学位論文要旨



No 115592
著者(漢字) 稲,恭宏
著者(英字)
著者(カナ) イナ,ヤスヒロ
標題(和) 変異型Btkによるマウス獲得性免疫不全症候群(MAIDS)の発症遅延に関する研究
標題(洋)
報告番号 115592
報告番号 甲15592
学位授与日 2000.09.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1678号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森本,幾夫
 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
内容要旨 要旨を表示する

【序論】マウス獲得性免疫不全症候群( Murine acquired immunodeficiency syndrome,MAIDS )は、LP-BM5マウス白血病ウイルス(LP-BM5 Murine leukemia virus,以下LP-BM5 MuLVと略す)感染により誘発される後天性の免疫不全症候群であり、ウイルス感染後の高ガンマグロブリン血症、全身のリンパ節腫脹、重篤な免疫不全等、ヒトのエイズで認められる症状と多くの共通点を示す。著者の共同研究者らは、B細胞の増殖分化に必須の役割を果たすBtkに注目し、そのMAIDS発症における役割について検討してきた。Btkは、非受容体型チロシンキナーゼであり、B細胞、骨髄球系細胞、赤芽球系細胞などの血液細胞に主として発現しており、T細胞には発現していない。マウスBtk遺伝子はXq22上にマップされ、その突然変異はX染色体連鎖免疫不全症(Xid)を引き起こす。

【研究目的】Hitoshiらは、XidマウスにLP-BM5 MuLVを感染させると、MAIDSの発症が著しく遅延することを見い出した。Ueharaらは、Xidマウスの骨髄細胞を致死線量の放射線を照射した野生型マウスに移植したところ、MAIDSの発症が遅延することを確認した。そこでXidマウスにおけるMAIDS発症遅延効果が、他の要因によらず、Xid型Btkのみの影響によるものかどうかを確認するために、Xid型Btkと野生型Btkのトランスジェニックマウスを作成してウイルスの感染実験を行った。その結果、野生型Btkトランスジェニック(Btk-Tg)マウスに比較して、Xid型Btk-TgマウスでMAIDSの発症が遅延することを確認した。この結果より、XidマウスにおけるMAIDS発症遅延効果は、Xid型Btkのみの影響によるものであることが強く示唆された。本研究では、レトロウイルス感染により誘発されるMAIDSの発症をex vivoの遺伝子治療により遅延できるか調べることを目的として、野生型および変異型(Xid型)Btk遺伝子を組み込んだレトロウイルスベクターを野生型マウス(C57BL/6)の骨髄細胞に感染させ、遺伝子導入細胞を致死線量の放射線を照射したC57BL/6マウスに移植し、LP-BM5MuLVを感染させ、MAIDS発症への効果を検討した。

【研究方法】

1) マウス:c57BL/6マウス(以下B6マウスと略す)の雌、およびC57BL/6.xid(B6.xid)マウスの雌を実験に用いた。

2) LP-BM5 MuLVの感染:LP-BM5 MuLV産生細胞株G6の24時間培養上清を感染ウイルス源として用いた。骨髄移植から6週目に移植の成立を確認し、1×104PFU(200μl)のウイルス含有液を腹腔内に投与してマウスをウイルス感染させた。

3) レトロウイルス産生細胞株の樹立:野生型および変異型(Xid型)マウスBtk cDNAをレトロウイルスベクターpBabe Neoのマルチクローニングサイトに組み込み、対照のネオマイシン耐性遺伝子のみを組み込んだもの、野生型Btk cDNAを組み込んだもの、Xid型Btk cDNAを組み込んだものの3種類のレトロウイルスベクターを作成した。それらpBabe-Neo、pBabe-Wild Btk、pBabe-Xid Btkをリン酸カルシウム法によってアンフォトロピック型パッケージング細胞GP+envAM12にトランスフェクトし、その培養上清をエコトロピック型パッケージング細胞GP+E86に感染させた。G418を含む培養液中で選択培養し、複数のG418耐性細胞株を得た。樹立したレトロウイルス産生細胞株について、NIH 3T3細胞を用いてウイルスの感染性と感染力価の測定を行い、最も高力価を示した各細胞株を用いた。

4) 骨髄細胞への野生型および変異型Btk遺伝子導入とその移植:5週齢のB6雌性マウスに5-FUを体重10g当たり1.5mg腹腔内投与し、その2日後に骨髄細胞を採取した。樹立した各レトロウイルス産生細胞株と採取した骨髄細胞をmSCF、mIL-3、ポリブレンを含む培養液中で3日間共培養することによって野生型および変異型(Xid型)Btkの遺伝子を骨髄細胞に感染導入した。3日間の共培養後に、骨髄細胞を生理食塩水にて洗浄し、1×107個/mlの濃度の細胞浮遊液に調製し、致死線量である9.5Gyのγ線を照射したB6雌性マウスに、尾静脈より2×106個(200μl)/マウス移植した。

5) FACScanによる末梢血細胞表面機能分子の解析:各群のマウスの眼下静脈叢より採取した末梢血を赤血球溶血剤で処理したもの、および脾臓よりそれぞれ調製した細胞浮遊液を用いて、細胞表面IgMおよび細胞表面IgDをFACScan(Becton Dickinson社製)にて解析した。

6) ELISA法による血清免疫グロブリン濃度の測定:各群のマウスの眼下静脈叢より採取した末梢血から調製した血清を用いて、IgMおよびIgG2aの濃度をELISA法にて測定した。

7) サザンブロッティング法によるBtk遺伝子およびLP-BM5 MuLv遺伝子の染色体DNAへの組込みの確認:脾細胞から調製した染色体DNAを用いて、Btk遺伝子は、レトロウイルスベクターpBabe Neoのネオマイシン耐性遺伝子領域をプローブとして、LP-BM5 MuLV gag遺伝子は、LP-BM5 MuLVのgag領域をプローブとして、サザンブロッティング法によりBAS1000(Fuji Film社製)を用いて解析した。

8) ウェスタンブロッティング法によるBtkタンパクの発現確認:脾細胞より調製した総細胞溶解液を用いて行い、ECL(Enhanced chemiluminescence)法(Amersham社製)によってX線フィルム(Fuji Film社製)を用いて検出した。Btkタンパクと思われるバンドの強度の解析は、デンシトグラフAE-6920M-05型(ATTO社製)を用いて行った。

9) 脾細胞の増殖応答:脾細胞を96ウェルマイクロプレートに1×105個/ウェル入れ、37℃、5%CO2の条件下で培養した。細胞の刺激には、抗マウスCD38モノクローナル抗体(CS/2)、コンカナバリンA(ConcanavalinA,ConA)を培養開始と同時に添加した。60時間培養後に3H-チミジンを0.2μCi/ウェル添加してさらに12時間培養し、Micromate96ハーベスター(Packard社製)にて細胞をガラス繊維ろ紙上に回収して乾燥させた後、細胞内への3H-チミジンの取り込み量をMatrix 96 Beta Counter(Packard社製)を用いて、ヘリウム99%、イソブタン1%の気相下で測定した。

【結果】

1) 野生型および変異型Btk遺伝子導入:サザンブロッティング法の結果、Neo群で3.7kb、Wild Btk群およびXid Btk群で6.4kbのバンドが検出され、ともに同程度の遺伝子の導入を確認した。ウェスタンブロッティング法の結果、約76kDのBtkタンパクの発現を確認した。その発現の程度は、デンシトグラフAE-6920M-05型(ATTO社製)にて測定したところ、Neo群ではB6マウスと同程度であったのに対し、Wild Btk群とXid Btk群では、その発現が約1.5倍程度に上昇していた。したがって、ゲノムに組み込まれたBtk cDNAが発現していることが確認された。

2) 骨髄細胞移植の成立:骨髄細胞移植から6週目に眼下静脈叢から採取した末梢血を用いて、FACScanにより各群の末梢血B細胞表現型を比較した結果、B6マウスのB細胞はsIgMが中等度、sIgDが強度の発現を示していた。これに対しB6.xidマウスでは、sIgMが強度で、sIgDが中等度から強度の発現を示していた。Neo群とWild Btk群では、B6マウスとほぼ同じパターンであったが、Xid Btk群では、sIgM陽性sIgD低発現の細胞集団が増加し、B6.xidマウスに近い表現型を示した。血清免疫グロブリン濃度については、B6.xidマウスとB6.xidマウスの骨髄細胞を移植した同系B6マウスでは、血清中IgM、IgG2a濃度が、B6マウスの10%以下に低下していた。Neo群とWild Btk群は、B6マウスやB6マウスの骨髄細胞を移植したB6マウスと同程度であったが、Xid Btk群ではそれらの約40〜50%のレベルに低下していた。抗CD38モノクローナル抗体刺激による脾細胞の増殖応答は、Neo群とWild Btk群ではB6マウスと同程度の増殖応答を示したのに対し、Xid Btk群ではそれらの約1/4程度の応答にとどまり、B6.xidマウスのレベルに近い応答を示した。以上より、野生型およびXid型Btk遺伝子をレトロウイルスベクターに組み込んで骨髄細胞に感染導入して移植したところ、骨髄細胞移植が成立し、Btk遺伝子が脾細胞に発現して機能し、Xid型Btk遺伝子を導入した場合、sIgM、sIgDの発現パターン、血清中IgM、IgG2a濃度、抗CD38モノクローナル抗体刺激による脾細胞の増殖応答、いずれにおいても、Xidマウスに近似した表現型を示した。

3) LP-BM5 MuLV感染と免疫学的パラメーター:Neo群、Wild Btk群と比較して、Xid Btk群では、ウイルス感染に伴う脾臓重量の増加が抑制され、脾細胞のConA刺激による増殖応答の低下、さらに血清中IgM、IgG2a濃度の上昇もほとんど認められず、B6.xidマウスと同様にMAIDS発症遅延効果が認められた。脾細胞ゲノム中のLP-BM5 MuLv遺伝子をサザンブロッティング法によって調べた結果、xid Btk群でも、Neo群、Wild Btk群と同様にLP-BM5 MuLV遺伝子のバンドが検出され、Neo群、Wild Btk群と同様に、LP-BM5 MuLV遺伝子の染色体DNAへの組込みは成立していることが確認された。したがってXid Btk群では、ウイルスの感染は起こっているが、その感染細胞が十分に増殖できないことが示唆された。LP-BM5 MuLV投与後の生存率曲線も、Neo群、Wild Btk群と比較して、Xid Btk群では、ウイルス投与後の生存率の上昇が観察された。すなわち、死亡開始の時期が約5週間遅れ、全マウスが死亡するまでの期間が約13週間延長することが確認された。

【考察と今後の展望】Xid型Btk遺伝子のゲノムへの組込み、発現、B細胞機能への影響を解析することにより、MAIDS発症遅延効果がxid型Btk遺伝子によってもたらされたことが裏付けられた。Xid Btk群は、脾臓重量、脾細胞をCon Aで刺激した際の増殖応答の値は、B6.xidマウスと同程度の値を示したが、血清中IgMおよびIgG2a濃度は、ややB6マウスに近い値を示した。この結果から、Btkがそれらに関与するメカニズムに違いがある可能性が示唆された。本研究においては、変異型(Xid型)Btk遺伝子を骨髄細胞に導入し、その細胞を移植することによって、レトロウイルス誘発MAIDSの発症を遅延させることが可能であることが初めて示唆されたことは重要であると考える。

【結論】本研究において、MAIDSの遺伝子治療の可能性を調べるために、レトロウイルスベクターを用いて野生型マウスの骨髄細胞に変異型(Xid型)Btk遺伝子を導入し、致死線量の放射線を照射した野生型マウスに移植する方法を確立した。その結果、Xidマウスに近い末梢血B細胞表現型を示すマウスが得られ、これらのマウスでLP-BM5 MuLvを用いた感染実験を行ったところ、野生型Btk遺伝子を導入したマウスに比較して、MAIDSの発症遅延効果が認められた。以上より、レトロウイルス誘発MAIDSの発症に変異型(Xid型)Btkが抑制的に作用することを初めて確認した。遺伝子導入効率の上昇やGVHDの抑制など、今後改善すべき点もあると思われるが、変異型(Xid型)Btk遺伝子を効率的に導入することによって、ヒトのAIDSなどのレトロウイルス誘発免疫不全症におけるB細胞の異常増殖、リンフォーマ等を抑制しうる可能性もあると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、ヒトのAIDSにおける遺伝子治療の可能性を調べるために、AIDSの動物モデルであるMAIDS(マウス後天性免疫不全症候群)の系にて、レトロウイルスベクターを用いて、野生型マウスの骨髄細胞に変異型(Xid型)Btk遺伝子を導入し、致死線量の放射線を照射した野生型マウスに移植する方法を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 脾細胞の染色体DNAを用いたサザンブロッティング法の結果、Neo群で3.7kb、Wild Btk群およびXid Btk群で6.4kbのバンドが検出され、ともに同程度の遺伝子の導入を確認した。脾細胞のウェスタンブロッティング法の結果、約76kDのBtkタンパクの発現を確認した。その発現の程度は、デンシトグラフAE-6920M-05型(ATTO社製)にて測定したところ、Neo群ではB6マウスと同程度であったのに対し、Wild Btk群とXid Btk群では、その発現が約1.5倍程度に上昇していた。したがって、ゲノムに組み込まれたBtk cDNAが発現していることが確認された。

2. 骨髄細胞移植から6週目に眼下静脈叢から採取した末梢血を用いて、FACScanにより各群の末梢血B細胞表現型を比較した結果、B6マウスのB細胞はsIgMが中等度、sIgDが強度の発現を示していた。これに対しB6.xidマウスでは、sIgMが強度で、sIgDが中等度から強度の発現を示していた。Neo群とWild Btk群では、B6マウスとほぼ同じパターンであったが、xid Btk群では、sIgM陽性sIgD低発現の細胞集団が増加し、B6.xidマウスに近い表現型を示した。血清免疫グロブリン濃度については、B6.xidマウスとB6.xidマウスの骨髄細胞を移植したB6マウスでは、血清中IgM、IgG2a濃度が、B6マウスの10%以下に低下していた。Neo群とWild Btk群は、B6マウスやB6マウスの骨髄細胞を移植したB6マウスと同程度であったが、Xid Btk群ではそれらの約40〜50%のレベルに低下していた。抗CD38モノクローナル抗体刺激による脾細胞の増殖応答は、Neo群とWild Btk群では、B6マウスと同程度の増殖応答を示したのに対し、Xid Btk群では、それらの約1/4程度の応答にとどまり、B6.xidマウスのレベルに近い応答を示した。以上より、野生型およびXid型Btk遺伝子をレトロウイルスベクターに組み込んで骨髄細胞に感染導入して移植したところ、骨髄細胞移植が成立し、Btk遺伝子が脾細胞に発現して機能し、Xid型Btk遺伝子を導入した場合、sIgM、slgDの発現パターン、血清中IgM、IgG2a濃度、抗CD38モノクローナル抗体刺激による脾細胞の増殖応答、いずれにおいても、Xidマウスに近似した表現型を示した。また、これらの指標の動態の違いから、Btkがこれらに関与するメカニズムに違いがある可能性が示唆された。

3. Neo群、Wild Btk群と比較して、Xid Btk群では、ウイルス感染に伴う脾臓重量の増加が抑制され、脾細胞のConA刺激による増殖応答の低下、さらに血清中IgM、IgG2a濃度の上昇もほとんど認められず、B6.xidマウスと同様にMAIDS発症遅延効果が認められた。脾細胞ゲノム中のLP-BM5 MuLV遺伝子をサザンブロッティング法によって調べた結果、Xid Btk群でも、Neo群、Wild Btk群と同様にLP-BM5 MuLV遺伝子のバンドが検出され、Neo群、Wild Btk群と同様に、LP-BM 5MuLV遺伝子の染色体DNAへの組込みは成立していることが確認された。したがって、Xid Btk群では、ウイルスの感染は起こっているが、その感染細胞が十分に増殖できないことが示唆された。LP-BM5 MuLV投与後の生存率曲線も、Neo群、Wild Btk群と比較して、Xid Btk群では、ウイルス投与後の生存率の上昇が観察された。すなわち、死亡開始の時期が約5週間遅れ、全マウスが死亡するまでの期間が約13週間延長することが確認された。

 以上、本論文は、AIDSの動物モデルであるMAIDS(マウス後天性免疫不全症候群)の系において、レトロウイルスベクターを用いて、野生型マウスの骨髄細胞に変異型(Xid型)Btk遺伝子を導入し、致死線量の放射線を照射した野生型マウスに移植する方法を確立した。その結果、Xidマウスに近い末梢血B細胞表現型を示すマウスが得られ、これらのマウスでLP-BM5 MuLVを用いた感染実験を行ったところ、野生型Btk遺伝子を導入したマウスに比較して、MAIDSの発症遅延効果が認められた。以上より、MAIDSの発症に変異型(Xid型)Btkが抑制的に作用することを初めて確認した。本研究は、いまだ発症のメカニズムには不明な点も多く、有効な免疫学的治療法の確立が期待されているAIDSの発症遅延を惹起し得る可能性もあると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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