No | 115593 | |
著者(漢字) | 河合,秦代 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カワイ,ヤスヨ | |
標題(和) | 母語・非母語における母音長の知覚特性 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 115593 | |
報告番号 | 甲15593 | |
学位授与日 | 2000.09.06 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第1679号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 脳神経医学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1. 目的 音の長さの知覚には一般的には音の高さ,強さが影響することが知られている(ピアジェ,フレス1971)。高い,強い音は主観的に長く知覚され,逆に低い,弱い音は短く知覚される。ところがある特定の言語を習得した場合には,長さの知覚において高さ,強さの影響を受けない例外が出てくることが筆者の予備的研究(皆川1997)において日本語話者について示唆された。本研究はその点を詳細に検討しようとするものである。 筆者による,外国語話者の日本語の長・短母音の識別を観察した予備実験の結果では,外国語話者は長・短母音の同定に音の高さ・強さが影響してくるが,日本語話者には影響していないことが示唆された。つまり日本語のカテゴリーには他の外国語と異なる要因が関与しており,長・短母音の同定において日本語話者に特徴的な処理機構が存在することが考えられた。本研究では日本語話者と長・短母音のカテゴリーを持たない韓国語話者について,上述のような母音長の知覚特性を,より詳細に比較検討する。それにより,それによりこれまで検討されなかったカテゴリーの形成に関与する時間長以外の要因について検討し,日本語長・短母音のカテゴリーの特性を明らかにする。以上の目的のために,日本語,韓国語話者について単語音声の長・短母音の同定実験,合成音の長・短母音の同定実験,母音音声の時間長弁別実験,非言語音の時間長弁別実験を行い言語間比較する。 2. 実験1「単語音声の同定実験」 2.1 目的 韓国語には長・短母音のカテゴリーがないために,韓国語話者が日本語の長・短母音を識別することが困難であることが知られている。ここではそのような母語におけるカテゴリーの有無意外の要因として,高さ,強さが関係している日本語の単語のアクセント型が長・短母音の同定に影響するかどうか検討する。 2.2 方法 検査語として長母音を含む3モーラ語と長母音を含まず短母音のみからなる2モーラ語が,アクセント型と長・短母音位置(語頭・語末)の条件から36語選ばれた。実験では,被験者は自然発話音声の刺激音を聞いて,刺激音のどこに長母音が含まれていたか,もしくはなかったかを判断し回答用紙に○を記入した。被験者は初級日本語学習者である韓国語話者であった。 2.3 結果 実験1の結果,アクセント型が低高高型である単語の長母音(例,じょせ−)は誤答率が低く(7%程度),高低低型である単語の長母音(例,うちゅ−)は誤答率が高い(35%程度)。同様に短母音の誤りの傾向にもアクセント型による違いがみられた。以上,長・短母音の同定において単語のアクセント型の効果が見られ,長・短母音の同定における音の高さ,強さの影響の可能性が示唆された。 3. 実験2,3,4,5 3.1 目的 実験1から示唆された,長・短母音同定における高さと強さの影響をより詳しく検討するために実験2から実験5の合成音声を用いた同定実験,弁別実験を行なうこととした。実験の内容,検査語に関しては表12にまとめて示した。 3.2方法 (刺激音)実験2,3,4,5の検査語は表12に示す。各実験は,条件の違いにより2つに分かれる。長・短母音の同定(または長さの弁別)における音の高さの影響を検討するピッチパタン制御条件では,強さを一定にし高さのみを低高,高低にした刺激音を用いた。音の強さの影響を検討する強さパタン制御条件では,高さを一定にし強さのみを弱強,強弱に変化させた刺激音を用いた。 (手続き)実験2,3では長・短母音の音素境界値(長母音,短母音反応率がそれぞれ50%となる母音長)を測定するために,恒常法による同定実験が行われた。被験者は,母音長が11段階に変化する刺激音「まま−」または「ああ−」を聞いて,刺激音の第2音部が日本語の長母音かそうでないかを強制選択した。実験4,5では主観的等価値(主観的に第2音が第1音と同じであると知覚される持続時間)の測定は恒常法により行った。第2音の長さが8段階に変化する「ああ」または純音の2連鎖がランダム呈示され,被験者は第1音が長いか,第2音が長いかを判断した。 (被験者)ピッチパタン制御条件の実験は日本語,韓国語(釜山方言)話者,各19名を被験者とし,強さパタン制御条件の実験は日本語話者,韓国語話者各20名を被験者とした。 3.3 結果 4つの実験におけるピッチパタン,強さパタンの音素境界値,主観的等価値への影響を表11にまとめて示す。実験4,5の弁別実験では日本語話者,韓国語話者ともに高さ,強さの効果がみられている。しかし,実験2,3の長・短母音の同定実験では韓国語話者のみ高さ・強さの効果が見られ,日本語話者では高さ・強さの効果がほとんどみられなかった。特に母音音声「ああ」を用いた同定,弁別の2つの実験から高さ・強さの影響の有無は言語音声であるかどうかに関係なく,カテゴリー判断である同定実験であるかどうかということが関係していたことがわかる。 3.4 考察 弁別実験における長さの知覚では日本語話者,韓国語話者に共通した一般的な高さ,強さの影響を受けていると考えられる。これに対し日本語話者の長・短母音の同定では物理的な長さのみで決まるカテゴリー境界を持っていてそれに基づき長さの判断をしていると考えられる。つまり,日本語話者の長・短母音のカテゴリー判断には,一般的な長さの知覚とは異なる日本語話者に特有な脳内の処理機構が存在することが示唆される。その処理機構のために日本語話者は純粋な長さの情報のみで長・短母音が2つのカテゴリーへ分けられた。一方,韓国語話者にはそのような処理機構が存在しないために日本語の長・短母音のカテゴリー判断が要求された場合にも,日本語話者,韓国語話者に共通してみられた一般的な長さの処理機構が用いられ,結果的にピッチパタン,強さパタンが影響を与えたと考えられる。ただし,本実験の弁別実験では短母音カテゴリーに相当する刺激音長での検討であり,長母音カテゴリー部分での検討は行っていない。従って日本語話者の場合,長さにより高さ,強さの効果が異なってくる可能性も残っている。ただし,先行研究(Triplett 1931,0leron 1952)の結果からは,長母音の範囲でも今回実験を行った短母音の範囲と同様に,日本語,韓国語話者ともに高さ,強さの効果を受けることが予想される。しかし,文化によって刺激音長の範囲の違いによる,高さ,強さの効果の違いが生じることも考えられる。この解釈も興味深いが,この刺激音長の効果はより詳細な実験により検討する必要があろう。 なお,日本語と韓国語の長さ,高さ,強さについての音声的,音韻的特徴の違いとしては以下のような点が挙げられる。日本語では持続時間という音響特徴を持つ長・短母音と高さ,強さの音響特徴を持つピッチアクセントは両者共に意味を弁別する上で重要な役割を持っている。それに対して,韓国語では母音長,ピッチアクセントの両者が意味の弁別に役立たない。この違いを考慮すると,日本語では,韓国語と異なって母音の長・短,およびピッチアクセントが同時に意味の弁別に重要であるために,音声の高さ・強さ情報と長さ情報とが相互に影響を与えることなく互いに独立している方が知覚における情報の処理過程が簡便であることが考えられる。また,日本語の発話面についても,日本語は,韓国語を含む他言語と比べて,音節の長さは高さ,強さの音響特徴を持つアクセントの影響を受け難く,高さ,強さの要因から比較的独立している。このように今回の研究で明らかとなった日本語話者の長・短母音同定の知覚特性は,日本語音声の知覚的体系と生成面の特徴の両者と整合の取れた特性であるといえよう。なお本研究のような音韻カテゴリー判断の特性の詳細を明らかにすることは,言語訓練や外国語学習での,音韻カテゴリー習得のための音声教材等の作成に有効な資料を提供するものであると考えられる。 表12 実験の刺激音と課題 表11 実験2から実験5のピッチパタン・強さパタンの音素境界値,主観的等価値への影響 *ピッチパタン,強さパタンの効果とは音素境界値または主観的等価値の高低条件マイナス低高条件,もしくは強弱条件マイナス弱強条件を示す。 *は5%水準,**は1%水準で有意差があることを示す。 | |
審査要旨 | 音の長さの知覚には一般的には音の高さ,強さが影響することが知られている。高い,強い音は主観的に長く知覚され,逆に低い,弱い音は短く知覚される。ところがある特定の言語を習得した場合には,長さの知覚において高さ,強さの影響を受けない例外が出てくるという可能性が先行研究から日本語話者について示唆されている。本論文はその点を詳細に検討している。そのために,日本語話者の長・短母音のカテゴリー判断における母音長知覚の特性,および母音超,純音長の弁別特性を,長・短母音カテゴリーを持たない韓国語話者と比較検討した。 (1)単語音声の長・短母音の同定実験を行った結果,韓国語話者について長・短母音同定におけるアクセント型の影響が見られ,長・短母音同定に音の高さ,強さの影響が示唆された。 (2)上述のアクセント型の効果を日本語話者と韓国語話者についてより詳細に検討するために,言語音声と純音を用いた同定実験,長さの弁別実験を行った。その結果,長・短母音カテゴリーが関与しない弁別実験においては日本語話者,韓国語話者共にピッチパタン,強さパタンの影響を受けていた。同定実験では弁別実験と同じ第1音長と第2音長の長さの弁別であるにも関わらず,韓国語話者のみピッチパタン,強さパタン効果が見られ,日本語話者ではほとんどみられなかった。高さ,強さの影響の有無は言語音声であるかどうかに関係なく,長さの知覚に長・短母音のカテゴリーが関与しているかどうかという点が関係していたことがわかった。 (3)長・短母音カテゴリーが関与しない弁別実験における長さの知覚では日本語話者,韓国語話者共通の一般的な高さ,強さの影響を受けていると考えられた。 一方,日本語話者の長・短母音の同定という長・短母音カテゴリーが関与する長さの知覚においては,日本語話者は物理的な長さのみで決まるカテゴリー境界により長さの判断をしていると考えられた。日本語の長・短母音のカテゴリー判断には,一般的な長さの知覚とは異なる日本語話者に特有な判断機構が存在することが示唆される。ただし,この特性はカテゴリーが関与するか否かの違いではなく,刺激音長の効果である可能性も考えられる。 (4)本研究でみられた,日本語話者の長・短母音同定の知覚特性は,日本語音声の知覚的体系,および生成面の特徴の両者と整合しているものと考察された。 以上,本論文は日本語話者の長・短母音のカテゴリー判断には,一般的な長さの知覚とは異なる知覚特性が存在することを明らかにし,日本語話者に特有な脳内の処理機構が存在することを示唆した。これまでに日本語は世界の諸言語の中でも発話面における音節長の特徴が特異な言語であることは述べられてきたが,日本語話者の音節長の知覚特性についてはほとんど明らかにされていなかった。そのような背景で本研究は日本語について,母語による音声知覚とくに音節長知覚の特異性を実証した点,長・短母音のカテゴリー特性を明らかにした点で学位授与に値するものと考えられる。 | |
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