一章「永明延寿伝記の研究」では、主に『宗鏡録』の著者である永明延寿(904-975)をめぐるさまざまな問題について考察した。まず、本章第一節では、複数の永明延寿の伝記について、可能な限り詳しく分析し検討した。それに際しては、各伝記の比較表を作成し、代表的な史伝を選んで論述したり、現代の研究成果を参考にしたりしながら、延寿の全体像を究明することを目指した。

 第一篇第二章「永明延寿の時代背景」では、延寿の生存時代、特に延寿が自己の思想毛形成した呉越仏教の諸相とその意義を考察した。呉越仏教については、その国家仏教的な性格、現世利益的な信仰形態に注目すべきである。そして、その影響は現在にまで及んでおり、もはや中国仏教の本質になっている、とも言える。また、呉越仏教時代に始まった、またはその時代に流行した懺悔法門、浄土法門、観音信仰、放生の活動などは、中国仏教信者たちにとって最も一般的な修行法門となっている。

 第二篇第一章「現存著作に対する検討」では、延寿の著作群について考察した。著者は延寿の現存している著作に目を通すことを作業の中心に据えながらも、できるだけ多くの先行研究を参考にし、延寿の新しい著作一覧表を提示して、議論を進めた。その検討の結果、延寿の思想の多面性が浮かび上がってきたが、彼に対する研究を進めるに際しては、全体的な視座から注意が払われるべきことを改めて痛感させられた。

 第二篇第二章「『宗鏡録』について」では、延寿の主著と言われる『宗鏡録』をめぐるさまざまな問題について論議し、『宗鏡録』の全容を解明することを目標とした。本章において『宗鏡録』の書誌学上の問題、例えばその略本、節本などについても考察を加えた。ほかに、『宗鏡録』の成立に関連する三つの問題−(1)編纂協力者、(2)編纂の場所、(3)編纂の時期、を考察した。この三つの問題を明らかにすることによって、延寿の思想形成過程における『宗鏡録』の位置付けが浮かび上がってくるからである。

 第三篇「永明延寿の思想」では、主に『宗鏡録』に現われた思想について議論した。その第一章「『宗鏡録』の構成について」で、この著作の構造と宗旨について述べ、さらに第二章「永明延寿の思想的諸問題」では『宗鏡録』に現われている延寿の三教観・戒律観・懺悔観・禅宗観及び心思想を抽出し、『宗鏡録』の内容を究明していく一つの端緒とした。まず、第一節「三教観」では、中国仏教史の観点から、仏・儒・道の三教交渉の歴史を概観し、延寿が儒道二教に言及する例に検討を加えた。

 第二節「戒律観」では、延寿が『受菩薩戒法』及び『垂誠』という書物を撰述し、また天台山で菩薩戒を授けたことも確実であるから、戒律を延寿はどのように理解して実践していたのか、考察した。その結果、延寿の戒律観の特質は二点に絞られた。即ち、(1)心戒(菩薩戒・仏性戒)を重視し、(2)機根説と結び付けて禅律倶運を主張すること、である。

 第三節「懺悔観」は、延寿は法華懺・方等懺を実践しており、諸著作に「懺悔」及びその相関用語が見られ、しかも戒律を破ればその救済措置である懺悔法も必要となるので、懺悔について検討した。その結果は、(1)延寿の懺悔説は天台宗、特に智〓の懺悔説に強く影響されていた、(2)妙覚位に到達した者以外は全て懺悔の実践者と想定されている、などである。これを通じて、思想・理論を重視する一方、実践・修行も軽視しない延寿の厳しい姿勢が浮かび上がってきた。

 第四節「禅宗観」では、延寿の教判、禅宗に対する位置づけ、禅宗の法統説という三つの方向から考察し、その結果、永明延寿の思想の一側面、つまり禅宗に影響された部分を、浄土法門を実践する一面と同じように、重視すべきことが明らかになった。そして、延寿が全体的な視点に立ち、禅宗全体、さらには仏教全体の動向を最も重視していたことも明らかとなった。

 第五節「延寿の心思想」では、(1)中国古典における「心」思想、(2)延寿と中国古典の「心」思想との繋がり、(3)延寿の心をめぐる基本的立場の三方向から、延寿の心思想の探求を試みた。中国における思想の流れと哲学的概念の変化に注意しながら、延寿の心思想の背景に光を当てようとしたが、多種多様な主張をすべて「一心」という概念の下に包摂し、体系化せんとする延寿の全体像を明らかにすることに成功したとは言い難く、今後に大きな課題を残すこととなった。

審査要旨 要旨を表示する

 中国仏教者として五代十国一宋初を生きた永明延寿(904-975)は、一方において禅宗の一派である法眼宗の第三祖とされ、他方、浄土宗の祖師の一人に列せられる。また思想史上は、一般に「教家」と「禅家」との二つの流れの調和・統合を目指す教禅一致論の改革者と見なされている。これらの位置づけは、いずれも間違ってはいない。しかし、従来の諸研究においては、精密な文献学的・歴史学的検証に基づいて、延寿その人がいかなる時代的・社会的状況の中で生き、何を求め、どのようにして自らの思想を形成していったのかを着実に解明していく努力が不足していた。そのために、そうした個別の位置づけの間の関係が不明瞭であり、また、それらがもつ意味も十分には究明されてこなかった。著者は、このことが包含する問題点の大きさに注目し、主にかれの主著「宗鏡録」の解読・分析を通じて、延寿の実像を浮き彫りにするための基礎作業を遂行したものである。

 本論文は、第一篇「伝記の研究」、第二篇「著作について」、第三篇「延寿の思想一「宗鏡録」を中心として」から成る。第一篇においては、数十種に上る延寿の伝記関係資料が手際よく整理されている。とくに、かれを育んだ呉越国の仏教に関する究明は高く評価されよう。第二篇は、延寿の著述とされる約80部の典籍のうち、現存する22部のものについて、それらの真偽、年代、特徴、流布状況等を調査・検討したものである。解明の方法や程度に若干のばらつきがあることが惜しまれるとはいえ、延寿の著述に関する最初の本格的な論考である。第三篇においては、「宗鏡録」の構成、題名等が詳細に検討され、ついで、儒仏道の三教に対する見方、懺悔観、禅宗観、「心」の思想が採り上げられ、考察される。いずれも重要かつ興味深い問題であり、それらに関わる基本概念の中国古典における用法を広範に調査して踏まえるなど、解明の態度は真摯で好感がもてる。問題の掘り下げが不十分なところも見受けられるが、随所に新たな知見も呈示されている。

 以上のように、本論文は、一つの時代の転換期に立つ仏教者永明延寿とその中心思想を実証的に歴史の中に位置づけようとした労作であり、この意欲的な試みに一応成功している。むろん、延寿の思想の全貌を明らかにするためには、残された課題は少なくない。例えば、著者が強い関心をもつ実践の問題としても、延寿におげる機根論や成仏論あるいは密教的儀礼の意義などの更なる追求は、必須であろう。全般的に詳細に過ぎる注釈部分の整理も必要である。しかし、本論文の成果は、仏教学、宗教学、ないし中国思想史学に対する貴重な貢献であり、本審査委員会は、充分に博士(文学)の学位に相当すると認めるものである。

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