No | 115588 | |
著者(漢字) | 錦谷,まりこ | |
著者(英字) | Nishikitani,Mariko | |
著者(カナ) | ニシキタニ,マリコ | |
標題(和) | 職業性のマンガン、クロム、鉛および有機溶剤暴露が嗅覚閾値に及ぼす影響に関する研究 | |
標題(洋) | Effects of Occupational Manganese, Chromium, Lead and Organic Solvent Exposure on Olfactory Thresholds | |
報告番号 | 115588 | |
報告番号 | 甲15588 | |
学位授与日 | 2000.07.19 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第1676号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 社会医学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | I. 緒言 嗅覚はQOL(Quality of Life)のために重要と考えられているが、嗅覚障害の症状は自覚的で検出しにくいため、臨床および予防医学の場で評価されることが少ない。 職業性の嗅覚障害として、有害因子の鼻粘膜の刺激による鼻炎、副鼻腔炎、鼻中隔穿孔など外的障害が併発した呼吸性嗅覚障害または嗅粘膜性嗅覚障害の症例、および嗅中枢部の麻痺による嗅覚脱出など中枢性嗅覚障害の症例が報告ある。しかし、有害因子と嗅覚閾値変化の関連を調べた疫学的調査報告はほとんどない。嗅覚障害を起こす化学物質および物理環境因子への暴露により生じる、嗅覚閾値の変化を早期に発見することは予防医学的見地から重要な課題である。 本研究では長期低濃度暴露による非顕性の神経障害が報告されている重金属(マンガン、クロム、鉛)および有機溶剤(トルエン)に暴露した作業者を対象として、嗅覚閾値検査による嗅覚障害について評価することを目的とした。同時に神経行動テスト及び質問紙調査を実施し、神経行動機能の評価を行った。 II. 対象と方法 対象は韓国及び日本における男子作業者である。以下、暴露物質別に示す。 1. マンガン作業者 韓国幹林大学産業医学センターとの共同研究により、韓国(ソウル、インチョン、ポハン)の橋桁、粉砕機、空調機械、繊維、ガラスの各製造工場で調査を行った。各工場における男子溶接作業員(29人)を暴露群(マンガン作業者)とした。使用されている溶接棒中にはマンガンが0.5-3.0%含有され、鉛は含有されなかった。作業環境中マンガン濃度については2工場からのみ得られ、0.0048、0.0357mg/m3であった(ACGIHよりTLV-TWA 0.2mg/m3)。また、同工場の事務従事または運転手の男子(13人)を対照群とした。マンガン作業者の血中マンガン濃度[0.6-2.3(平均1.4)μg/dl]は対照群に比べて有意に高かった。全対象に嗅覚閾値検査[T&T olfactometry(第一薬品産業株式会社)]、神経行動テストバッテリー(NCTB)・振戦の測定(hole tremor test、computerized tremor meter)を行った。 2. クロム作業者 韓国高麗大学医学部予防医学教室との共同研究により、韓国(安山)のクロム鍍金工場(5ヶ所)で調査を行った。工場内でクロムを取り扱う男子作業者(27人)を暴露群(クロム作業者)とした。これらのクロム鍍金工場における過去3年間の作業環境中総クロム濃度の平均は0.007、0.O17、0.030、0.039、0.080mg/m3、6価クロム濃度の平均は4工場からのみ得られ、0.0054、0.0064、0.0098、0.0328mg/m3であった(ACGIHよりTLV-TWAはそれぞれ0.5、0.05mg/m3)。また、同職場における事務従事の男子(34人)を対照群とした。暴露群の血中クロム濃度[0.2-3.7(平均1.3)μg/dl]は対照群に比べて有意に高かった。全対象に嗅覚閾値検査[T&T olfactometry、olfactory perception threshold test(Chemical Abstract Service)]及び鼻鏡検査を行った。 3. 鉛作業者 韓国順天郷大学医学部予防医学教室との共同研究により、韓国(亀尾)の電気製品製造工場(5ヶ所)で調査を行った。作業中に鉛を扱い、昨年の健康診断で血中鉛濃度が高く『BPb 13.9-51.0(平均30.3)μg/dl](ACGIHよりBEI30μg/dl、IPCSでは25μg/dlかそれ以下で高次精神機能への影響があると報告)、精密検査を必要とされた男子(62人)を暴露群(鉛作業者)とした。作業内容は主にブラウン管製造であり、各工場における98年後期の作業環境中鉛濃度の平均は0.003,0.007,0.O13,0.013,0.058mg/m3であった(ACGIHよりTLV-TWA 0.05mg/m3)。また、同職場における事務従事の男子(30人)を対照群とした。暴露群の血中鉛濃度[BPb 11.0-41.6(平均24.6)μg/dl]、尿中デルタアミノレブリン酸[ALA-U0.2-2.0(平均1.1)mg/l]は対象群に比べ有意に高かった。全対象に嗅覚閾値検査(T&T olfactometry、olfactory perception threshold test)、神経行動テスト(digit symbol test、hooper visual organization test)を行った。 4. 有機溶剤作業者 神奈川県平塚市にある事務用品製造工場で調査を行った。インク混合作業に就き、有機溶剤を取り扱う男子(16人)を暴露群(有機溶剤作業者)とした。主な取扱い溶剤はトルエンであり、他に酢酸エチルがあった。98年前期の作業環境中トルエン濃度は平均13.6ppmであった(ACGIHよりTLV-TWA 100ppm)。また、同職場における事務従事の男子(15人)を対照群とした。有機溶剤作業者のみ血中トルエン濃度、尿中馬尿酸濃度を測定し、全対象に嗅覚閾値検査(T&T olfactometry、toluene threshold test)、振戦の測定(同上)を行った。 III. 結果 マンガン作業者についてはT&T Olfactometryのうち検知閾値と認知閾値の得点が対照群に比べ有意に高かった(P<0.05)。しかし、NCTBおよび振戦(hole tremor test,computerized tremormeter)には有意差が示されなかった。 クロム作業者については同法のうち認知閾値の得点が対照群に比べ有意に高かった(P<0.05)。また認知閾値の得点について年齢、教育歴、飲酒量、喫煙量、血中クロム濃度、尿中クロム濃度、およびクロム暴露期間を説明変数として重回帰分析を行った結果、クロム暴露期間が有意に影響し(P<0.05)、暴露期間が長いほど認知閾値が増加することが示された。鼻鏡検査の結果からは、嗅裂部の閉鎖が有意に高く(P<0.01)、また自覚症状についても、普段の鼻の乾燥感、鼻詰まり感、痂皮の出現が有意に高く認められた(P<0.05)。 鉛作業者については神経行動テストのうちdigit symbolの得点が対照群に比べ有意に低かった(P<0.05)。しかし、嗅覚機能検査に有意差は見出されなかった。 有機溶剤作業者についてはいずれのテスト結果も対照群との間に有意な差は見出されず、また、各暴露指標との間に有意な相関は示されなかった。 IV. 考察 本研究では嗅覚機能検査をマンガン溶接、クロム鍍金、ブラウン管製造(鉛使用)およびグラビア印刷(トルエン使用)作業者の各群で実施した。マンガンおよびクロム作業者の嗅覚閾値は有意に上昇していたが、鉛および有機溶剤作業者で有意な変化は見出されなかった。また、各暴露指標との間に相関が示されたのはクロム作業者で、暴露期間が嗅覚機能の低下に影響することが示唆された。 マンガン中毒は振戦など運動機能障害が現れる他、パーキンソン病に類似した中毒症状が知られている。このため、パーキンソン病に特有な嗅覚機能の低下が仮定され、これまで嗅覚閾値検査に関して3本の報告がなされている。うち、2報告では嗅覚閾値の有意な変化は認められていないが、1報告では嗅覚閾値の低下が認められている。それぞれの血中マンガン濃度は本報告より低く、量-影響関係については本報告と同じく示されなかった。マンガンの体内への吸収経路は腸管や呼吸器からの吸入の他、嗅粘膜から直接中枢神経系へ吸収されることが知られており、嗅覚系への影響が示唆される。 クロムの職業性暴露によって皮膚障害、呼吸器疾患、ガンなどの発症が認められ、鼻に関しては鼻中隔穿孔などの鼻粘膜障害が数多く報告されている。嗅覚障害を調査した報告は殆どないが、クロム酸塩製造業者における嗅覚閾値上昇の邦文報告が1報あり、嗅覚機能の低下が認められている。本研究結果におけるクロム作業者は血中クロム濃度が対照群に比べて有意に高く、さらにクロムへの暴露期間が嗅覚閾値の増加へ影響することが認められた。臨床症状及び自覚症状より呼吸障害性または嗅粘膜性の嗅覚障害であることが示唆されるが、この結果と嗅覚認知閾値との関係について更なる研究が必要である。 鉛作業者について嗅覚閾値検査は両群間で有意差を示さなかったが、神経行動テストのうち、digit symbolの得点が鉛作業者群で有意に低く、血中鉛濃度42(平均24.6)μg/dl以下の鉛暴露によって精神運動機能が低下すると示された。鉛暴露では血中鉛濃度が有効な暴露指標とされており、低レベル暴露として平均で約30μg/dl台の集団を対象とした報告がなされているが、比較すると本研究の対象はそれよりさらに暴露レベルの低いことがわかる。本研究の血中鉛濃度の暴露程度で嗅覚機能は影響されないことが示唆されたが、低濃度の鉛に長期間暴露することにより、心理行動機能への影響が認められている他、末梢、中枢、自律の各神経における非顕性の障害が報告されているため、本報告では嗅覚機能への影響が見られなかったが暴露程度が異なった場合、影響する可能性があると思われる。 有機溶剤作業者について、本研究の暴露程度では嗅覚閾値への影響が認められないと示唆された。有機溶剤は嗅粘膜への刺激性が強い事およびその毒性が中枢神経機能へも作用するため嗅覚障害が予想される。有機溶剤への短時間暴露による一時的な嗅覚閾値上昇、または長期暴露により脳障害が生じた場合の閾値低下などの報告より、さらなる調査、検討が必要と思われる。また、今回は振戦についても有機溶剤の影響が見られず、暴露レベルが低かった事も示唆される。 V. 結論 職業性のマンガン、クロム暴露により影響される嗅覚機能のうち、主要なものは認知機能の低下であり、マンガンについてはさらに嗅覚の検知機能も低下することが示唆された。また、T&T olfactometryは職業性の化学物質暴露による嗅覚影響を評価する有効な手段であることが明らかになった。 | |
審査要旨 | 本研究は嗅覚障害を起こす化学物質および物理環境因子への暴露により生じる嗅覚機能への影響を明らかにするため、長期低濃度暴露による非顕性の神経障害が報告されている重金属(マンガン、クロム、鉛)および有機溶剤(トルエン)に暴露した作業者を対象として、嗅覚閾値検査による嗅覚障害の評価を試みたものである。さらに、神経行動テスト及び質問紙調査を実施し、神経行動機能の評価を行った。これらより、下記の結果を得ている。 1. マンガン作業者では、嗅覚閾値検査(T&T Olfactometry)のうち検知閾値と認知閾値の得点が対照群に比べ有意に高かった(P<0.05)。しかし、神経行動テストバッテリーおよび振戦テストには有意差が示されなかった。 2. クロム作業者はT&T Olfactometryのうち認知閾値の得点が対照群に比べ有意に高かった(P<0.05)。また認知閾値の得点について年齢、教育歴、飲酒量、喫煙量、血中クロム濃度、尿中クロム濃度、およびクロム暴露期間を説明変数として重回帰分析を行った結果、クロム暴露期間が有意に影響し(P<0.05)、暴露期間が長いほど認知閾値が増加することが示された。鼻鏡検査の結果からは、嗅裂部の閉鎖が有意に高く(P<0.01)、また自覚症状についても、普段の鼻の乾燥感、鼻詰まり感、痂皮の出現が有意に高く認められた(P<0.05)。 3. 鉛作業者は神経行動テストのうちdigit symbolの得点が対照群に比べ有意に低かった(P<0.05)。しかし、嗅覚機能検査に有意差は見出されなかった。 4. 有機溶剤作業者についてはいずれのテスト結果も対照群との間に有意な差は見出されず、また、各暴露指標との間に有意な相関は示されなかった。 以上、本論文により、職業性のマンガン、クロム暴露により影響される嗅覚機能のうち、主要なものは認知機能の低下であり、マンガンについてはさらに嗅覚の検知機能も低下することが示唆された。また、T&T olfactometryは職業性の化学物質暴露による嗅覚影響を評価する有効な手段であることが明らかになった。本研究は、その症状が自覚的で検出が難しく、臨床および予防医学の場で評価されることが少なかった職業性の嗅覚障害を扱い、神経行動機能と共に量-影響関係を評価したことにより、有害環境因子による健康影響の解明に重要な貢献を為すと考えられた。従って、学位の授与に値するものと考えられる。 | |
UTokyo Repositoryリンク |