学位論文要旨



No 115584
著者(漢字) 森田,真代
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,マサヨ
標題(和) 高等植物におけるトリテルペンの生合成研究 : 生理的機能の解明に向けて
標題(洋)
報告番号 115584
報告番号 甲15584
学位授与日 2000.07.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第928号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 海老塚,豊
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
 東京大学 助教授 折原,裕
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 要旨を表示する

 植物には、ステロール前駆体となるサイクロアルテノールの他に、共通の前駆体オキシドスクアレンより生合成されるβ-アミリン、α-アミリン、ルペオール等のトリテルペンが存在し、生薬の有効成分であるサポニン等の前駆体となっている(Fig.1)。ステロール類は真核生物において必須の化合物であり、特に、動物のコレステロール生合成系については研究が進んでいる一方、植物のトリテルペンやサポニンは二次代謝産物に分類され、これらの生合成調節機構及び生理的役割に関しては全く解明されていない。ステロールとトリテルペンの生合成は、オキシドスクアレン閉環酵素(OSC;サイクロアルテノール合成酵素(一次代謝系)及びトリテルペン合成酵素(二次代謝系))の段階で分岐している。そこで、OSCは、両代謝系の制御、及び有用な二次代謝産物の大量供給を目指す上で鍵酵素と考え、 (1)エンドウ由来トリテルペン合成酵素のcDNAクローニング、 (2)エンドウ発芽時におけるトリテルペン生合成の経時変化解析、 (3)ルペオール合成酵素アンチセンスDNAによる形質転換シロイヌナズナの作製、を行った。

(1)エンドウ由来トリテルペン合成酵素のcDNAクローニング

 エンドウPisum sativumは、当研究室において、サイクロアルテノール合成酵素とβ-アミリン合成酵素精製の酵素源に用いられており、すでにサイクロアルテノール合成酵素cDNA(PSX)はクローニングされているが、トリテルペン合成酵素cDNAは未だクローニングされていない。これまでトリテルペン合成酵素cDNAとして、β-アミリン合成酵素(PNY;オタネニンジン)、及びルペオール合成酵素(LUP1;シロイヌナズナ)の2種類が報告されている。生成物の骨格は異なるが、両者の触媒する反応は極めて類似しており、アミノ酸配列上73%の相同性がある。エンドウ種子からは、β-アミリンとα-アミリンの単離が報告されており、これらの生成機構はさらに類似しており、β-アミリン合成酵素cDNAとの相同性を利用してα-アミリン合成酵素cDNAが得られることが期待された(Fig.1)。そこで、エンドウから新たなトリテルペン合成酵素cDNAのクローニングを目指した。

 当研究室では、サイクロアルテノール及びラノステロール合成酵素のコンセンサス配列を利用したRT-PCR法により、PNYの単離に成功している。しかし、エンドウでは、同様の方法ではPSXしか単離できなかったため、PSX排除的配列となるように、プライマーをデザインし、RT-PCR法によりエンドウ由来トリテルペン合成酵素cDNAの単離を試みた。鋳型としたcDNAは、未成熟種子、芽生え2日目、及び4日目の種子より抽出したRNAを逆転写して調製した。その結果、いずれの鋳型においても、エンドウ由来トリテルペン合成酵素のcDNA断片と思われるクローンPSY(PSX、PNYとそれぞれ56%、83%identity)を得ることができた。また、未成熟種子由来cDNAを鋳型とした場合には、PSYとともにPSM(PSY、PNYとそれぞれ82%、77%identity)が得られた(12クローン中、PSY:PSM=8:4)。各クローンについてRACE法を用いて伸長し、全長配列を決定した。

 ついで、各クローンを酵母の系で発現させることにより機能の同定を試みた。各全長ORFをPCRで増幅し、酵母の発現ベクターpYES2のGAL1プロモーター下流に導入した発現プラスミドを用いて、ラノステロール合成酵素欠損酵母株GIL77を形質転換した。GIL77ではオキシドスクアレンが蓄積するため、トリテルペン合成酵素が発現すれば、形質転換体においてトリテルペンが蓄積し、in vivoのレベルで酵素機能の同定が可能である。そこで形質転換体を培養し、発現誘導後、菌体をアルカリ処理し、ヘキサンで抽出後、TLCで分析した。その結果、PSYを導入した酵母において、TLC上トリテルペンの蓄積が確認され、各種スペクトル分析(LC-MS,GC-MS,NMR)により生成物はβ-アミリンと同定され、PSYがエンドウのβ-アミリン合成酵素をコードしていることが証明された。一方、PSMを導入した酵母においても、TLC上トリテルペンの蓄積が確認され、LC-MSにより複数のトリテルペンが生成していることが明らかとなった。各種分析によりトリテルペンが主にα-アミリンとβ-アミリンであることを同定し(LC-MS,GC-MS,NMR) (Fig.2.)、また、それら以外にも、GC-MSにより7種類のトリテルペンを同定した(Fig.2.3a-7)。α-アミリンを生成する多機能性トリテルペン合成酵素はこれが最初の報告であり、PSMをエンドウの混合アミリン合成酵素(Mixed amyrin synthase)と命名した。天然物として80以上の異なった骨格のトリテルペンが報告されているが、対応する骨格の数だけ生成物特異的酵素が存在するわけではないこと、また、多くの植物においてα-アミリンはβ-アミリンと共存しており、PSMのような混合アミリン合成酵素が普遍的に分布していることが考えられる。今回、GC-MSにより同定された微量トリテルペンは、全てオキシドスクアレンからα-アミリンが生成する過程において想定される各種中間体カルボカチオンから生成しており、環化反応の際の中間体カルボカチオンの存在を支持するものである。

 (2)エンドウ発芽時におけるトリテルペン生合成の経時変化解析

 発芽時は、劇的な形態変化が起こるため、一次代謝と二次代謝がいかに調節されているか興味深い。そこで、エンドウ発芽時におけるトリテルペン生合成を、内生トリテルペン量、トリテルペン合成酵素活性、トリテルペン合成酵素mRNA蓄積量の経時変化から解析した。

 まず、エンドウから得られた3種類のOSCのcDNAを用いて発現解析を行った。PSX、PSY、PSMcDNAから調製したRNAプローブを用いて、ノーザン解析によりmRNA蓄積量を調べた結果、PSX及びPSMのmRNA蓄積量は、発芽後わずかな増加を示したのみだが、PSYmRNA蓄積量は、発芽後1日目で著しく増大することが明らかとなった。次に、ミクロソーム画分によるin vitroの酵素活性の解析から、β-アミリン合成酵素活性が水浸2日目に顕著に上昇すること、α-アミリン合成酵素活性はほとんど検出されないこと、及びサイクロアルテノール合成酵素活性がβ-アミリン合成酵素活性の1/2程度であることがわかった。また、種子をアセトン抽出後アルカリ加水分解を行いトリテルペン画分を精製したところ、内生総トリテルペン量はほぼ一定でβ-アミリンとα-アミリンが約5:1の比で存在していた一方、サイクロアルテノールはほとんど観察されず、速やかに代謝されていることが示された。

 発芽過程において、PSYmRNA蓄積量及びβ-アミリン合成酵素活性の増大に対し、β-アミリン蓄積量があまり変化しないことは、β-アミリンがさらにサポニン等に代謝されている可能性を示唆している。

 (3)シロイヌナズナにおけるルペオール合成酵素アンチセンス植物の作製と形質解析

 シロイヌナズナArabidopsis thalianaは、分子生物学的解析が最も進んでいるモデル植物であり、再現性のある形質転換系が確立されている。そこで、トリテルペン合成酵素の植物内での生理的機能を解析する目的で、トリテルペン合成酵素として初めて報告されたシロイヌナズナのルペオール合成酵素cDNA(LUP1)のアンチセンス植物を作製し、そのphenotype及びchemotypeを解析した。

 LUP1 ORFを、市販のシロイヌナズナcDNAライブラリーを鋳型としてPCRにより調製し、植物形質転換用のアグロバクテリウムのベクターpBIXの35Sプロモータ下流にアンチセンス方向で導入した。このプラスミドで形質転換したアグロバクテリウムGV3101pMP90を用いて、湿潤法により植物を形質転換した。形質転換植物体を選択プレートでスクリーニングし、そのゲノムを抽出し、LUP1 ORFがゲノムにアンチセンス方向で挿入されていることを確認した。LUP1アンチセンス植物体第一世代(T1)は、著しい矮性を示した(Fig.3)。T2世代において内生トリテルペン量を調べた結果、LUP1アンチセンス植物体におけるルペオール蓄積量は、検出限界以下であった。このことから、LUP1により生合成されるルペオール、あるいはその代謝物が、植物の正常な発育に必要であることが初めて明らかにされ、また、トリテルペン合成酵素遺伝子の導入によるトリテルペン生産の代謝工学への展望が大きく開けた。

まとめと展望

 相同性を利用したRT-PCR法により、エンドウ由来新規多機能型トリテルペン合成酵素をコードするcDNA;PSMを得ることに成功した。本酵素は、α-アミリンを生成するトリテルペン合成酵素としては初めてのクローンであり、α-アミリン以外にβ-、δ-アミリンを含む8種類の生成物を与えることから、混合アミリン合成酵素と命名した。本酵素の存在は、多様な骨格を持つトリテルペンの生合成において、必ずしも一つの骨格が一つの酵素で形成されるわけではないことを示している。

 また、エンドウ発芽時におけるトリテルペン合成酵素の発現解析を行い、β-アミリン合成酵素 mRNA蓄積量が、β-アミリン合成酵素活性の上昇に先立ち著しく増大することを初めて見い出した。しかしながら内生総トリテルペン量分析においてβ-アミリン蓄積量が一定であったことより、β-アミリンの代謝物であるサポニン等が増大している可能性があり、これらサポニンの作用が芽生え時に生理的に重要な役割を果たしている可能性が示唆された。

 さらに、シロイヌナズナにおけるルペオール合成酵素アンチセンス植物の解析により、シロイヌナズナにおいてルペオール生成量の減少が矮性をもたらすことを明らかにし、植物の成長にルペオールが深く関与していることを示した。今後、T3世代でのルペオールによる伸長の回復実験等を行っていく予定である。

 今回の結果は、今後トリテルペンの生合成の制御機構および植物における生理的役割を解明する上で極めて有用な知見である。

Fig.1.Biosynthesis of sterols and triterpene derivatives

Fig.2.HPLC profile of GIL77 harbouring pYES2-PSM

Fig.3.Phenotype of T1 progeny

審査要旨 要旨を表示する

 高等植物には、ステロール前駆体となるサイクロアルテノールの他に、共通の前駆体オキシドスクアレンより生合成されるβ-アミリン、α-アミリン、ルペオール等のトリテルペンが存在し、生薬の有効成分であるサポニン等の前駆体となっている。ステロール類は真核生物において必須の化合物であり、哺乳動物のコレステロール生合成系については精力的な研究が進んでが、植物のトリテルペンやサポニンは二次代謝産物に分類され、これらの生合成調節機構及び生理的役割に関してはほとんど解明されていない。ステロールとトリテルペンの生合成は、サイクロアルテノール合成酵素(一次代謝系)及びトリテルペン合成酵素(二次代謝系)の段階で分岐しており、トリテルペン合成酵素は、両代謝系の制御研究や、有用植物二次代謝産物大量供給系開発のための鍵酵素と考えられる。本論文の著者は、植物のトリテルペンやサポニンの生理的機能の解明を目指し、 (1)エンドウ由来新規トリテルペン合成酵素のcDNAクローニング、 (2)エンドウ発芽時におけるトリテルペン生合成の経時変化解析、 (3)ルペオール合成酵素アンチセンスDNAによる形質転換シロイヌナズナの作製、を行っている。

 (1)エンドウ由来トリテルペン合成酵素のcDNAクローニング

 トリテルペン生合成の経時変化解析に先立ち、先ず、エンドウ(Pisum sativum)から新規トリテルペン合成酵素cDNAのクローニングを行った。エンドウ種子にはβ-アミリンとα-アミリンが主トリテルペン成分として存在しており、当研究室において、サイクロアルテノール合成酵素およびβ-アミリン合成酵素精製の酵素源に用いられている。すでにサイクロアルテノール合成酵素cDNA(PSX)は修士課程の研究でクローニングしているが、トリテルペン合成酵素cDNAは未だ得られていなかった。トリテルペン合成酵素cDNAとしてβ-アミリン合成酵素cDNA以外に、新規なα-アミリン合成酵素cDNAが得られる可能性があり、既知のオタネニンジン由来β-アミリン合成酵素cDNA(PNY)の配列情報を用いて、縮重入りプライマーをデザインし、RT-PCR法によるクローニングを行った。

 その結果、トリテルペン合成酵素cDNAの断片と思われるクローンPSYとPSMが得られ、各クローンについてRACE法を用いて伸長し全長配列を決定した。ついで、各クローンを酵母で発現させることにより、PSYがβ-アミリン合成酵素、PSMが複数の生成物を与える多機能型新規トリテルペン合成酵素であることを明らかにした。各種スペクトルの詳細な解析により、PSMの生成物は、主にα-アミリンとβ-アミリンであり、これ以外に7種類のトリテルペン生成物が同定された(Fig.1.)。α-アミリンを生成するトリテルペン合成酵素はこれが最初の報告であり、PSMをエンドウの混合アミリン合成酵素(Mixed amyrin synthase)と命名している。天然物として80種以上の異なる骨格のトリテルペンが報告されているが、骨格の数に対応する生成物特異的酵素が存在するわけではないこと、また、多くの植物においてα-アミリンがβ-アミリンと伴に単離されることから、PSM型の酵素が植物界に普遍的に存在することが考えられ、天然トリテルペンの多様性の起源を探る上で重要な知見である。また、PSMの生成物として同定された微量トリテルペンは、全てオキシドスクアレンからα-アミリンが生成する過程において想定される中間体カルボカチオンから派生しており、環化反応の際の中間体カルボカチオンの存在を支持するものである。

 (2)エンドウ発芽時におけるトリテルペン生合成の経時変化解析

 植物種子の発芽過程では劇的な形態変化が起こっており、この過程における二次代謝の発現制御にも注目される。そこで、エンドウ発芽過程における一次代謝及び二次代謝の活性化の変化を、ステロール及びトリテルペン生合成の経時変化により解析することを計画し、エンドウ由来サイクロアルテノール合成酵素及び(1)で得たトリテルペン合成酵素cDNAを用いノーザン解析を試みた。

 エンドウのサイクロアーテノール合成酵素(PSX),β-アミリン合成酵素(PSY),混合アミリン合成酵素(PSM)各cDNAから調製したRNAプローブを用いたノーザン解析の結果、PSX及びPSMのmRNA蓄積量が発芽後わずかな増加傾向を示したのに対し、PSYmRNA蓄積量は、発芽後1日目で著しく増大することを明らかにした。次いで、ミクロソーム画分におけるin vitroの酵素活性の解析から、β-アミリン合成酵素活性が水浸2日目に顕著に上昇することを明らかにした。また、この間の種子中のトリテルペン画分を分析し、内生総トリテルペン量はほぼ一定でありβ-アミリンとα-アミリンが約5:1の比で存在していること、サイクロアルテノールはほとんど検出されず速やかに植物ステロールへと代謝されていることを示している。

 発芽過程において、PSYmRNA蓄積量及びβ-アミリン合成酵素活性が増大するのに対し、β-アミリン蓄積量がほとんど変化しないことは、β-アミリンがさらにサポニン等へ代謝されている可能性を示唆しており、発芽時にβ-アミリンに由来するサポニン生合成が活性化され植物内で防御物質として働いている可能性を議論している。

 (3)トリテルペン合成酵素アンチセンスシロイヌナズナの作製

 分子生物学的なアプローチが最も進んでいるシロイヌナズナをモデル植物として、トリテルペン合成酵素遺伝子のアンチセンス形質転換植物を作成し、植物トリテルペンの生理的役割の解明を試みた。導入したトリテルペン合成酵素は同植物由来のルペオール合成酵素LUP1であり、アンチセンスシロイヌナズナのphenotype及びchemotypeを解析している。

 LUP1 ORFを、植物形質転換用のアグロバクテリウムのベクターpBIXの35Sプロモータ下流にアンチセンス方向で導入し、このプラスミドで形質転換したアグロバクテリウムGV3101pMP90を用いた湿潤法によりシロイヌナズナを形質転換した。LUP1アンチセンス植物体第一世代(T1)はコントロールに比し著しい矮性を示した(Fig.2)。次いで、T2世代における内生トリテルペン量を分析し、LUP1アンチセンス植物体ではルペオール蓄積量が検出限界以下であることを確認している。このことから、ルペオールの欠損矮性形質が対応していることが証明され、LUP1により生合成されるルペオールあるいはその代謝物が、植物の正常な発育に何らかの形で関与することを明らかにした。

 以上本研究は、α-アミリンをはじめとする多種類のトリテルペン生成物を与える新規トリテルペン合成酵素cDNAを初めて単離するとともに、エンドウ発芽時におけるトリテルペン生合成の経時変化及びトリテルペン合成酵素アンチセンスシロイヌナズナの作製により、植物トリテルペン及びサポニンの生理的役割に迫ったもので、今後の植物二次代謝産物生合成の制御及び有用二次代謝産物の効率的生産系開発のため極めて有用な知見であり、天然物化学、薬用植物学の発展に寄与するところが大きく、博士(薬学)の学位に値する研究であると認めた。

Fig.1.HPLC profile of PSM products

Fig.2.Phenotype of T1 progeny

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